表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

120/155

第一〇一話 元・《魔王》様と新たな絶望


「長かったよ。嗚々、実に長かった」


 荒れ果てた大地。灰色に染まった空。

 暗闇に支配されつつある世界の只中にて。目前の敵方が、艶然と微笑んだ。


 アルヴァート・エグゼクス。かつての我が配下にして……魔王軍最強の男。


 一時、同じ釜の飯を食い合った同胞は、しかし、今や最悪の敵となりて我が喉元に牙を突き立てんとていた。


「まさしく満願成就というべきか。数千年もの間、待ち続けた甲斐があったというものだ」


 勝ち誇ったように胸を張りながら、息を唸らせるアルヴァート。

 実際のところ――状況はまさに、絶望的なものだった。


「絶景哉、絶景哉。貴公もそう思うだろう? 我が《魔王》よ」


 両腕を広げ、天空を見上げる。そこには無数の武具があった。

 槍。片手剣。大剣。鎧。弓矢。鎚。棍棒。盾……


 圧倒的な武威を有する装備、六六六種。

 その名を――《魔王外装》という。


 我が切り札の一つは今や、敵方の手の中に在った。


「極上の不快感だろう? 己が持ち得る全てを奪われた後の気分というやつは」


 顔をこちらへと向けながら、アルヴァートは口端を吊り上げた。

 その目線は、我が足下に移っている。そこには……俺の全てが、転がっていた。

 ジニー、オリヴィア、シルフィー、ヴェーダ、ライザー。

 仲間達の亡骸が、転がっていた。


「………………」


 無言のまま、俺は彼等の姿を見つめる。


 ――例えこれが、想定通りの結果であったとしても。


 それでもやはり、こう思ってしまう。どうしてこうなったのかと。


「さて。何もせねば、次の手で終わってしまうよ、我が《魔王》」


 言葉と同時に、灰色の空を埋め尽くす武具の群れが発光し――

 その矛先を、我が身一つへと向けてきた。

 あまりにも圧倒的な威容。それは問答無用で死を意識させるものであり、それゆえに。


 まるで走馬燈の如く、現在へ至までの記憶が、脳裏に浮かび上がってきた――


◇◆◇


 ライザー・ベルフェニックスと、あの忌まわしきメフィスト=ユー=フェゴールを相手取っての一件が、決着を見せた後のこと。


 まずもって我々が懸念したのは、ある幼い少女の扱いであった。


 マリア。

 ライザー・ベルフェニックスにとって何よりも重要な存在であり……ある意味で、事件の引き金となった人物。


 彼女は特別な力など一切持ってはおらず、外見に反するところは微塵もない。

 よって彼女を我々の旅路に同行させるわけにはいかなかった。


「……この場にて待っていただくほかありませんね」


 とはいえ、決戦の舞台となったメガトリウムは現在、焦土も同然の状態となっている。このような場所に幼い少女を放置するわけにもいかぬ。


 そのため、俺は魔法によって全てを元の姿へと戻した。

 とりあえず、これで問題はなかろう。


「マリアさんには宮殿にてお待ちいただく。それでよろしいですね?」


 当人に異論はなかった。一方で、ライザーは不安げな顔をして、「マリアを人質にすべく、奇襲を仕掛けてくる可能性は?」などと言い出したため、それに応じた対策を実行。


「これにて、間違いなく、不安要素はなくなりました」

「……うむ」


 まだ未練がましい目でマリアを見るライザー、もとい、ロリコンくそジジイ。

 しかしながら、奴とてこれ以上の執着は時間の無駄と考えていたようで、


「すぐに戻る。それまで、留守番を頼んだぞ」

「うん。ちゃんと待ってるから、頑張って、ライザー」


 愛する者に見送られたなら、足を止めるわけにはいかない。

 かくして。我々はライザーを加え、六人の集団となって、メガトリウムを発った。


 それから――――数日後の、夜。


 静寂が広がる平野にて、焚き火にくべた薪がパチパチと爆ぜる音を聞く。

 心落ち着く音色が響く中、そのとき、ヴェーダがため息交じりに言葉を紡ぎ出した。


「やっぱりさぁ、どっか陰湿なんだよね、アル君って」


 これはおそらく、この数日にわたって繰り返されている嫌がらせに対するものだろう。

 

