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第一〇五話 元・《魔王》様と、冥府の旅路 前編

 ――アルヴァート・エグゼクスの目前には今、在りし日の光景が蘇っていた。


 グラズヘイムの宮殿に設けられた、茶会用の一室。

 こじんまりとした部屋の中には、華美な装飾もなければ、凝った家具も存在しない。

 中央に置かれた小さなテーブルと数人分の座椅子のみ。

 そこへアルヴァートを含む四人の男女が、腰を落ち着けていた。


「順調、順調。事は総じて、目論見通りに動いている」


 背もたれに体重を預けながら、足組みするアルヴァート。その目前にて、彼が口を開く。


「ひひ。やるじゃねぇか、小僧」


 ルキウス。双璧と称されし大将軍の一人が、悠々と笑っている。


「いやいや。貴公の働きがあってこそだよ。こちらが圧倒的に有利とはいえ、あのライザー・ベルフェニックスを打ち倒してみせるとは。流石だな、ルキウス」

「あぁ、死ぬには良い日だ……」

「然り然り。まっこと良き日和よな」


 何か。そう、何かがおかしい。

 アルヴァート自身、それはわかっている。わかっていながらも、状況を続けている。


「ガープよ、次なる一手には貴公も参戦してもらう。その豪腕が彼等とぶつかり合うその瞬間が、実に楽しみだ」

「う、うむ」


 座椅子が潰れんばかりの巨漢。

 ルキウスと並ぶ双璧の一人は、細い目を伏せて、小さく頷くのみだった。


「嗚呼、茶が美味い。やはり皆と共に在れば、普段とは格別の――」

「アルヴァート」


 不意に名を呼んだのは、彼女だった。

 母も同然の存在。かつての生き甲斐。誰よりも愛した人。

 リュミナス=ウォル=クラフトが、微笑を浮かべながら、彼のことを見つめていた。


「アルヴァート」

「えぇ、えぇ。無論ですとも、我が真なる主よ。貴女様を退屈させるつもりはありませぬ。しかしながら――」

「アルヴァートアルヴァート」


 名前を、繰り返す。

 彼女だけではない。ルキウスも。ガープも。同じ言葉を延々と、繰り返していた。


「あぁ、死ぬには良い日だ。あぁ、死ぬには良い日だ。あぁ、死ぬには良い日だ」

「う、うむ。う、うむ。う、うむ。う、うむ。う、うむ。う、うむ。う、うむ。う、うむ」


 その瞳に、光はない。その顔に、意思の気配は、ない。

 リュミナスもまた、同じ有様であった。


「アルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァート」


 微笑のまま固定された顔で、彼の名を延々と呼び続ける。

 壊れていた。それは完全に、壊れきっていた。


「あぁ、死ぬには、やるじゃねぇか小僧、リィイイイイイイイイイイ、あぁ、死ぬ、シィイイイイイイイイイイイイ、小僧、死ぬには、あぁ、やる」

「う、む、うむ、う、う、うむ、む、うむ、むむ、うう、むう、うむ」

「アルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァートアルヴァート」


 声が、乱れ飛ぶ。誰もが同じ顔で。微動だにすることなく。

 延々と、延々と。壊れた姿を、晒し続けていた。

 それを前にして、アルヴァートは、


「ふ、ふふ。ハハ。――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 天井を見上げながら哄笑する。そうしている間も、皆は壊れた姿を晒し続けていた。


