第一〇六話 元・《魔王》様と、冥府の旅路 後編
亀裂の中へ入り込んでから、数瞬後。
新たな地へと到達してからすぐ、俺は周囲を見回した。
合戦場の跡地。ここはまさにそれだった。
足下には無数の死骸が転がり、血の海が出来上がっている。
そんな只中にて。
「まさか……オリヴィア様まで……」
顔を青くしながら、わなわなと震えるジニー。
……当初、我々は六人のパーティーであった。それが今や、三人にまで減っている。
ライザー、シルフィー、そしてオリヴィア。彼女等の離脱がジニーの心に不安をもたらしているようだが……きっとそれは、己の安否に対するものではなかろう。
ジニーは離脱した三人の命を慮っているのだ。
そうだからこそ。彼女は僅かながらも、俺に対する不信を抱いたのだろう。
言葉にはしないものの、その視線からジニーの言わんとすることが伝わってくる。
なぜ、シルフィーを置き去りにして逃亡するという選択をしたのか、と。
俺がそのように動かなければ、ライザーは仕方ないとしても、他の二人は犠牲にならなかったのではないか。そんな考えに対して、俺は返答を口にした。
「お三方は犠牲になったわけではありません。一時的に離脱したというだけのこと。この一件に片が付けば、無事に再会出来るでしょう」
ジニーは何も応えなかった。無言のまま、こちらに視線を送り続けるのみ。
おそらく、心の中でせめぎ合っているのだと思う。俺のことを信じたいという気持ちと、なんら根拠のない言葉に信用がおけぬという気持ち。それらの間で揺れている。
例え普段、こちらを全肯定してくれる彼女といえども、状況が状況だ。冥府の瘴気に毒されているということもあって、不信感に苛まれるのも当然といえよう。
その一方で、ヴェーダは俺とまったく同じ考えを抱いていたらしい。
「ワタシもあの三人については心配しなくてもいいと思うよ。何せ……アル君の目的はどうやら、復讐(、、)だとか勝利だとか、そういうところにはないみたいだからね」
足下に広がる無数の亡骸と、血の海に目をやってから、ヴェーダは灰色の空を見上げつつ、語り続けた。
「ここは冥府の一部であり、アル君の精神構造そのもの。そんな空間から伝わってくるのは、過去に対する執着と悲しみ。そして……破滅願望。だからアル君は、負けようとはしていないけれど、それと同時に、勝つつもりもない」
そうだ。この領域へ足を踏み入れ、そして、ルキウス、ガープの紛い物を目にした時点で、俺はヴェーダと同じことを考えていた。
「最初はどうだったか、それはわからないけれど。少なくとも今は、アル君の中にワタシ達への悪意はないと思う」
「えぇ。彼の心に僅かでも憎悪があったなら、己の消滅を目的にしているにせよ、その過程において我々の幸福な未来を破壊し、悦に入ろうと考えるのでしょうが……もはや彼の心には、そうした感情さえも残されてはいない。それほどに、彼は摩耗している」
俺達のやり取りと、互いに抱き合う得心に対して、ジニーが疑問を抱かぬはずもなく。
「どうして、そんなことが言えるんですか?」
「それは――」
過去の俺がこの問いを受けたなら、はぐらかすような答えを口にしていただろう。
というかそもそも、こういった疑問を抱かせないよう立ち回っていた。
我が身の素性を、決して知られぬために。
けれども、もはやその必要もない。例え俺が何者であるか知ったところで、ジニーが畏怖の情を抱くことはない。我々の友情に傷が付くようなことは、断じてない。ゆえに――
「ジニーさん。これまで隠してきましたが、私は」
かつて吐いてしまった嘘を、訂正しよう。
“アード君は、《魔王》様、なんですか?”
