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第一〇四話 元・《魔王》様、黄泉路に立つ

 ――疾走。

 遺跡の中を、俺は全速力で駆け抜けた。

 得体の知れぬ衝動に突き動かされるように、両足が勝手に動作する。

 そうしていると必然、背後に感じる悪魔の圧力も薄れていき……

 やがて自然と、足が止まった。


「……なんだというのだ」


 自分で自分が、理解出来ない。なにゆえ走り出したのか。まったく判然としなかった。


「……考えたところで詮無きこと。今はもっと、集中すべき事柄がある」


 己にそう言い聞かせ、一つ深呼吸をしてから、俺はゆるりと歩き出した。

 そうしてからすぐ、皆と合流する。

 出迎えてくれた仲間達の顔を見た途端、腰が抜けそうになった。

 緊張と嫌悪が、安堵へと変わった瞬間、その激しいギャップに体が反応したのだろう。


「……どうした、アード・メテオール。何かあったのか」


 心配げな顔をするオリヴィアに、俺は苦笑しながら応答した。


「いえ。皆さんの顔を見て、ようやっと解放されたと思いましてね」


 いかに《魔王》と称され、畏怖を一身に浴びようとも、《邪神》など相手にしたなら気疲れもする。とはいえ、いつまでも安穏とした空気にまどろんではいられない。

 俺は早速、手に入れた情報を皆と共有すべく、口を開いた。


「逐一詳細を述べていくと、あまりに複雑怪奇な内容となりますので、極めて簡潔に要約させていただきます」


 そう前置いてから、言葉を積み重ねていく。


「アルヴァート様には、本体と分裂体が存在し、前者を討滅しない限り、彼が死ぬことはない。逆に言えば、本体さえ討つことが出来たなら」

「不死の怪物も、たまらずお陀仏ってわけだね」

「……問題なのは、その本体とやらが何処に在るのか。この一点に尽きる」


 オリヴィアの疑問に頷きを返しつつ、俺は受け答えた。


「アルヴァート様の本体は、冥府にあります」

「へぇ。なるほど、なるほど。つまりワタシは、またあの人に負けたってわけか。」


 眉根を寄せながら、ヴェーダが唸るように語り始めた。


「やっぱりあの人は、いつもワタシの先を行くね。この数千年、冥府に関する研究はずっと行ってきたけれど……学者神のワタシでさえ、その仕組みは究明出来てないってのに」


 冥府の一部領域に自己意識を持たせ、それを現世に用意した器に接続する。そうした方法で人工生命を創り出すには、そもそも冥府に関する高度な理解が必要だ。

 メフィストにはそれがある。一方で、ヴェーダはその片鱗さえ掴めていないようだった。


「あ~、なんかよくわかんないけど! とにかく冥府に行って、アルヴァートをブッ飛ばしてやればいいってことでしょ!? だったら早く行くのだわ!」


 小難しいことはどうでもいい。そんな、彼女らしい思考に満ちた言葉だった。

 シルフィーの脳内に疑問や迷いなど微塵もない。

 だがその反面。やはり一般人であるジニーにはあまりにも荒唐無稽な話に思えたらしい。


「め、冥府に行く、って……どうするん、ですか? まさか、死んじゃうわけにも、いきませんよね?」


 頭が痛そうな顔をしている。それは遺跡内部の瘴気だけが原因ではなかろう。


「確かに。冥府とは一般的に、死者が向かう場所とされています。しかしながら――」

「生者でも立ち入りは可能だよ。ワタシもちょくちょく遊びに行ってるしね」

「そんな、散歩感覚で行けるもの、なんですか?」

「うん。余裕だよ、余裕。……ただし、ワタシが出入り口を構築出来る領域ならね」


 ヴェーダに同意しつつ、俺は再び口を開いた。


「冥府は果てしなく広大です。私やヴェーダ様が把握しているのは、無限にも等しい領域内における一部分のみ。例えるなら、砂漠の中にある一粒の砂を摘まんだ程度、といったところでしょうか。そのため、我々の目的地がいかなる危険性を有しているのか、現地に行くまでわかりません。当然ながら、安全性など皆無と断言出来ます」


 もっとも、そのようなことは皆既に承知済みだろうが。


「さて。少しばかり話が逸れましたね。本題に戻りましょう。冥府への行き方について、ですが。現世とあちらを繋ぐ門を形成すれば、生者であっても立ち入り可能です。特に困難な条件もありません、やろうと思えば今すぐにでも行けます。……しかしながら」