「ハハハハハハハハハハハ! ハハ! アハハハハハハハハハハハハハ!」


 狂ったように笑う。その瞳にはただならぬ狂気が満ちていたが、しかし――

 そんな芝居は、永遠には続けられなかった。


「ハハハハハハハハハハハ――――――――――あぁ、馬鹿馬鹿しい」


 瞳から。顔つきから。全ての色が抜け落ちて。アルヴァートは天井を見つめたまま、指を鳴らす。途端、皆が口を閉ざし、微動だにしなくなった。


「……いっそ本当に、狂ってしまえれば、楽だったのにな」


 だらりと両腕を垂らしながら、呟く。光なき瞳に、悲哀と絶望を宿しながら。


「早く来いよ、ヴァルヴァトス」


◇◆◇


 我々の進行を邪魔する者は、誰一人として居なかった。

 全てはライザーの働きがあってこそ。奴が敵の大軍を足止めしている間に、俺達は夜の砂漠を駆け抜け――天に浮かぶ空間の亀裂へと、その身を躍らせた。

 瞬間。落下時のそれに似た感覚を味わってからすぐ、目前の光景が一変する。

 冥府特有のジャングル、といったところか。草木はあれども、総じて尋常のものではない。木の幹はあらゆる生物の骨で、草花はあらゆる生物の体毛で出来ている。

 まるで悪夢のような光景だが、これしきのことで動ずるような我々ではない。落ち着いた心持ちのまま、今後に関する話し合いを行う。まず口を開いたのは、オリヴィアだった。


「……此度もまた、西を目指すべきか?」

「う~ん。前の場所と今の場所では、進むべき方角が違うって可能性もあるよねぇ」

「ふむ。駄目元ではありますが、試してみましょうか」


 言いつつ、探知の魔法を発動する。……やはり無駄か。冥府では一部の魔法的な法則が異なる。ゆえに探知や転移といった、いくつかの魔法が使用出来ない。そのためアルヴァートの居所や、そこへ到達するための導を見出すことは不可能であった。


「とりあえず、今回も西へ進みましょう。アルヴァート様がおっしゃられた通りに、ね」


 異議の有無を確認すべく、皆の顔を見回す。


「……貴様に従おう」

「異議なしだわ」

「ま、なるようになれって感じかな」


 最後に、ジニーの顔を見た、そのとき。


「私、は…………」


 話す最中、彼女の目から力が抜けて。その体が、前のめりに崩れ出す。


「…………ッ!」


 寸でのところで、ジニーは気を取り戻したらしい。踏みとどまって転倒を防ぐ。


「ちょっ。だ、大丈夫、ジニー?」

「え、えぇ。少々、目眩がしただけ、ですわ」


 おほほと笑い、さも余裕であるかのように見せているが……実際は真逆の状態であろう。

 現世での生身を伴ったまま、冥府の土を踏む。それは世の摂理に反した行為であり、凡庸な人間には許されざるルール違反となる。俺やオリヴィア、ヴェーダ、シルフィーの四人は、凡庸の規格から外れているため、問題なく過ごせているのだが。

 やはりジニーには、冥府の空気に耐えうるだけの力はなかったか。


「……おそらく亀裂へ入る毎に、我々は深い領域へと移動することになるのでしょう。となれば必然、冥府に漂う瘴気も色濃くなる」


 俺は彼女の目を見つめながら、真剣な面持ちで、こちらの意思を口にした。


「ジニーさん。残念ながら、貴女には冥府にて活動出来るだけの霊体的な強さがない。下手をすればこの地に呑まれ、貴女という存在は未来永劫失われてしまう。そうなる前に……危険と判断したなら、そのときは」

「……はい。承知しておりますわ」


 今さら後には引けぬが、しかし、全てが終わるまで一所で待つことは出来る。

 彼女の限界を悟ったなら、そのときは、相手の無念を慮るつもりはない。

 必要な処置をしたうえでジニーを捨て置き、前へ進む。

 そのことに彼女が納得したところで……我々は、西へと進み始めた。時には骨で出来た木々の間を進み、時には体毛で出来た草花を掻き分け、やがて川沿いに出る。


 川と言っても当然、一般的なそれではない。色は赤黒く、周囲一帯には鉄錆めいた匂いが立ちこめていた。古代世界の人間からすれば嗅ぎ慣れたそれだが、やはりジニーには苦しかったか、気分が悪そうな顔をしている。

 けれども特に何か問題が発生するようなこともなく、我々は歩を進めていった。

 上流へ、上流へと、足を運ぶ。やがて滝にぶつかり、崖を登って、さらに西へ。

 そうしていると不意に、空から黒い滴が落ちてきた。

 雨。ぽつぽつと断続的に降り注ぐそれに対し、俺はふと思う。


 ……泣いているのか、アルヴァート。

 黒い雨に、どこかあの男の哀切を感じながら、足を動かす。

 西へ、西へ。川から離れ、再び骨と体毛のジャングルへ身を投じ、さらに先へと進み、そして――開けた断崖の頂上にて、俺達はようやっとそれを発見した。

 空間の裂け目。上空に刻まれたそれを見つめながらシルフィーがポツリと声を漏らした。


「砂漠のときと違って、あっさりし過ぎてるのだわ」

「まぁ、別にいいんじゃない? 面倒くさいバトル展開がないなら、それはそれで――」


 ヴェーダが語る最中。背後にて、何者かの気配が生じた。


「……おでましか」


 オリヴィアの呟きを耳にしつつ、俺は皆と共に後ろを振り向いた。そこに立っていたのは、二人の男。飄然とした気風を感じさせる初老の男……ルキウス。その隣に立つ巨漢の戦士は、共に双璧の異名を担う将が一人、ガープその人であろう。