 兵は拙速を尊ぶ。争いごとは早急に決着をつけるのが望ましい。悪戯に時間をかければ、予想外の事態が生じ、足下を掬われることもある。ゆえに我々は転移魔法で以て敵方の根城へと飛び、すぐさま幕引きを、と、そう思っていたのだが……


 あちら側が、それを許してはくれなかった。


 敵大将、アルヴァートが鎮座する拠点、アサイラス連邦首都。その周辺一帯には広範囲に渡って妨害術式が展開されており、転移魔法が使用不可となっている。


「……時間稼ぎをしているという可能性は?」


 小岩に座り込んだライザーが、顎に手を当てながら呟く。

 これに対し、ヴェーダが首を横に振った。


「時間を稼がなきゃいけないような策略を、アル君が企んでるとは思えないんだよね」


 俺も同意見だった。そもそも、奴の計画は全てにおいて、俺に対する嫌がらせに等しい。


 世界を改変し、我が学友を怪物へと変えたのも。イリーナを誘拐し、手元に置いているのも。総じて俺を苦しめるための策略だ。そして今回の転移妨害と……昼夜問わず襲い来る魔物の群れなどもまた、俺にストレスを与えるというのが目的であろう。


 実際のところ、苛立ってはいる。


 早くイリーナを救いたい。早く友人達を元の姿に戻したい。

 早く、早く、早く、早く。


 ……面には出していないが、正直なところ、焦燥感を覚えている。

 ゆえに進行の遅延という嫌がらせは、実際、効果覿面であった。


「……今は、我慢の時です。来たるべきがやってきたなら、そのときは我々が彼に嫌がらせをしてやりましょう。それはもう、盛大な嫌がらせを」

「へぇ? 何か考えがあるようだね?」


 ヴェーダに首肯を返してから、俺は皆の顔を見回しつつ口を開いた。

 夜闇の静寂に、しばし声が響く。焚き火に照らされた仲間達の顔は、実に真剣で。しかし、全ての説明を終えた頃にはその表情が、幾分か朗らかになっていた。


「げひゃひゃひゃひゃ! いいね面白い! それで行こう!」

「……報復としては、なかなかといったところか」

「異論はない。ただ、僅かばかりの不安はあるが」

「あいっかわらず心配性ね、ライザーは! きっと上手くいくのだわ!」

「そうですわ。何せアード君が立てた作戦ですもの」


 皆の目には、こちらに対する信頼感があった。それに感謝しつつ、俺は言葉を紡ぐ。

 堂々と、胸を張って。


「――彼の企みを、めちゃくちゃに破壊してやりましょう」


◇◆◇


 アサイラス連邦首都、ハール・シ・パール。堅牢な壁に囲まれた都市部は芸術的な木造建築の宝庫であり、毎年数多くの観光客で賑わっている。


 アサイラスは長年紛争を続けてきたが、現・国王によって統一されてからというもの国内事情は安定しており、内政は良好な状態を保っていた。

 これまでの殺伐とした雰囲気など新生アサイラスには微塵もなく、首都に住まう者達は不意に訪れた平和を謳歌している――――が、それも今や過去の話。


 世界改変装置(《ストレンジ・キューブ》)によって形を変えられたハール・シ・パールは、もはや平和な楽園にあらず。醜い怪物達が行き交う、魔界も同然の有様であった。そんなおぞましい光景を、アルヴァート・エグゼクスは居城の頂点から見下ろしつつ、微笑する。


「これぞまさに、御伽噺の《魔王》が住まう根城そのもの。しかし…………少しばかり、あからさま過ぎたかな?」


 尖塔の天辺に立ち、長く美麗な黒髪を風にたなびかせながら、くつくつと喉を鳴らす。

 改変された世界に在って、彼は《魔王》の称号を背負う怪物として認知されている。


 そう。かつて自分から全てを奪った男とまったく同じ称号を、彼は自ら背負ったのだ。


「あのとき……全てに決着が付いたあのとき、彼が(わたし)との約束を守ってくれていたなら、不愉快な称号で呼ばれることもなく、大がかりな計画を企てる面倒も味わわずに済んだというのに。嗚呼まったく、嫌がらせでもして溜飲を下げねばやってられんというものだ」