「さっきアード君が言ったように、冥府ってのは馬鹿みたいに広いんだよね。だからワタシやアード君が門を開けて冥府に入ったとしても、そっから目的地に移動するとなると」

「えぇ。どれだけの時間を要するか見当もつきません。というかそもそも、我々には自分達の現在地さえわからない。何せ、冥府の地図など存在しませんからね。であれば必然、進むべき道順も判然とせず……我々は無限に時間を浪費することになります」


 ただ冥府へ行くだけでは、目的の場所へ到達することなど不可能。

 ゆえに、特定の過程を踏む必要がある。それは――

「とある迷宮に、目的の場所へ繋がる出入り口があります。まずはそこへ向かいましょう」


◇◆◇


 数多ある名所の中でも、これほど古く、これほど危ういものも、そうはなかろう。

 煉獄への門。我々が転移した場所は太古の昔より、そのように呼ばれている。景観としては、まさに不毛の大地と称すべきもので、生物は当然のこと草木の一本さえ存在しない。


 また、この土地は一般的な物理法則が通用せず、常時、奇妙な現象が発生し続けている。


 なにゆえそうした異常性を帯びるようになったか。その原因は未だ以て解明されておらず、学者達の間では永遠に解けぬ謎として知られている。


 さて。前述した通り、煉獄の門では奇妙な現象が常時発生しているわけだが、その中でもとりわけ不可思議とされているものがある。

 その名も無限炎上。あるいは、神の怒り。――我々は今、それを目の当たりにしていた。


「う~ん、いつ見てもたまんないねぇ~!」


 学者であるヴェーダの目には、この怪奇現象が素敵な研究対象として映るのだろう。

 しかし一般人であるジニーにとっては、沈黙せざるを得ないほど圧巻極まるもので。

 俺やオリヴィア、ライザー、シルフィーの古代組にとっても、僅かではあるが、畏怖を覚えてしまうような光景だった。


「……平常であれば、こうして間近にすることさえ躊躇われるな」


 俺達の総意を、オリヴィアが口にする。この煉獄の門中心部にて古くから発生し続けている怪奇現象は、無限炎上の呼び名が示す通りのものだった。

 永劫に燃え盛る炎。一言で表すとしたなら、こんなところだろうか。

 その範囲は地平線の彼方まで続き、その勢いは文字通り天を突く。まるで小規模な太陽のようだった。実際、年中暗黒に覆われたこの土地だが、ここだけは真昼のように明るい。


「ア、アード君を疑うつもりは、ありませんけれど……ほ、本当に、大丈夫なんですか?」


 ジニーの不安も当然であろう。

 何せ我々は、この異常極まりない怪奇現象の只中へと入り込まねばならないのだから。


「確かに、この炎は実に危ういものです。なんの対策もなしに入れば焼き尽くされてしまう。しかしながら、事前に申し伝えた通り、この時点(、、、、)における安全は保証いたしますよ」


 現在、我々は堅牢な魔法防壁で全身を覆っており、目前の灼熱がもたらす膨大な熱量を完璧に防いでいる。あとは、これが計算通りに機能し続けることを祈るのみだ。


「覚悟を決めるのだわ、ジニー」

「……命を投げ打ってでも我々に付いていくと、貴様はそう言ったな。あれは嘘だったか」


 シルフィーの励ましと、オリヴィアの焚き付けが功を奏したらしい。

 ジニーは強い決意を瞳に宿し、ゆっくりと頷いて見せた。


「では、参りましょうか」


 俺が地面を蹴ると同時に、皆も天高く跳躍し、灼熱の業火へと、その身を投じた。事前に保障した通り、炎は我々の身に一切の危害を与えることはなく、それゆえに――

 どこまでも、どこまでも、落下していく。

 ほとんどの人間が知らぬことだが。無限炎上は、大地が燃え盛るといった、自然発火現象ではない。この炎の出所は、極めて巨大な穴蔵であり……さらに突き詰めていけば。

 地下深くに棲まう、一匹の大蛇が吐き出す、炎の息吹(フレア・ブレス)であった。


「そろそろ、ですね」


 全方位が炎に埋め尽くされているため、目視確認は出来ないが、もうじき我々は大蛇の口内へと入る頃だろう。

 言わずもがな、この蛇は只者では断じてない。そもそもこれは、生物でさえないのだ。


 ――少しして。どうやら首尾良く、蛇の中へ入ることが出来たらしい。


 視界を埋め尽くしていた紅蓮色が別のモノへと変わり、足裏に硬い感触が伝わってきた。

 石造りの迷宮。今、目前に在る光景は、まさにそれであった。

 さりとて内部に漂う瘴気は一般的なそれではない。

 それもそのはず。この迷宮は生者が決して立ち入ることのない場所……冥府へと、繋がっているのだから。


「ここまでは順調であるが」

「……問題はこれから、だな」

「師匠曰く、この迷宮は何百もの層に分かれてて、潜っていくごとに危険度が増していくんだっけ。そんで、ワタシ達の第一目標である冥府への入り口は、最下層にしかない、と」