過去、ジニーの口から出たこの問いに対して、俺は否定の言葉を返した。正体が明らかになったなら、彼女もまた俺を恐れ、離れてしまうのではないかと、そう考えていたから。
しかしながら、あのメガトリウムでの一件を経て、俺は心を変えた。
真の友情とは、畏怖によって砕けるほどヤワなものではない。そう信じているからこそ、俺はもう友人に嘘を吐くつもりはない。己の正体を明かし、アルヴァートとの関係性を詳細に説明して、ジニーを納得させ、その心に巣くう不安を払拭する。そのために。
「私は、アード・メテオールであると同時に」
躊躇うことなく、我が身の真実を口にしようとした――その直前。
「二人とも。どうやら、お喋りしてる暇はなさそうだよ」
ヴェーダにしては珍しく、緊張感に満ちた声。それが耳に入ると同時に。
目前にて、戦士達の亡骸を掻き分けながら、血の海が隆起する。
盛り上がった鮮血はやがて渦巻くように流転し――――人の形を、成した。
真紅。目に付くもの、全てがそれだった。
腰まで届く長い毛髪。妖しげな瞳。蠱惑的な唇。身に纏う軍服めいた装束。全身から放たれしオーラ。何もかもが、紅い。
そんな姿に俺は懐古の思いと、一抹の悲哀を抱きながら、彼女の名を口にした。
「……リュミナス=ウォル=クラフト」
かつてこの手にかけた《邪神》……いや、《外なる者達》が一柱。
その姿形はまさしく、生前の彼女と同一のものであったが、
「アルヴァート。アルヴァート。アルヴァート。アルヴァート」
やはり、彼女も同じだ。ルキウスやガープと同じく、このリュミナスもまた紛い物。
冥府に残存する、僅かな霊体の情報を基に創られた、模造品に過ぎない。
「……生き写しを創ったところで、所詮それは、ただの紛い物。生前の彼女を取り戻すことなど叶わぬと、そう確信していながらも……そのようにせざるを得ない」
あぁ。俺も貴様も、全く以て度し難いな、アルヴァート。
この場に、俺達が愛した女が居たなら、どんな反応をするだろう。
リュミナスが、そして……リディアが、ここに居たなら。
二人は、呆れて肩を竦めるのだろうか。それとも、哀れんで涙を流すのだろうか。
いずれにせよ、俺達は共に、女々しい感情を捨てきれぬ愚か者だ。
「……アード君。今は感傷に浸るときじゃない。そうだろう?」
「……えぇ。そうですね」
無造作な佇まいでありながらも、ヴェーダは既に戦闘の準備が整っていた。
その隣に立つジニーもまた、真紅の槍を構えて、敵方を睨んでいる。
……切り換えねば。
例え紛い物といえども、相手は《外なる者達》。ルキウスやガープとは、次元が違う。
「彼女の力をどこまで再現出来てるのか。まずはそれを探らなきゃいけないね」
「えぇ。序盤は守りに徹しましょう。ジニーさんも、よろしいですね?」
「はい。お二人に従いますわ……!」
先刻まで抱いていた疑問など、彼方へと吹き飛んだらしい。
思考の全てが闘争へと集中する。そうならざるを得ぬほど、目前の敵は恐ろしい存在であると、ジニーは直感的に確信しているのだろう。
果たして。その脅威判定が正しいことを証明するかのように。
真紅の怪物が、動いた。
「アルヴァート。アルヴァート」
同じ言葉を繰り返しながら、両腕を広げ――
「ッ! ジニーさん、横へ跳びなさいッ!」
叫びに反応して、彼女は反射的に跳び退いた。それから一瞬の間を置いて。今し方までジニーが立っていた場所へ、紅い雷が落ちた。
「……まぁ、基本的な部分は再現してるよね、やっぱり」
「えぇ。ここに関しては、かつての力と比べてみても、遜色ない水準になっているかと」
リュミナスが有していた力は、比較的シンプルなものだった。
即ち、紅き稲妻の使役。
発生のタイミングが読めず、回避は実に困難であり、直撃しようものならその対象を霊体ごと焼き尽くす。速度、威力、共に尋常のそれではないが……
古代世界の基準で見れば、リュミナスの力は下から数えた方が早いほど、弱々しいものだった。それでも彼女と、その軍勢が最強無比を誇ったのは、ひとえにリュミナス自身が持つ圧倒的な戦闘センスによるところが大きい。