「……此度は、双璧が揃い踏みでやって来たようだな」

「ていうか、あの白髪、ライザーが抑えてた奴、よね?」

「彼がここに居るということは……」


 ライザーがどうなったのか、想像に難くない。

 しかし、どうにも……奴が最悪の結末を迎えたとは思えなかった。


「根拠はありませんが、ライザー様はご無事でしょう。ゆえに皆さん、どうか心を静め、冷静なまま事に対応してください」

「……言われずともそうする」

「アイツのことを考えてる余裕なんか、ないのだわ」


 聖剣・デミス=アルギスを構えながら、シルフィーは全身に緊張感を漲らせた。

 彼女は双璧の力量を知らない。だがそれでも、優れた戦士の嗅覚が油断ならぬ相手であることを知らせてくるのだろう。

 そして――


「あぁ、死ぬには良い日だ」

「う、うむ」


 悠然と言葉を紡いでから、すぐ、敵方が一直線に踏み込んできた。


「散会ッ!」


 俺が指示を飛ばすよりも前に、皆、総じて動いていた。シルフィー、オリヴィア、ヴェーダは当然として、ジニーも幾多の修羅場を潜り抜けたことで、戦士としての素養が磨かれたらしい。迫る敵方に対し、皆、バラける形で後退。その直後――


「シィヤァアアアアアアアッ!」

「むぅんッ!」


 二振りの刃が虚空を斬り裂き、巨大な鎚が地面を穿つ。

 空転。そのさまを見て、俺は複雑な思いを抱いた。


「……これはもはや、再現ですらない、か」


 双璧の二人は、姿形こそ在りし日の彼等そのもの、だが。有する戦闘能力は別物だ。

 連中の動作には、往年の力強さと、心がなかった。


「死ぬには良い日だ。死ぬには良い日だ。死ぬには良い日だ」

「う、うむ。む。うむ。むう。う」


 よく見れば、敵方の瞳がどこか虚ろに感じられる。

 そうした姿に対し、俺とオリヴィアには感じ入るものがあった。


「……哀れだな」

「……えぇ。本当に」


 冥府に残された僅かな霊体の情報をもとに構築された、意思なき肉人形。

 そこに自己意思はなく、ゆえに彼等は脊髄反射的な動作しか出来ない。あらかじめ定められた言葉しか、口にすることもない。


「……なんというザマだ。見るに耐えん」


 オリヴィアは往年の彼等に対し、敬意を抱いていた。彼女にとっては両者共に気高き戦士であり、刃を交えたことに誇りを抱けるような、そういう相手だったのだ。


「……戦士として生き、戦士として死ぬ。その狂的なまでの信念がどこにもない。両方共、ガワだけ似せた紛い物だ」


 在りし日の二人を知るがゆえの、戦士としての悲哀。

 オリヴィアの目に宿るのは、それだった。それだけだった。

 ……俺は、彼女とはまた別のものを感じている。

 孤独感だ。

 この紛い物を創った、アルヴァートの孤独感。

 ……奴はきっと、己の愚を自覚しているのだろう。失われてしまったものは、もはや戻っては来ない。それを知りながらも、そうせずにはいられなかった。かつての日々を夢見て、一縷の望みを抱き、そのようにせざるを、得なかった。そう、それはまさしく。リディアの影を追い、その姿だけを蘇らせた……過去の俺と、まったく同じだった。


「……だが。どのような思いがそこにあろうとも、今は」


 感傷を捨て去り、皆に指示を出す。


「シルフィーさん、オリヴィア様。お二方にはルキウス氏の対応をお願いいたします。ヴェーダ様はガープ氏を。ジニーさんは私と共に後方にて皆さんの援護。よろしいですね?」


 異議はなかった。そして――第二合目が、展開される。まず動いたのは、オリヴィアとシルフィーだ。両者は隣合わさった状態でルキウスと対峙し、自然な形で、敵方をガープから引き離す。次いで、ヴェーダがガープの目前に移動し、