 肩を竦めてみせるアルヴァート。

 ――そのとき、彼の隣に一人の少女が顕現した。虚空の只中に突如現れた彼女は、実に愛らしい容姿をしているが、どこか不気味なオーラを纏わせている。

 その姿を認めると、アルヴァートは悪戯小僧のような笑みを浮かべながら、


「ふはん。やはり似合っているじゃあないか、カルミア。その装束こそ、《魔王》の側近に相応しいものだ」


 少女、カルミアは無機質な表情で言葉を返した。


「……昔から思っていたことだけれど。貴方のセンスは痛々しい」


 無味乾燥とした声で毒を吐きつつ、カルミアは自らが纏う衣服に目を落とす。


「ゴシックロリータは手の入れようがないほど完成したジャンル。それなのにごちゃついた改造を施したせいで全てが壊滅的な状態になっている。この王冠みたいな帽子はなに? スカートにくっ付けた複数の剣状装飾についても、存在意義がわからない。無駄な華美を取り入れたせいで、全体的な色調も――――」

「ふははははは! カルミア! 貴君は相も変わらず吾の心を抉るのが上手いな! ふははははははははは!」


 大声で笑い、彼女の声を掻き消す。

 そんなアルヴァートにカルミアは小さく息を吐いて、別の話題を、切り出した。


「……もうすぐ、だね」


 彼女がいわんとすることをたちどころに理解し、アルヴァートは頷きを返した。


「そうだ。もうすぐ願いが叶う。数千年、焦がれ続けた瞬間がやって来る」


 言い終えてから、天へと目を向けた。

 アルヴァートの心境とは裏腹に、空模様は暗澹としている。

 だがむしろ、それがいい。

 狂面を歪ませながら、アルヴァートは歌うように語り紡いだ。


「今日、この日、無駄に永く続いた吾の物語が、ようやっと完結する。嗚呼、なんと素敵なことだろう。夢見心地とはこのことか」


 カルミアは、何も応えなかった。ただ隣に立ち、彼の顔を見つめるのみだった。そんな彼女の視線を浴びながら、アルヴァートは瞼を閉じて、昂揚感を抑えるように息を吐くと、


「ともあれ。歓待の用意は万端整った。あとは客人を待つのみだ」


 再び眼下の街並みへと目線を移し、アルヴァートは底意地の悪い笑みを浮かべて見せた。


「嗚呼、想像しただけで笑みが零れてしまう。ここへ来るまでに、彼は仲間共々、吾の嫌がらせをさんざん受けてきたわけだが……積もり積もったストレスが、この街中にて更なる高みを目指すのだ。ともすれば、吾は《魔王》の胃袋に穴を空けた二人目の存在となれるやもしれぬなぁ。嗚呼、嗚呼、楽しみだ。実に実に楽しみだ。ふははははははは」


 高らかに笑うアルヴァートの隣で、カルミアが呆れたように息を吐いて、一言。


「……悪趣味」と、ボソリ呟く彼女へ、アルヴァートは堂々と応答する。

「悪趣味で結構! 数千年も待ちぼうけを食らったのだ! 嫌がらせの一〇〇や二〇〇、許されて然るべきだと思うね、吾は!」


 彼の脳裏に、かつての主にして、宿敵でもある男の顔が浮かぶ。


 アード・メテオールと名を変え、姿をも変えた、あの男。


 普段の澄まし顔が怒りの形相に歪む瞬間を想像しただけで、エクスタシーを感じる。そしてきっと、その期待を彼が裏切るようなことはないだろう。何せこの街には。この居城には。アード・メテオールに対する嫌がらせの数々が無数に仕掛けられているのだから。