敵の全行動を完璧に予測し、最適解を常に導き出しては、瞬時に実行する。その戦術はあまりにも多彩で、緻密な計算に基づいた行動を取ったかと思えば、理解し難い動きをしてみせるなど、先が全く読めない。
俺もかつては彼女の術中に嵌まり、幾度となく苦戦を強いられたものだが……
「アレは、再現出来るものではないでしょう」
「ワタシもそう思うけど…………紛い物とはいえ、万が一を思わせるのが、リュミナスちゃんの怖いところだよねぇ」
否定はしない。ゆえに当然、俺は慎重な立ち回りを貫いた。
常に相手の思考を読み取らんと頭を働かせ、防御に徹し続けた、その末に。
「……やはり、本物には遠く及ばない、か」
紛い物ゆえに思考する力が皆無に等しい。
無造作に雷撃を放つばかりで、その行動にはなんの戦術性もなかった。
真紅のそれは確かに、威力、速度、共に抜群であり、我が異能による無力化も不可能だが……全力の防御魔法を駆使すれば、簡単に対応が出来る。
となれば必然、此度の一戦は終始、こちら側の一方的な展開となった。
「アル、ヴァート……ア、ル、ヴァート……アルヴァー、ト……」
もはや満身創痍といった状態のリュミナス。身に纏う軍服めいた装束はボロボロに破れ、覗く素肌は総じて鮮血の紅に染め尽くされている。
頭脳という翼を失った彼女を水面に沈めるのは、あまりにも容易で。
全盛期のリュミナスを知る身としては、もの悲しくなってしまう。
……だが、その一方で。依然、我々の前に立ち続ける彼女へ、俺は畏怖を覚えてもいた。
「アル、ヴァート……アルヴァー、ト……ア、ルヴァート」
その視線は常に、こちらへと向けられていた。リュミナスは常に、俺だけを見ていた。
……彼女は意思なき人形である。よって我が身を見据え続けていることについては、単なる偶然に過ぎない。
そのように理解していてもなお、俺は、罪悪感を抱かざるを得なかった。
あのとき交わした約束(、、)を、破るのか。
そんなふうに非難されているように思えて、仕方がなかった。
「……許せ、リュミナス。もはやそれ以外に、道はないのだ」
心苦しさを感じつつも、決着を付けるべく、最後の一撃を加えんとする。せめて苦しまぬよう全力の魔法で以て消し去ろう。胸の痛みを噛みしめながら、俺はリュミナスへ――
「アル、ヴァ……ル、ヴァ……ア……ヴァ……ル……」
攻撃魔法を打ち込むという、直前。
オーラが。彼女の全身から漂う、危うげな気配が。そのとき、異様な力強さを帯びて。
「ヴァ……ル……ヴァ……」
まさか。そんな。
ありえないと、そう思った矢先のことだった。
我が思考を否定するかのように、目前の紛い物が、鋭い声を浴びせかけてきた。
「ヴァル、ヴァトスッ……!」
刹那。紅き雷閃が周囲を照らし、轟音が鳴り響く。
果たして膨大な天雷は、我々ではなく、リュミナスへと落下し――
「う、あ、あぁああああああああああああああああああああああッッ!」
彼女の総身から、紅いエネルギーが放たれた。それ自体に威力はない。だが、秒を刻む毎に膨張していくその様相には、危ういものを感じる。
「ヤバいね。自爆するつもりだよ」
「もし、それを許した場合……」
「まず間違いなく、ワタシ達は全滅するだろうね」
そのように受け答えたヴェーダは、顎に手を当て、何か考え込んでいる様子だったが……それを気にしてはいられなかった。
リュミナス。お前も、そうなのか。
かつてシルフィーが暴走したとき、我が内側に宿るリディアの霊体が、自己意思を取り戻し、彼女の心を救ったように。
リュミナス。お前もまた、奇跡を起こしたのか。
アルヴァートを、守るために。奴を決して、死なせぬために。
そうした情念に、俺は――
俺は、強い怒り(、、、、)を覚えた。
「それほど愛していたのなら、なぜ、奴の手を取ってやらなかった……!」
自分勝手にもほどがある。
己が選び取った道だろう。
愛する者を捨て置いてまで、お前はそれを選んだのだ。
孤独に押し潰されて、だから、ありもしない可能性に縋り付いた。
死後の幸福という、決してありえない未来を、選んだ。
「お前が別の選択をしていたなら……! あの男のことを、一番に思ってやれたなら……! そもそも、このようなことにはならなかったというのに……!」