 そこへ至るまでの過程がいかに困難を極めるものか。皆はそれを予感し、一様に緊張している様子だったが……そんな中、俺は粛然と口を開いた。


「問題ありません。安全保障はまだ続いています」


 言うや否や、俺は足下へと右手を向けて――

 次の瞬間、手先に魔法陣が出現。前後して、そこから極太の光線が放たれた。

 迷宮の只中に、縦穴が穿たれていく。それは一気に最深部まで到達し、そして、


「さぁ皆さん、参りましょうか」


 創り上げた道筋を指差して、俺は皆の顔を見やった。


「げひゃひゃひゃ。君ってば、たまにものすごく脳筋になるよね」

「……相も変わらず、出鱈目なことをするな、貴様は」

「でも、これで面倒くさい探索の時間が省けたのだわ!」

「うむ。時は金なり。良き手腕と言えよう」


 呆れ半分に笑うヴェーダと、むっつり顔のオリヴィア。時間短縮を喜ぶシルフィーとライザー。ただただ呆然とするジニー。

 そんな仲間達に先立って――俺は、縦穴へと身を投げた。

 猛然と落下する。景色がめまぐるしく変わっていく。


 下へ、下へ、下へ。

 その果てに。

 我々は、闇色の空間を目にした。まるで混沌の海といったそれこそが、冥府と現世を隔てる境界線であり、アルヴァートの領域へと繋がる唯一の出入り口でもある。


 そこへ吸い込まれるような形で、俺達は闇の中へと入り込んでいった。

 その先に待ち受けていたものは――無明。光なき、漆黒の空間。


 ……さぁ、ここからだ。問題はまさしく、これからだ。


 今までは安全が保障されていた。けれども、ここから先は違う。

 冥府へ向かうための、最初にして最大の関門。霊離分解に、我々は耐えねばならない。


「皆さん! 気をしっかり保ってください!」


 闇の中、浮遊感に包まれつつ、叫ぶ。周囲には何者の姿もない。されど目視確認出来ないだけで、我々は常に一塊となっている。それが心の平静を保つ、唯一無二の武器だった。


「我々は一人ではない! 皆、同じように堪え忍んでいる! 限界を感じたなら、仲間の顔を思い浮かべて――」


 言葉の最中。それは容赦なく、襲いかかってきた。

 濃密な黒の中に、一際目立つ黒が生まれる。背景と同色であるにも関わらず、俺はその、闇よりもなお暗い闇が、とぐろを巻くように蠢く様をハッキリと視認出来た。

 そして、次の瞬間――やって来る。

 身動き一つ取れぬ、こちらへと。獰猛な軌跡を描きながら、やって来る。抵抗は無意味。これは概念そのものであり、服従せざるを得ぬ法則であり、絶対不変のルールだ。


 そもそも冥府は、生者の立ち入りを許さない。ゆえに現世と冥府を隔てる中間地点において、異物の混入を防ぐための機構が設けられている。

 それが、霊離分解だ。

 この中間区域にて、生者は肉の器から霊体を引き剥がされ、そのうえで冥府へと送られる。当然ながら、もしそれを許してしまえば、全てが終わってしまう。霊体が冥府へと送られてしまったなら蘇生は不可能。ゆえに我々はこの現象を乗り切らねばならない。

 ……が、しかし。


「ぬ、う」


 やはり苦しい。出来ることなら二度と味わいたくはなかった。

 そう、この苦痛を受けるのは、これで二度目だ。

 ヴェーダとはまた違った理由で、俺もまた冥府の研究を進めていた時期がある。

 あまねく生命がいずれ向かう先であり、まさしく不可侵の領域たる冥府。

 それを究明し、輪廻の(ことわり)を手中に出来たなら……


 失った仲間達を取り戻すことが出来るかもしれないと、俺はそう考えた。


 中には霊体ごと消されてしまった者も居たが、しかし、多くは冥府送りにされただけで、その存在性は失われていないと捉えていた。ゆえに冥府の研究を進めていけば、いずれ皆と再会出来るのではないかと期待していたのだが……