「はぁ。なんかここ最近、荒事担当みたいな感じで動いてるなぁ。ワタシ、そういうタイプじゃないんだけど」


 やる気はなさそうだが、しかし、役割は十全に果たそうとしている。

 オリヴィア、シルフィーと同じように、相手の気を引いて分断。

 これにて前準備は完了。それから数瞬の間を置いて。


「シィイイイイイイァアアアアアアアアアアッッ!」

「ぬぅうううううううううううんッッ!」


 気迫を放ちながら、双璧が大地を蹴る。ルキウスはオリヴィア、シルフィーへ。ガープはヴェーダへ。それぞれが単身で、一直線に向かっていく。

 互いが互いを間合いに入れた、そのとき、戦いの火蓋が切って落とされた。


「合わせろシルフィー」

「任せるのだわッ!」


 太刀筋を見知った二人は見事に息を合わせて、ルキウスの剣術に対応する。


「う~~~ん。特に取りたいデータもないし、ここは適当でいいか」


 振るわれし大鎚をひらりひらりと躱しながら、ヴェーダがブツブツと声を漏らす。

 そうした様相を注意深く観察しながら、俺は小さく息を吐いた。


「なんと単純で、愚昧なことか」


 在りし日のルキウスとガープを知る身としては、やはりこの紛い物の立ち回りが実に切なく感じてしまう。

 リュミナス麾下、双璧の二人と言えば、それはまさに泣く子も黙る大将軍であった。

 人類種を中心とした反乱軍にとっては悪夢のような存在であり、彼等の存在が人類の主権奪還を二百年は遅らせたと言われている。この両者は将としても抜群に優秀だったが、一個の戦士としてもまた桁外れの脅威であった。


「ぬぅううううぁあああああああああッッ!」


 巨槌(きょつい)のガープ。

《魔族》でありながらも一切の魔法を禁じ、己が膂力のみで戦い抜いた男。その豪腕に砕けぬものはなく、振るいし鎚の威力は、大陸を二つに割るほどの凄まじさを誇る。


「リィイイイイイイァアアアアアアアアアアアアッ!」


 剣聖・ルキウス。

 その異名が示す通り、この男は名実ともに世界最強の剣士だった。

 誰もが奴の玄妙なる剣術を打ち破ること叶わず。オリヴィアとも幾度となく刃を交え……ある意味では彼女にとって、師も同然の存在であった。


「……しかし。もはや在りし日の姿など、欠片もなし、か」


 轟く闘争の音響。

 放たれし激烈な意気。

 総じて、かつてのそれに比べたなら、児戯も同然であった。

 ゆえに――


「これにて詰みだ、紛い物よ」


 整然と筋道を立てた末に、オリヴィアが終の斬撃を繰り出し、ルキウスの胴を薙いだ。


「はいドッカ~~~~ンッ!」


 いかなる術理によるものか。そのとき、ガープの巨体が内部から爆裂し、バラバラになった肉片が四方八方へと飛散する。

 ――決着。表面的な状況のみに目を向ければ、我々の完全勝利となるが、しかし。


「本当に、終わったん、でしょうか?」


 ジニーの口から放たれた疑念に、俺は大きく頷いた。

 そうだ。これしきの相手に、ライザーが遅れを取るはずもない。であれば、確実に。


「皆さん、まだ終わってはいません。おそらくは次の手が――」


 言葉を紡ぐ、最中のことだった。


「し、しし、死ぬ、死ぬには、良い、日、日日、日日日日日」

「う、うう、う、うむむむむむむ」


 臓物を撒き散らしたルキウスが。地面に転がったガープの首が。

 壊れたような声を漏らした、次の瞬間。

 ぐにゃりと、両者が捻じ曲がった。

 ぐにゃり、ぐにゃり、ぐにゃり。

 まるで粘土細工のように曲がりくねり、そして――――融合する。

 原型を失ったルキウスへ、四散したガープの肉片と、かつて彼だった首が集結。組み合わさり、蠢いて、その末に、一体の巨大な怪物が誕生した。


「なんと、醜い姿か……!」


 呻くようなオリヴィアの声。普段、決して動ずることのない彼女でさえ、かつての好敵手達が見せる、その醜悪な有様には、耐えがたいものがあったらしい。

 ……《魔族》はその多くが人の姿と魔の姿を有している。闘争において全力を出す際は、後者の状態へと変貌するのが《魔族》の常であるが、ルキウスとガープは一度さえ魔の姿を見せたことがなかった。よって彼等にはそれがないものとばかり思っていたのだが……