 えげつないトラップ。いやらしい魔物の配置。それらをくぐり抜け、この場へと辿り着いたとしても――あの男は、望む物を決して得られない。


「ふはは! ふはは! ふははははははは!」


 両手を広げ、天を見上げる。アルヴァートの心には愉悦の色だけが広がっていた。

 が――そのとき。不意に、灰色の空が煌めいた。


「んん?」


 何事かと眉根を寄せた、次の瞬間。曇天の真下に巨大な光球が突如として現れ――――

 それがあの男による攻撃だと気付いた頃。


 アルヴァートの全てが、灰燼に帰していた。


◇◆◇


「……ふう。僅かではありますが、溜飲が下がりましたね」


 目前の光景に対し、俺は満足感を味わうと共に、息を唸らせた。


 腹立たしい旅路の末に目的地を前にした我々だったが……

 当然、真正面から挑むはずもない。どうせ街の隅々にも面倒な嫌がらせを仕掛けまくっているに違いないと踏んだ俺は、まずそれらを一掃してやることにした。


「ふむ。見事なお手前であるな」

「やっぱ本気の一撃は違うねぇ。現代生まれとは思えないほどの威力だよ」

「……懐かしいものだ。あの頃は一撃で街を吹き飛ばすなど、茶飯事だった」


 三人の元・四天王達が各々感想を言い合い、


「もう、すごすぎて、何がなんだか……」


 ジニーが呆然と呟いたかと思えば、


「なんというか、現代生まれにしては、ほんっとに規格外だわね、アンタ」


 称賛と共にシルフィーが微笑する。


「はは。少しばかり気が入りすぎましたね。苛立っていたもので、つい」


 ハール・シ・パールは今や更地も同然。

 森羅万象、総じて原型を失い、荒涼とした平野が在るのみだった。


 当然のこと、敵方が用意していた嫌がらせの全ては灰燼に帰したことだろう。

 ざまぁみさらせ――と、心の中で呟いた、次の瞬間。


 ぶわり。

 前方にて桁外れな圧力(プレッシャー)が膨れ上がった。


「ふむ。やはり、無傷ですか」


 肌がひりつくような凄まじい威圧感。これは、あの男の生存を証明するものだった。


「嗚呼、嗚呼。いや、まったく。忘れていたよ。貴公はこういう男だったな」


 むくれた子供のような声音が放たれると同時に、圧力が一層強くなる。

 そして。


「いけずにも、程があるというものだ」


 怒気が発露した、矢先のことだった。

 遙か前方にて異変。積み重なった瓦礫の山から、闇色の奔流が溢れ出す。

 それはゆっくりと周囲の空間を侵すように広がっていき――


「総員、後退ッ!」


 我が口から出た叫びは、半ば無意識の産物であった。

 それから皆、示し合わせたかのように、まったく同じタイミングで後方へと跳ぶ。

 その表情は総じて固く、誰もが冷や汗を流していた。


 満場一致。アレは決して、近付いてはならぬものだと。全員が確信に至っている。


 その証を立てるかのように、数瞬後、黒き奔流がその脅威を発揮した。

 じわりじわりと扇状に展開していくそれが瓦礫の山々に触れた、そのとき。


 存在が、消失する。


 それは分解だとか粉砕だとか、そういった尋常の現象ではなかった。

 消滅。あの漆黒の奔流がもたらすものはまさにそれだ。


「冥府送りの炎……! 相も変わらず、凶悪極まりないな……!」


 オリヴィアが頬に汗を浮かべながら、呟く。


 冥府送りの炎。

 それは奴の異能に対する呼び名であり、奴自身が有する異名の一つでもある。


 その効能は……一撃必殺。


 黒炎に触れたが最後、対象の霊体は即時、冥府へと送られる。例外はない。いかなる存在であろうとも、接触は即ち確殺となる。


 果たしてそれは我々のすぐ目前まで迫り……警戒するこちらを嘲笑うように二手に別れ、あらぬ方向へと向かっていく。


 黒炎が行き着いた先は――我々のすぐ、背後であった。


「腹立たしい。嗚呼、実に実に、腹立たしい」


 傾国の美女もかくやとばかりの美貌に、不快感を宿しながら、こちらをジッと見据えてくる。そうしたアルヴァートの全身に闇色の奔流が纏わり付き、凝縮。その様相はまるで、漆黒のオーラを纏う死神のようだった。