 最初の関門である、中間区域での霊離分解を乗り越えて。冥府と現世の間に専用の門を設け、苦痛を経ずして行き来できる環境を作り。永きに渡る研究の末に。


 俺は、絶望を知った。

 激しい苦痛と膨大な時間を経て得られた答えは、ただ一つ。失ったものは二度と戻っては来ない。そんな、当たり前に過ぎる内容だった。


 しかし、まだ失っていないのなら。そこに、在るのなら。

 俺は、取り戻すことが出来る。


「イリーナ……!」


 命よりも大切な親友。そして、かけがえのない学友達。

 皆のためならば、どのような試練をも乗り越えてみせよう。

 ……そんな思いを抱いているのは、俺だけではないはずだ。特に、オリヴィアやシルフィー、ジニーに関しては、こちらに勝るとも劣らぬ意志を以て、ことに臨んでいるだろう。

 しかし、それでも。


「く、あ……!」

「ぐ……!」

「あ、う……!」


 苦悶が聞こえる。皆の苦痛に満ちた喘ぎが、確かに、伝わってくる。

 まずい。苦痛を耐えるための魔法を事前にかけてはいたが、それでもなお厳しいのか。


「た、助け、て……!」


 特にジニーが危うい。声音が彼女の限界を示していた。

 しかし、どうすればいい……!? 

 もう後戻りは出来ない。ここへ入ってしまったなら、霊離分解されて人生を終えるか、試練を乗り越えて自らの足で冥府の土を踏むか、二つに一つ。

 手助けをしようにも、やりようがない。


「ジニーさん……! 持ちこたえなさい……! きっと、あと少しで……!」


 声援を送ることさえ、まともに出来なかった。


「う、う……」


 小さな喘ぎが耳に入る。なんとかしなければ。しかし、何をどのようにすれば救えるのか。積み重なる焦燥感が心に隙を生み、霊離分解の苦痛が一層激しさを増す。

 このままではこちらも危うい。最悪の結末が、脳裏をよぎる。

 ――その瞬間。


『やれやれ。仕方のない御仁だ』


 声が、頭の中に響く。

 それからすぐ、何か、引っ張られるような感覚を味わい、そして。

 気付けば、目に映る景観が変わっていた。

 目前に濃密な黒はなく、全身を覆う鉛のような鈍重さも、浮遊感もない。

 夜半の砂漠。この景色を一言で表すなら、それが適当であろう。

 無数の砂で構成された大地。夜空に浮かぶ満月。凍えるような外気。そこに加えて――

 虚空を飛び交う白銀の流線、即ち霊体の群れが、現地の正体を物語っていた。


「……どうやら、着いたようだな」


 背後にて聞き慣れた声が飛ぶ。オリヴィアだ。そのすぐ隣には、皆の姿が並んでいた。


「し、しんどかったのだわ……」

「まぁ、初体験だとそんなもんだよね。慣れてきたらクセになる感覚なんだけど」

「かような経験、二度と御免被る」


 シルフィー。ヴェーダ。ライザー。そして――


「わ、私、まだ、生きてます、の……?」


 ジニー。

 彼女のみ両膝をついて、顔色も優れぬ状態ではあるが、それでも無事なことに変わりはない。


「あぁ、よかった。本当によかった」


 ほっと胸を撫で下ろす。……と、同時に。


『ようこそ諸君。このアルヴァート・エグゼクス、心より歓迎しよう』


 またもや、脳内に声が響いた。


『まずはお疲れ様と言っておこうか。いや本当に、よくぞ辿り着いた。特にジニー・フィン・ド・サルヴァン。貴君の頑張りには感動を禁じ得ない。当初は正直、場違いな弱者と捉えていたが、その認識は撤回しよう。貴君もまた十分に、吾の敵として相応しい存在だ』