「あえて、見せなかったのか」


 戦士として生き、戦士として死ぬ。その矜持を貫くために、彼等は最後の最後までそれを秘匿したのだろう。

 そのように納得出来てしまうほど、目前に在る姿はおぞましいものだった。

 一言で表すなら、巨大な蛞蝓(なめくじ)といったところか。

 黒々とした体液を分泌する、灰色の巨体。触覚の先端にはルキウスとガープの頭部が在り、それが常時、壊れたように意味不明な言葉を漏らし続けている。

 誰もがその、吐き気を催すような外見に圧倒される中。


「う、日、日、だ、ィ、ィ、ィアアアアアアアアアアアアアッッ!」


 ルキウスとガープの頭から、奇声が放たれる。

 瞬間、蛞蝓の巨体が蠢いて……そこから、無数の触手が放たれた。


「後退ッ!」


 脊髄反射も同然に叫びながら、俺は後方へと跳躍し、迫り来る触手から逃れた。

 皆もまた同様に動いて、距離を取る。

 けれども触手の群れは止まることなく、獰猛な軌跡を描きながら追走。


「こ、のぉッ!」

「だわぁッ!」

「……フッ!」

「うへぇ、きもちわるっ!」


 各自、自力にて対応。

 ジニーは真紅の槍でこれを振り払い、シルフィーとオリヴィアは斬撃で以て迎撃。ヴェーダは黒穴を開き、謎めいた怪物の頭部を召喚。それが炎を浴びせかけ、焼却する。

 俺もまた風刃の魔法を用いて灰色の触手を両断し、事なきを得たが……


「やはり、再生するようですね」


 切断、ないしは焼却された無数のそれらが、ほんの一瞬にして元通りになった。

 こういった手合いを相手にしたなら、防御は意味を為さない。

 徹底した攻勢の末に大本を撃滅する。これが最適解であろう。

 シルフィーとオリヴィアもまた、そのように考えたらしい。両者同時に地面を蹴って、醜悪な怪物へと迷うことなく吶喊する。

 そんな彼女等を迎え撃つ形で、触手の群れが踊るように進撃。視界を埋め尽くすほどの物量だが、しかし、それらは一本足りとて、二人の肌に触れることさえ叶わなかった。

 巧みな体捌きと剣術で以てこれに応対し、風を切って突き進む。

 果たして両者は敵方の胴体へと到達し、そして。


「疾ィッ!」

「だわぁッ!」


 剣が閃く。灰色の肉を両断せんと、鋭い刃が奔り――――直撃。

 だが、そのとき。


「ッ!?」


 シルフィーとオリヴィア、共に目を見開いて吃驚(きっきょう)する。

 聖剣と魔剣、両者が繰り出した刀身は世界にまたとない業物であったが、それでも、蛞蝓の巨体に傷を付けることさえ叶わなかった。

 ぶよぶよとした肉の弾力が刃を拒絶し跳ね返してくる。込めた力が強かった分、反発力も非常に高く、二人は最も危険な領域に在って、大きな隙を晒してしまった。


 危うい。

 そう直感した頃には既に、我が行動は完了を見せていた。

 即時、防壁を展開。彼女等を魔の手から護り、続いて、風の魔法を応用し両者の身を瞬時にこちらへと運ぶ。

 僅かでも遅れていたなら、最悪の結果に繋がっていたかもしれない。

 俺は敵方の醜悪な姿を睥睨しながら、次手を打った。


「物理的な干渉は不可能。であれば」


 魔導はどうか。それを試すべく、俺は攻撃魔法を雨あられと叩き込んだ。

 爆熱。急冷凍。豪雷。暴風……そうした単純な属性攻撃は当然のこと、それらを組み合わせて倍する威力へ変じるなど、工夫を凝らしてもみた。

 しかし……


「これもまた、無駄事ですか」


 繰り出した魔法、ことごとくが意味を為さなかった。

 物理的干渉が通用しないだけでなく、魔導さえも無効化するのか。


「こ、こんなの、いったい、どうすれば……!?」


 ジニーの顔に、畏怖と絶望が宿る。

 それでもまだ、俺に対する期待や信頼は潰えていなかったらしい。縋るようにこちらを見る彼女へ、俺は小さく頷いて、


「試してみましょうか。考え得る、全ての手段を」


 幸いにも、敵方の攻撃は実に単調で、裁くこと自体は容易であった。

 ゆえにこちら側が一方的に攻め立てるといった、そんな展開が続いたのだが。