「吾がどれだけ必死こいて準備をしてきたか、貴公にはわかるまい。吾がどれだけ期待感に胸膨らませてきたか、貴公には決してわかるまい」


 深々と嘆息するアルヴァート。奴はその瞳を刃のように細めて、


「萎えた。萎えた萎えた萎えた萎えた萎えた。嗚呼、うんざりする。こんなときは踊らねばやっていられん」


 くるくると。狂々と。珍妙な動作で踊り、ステップを踏む。

 そうしながら、奴は、ぼんやりと空など見つめながら口を開いた。


「しかし、思い切ったものだ。ここには貴公等にとって重要な物が二つ存在するというのに。それを木っ端微塵に砕くようなことを、よくも出来たものだな」


 この言葉に、俺は否定を返した。


「嘘おっしゃい。《ストレンジ・キューブ》も、イリーナさんも、ここにはない。どこか別の場所に隠している。そうでしょう?」


 図星を突かれたからか、アルヴァートはステップを踏みながら鼻を鳴らして。


「流石、勘働きの鋭いことで」

「貴方の思考など手に取るようにわかりますよ。大方、我々の苦難が徒労に終わった瞬間を見つめながら、酒など嗜むつもりだったのでしょうが……残念ながら、勝利の美酒はお預けとさせていただきます。未来永劫、ね」


 挑発的に微笑んでみせた、矢先のことだった。

 踊り狂うアルヴァートのステップが、どこか緩やかになり――


「うむ。少しばかり、滾ってきたな」


 曇っていた美貌に穏当な色が宿った、瞬間。スッ、と滑るように。何気ないステップで。上機嫌に散歩するかの如く。奴は一瞬にして我々の目前にまで迫り、そして。


「さぁ、皆で踊ろう」


 ニッコリと、寒気のするような笑顔を浮かべ――

 無造作に、左腕を振るう。


「ッッ!」


 ここでようやっと、我々は自らの愚に気付いた。

 あまりにも自然体で、微塵の殺気もなかったがために、警戒心が沸き立たず……ゆえに我々は今、黒炎の脅威に晒されている。


「――《ウインド》ッ!」


 我が行動は完全に、脊髄反射的なものだった。

 跳躍では間に合わない。もっと速く身を躱す方法はないか。そんな思考が一瞬にして脳裏を駆け巡り、即座に答えを出して、実行。


 果たして我が風の魔法によって総員、勢いよく後方へと吹き飛んだ。

 前後して、今し方まで立っていた場所を、漆黒の炎が擦過する。


 着地と同時に、俺達は緊迫感を抱きながら、敵方の姿を睥睨した。


「嗚呼、まっこと惜しい。もうあと少しだったのだがなぁ。はははははは」


 遊戯に興ずる童のような笑顔で、なんら殺気を放つことなく殺意を撒き散らす。その有様はまさに狂人のそれ。数千年前より変わることなく、この男は今もなお壊れ切っていた。


「……やはり、出し惜しんではいられませんね」


 四天王最強は伊達ではない。このままでは己が役割を全うすることさえ、困難であろう。

 ゆえに俺は、切り札の投入を決意した。


「皆さん、手出しは無用です。ここは私にお任せを」


 仲間達にそう述べてから……俺は、ある魔道具を召喚した。


「ほほう。こちらに来るのが遅いと思ってはいたが。やはり、寄り道をしていたのか」


 目を細め、愉しげに笑うアルヴァート。奴の視線と注意が、そのとき、我が手元へと注がれた。宝玉である。白金色に煌めく美しいそれは、かつて俺が手ずから創り出したものであり……今回の一戦における切り札として、ある迷宮から回収したものだ。