 愉しげで、嬉しげで、それでいて……どこか虚無感を覚えるような声音。敵方が自身を追い詰めつつあるという状況に対し、奴は一切の危機感を出すことなく、語り続けた。


『ここまで来れたなら、あとは至って単純だ。諸君、西方に目を向けたまえ』


 言われるがままに、我々は視線を移した。彼方まで続く大砂漠。そこ在るのは真っ白な砂と、闇色の空、その只中に浮かぶ灰色の月…………だけではなかった。

 遙か遠方にて。夜天のすぐ下に、紅い亀裂が走っている。


『あれこそが、諸君等の目指すべき目標だ。吾の眼前に立ちたくば、西へ進みたまえ』


 淡々とした説明口調。だが――


『無論のこと、諸君等の旅路に平穏はない。吾がそうはさせない。ここへ辿り着くまでの過程にあった苦難と同等か、あるいはそれ以上の体験をしてもらう』


 そのとき、無機質な声に愉悦めいた色が宿った。


『例えばそう――――このような』


 ぞくりと怖気が走る。その直後。足下に気配。

 ほぼ反射的に飛び退いた。着地と同時に、それ(、、)を注視する。

 砂を掻き分けて、一本の腕が伸びていた。そして、次の瞬間――


 ザ、ザ、ザ、ザ、ザ、ザ、ザ、ザ、ザ、ザ、ザ、ザ。

 周囲一帯に、音が鳴り響く。そんな中、砂が動き、流れ、何かが這い出てくる。


 それは、亡者めいた戦士の群れであった。さまざまな武器を手にしながらも、しかし、防具の類いは誰も身につけてはいない。その体を包むは、紅い軍服めいた装束のみ。


「この軍勢……もしや……」


 見覚えがある。真っ先に浮かんだのは、古代にてアルヴァートが率いし、《血盟狂団》。

 それから――かつて奴が仕えた《外なる者達(アウター・ワン)》、リュミナス=ウォル=クラフトの軍勢。

 当時最強を誇った、紅備えの戦士達。その武威が今、目前にあった。


『では、始めるとしようか。最後の闘争を。吾が終わるための、闘争を』


 何かを期待するような声が響いてから、数秒も経たぬうちに。

 急襲。

 我々を取り囲む戦士の群れが、一気呵成に襲いかかってきた。


「上等だわッ! デミス=アルギスッ!」


 開かれた戦端に対し、シルフィーが誰よりも早く反応した。

 その手元に聖剣を召喚し、大群に向かって恐れることなく吶喊する。


「だぁああああああありゃあああああああああああああッッ!」


 斬って、斬って、斬りまくる。

 その戦働きは《激動》の勇者と呼ばれるに相応しい、苛烈なものだった。


「負けては、いられませんわ……!」


 次いでジニーが動く。現代生まれの彼女に古代の軍を相手取る力はない。当人もそのことを理解していたようだ。ゆえにジニーは迷うことなく、補助装置を呼び出した。

 紅い槍。それは以前より、俺が彼女へ渡してあった手製の魔装具である。その力を以てすれば、現代人のジニーであっても、古代の戦士達に遅れを取ることはない。


「足手まといには、なりませんわッ!」


 気迫と共に、槍の効力を発揮する。真紅の雷撃が周囲一帯に走り、敵方の多くが一撃のもとに粉砕された。その姿はまさに圧倒的な戦乙女といったものだが。


「……若さゆえに、まだまだ危うい」


 嘆息と同時に、オリヴィアの姿が掻き消えた。

 疾風迅雷の躍動。

 いつ剣を抜いたのか。いつ斬ったのか。

 認識出来ぬままに、多くの戦士達が斬り刻まれていった。


「はぁ。ここ最近、暴力沙汰に参加してばっかだなぁ。ワタシってばそういうタイプじゃないんだけど」


 闘志など微塵も感じられない。だがその力は、桁外れと呼ぶべきものだった。


「ディメンション・モンスター、カ~~ムヒア!」


 なんの前触れもなく、天に無数の黒穴が生まれ――

 そこから何か、形容しがたい怪物が、顔を覗かせた。

 魚竜じみた醜い頭部。それが次の瞬間、顎門(アギト)を開き、煌めく光線を吐き散らす。

 紅備えの軍勢は為す術なく、ただただ消えゆくのみ。


「……もはやアレは、学者というよりも歩く天災であるな」


 ライザーは特に戦働きをすることもなく、俺の近くへと立ち位置を変えて、


「戦況は我が方の優勢と見受けられるが……其処許は現状をいかに捉える?」


 この男は今、戦場の実像を見極めんとしているのだろう。

 こちらもまた同様の考えを抱いていた。


「……確かに、表面上は優勢と言えるでしょう。しかし」