リュミナスもまた、此度の一件を引き起こした元凶の一人だ。アルヴァートを孤独に陥らせ、心を壊し、現在へと至らせた張本人だ。それが今更、何をしゃしゃり出てくるのか。
「リュミナス=ウォル=クラフト……! お前が出る幕など、もはやどこにもないッ!」
慈悲も悲哀も消え失せて。俺はただひたすら怒りをぶつける形で、ありったけの攻撃魔法を撃ち込んだ。しかし…………無傷。
むしろ我が魔法を吸収する形で、紅いエネルギーは一層の膨張をみせた。
「ヴァル、ヴァトス……!」
今にも破裂せんとするリュミナスの紅い瞳から、強い情念が送られてくる。
約束を破ることは許さない。アルヴァートを殺すことは、許さない。
まるで子を守る母の如き姿。それが実に、腹立たしくて仕方がなかった。
「愚昧もいい加減にしろッ! 貴様にそうした姿勢を取る資格などないッ!」
頭も心も、怒りの色によって染め尽くされていく。冷静な部分など、もはや微塵もない。そうした状態で、最適な判断など出来るはずもなかった。……そんな俺に代わって。
「普段はとことん冷静だけれど、頭に血が昇ると手が付けられないような暴れん坊になる。……君は本当に、変わらないね」
くすりと笑みを零しながら、ヴェーダが地面を蹴った。
「ッ!」
「ヴェーダ様……!?」
目を見開く俺と、ジニーの前で。
ヴェーダは紅きエネルギーを纏うリュミナスへと飛びついて。
「君の思った通りには、ならないよ」
そのままの勢いで、相手を押し倒す。その先には、いつの間にか黒穴が開いており――
リュミナスを道連れにする形で、ヴェーダは穴の中へと落ちていった。
「…………!」
突然の事態に呆然とする我々の前で、黒穴が瞬時に収束し、消滅する。
それから間もなくして。
『え~、テステス。聞こえるかな? 二人とも』
頭の中に、ヴェーダの声が響いた。
『まず最初に、異次元領域からの意思伝達は一方通行になるから、声を送り返しても無駄だと言っておくよ』
そう前置いてから、彼女は語り続けた。普段の脳天気な調子を、崩すことなく。
『ざっと計算しただけでも、リュミナスちゃんの自爆を許した場合、皆が生き延びる確率はゼロだって結論になった。となればもう、採るべき選択は一つだよね』
君ならわかるだろう? そんな意図が、声音から伝わってきた。
『死んでもいい人間が犠牲となって、皆を生かす。ま、定番といえば定番だけれど、一つ違うところがあるとしたなら……ワタシが……不死身の学者神ってところ……かな……』
あちら側で、何かが起きたのか。ヴェーダの声が次第に不鮮明な状態へと変わっていく。
『この……ワタシ、が……消え……も……まだ……億千万の……タシ……が残……だから……悲しむ……必要……ない……』
ヴェーダが今、どういった状態にあるのかはわからない。だが……いかなる状況にあろうとも、あいつは笑い続けるだろう。その声は、最後の最後まで、朗らかなままだった。
『後は……頼ん……よ……ワタシは……一休み……』
ここで、声が途切れて。その後、彼女のそれが頭に響くことは、なかった。
「ヴェーダ様……!」
少なからずショックを受けているのだろう。ジニーの顔に暗澹としたものが宿る。
……俺もまた、少しばかり心内が暗い。ヴェーダは己の安全を確信しているようだったが……それも、絶対ではない。ライザー、オリヴィア、シルフィーなどは、死の直前辺りにアルヴァートが救助しているのではないかと思う。だが、リュミナスについては……難しかろう。彼女には自己意思が戻っていた。もはやアルヴァートの操作など受け付けまい。
であれば……他の三人とは違って、ヴェーダの安全だけは保証がない。
「……冷静なままであったなら、何か、別の方法を見出せたのだろうか」
いや。おそらくは、ヴェーダの選択こそが最適解であり、それ以外にはどうしようもなかった。それでも……心のモヤつきは消えないまま、渦を巻き続けている。
「アード君……」
不安げなジニーの声を受けて、俺は無理矢理、意識を切り換えた。
彼女の不安はこちらに倍するものだろう。そんなジニーを安心させるためにも、俺は悠然と振る舞わねばならない。だから。