「初手全開。ご観覧あれ」


 宣言すると共に、俺は宝玉を天へ掲げ、その効力を発動する。


「《圧倒する力よ》《我が前に出で》《虚しき勝利をもたらせ》」


 三唱節の詠唱を口にした次の瞬間、白金色の宝玉が力強く煌めき、そして。

 曇天の真下に、巨大な門が出現する。


「おぉッ! 美しいッ! あれぞまさに煉獄への入り口だッ!」


 荘厳かつ煌びやかな装飾が施されたそれを目にした途端、アルヴァートが狂気じみた笑みと共に叫んだ。恐れなど皆無。むしろ現状を待ち望んでいたかのような有様。

 是非もなし。笑いたくば笑え。興じたくば存分に興じて見せよ。

 しかし、アルヴァート・エグゼクス。

 この戦いの果てに、貴様が望む結末がやってくるなどとは思うまいぞ。


「《開け》《塵滅の門》」


 放たれた二唱節に応ずるかの如く、天に浮かぶ巨大な門が音を立てて開き始めた。そこに在るは深淵。吸い込まれそうな黒が広がる、そんな只中にて。


 悠然と、それが顔を覗かせた。


 武具である。無論、只物ではない。門の内より悠然と現れたそれらは、総じて規格外の力を有している。

 その総数、六六六。灰色の空に鎮座するそれは、まさしく我が切り札。


 その名を、《魔王外装》という。


 それらは一つ一つが絶大な殲滅力を誇る兵器であり、それゆえに六六六種を全投入するような事態など、過去に一度しかなかった。


 最強最悪の《邪神》、メフィスト=ユー=フェゴールとの最終決戦が、それに当たる。


 当時の一戦にはアルヴァートも参加しており、そうだからこそ、己が相対する戦力がいかなるものか、十全に理解していよう。


 だが、それでも。四天王最強の男は、笑い続けている。


「嗚呼、やはり美しい。この世のどんな芸術品を並べ立てても、これには及ぶまい」


 くつくつと喉を鳴らす。そんなさまは悠然、というよりも、どこか余裕を見せているようで、なんとも不気味な姿に映った。


「一目見た瞬間、吾は思わず欲しいと呟いていたよ。これ以上の暴力など、特に求めてはいなかったというのに。そんな吾さえも魅了するほどの力。それこそが《魔王外装》であり……そして、貴公にとっては、心の拠り所に似たものであろう?」


 くつくつくつ、と喉を鳴らす様が、やはりどうにも気になって仕方がない。


 何か重大なミスを犯したような、そんな気分になる。


 ……いや、考えても詮無きこと。ここは一気呵成に攻め立て、時間を――


「貴公にとってアレは、まさに生命線も同然であろう。いかな難敵が現れようともアレさえあればどうにかなる。そのように信頼しきった力。嗚呼、それがまさか。まさかまさか」


 攻撃開始の合図を送る、その直前。アルヴァートが声高らかに叫んだ。


「想定外の極みだろうなぁッ! 最強の切り札が、敵方の手に渡るといった現実はッ!」


 直後。天空に浮かぶ六六六の外装が一、《時騙しの瞬烈槍》が反応を示した。


 ――俺が、命令を下していないにもかかわらず。


 槍が曇天の下より、地表へ向かって飛翔する。

 雷霆の如き疾さで。獰猛な軌道を描きながら。

 その末に。


「――――あ」


 時騙しの名を冠するこの一振りには、名称通り、時間軸を操作する力が付与されていた。

 投擲と同時に、この槍は世界の時間法則から外れ、超高速の時間軸へと身を移す。


 そうすることにより、完全不可避の一撃を相手に見舞うのだ。


 これは単純な高速化ではなく、時間軸の変動であるため、いかに感覚を強化したとしても回避は出来ない。気付けば穂先が突き刺さっていた。そのように認識するのみである。


 だから俺は、その結末を、防げなかった。


 ジニーの心臓を、槍が貫くという結末を、変えることが出来なかった。


「ジ、ジニーッ!」


 悲鳴にも似た叫びが、シルフィーの口から放たれる。

 けれども反応はなく、ジニーの瞳から生気が消え失せ――


 彼女がゆっくりと倒れ伏していく、その最中。


「戦場で他人の心配とは、これまたナンセンスなことを」


 嘲笑めいた声。そこにアルヴァートの冷たい殺気を感じた、矢先の出来事だった。


 倒れ込むジニーのもとへ駆け寄るシルフィー。一歩、二歩、三歩と進んだ、そのとき。


 既に敵方は、行動を終えていたらしい。シルフィーの足下が光り輝いたかと思えば……

 ほんの一瞬にして、彼女の全身が灼熱に包まれた。救助も叶わぬ、刹那の出来事だった。


 後に残ったのは、炭化した亡骸のみ。その末路にアルヴァートは歯を剥いて笑い、


「いつのことだったか。《邪神》の一柱を討たんとする戦において、シルフィー嬢が仕掛けたトラップ魔法に掛かり、黒焦げにされたことがある。ふはん。これぞまさに意趣返しというやつだな。そして――」