 奥に潜む実態はおそらく、楽観視出来るものではない。

 その推測が真実か否かを確かめるべく俺は魔法を発動した。

 都合二千にも及ぶ属性魔法による一斉攻撃。敵方の足下ないしは頭上に膨大な魔法陣が顕現し――数瞬後、その一手で以て、大軍の全てが消え失せた。


「す、すごい……!」

「いっつも美味しいところ持ってくわね、アンタ」

「ていうかコレが出来るんだったら最初にやってくれればいいのに~」


 ジニー、シルフィー、ヴェーダ。三人の顔には気の緩みがあった。

 敵軍の一掃により戦闘は終了したのだと、そのように考えているのだろうが。

 しかし、俺とライザー、そしてオリヴィアの心は未だ、張り詰めたままだった。


「油断するな。まだ終わってはいない」


 獣人族特有の鋭い直感が、彼女に危機を伝えてきたのか。オリヴィアが鋭く言い放ってからすぐ、足下の砂が再び、蠢きだした。


「う~わ。予想はしてたけどさぁ~。勘弁してよね、まったく」


 面倒くさげな調子で呟くヴェーダ。その視線の先には、想像した通りの光景が広がっていた。即ち――紅服の戦士、地中より(いず)る。

 先刻排除した大軍と同数か、あるいは僅かに多数か。

 いずれにせよ、この状況が指し示す現実は一つ。


「やはり無限に湧き出てくるようですね、この軍勢は」

「うむ。冥府ならではといったところであるな」


 そう、我々が立つ場は現世のそれではない。死後の世界、冥府である。

 あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる生物が最後に行き着く場所。ゆえに飛び交う霊体は無限と言ってもよく……その数だけ、軍勢は復活を続けるのだろう。


「無限沸きとかやってらんないのだわ!」

「ど、どうすれば……!?」


 シルフィーとジニーが、焦燥感と当惑に満ちた声を放つ。

 オリヴィアやヴェーダは無言のまま、何かを考えている様子だった。

 一方で。俺とライザーには明確な、現状に対する方策があった。


「アード・メテオールよ、この状況、いかにする?」

「愚問ですね。決まっているでしょう?」

「うむ。其処許も同じ考えか」


 頷き合う俺達に、シルフィーが叫んだ。


「なんか妙案があるんだったら早く言うのだわ! 今にもやってくるわよ、アイツら!」


 焦った様子の彼女に反して、我々は落ち着き払ったまま口を開いた。


「現状を打破する策」

「それは――」


「「逃げる」」


 言うや否や、俺とライザーは一目散に駆けだした。

 なに恥じることなく堂々と。胸を張って。敵軍に背を向け、全速力で疾走する。そうしたさまにシルフィー、ジニー、オリヴィア、ヴェーダの四人は一瞬、呆然となったが、


「ちょっ、ま、待つのだわぁああああああああああああああああ!」


 絶叫し、追走するシルフィー。その後を追う形で、ジニー達もまた走り始めた。


「敵を前にして逃げるとか! みっともないのだわ!」

「みっともなくて結構。戦とは勝利することこそ肝要であり、格好の良さなど求むるものではありません」

「総じて同感である」

「~~~~っ! ちょっと前まで敵同士だったってのに、息ぴったりだわね、アンタら!」


 ぎゃーすか喚くシルフィーだが、他の三人はこちらの判断を肯定的に受け止めていた。


「た、確かに、相手をする必要はありませんわよ、ね」

「……我々の目的はあくまでも、アルヴァート・エグゼクスの打倒。であれば」

「めんどくさい敵は無視して進めばいい! 実に合理的だよね! でも――」

「捕まったら意味がないのだわ!」


 やりとりをしている間、敵方が指など咥えているわけもなく。

 連中は背後にて砂煙を上げながら、逃げる我々を絶賛猛追中であった。


「あぁ、もうっ! こんな戦い方、ほんっと嫌い! ムカムカするのだわぁ~!」


 敵軍の脚力は抜群。こちらに追いつくのは時間の問題といったところか。

 とはいえそれは、何も手を打たなかった場合の話。

 追いすがる敵方に対し、妨害工作を講ずるは至極当然のこと。

 ――喚き散らしながらも、シルフィーはそこらへんについて、誰よりも熟知していた。

 ゆえに。


 ピッ。


 すぐ真後ろにて、不可思議な音が鳴り響いた、その直後。

 ドガァアアアアアアアアアアアアアアアン!