「……なるほど。ライザー様が敗れたわけだ」


 まさに反則じみた耐久性能。斬撃や打撃といった物理干渉の無効化。属性魔法を始めとした魔導攻撃の無効化。それだけでなく、封印、退行、洗脳といった搦め手も通用しない。

 果てには――我が異能、解析と支配の力さえも、弾き返してくる。


「まさか、無敵……!?」


 ジニーの絶望に、俺は首を横へ振った。


「いいえ。そのようなものはありえません。いかなる怪物も、どこかに弱点を有するもの。彼等もまた例外ではないでしょう」


 問題なのは。その弱点がいかなるものか、これを解き明かさねばならんわけだが。

 当然ながら、相応のリスクを伴う。我が身が有する全てを投入したなら、かなりの軽減を見込めるのだが……今後の展開を思えば、ここで全身全霊を尽くすことは避けたい。

 けれども、力を温存して打破出来るほど、簡単な状況でないこともまた事実。

 ……さてこの状況、どうしたものか。と、頭を悩ませた、そのときだった。


「前に一回、似たようなのと戦ったことがあるのだわ。正直、試したくないけど……こうなったらもう、仕方ないわよね」


 言葉の是非を確認するよりも前に、シルフィーは駆け出していた。迎え撃つ触手を流麗に捌きながら、大きく接近し、そして――敵方の真正面に立った瞬間。


「だわっしゃああああああああああああああああああああッッ!」


 飛び込むように身を躍らせ、全体重を乗せた突きを放つ。

 それは蛞蝓の顔面を直撃し……戦闘開始から今に至るまで、常に攻撃を跳ね返し続けてきた肉体に、ようやっと手傷を負わせることに成功した。が――


「浅い」


 オリヴィアの言葉通り、突き立てられた刃は僅かに敵の顔面に入り込んだだけで、致命傷には遠く及ばない。しかしながら。


「どっかに守りが薄い部分がある。それをしらみつぶしに探して、なんとか見つけ出そうと、そう思ってたんだけど。まさか、一発目で当たるとは思ってなかったのだわ」


 シルフィーの顔には勝利を確信したような笑みがある。

 そうだ。彼女が執る剣は、単なる業物では断じてない。

 三大聖剣が一振り、デミス=アルギス。その力を以てすれば、切っ先一寸入れ込んだだけでも、十分な致命傷となりうる。

 それを証明すべく、シルフィーは口を開いた。


「《ヴェル(邪悪なる者よ)》! 《ステナ(我が一刀のもとに)》! 《オルヴィディス(消え去るがいい)》ッ!」


 超古代の言語による詠唱。それを受けて、デミス=アルギスの刀身が眩い煌めきを放ち――突き刺さった刀身の先端から、激烈なエネルギーの波動が炸裂した。

 衝撃の波がここまで届くほどの、圧倒的な暴力。

 聖剣より繰り出されしそれは、怪物の体内を駆け巡り、そして。

 破裂。

 限界を迎えた風船のように、膨張しきった灰色の肉体が爆ぜる。木っ端微塵となった肉片と、黒い体液が雨のように降り注ぐ中、シルフィーは聖剣を肩に担いで、


「ふふん! アタシとデミスにかかれば、ざっとこんなもんだわ!」


 悠然とした勝者の姿を見せる。そんなシルフィーに、ジニーが称賛の声をかけようとしたのだろうか。顔を明るくさせながら、口を――開くよりも、前に。


「シルフィーさん! まだ終わってはいません!」


 悪寒が走ると同時に、俺は意図せず叫んでいた。


「えっ?」


 素っ頓狂な声を返すシルフィー。彼女は今、完全に気を抜いた状態にあり、それゆえに、再動する状況に対し咄嗟の反応が出来なかった。


「う、日、日、ァ、アアアアアアアアアア……」


 どこからともなく、不気味な声が響いた、次の瞬間。微塵となって飛散した肉片が、ほんの一瞬にして集合し――復活。


「なっ……!?」


 再臨を果たした怪物に、目を見開くシルフィー。

 不味い。救助を。――と、俺が動作するよりも前に、敵方の行動は終わっていた。


「う、シィ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 巨大な蛞蝓の顔面が上下に展開する。まるで、顎門(アギト)を開くかのように。そして――