 奴の目が、三人の方へと向けられる。オリヴィア、ヴェーダ、ライザー。かつての同胞を前に、何を思ったのか。いずれにせよ、その瞳に宿るものはあまりにも冷ややかだった。


「強すぎる力というのも困りものだな。闘争の愉悦というものを根こそぎ奪ってしまう」


 奴の凶行を、止めることは出来なかった。気付いた頃には、全てが終わっていた。

 オリヴィアの頭部が破裂し、ヴェーダの五体がバラバラになって、ライザーの全身が圧縮され肉塊に変わる。

 絶望。その様相はまさに、絶望を体現するようなものだった。


「長かったよ。嗚々、実に長かった」


 荒れ果てた大地。灰色に染まった空。

 暗闇に支配されつつある世界の只中にて、目前の敵方が、艶然と微笑んだ。


「まさしく満願成就というべきか。数千年もの間、待ち続けた甲斐があったというものだ」


 勝ち誇ったように胸を張りながら、アルヴァートが息を唸らせる。


「絶景哉、絶景哉。貴公もそう思うだろう? 我が《魔王》よ」


 両腕を広げ、天空を見上げる。


「極上の不快感だろう? 己が持ち得る全てを奪われた後の気分というやつは」


 顔をこちらへと向けながら、アルヴァートは口端を吊り上げた。

 その目線は、我が足下に移っている。そこには……俺の全てが、転がっていた。

 ジニー、オリヴィア、シルフィー、ヴェーダ、ライザー。

 仲間達の亡骸が、転がっていた。


「………………」


 無言のまま、俺は彼等の姿を見つめる。

 ――例えこれが想定通りの結果(、、、、、、、)であったとしても。それでもやはり、こう思ってしまう。

 どうしてこうなったのかと。


「さて。何もせねば、次の手で終わってしまうよ、我が《魔王》」


 言葉と同時に、灰色の空を埋め尽くす武具の群れが発光し――

 その矛先を、我が身一つへと向けてきた。

 あまりにも圧倒的な威容。それは問答無用で死を意識させるものであり、それゆえに。

 まるで走馬燈の如く、現在へ至までの記憶が、脳裏に浮かび上がってきた。


「……やれやれ、面倒なことになったものだ」


 嘆息すると同時に。六六六の外装が、六六六の絶対的な暴力を引っさげて、襲来する。

 防戦一方、どころではない。完全な無抵抗だ。


 俺はただただ、堪え忍ぶことしかしなかった。


 肉体の滅却を防ぐため、常時再生の魔法を己に掛け続ける。

 まだだ。まだ、ダメだ。役割を果たし終えていない。ここで消えてはならない。

 

 皆の行動が完了するまで、俺は――――と、そう考えた矢先のことだった。

 絶大な力に埋め尽くされた視界の中。遙か遠方にて、煌めく球体が打ち上がる。


 それは、合図だ。全てが終わったという、合図だ。


「……ならばよし」


 役割は果たした。であればもはや、堪え忍ぶ理由はない。

 発動していた再生の魔法を解除する。となれば必然、我が肉体は滅びへと向かうのみ。

 だが、それでいい。勝敗は既に、決したのだから。


「嗚呼そうか。なるほど。やはり、とことんいけずだな、貴公は」


 拗ねたような声が、耳に入ると共に、激しい攻勢がピタリと止まった。

 途端、我が全身が地面へと倒れ込む。ちょっとした衝撃を覚え、それから、ヒヤリとした土の感覚を味わう。そんな俺を見下ろしながら、アルヴァートは眉根を寄せて、


「まともに戦ってやるつもりは、最初からなかったと。そういうことかね」

「あぁ、貴様が用意した筋書きなど糞食らえだ」


 受け応えると同時に――我が身が、崩れ始めた。

 爪先からゆっくりと、粒子状になって消えていく。

 先に斃れた仲間達の亡骸もまた、同様の状態となっていた。


「分身の魔法を用いた模倣体。それを最後まで気取らせなかった貴公の技量は、いやはや、流石と言わざるを得ないな」


 肩を竦めて見せるアルヴァート。表面的には余裕を見せているが、内面はおよそ、荒れ狂う海原の如しであろう。そうした情念を見透かしながら、俺は口を開いた。


「貴様の動向は、総じて我が想定の範疇にあった。数千年もの間、貴様は準備を整えていたのだろうな。この俺と全身全霊を尽くすような闘争を演じ、そして…………己が末期を、迎えるために」