 けたたましい爆裂音と共に、灼熱が我々の背中を撫でた。これは紛れもなく、奴の仕業だ。そう――シルフィー・メルヘヴンお得意の、トラップ魔法である。


「……学園では、ただただ迷惑なだけだったが。こういうときは役に立つな」

「げひゃひゃひゃひゃ! 逃げのシルフィー、ここに復活ってね!」

「そのあだ名で呼ぶんじゃないわよ、馬鹿ヴェーダっ!」


 ぷりぷりと怒る最中も、彼女はトラップを撒き散らしていたらしい。

 絶え間なく続く、破滅的な轟音。紅備えの軍勢は吹き飛ばされるばかりで、その進行は遅延状態にあった。となれば必然、敵方の気配は離れていく。


「撤退戦をやらせれば、貴女の右に出る者はおりませんね、シルフィーさん」

「嬉しくないのだわ! ぜんっぜん! まったく! 嬉しくないのだわぁ~~~~!」


 彼女の絶叫と爆発音が重なる。……《激動》の勇者と称される通り、シルフィーの戦闘スタイルは猪突猛進を地で行くものであり、その辞書に後退の二文字はない。

 だが、それはあくまでも個人技における話。一軍の将として見た場合、シルフィー・メルヘヴンは撤退戦を誰よりも得意とする戦士であった。


 というのも、彼女の古巣である《勇者》の軍勢は、リディアの馬鹿が俺の言うことを聞かなかったり、天才軍師を無碍に扱ったりすることが多く、頭脳派の敵軍にはめっぽう弱かった。そのせいで連敗することも多々あり……そのため必然、《勇者》軍は逃げるのが非常に上手い連中へと成長を遂げたのである。


 特にシルフィーは撤退戦において常に殿を務めており、他者の技術を見て盗むなどした結果、誰よりも逃げ技に長けた、撤退のプロへと上り詰めたのであった。


「いやホント、場数ってのは大事だよねぇ。たくさん経験を積めば、お馬鹿ちゃんでもこれだけ見事な手腕を見せるようになるんだから」

「うむ。これほど見事にトラップ魔法を配置出来る者は他に見たことがない。馬鹿のくせをして、ここだけは優秀であるな」

「今回ほど貴様を頼もしく思ったことはない。やはり軍事においては見るべきものがあるな。……それを除けば只の馬鹿だが」

「喧嘩売ってんの、アンタら!?」

『ふはん。まさしく馬鹿にも一芸といったところか。よもやこうも鮮やかに撒かれるとは思ってもみなかった。これはもう認識を改めねばなるまい。シルフィー・メルヘヴン、貴君はまっこと素晴らしい馬鹿だ』

「アルヴァートまで加わってんじゃないわよ! あぁもう! これだから四天王は嫌いなのだわ! どいつもこいつもアタシのこと馬鹿にしてぇ~~~~~!」


 ……昔っから、四天王とシルフィーはこんな調子だったな。

 あぁまったく、懐かしい姿だ。

 しかし。我々は今、同窓会をやっているわけではない。

 それを証明するかのように、次の瞬間、真横から激烈な圧力(プレッシャー)が迫ってきた。


「シィイイイイイァアアアアアアアアアアアアアッ!」


 放たれし裂帛の気合い。肉薄する何者かの気配。

 こちらがその姿を確認するよりも前に……刃が奔っていた。


「疾ィッ!」


 敵方の間近に在ったオリヴィア。彼女の動作はおよそ反射的なものだったろう。

 されど繰り出された居合いの斬撃に淀みはなく、対手が尋常の者であれば、仕掛けられた不意打ちごと半身を両断していたに違いない。

 だが、実際はそのようにならなかった。

 敵方はヌルリと軟体動物の如く身を捩り、オリヴィアの太刀筋を回避。けれども返礼の一撃などは送ることなく、さらに踏み込んで、別の対象を狙う。


 ジニーだ。彼女は未だ、敵の襲来に対して一切の反応が出来ていない。

 であれば、手頃な獲物として見受けられても致し方なし。


「リィイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアッ!」


 奇声にも似た叫びと同時に、敵方が凶刃を繰り出す。

 独特な形状をした、一対の曲剣。左右対称のそれが獰猛な軌跡を描きながら、ジニーの身へと殺到する。彼女はようやっと敵の気配を認めたばかりで、反応など望むべくもない。

 護らねば。

 そう考えた矢先のことだった。


「任せよ」


 引き延ばされた時間の中で、ライザーの一声(いっせい)が耳に入る。

 刹那、敵方が振るいし二挺の曲剣と、ライザーが手にした巨大なメイスが邂逅を果たし――衝突すると同時に、激しい突風が巻き起こった。


「おぉッ!」


 襲撃者は鍔迫り合いことなく、声を放ちながら後退。ここでやっと、我々は足を止めて、敵の姿を確認した。身に纏うはやはり紅き装束。無造作に伸ばした黒髪にはところどころに白が目立ち、顔に刻まれた皺や面構えも含めて、厄介な老練ぶりを醸し出している。