「これしきのことで、ヴェーダ様の命が危ぶまれるようなことはありません。彼女自身もそのようにおっしゃられていたでしょう? 我々はその言葉を信じて、前に進むのみです」
現状はなんら特別なものではないと、そのようにアピールする形で微笑を作る。
そうして、俺は。
「……行きましょう、ジニーさん」
「……はい」
彼女と肩を並べ、一歩を踏み出し――
それから、どれだけの時間が経ったのだろうか。
亀裂を目指して、西へ西へと突き進む。戦場跡地を抜けた後も、それは永遠と続いた。
時には針の山を。時には灼熱の大地を。時には豪雨の中を。
我々は立ち止まることなく踏破し……
そして、ここへ辿り着いた。
猛吹雪が舞う、雪原の只中。白銀が視界を埋め尽くし、凍てつくような冷気が体温を奪う。……根拠はないが、この地が我々の終着点であると、俺はそのように感じ取っていた。
すぐ近くに、奴が居る。アルヴァートが、待っている。
だが――
「アード君、私はもう、ここから先には、行けない、みたい、です」
ここで、ジニーがゆっくりと膝を折り、雪面へと倒れ込んでいった。
その華奢な体を抱き留めて、俺は彼女の顔を覗き込む。
……限界など、とうに超えていただろう。落ちくぼんだ眼。こけた頬。か細い呼吸。現代生まれの一般的な人間でしかない彼女が、よくぞここまで持ちこたえた。
その強い意志は、称賛に値する。
「ジニーさん。後はどうか、私にお任せを」
俺の言葉を受けて、彼女は瞳に涙を浮かべ、
「弱いままじゃ、嫌だって……足を引っ張るままじゃ、いたくないって……そう、思ってたけれど……やっぱり、ダメですね……」
その声には強い悔恨の情が宿っていた。きっと、自らの手で取り戻したかったのだろう。
イリーナという、親友を。学友達と紡ぐ、己の物語を。
それらはジニーにとって何よりも大切で、かけがえのないものだったのだ。
ゆえに、誰の手にも委ねたくはなかった。例え全幅の信頼を置く、俺が相手だったとしても。貴方に一任しますとは、口が裂けても言えなかった。
「馬鹿だと、思われる、でしょうけど……女の子にもね、意地ってものが、あるんですよ」
それを最後まで貫きたかった。ジニーの思いが、虚ろな瞳から伝わってくる。
「あぁ……悔しい、けれど……アード君……」
「はい」
先に続く言葉を、聞くまでもない。彼女の意図は十分に理解した。
あとはそれを、実行するのみ。
「どうか、待っていてください。私達の帰りを」
無言のまま、ジニーは首肯を返した。そんな彼女へ然るべき対処を行い、安全な状態を作った上で、俺は独り、待ち受ける相手のもとへと進み始めた。
「……寒い。実に、寒いな」
吹雪の中、白い息を吐き出す。そうしながら俺は、物思いに耽った。
真っ先に浮かんだのは……先ほど、ジニーが見せた表情。
彼女は俺に訴えかけていた。憎き敵を打ちのめしてくれ、と。
……彼女からすれば、アルヴァートはまさにそれだろう。
己の日常を破壊した憎き仇敵。それでしかないのだろう。
だが。俺はどうしても、奴のことを憎みきれなかった。
……こうした状況を作った元凶、その一人である俺が、なぜ奴を憎めようか。
「どこまでも冷たい。それが、貴様の真なる思いか」
この寒々とした銀世界こそ、奴の純粋な心情であろう。
仲間を一人、また一人と失って。最後には、何も残らず。
その末に奴の心は凍てついて、その状態のまま、生きることを強いられた。
どれほどの苦痛だったか、想像に難くない。
俺は、そんなアルヴァートから逃げたのだ。
奴と交わした約束。リュミナスと交わした約束。それらの間で揺らぎ、苦悩し……
結局、答えを出すことを諦めて、逃げた。
「俺もまた、自己中心的な愚か者だ。今は心の底から、後悔している」
此度の一件に対して、最初は怒りがあった。
けれどもそれは、あまりにも自分勝手で、不条理なものだ。
俺に奴を恨む資格はない。
だから、これより行うことは、報復などでは断じてない。
置き去りにした過去へ、決着を付ける。
見捨ててしまった同胞の心に、終焉を与える。
そのために、今――
「待たせたな。アルヴァート・エグゼクス」
銀世界の中。
俺は自らの宿命と、対峙するのだった――