「ッッ!」


 反応を許さぬ、凄まじい速度で以て。

 蛞蝓の怪物が、シルフィーの小さな体を、飲み込んでしまった。


「う、嘘、でしょう……!?」


 口元を覆うジニー。その顔に先刻までの明るさはない。

 オリヴィアやヴェーダにしても、一様に緊張を浮かべている。

 そんな中で唯一、俺だけが冷静だった。

 シルフィーの現状は一見すると危ういものだが、しかし、問題はないと考えている。

 それを証明するかのように、彼女を飲み込んでからしばし、身動きをしなかった怪物が、


「い、ぎ、ィ、ィイイイイイイイイ」


 悶えるように身をくねらせながら、全身を蠢かせ、四方八方に触手を繰り出す。

 苦悶の様相。これは間違いなく、彼女の手によるものだろう。


「……体の内側で、奴が暴れているのか」

「さすがシルフィーちゃん。マジでしぶといね」


 ここで我々が取るべき選択は、二つに一つ。シルフィーが敵方の体内から脱するまで、指を咥えて待つか、あるいは。不意に訪れた、前進の好機を掴むか。

 俺が選んだのは――――後者であった。


「皆さん、今のうちに先行しますよ」

「……えっ」


 横合いから殴られたような顔で、疑問符を口にするジニー。無理もない。俺が口にした内容は、仲間を見捨てるという選択に他ならないのだから。しかし、それでも。


「シルフィーさんの安否に関しては問題ありません。それよりも今は、彼女が創り出してくれた好機を掴むべきと考えます」 


 有無を言わせる前に、駆け出す。すぐ背後。上空に刻まれし亀裂へと、全速力で。


「ふむ。まぁ、合理的ではあるね」

「あぁ、そうだな。しかし……いや、今は是非もない、か」


 俺の判断に当惑を浮かべつつも、ヴェーダ、オリヴィア、そして……ジニーもまた、地面を蹴った。そんな我々を逃すまいと、蛞蝓の怪物が触手を伸ばすが、


「う、ぎ、ィイイイイイイイイ!」


 こちらの身を絡め取る直前、苦悶し、飛び(きた)るそれの勢いが弱まった。


「これならば、間に合う……!」


 平常時であれば、こうはいかなかった。

 猛然と迫る触手に対応しながら亀裂へ入り込むという、逃げの一手。それは敵の体内でシルフィーが暴れているという現状がなければ、決して成立しないものだった。

 触手の狙いは今、明らかに甘く、勢いも弱い。

 そうだからこそ、我々は目的の場所へと接近し――

 皆、同時に跳躍。


 成功だ。

 亀裂に身が届く。

 シルフィーを捨て置くことには、僅かばかりの罪悪感があるものの……

 それ以上に、確信がある。

 彼女の身に万一のことはないと、そんな確信と安心がある。


「ぎぃ、イイ、ぃいいいいいい……」


 怪物の苦悶が耳に届くが、気にするようなことではない。

 奴の一手が我々の身を危ぶませることなど、もはや断じてないのだから。

 意思なき人形には限界を打ち破るような力はない。

 伸ばした触手は空転するばかりで、我々の誰をも捉えることは――


「う、い、あ……ぁあああああああああああああああああああああああッ!」


 捉えることはないと、そう考えた矢先のことだった。

 敵方の絶叫に、熱量を感じる。

 それは刹那にも満たぬ、一瞬の出来事だったが、しかし。

 そのときだけ。ほんの僅かな時間だけ。

 あの、ガワだけ似せた紛い物が、本物へと変わったのか。

 まるで、アルヴァートのもとへは行かせぬという意思を、体現するように。

 一本の触手が、オリヴィアの足を絡め取った。


「ッ……!」


 あまりにも想定外な状況に、誰も反応出来なかった。

 気付けば既に、亀裂はすぐ目前に在り、そして。


「抜かったか……!」


 オリヴィアの口から悔恨の言葉が放たれた、その時点で。


 彼女の救助を考える間もなく、我々は亀裂の内部へと、身を投じるのだった――



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