 曲剣を構えた両腕はゆらりと脱力し、口元はニヤけて緊張感が見当たらない。

 そうした風情はまさしく、完熟の戦士と呼ぶべきもの。

 冴えぬ風貌に反して、全身から放たれる圧は凄まじいものがあった。


「……この男、見覚えがあるな」


 ポツリと出されたオリヴィアの呟きに、俺は内心で頷いていた。

 右に同じく、俺もまた奴の顔には覚えがある。確か、名はルキウスといったか。

《邪神》が一柱、リュミナス=ウォル=クラフトの腹心であり、彼女が率いし軍勢の中に在って、双璧と称されし大将軍の一人だ。


「かつての同胞を復活させ、ぶつけてきたというわけか」

「……いや。これは復活ではなく、再現と表すべきものでしょう」


 そもそもルキウスは、数千年前の戦で亡き者となっている。であれば必然、その霊体も冥府から失われて久しかろう。ゆえに目前のそれは、かつての彼を模した人形に過ぎない。


「あぁ、死ぬには()い日だ……」


 眠たげな瞳でこちらを見つめながら、声を漏らす。

 そんな姿にも見覚えはあるが、しかし、あれは形だけだ。

 自己意思のない人形が、形だけを真似ているだけだ。

 そうした様相に、俺は悲哀を感じずにはいられなかった。

 アレは、刺客として送り込むために創ったものではない。己が孤独を埋めるために、創り出したものだ。そう……かつて俺が、偽りのリディアを創ったように。

 奴もまた、過去を再現し、自己を慰め……埋まらぬ心に、絶望したのだろう。


「……やはり。その責任は、取らねばならぬ、か」


 アルヴァートの心中を思い、センチメンタリズムな感情を味わう。そんな俺を叱咤するように、隣接して立つライザーが声を放った。


「無駄事に時間を割くでない。今は目前の状況をいかに対処するか。それのみ考えよ」


 そう述べてからすぐ、奴は一歩踏み出し、我々から離れた場所に身を置いて。

 ルキウスと対峙しながら、言葉を積み重ねた。


「後方にて迫る敵の大軍。それを足止めするにも厄介な邪魔者が一人。物量に気を向けたなら個の武威に掻き乱され、個の武威に気を向ければ物量に押し潰される。……アード・メテオールよ、こうした状況における最適解とは、いかなるものぞ」


 問われてすぐ、俺は奴の覚悟を悟った。であれば、取るべき選択はただ一つ。


「《ギガ・ウォール》」


 魔法防壁を発動。それはまるで都市を守護する巨大な鉄壁の如く、超広範囲に展開され――敵の進軍を抑えると同時に、我々とライザーとを隔てる、分厚い壁にもなっていた。


「な、何を……!?」


 驚きの声をあげたのはジニーのみ。それ以外の面々は複雑ながらも、総じて納得の色を見せていた。ライザー自身も同じ顔で、


「正しい。これぞまさに最適解である」


 敵軍の物量は凄まじく、さしもの我が防壁とて長くは保つまい。

 そこに加えて、逃亡を邪魔する上質な刺客まで現れたとなれば……

 我々はいずれ捕捉され、絶対的な物量の前にひれ伏すこととなろう。

 そんな結末を辿ることなく、目的の場所へ到達するには。


「ライザー様。貴方にこの場を任せます。我々が亀裂へと飛び込むまで、足止めをお願いしたい」


 ライザー・ベルフェニックス、単騎での足止め。

 それは何も知らぬ者からすれば、捨て石を放るが如く、残酷な仕打ちに映るだろう。

 だが俺の心に、そのような意図は断じてない。なぜならば。


「貴方の力を以てすれば、敵方の質量はむしろ、好条件となるでしょう」


 奴が有する異能と、それを究極の領域へ高めた《固有魔法(オリジナル)》。即ち……服従と狂化。

 メイスで触れた相手を支配し、その力を絶大に高める、だけでなく。そうなった者が触れた対象をも支配下に置く。この力を用いたなら、相手の物量はむしろ弱点となるが……

 とはいえ、リスクはある。そもそもライザーの力が冥府の亡者達に通じるかどうか。それ以外にも不安材料は多々あるため、彼と共に残り、戦うといった選択は危うい。

 だからこその、単騎運用である。


「さぁ行け。ここは我輩が受け持つ。其処許の出る幕はない」


 落ち着き払った様子で言葉を紡ぐライザー。

 こちらに向けられた背中から、強い覚悟が伝わってきた。

 それは決死の覚悟、ではない。

 この場をなんとしてでも切り抜け、必ず生き延びてみせるという、希望に満ちた覚悟。

 こうした心境へ至った武人に言葉を送るは無粋というもの。

 そう判断したのは、俺だけではなかった。


「先を急ぐのだわ」

「そう、ですわね」

「……うむ」

「走れ走れ~」


 皆一様に駆け出した。

 そして、亀裂へと向かう。

 目的のために。イリーナを、世界を、救うために。

 

 背後にて飛び交い始めた、激しい闘争の音色を、耳にしながら――




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