 各地に配置された《魔王外装》のもとへ足を運び、支配権を上書きするといった小細工もまた、その一環であろう。

 だが、いかなる用意があったとしても、奴の意に沿うつもりはない。


「我々の目的は、あくまでも世界の救済だ。イリーナと《ストレンジ・キューブ》を奪還し、世界を元に戻す。これを成すことが重要であり……貴様の打倒は優先目標ではない」


 そして、それは成し得た。仲間達の迅速なる行動のおかげで、俺は――

 彼女との約束を破ることなく、この一件に、終止符を打つことが出来る。

 

 難題をこなした後の、達成感にも似た感覚を味わいながら、俺は敵方に宣言した。


「我々の勝利だ、アルヴァート・エグゼクス」


 これを受けて、奴は小さく息を吐き……それから、灰色の空を見上げた。


「嗚呼、いけずだ。貴公はまっこと、いけずそのものだ。我が心内を知っていてなお、それを無碍にする。………………………………この身と、この心を、こんなふうにしたのは、お前(、、)自身だというのに」


 紡ぎ出された恨み節には、しかし、なんの情も込められてはいなかった。

 無機質に、淡々と、アルヴァートは言葉を重ねていく。

「勝利宣言をするのは、まだまだ早いよ、我が《魔王》。吾の執念を甘く見てもらっては困る。この数千年、吾は準備をし続けてきたのだ。そう……滅び行くための準備を、万端に整えてきた。ゆえに……」


 底無しの闇が、アルヴァートの美貌に宿る。

 そして奴は、粛々と語り紡いだ。まるで、決定事項を述べるかの如く。


「貴公は吾を殺さねばならない。それ以外に此度の一件を解決する方法はないのだ」


 発言の真意が、いかなるものか。それを問いただそうにも、時間が残されていなかった。

 分身の肉体が存在時間の限界を迎え――

 謎を残したまま、我が意識は、本体へと戻っていった。


◇◆◇


 視界が暗転してからすぐ、俺は平野の只中にて目を覚ました。


「アルヴァートめ……何を企んでいる……?」


 考えても答えは出なかった。であれば、ここはあえて思考を放棄しよう。

 今は仲間達と合流し、イリーナを救い出したという実感を味わうのだ。


 俺は探知の魔法で皆の現在位置を特定し、それから転移の魔法を発動する。

 妨害術式は既に解析を終えており、我が動向を阻むものはどこにもない。


 俺は瞬時に皆のもとへと到着した。そこは薄暗い森林の中で、すぐ目前に遺跡のような建造物がある。おそらくはそこにイリーナとキューブが安置されていたのだろう。


「あ……アード君……」


 こちらの姿を認めたジニーが、ぽつりと声を漏らした。


 ……妙だな。目的を果たしたというのに、明るさが微塵もない。


 彼女だけではなかった。こちらを見やる仲間達の顔は総じて、どこか暗澹としたもので。

 そうした様子が、不安を煽ってくる。


「……どうされたのですか、皆さん。目的は果たしたのでしょう?」


 言いながら、俺はオリヴィアを見た。彼女の腕の中には、眠るように瞳を瞑った、イリーナの姿がある。まるで花嫁じみたドレスを身に纏った彼女は、《ストレンジ・キューブ》を抱え込むように持っており……それだけを見れば、どこにも問題はないように思える。


 あとはイリーナを目覚めさせ、キューブを解析し、発動条件を調べるだけ。

 そうしたなら世界は元に戻り、これまでの日常を取り返すことが出来る。

 そんな希望だけが、今、ここには有るはずなのだ。


 なのになぜ、皆の顔には絶望が宿っているのか。


 ――その答えを、ライザーが口にする。


「アード・メテオール。どうか、落ち着いて聞いてほしい」


 次の瞬間、放たれた内容は、あまりにも。

 あまりにも、衝撃的なものだった。


「イリーナ・オールハイドの肉体には…………霊体が、宿っていない」


 それは、つまり。


「この娘は既に……完全なる死を、迎えている」


 茫然自失。目の前が真っ白に染まり、思考が止まる。


「…………………………そんな、馬鹿な」


 俺はただただ、立ち竦むことしか出来なかった。

 阿呆のように口を開いて、立ち竦むことしか、出来なかった――




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