第九八話 元・《魔王》様と、愛の行方
さながら幽鬼のようであった。
頬は痩せこけ、眼孔は落ち窪み、妖しい光を放っている。
毛髪はまだらに抜け落ち、口元から涎を垂らす様は、老衰の極みを思わせた。
精悍な老将の面影など、どこにもない。
狂気と悪意に囚われた哀れな老爺の姿だけが、そこに在る。
「マ、マリ、マリアァァァァァ……」
口端を吊り上げながら、涎を垂れ流す。
そうしてライザーはよろよろとした足取りでこちらへと近付いてきた。
「ふ、ふへ、へ、へは、は……」
不気味に笑うライザー。その瞳はマリアの姿だけを捉えている。
俺はそんな老爺の向こう側に、邪悪なる神の気配を捉えた。
居る。奴は、あそこに居る。
メフィスト=ユー=フェゴールは今、ライザー・ベルフェニックスの中に入り込んでいるのだ。
あの悪魔は老爺の内側にて、こちらをジッと見つめている。
その視線から、俺は奴のドス黒い意思を感じ取った。
“さぁ、ドラマも佳境に入った”
“僕が組み立てた筋書き通りになるか、それとも、君がシナリオを書き換えるか”
“お互いにとって楽しいゲームにしようね、ハニー”
相も変わらず、他者を己の玩具としか認識してはいない。
その邪悪、必ずや叩き潰してくれる。
「……皆さん、心の準備はよろしいですね?」
「無論だ」
「いつだって覚悟は決まってるのだわ」
「真面目な展開は苦手だけれど……そうも言ってらんないよねぇ」
「皆様の足を引っ張らぬよう、粉骨砕身の覚悟で臨みますわ……!」
仲間達の気概を確認しつつ、俺は敵方を睨み据えた。
依然として、ライザーはマリアのことしか見ていない。
視界に彼女だけを入れながら、涎を垂らし、体をよろめかせ、こちらへやって来る。
そんな相手方に対し、マリアは、
「や、やだ……なんなの、これ……」
激しい当惑を面に出しながら、冷や汗を流す。
その暗澹とした表情に、ライザーは何を思ったのか。
立ち止まり、首を傾げ、ぶつぶつと呟き始めた。
「なんだ、その顔は。なんだなんだなんだなんだ。我輩を前にしてその顔。おかしい。再会したのに。笑うのが自然だ。なぜ笑わない。どうして。おかしい。なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ――――」
瞳をグルグルと回しながら、頭を掻きむしる。
その異様にマリアは怯えきっていた。
「……大丈夫。貴女は我々が守ります」
彼女を守護するように、前へ立つ。
と――
「あ、ああああああああ、ああああああああああ。そ、そうか。そうかそうかそうか。そ、そそ、其処、許だ。其処許が。其処許の、せい、だな。そう、そうに違いない。う、うう、うううううううううううううう…………」
頭を抱えて唸り始めたかと思えば、次の瞬間。
「マァァァリィィィアァァァにぃぃぃぃぃ、なぁにをしたぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!」
瞳に激烈な怒気と殺意を宿らせ、踏み込んでくる。
あまりにも疾い。
その獰猛な躍動は、まるで餓えた野獣のようであった。
「各自、戦闘用意ッ!」
俺が叫ぶと同時に、ライザーの一撃が放たれた。
肉薄し、そして、右腕部による横薙ぎ。
狙いは我が頭部。
圧倒的な疾さ。回避不能。防御を優先。《ウォール》を展開――
刹那、直撃。
ライザーの右腕部が防護膜を強打し、それを一瞬にして粉砕。
そのままの勢いで我が頭部へと肉薄する。
威力を見誤ったか。
俺は地面を蹴って真横へ跳ぶ。
数瞬後、ライザーの腕部がこちらの側頭部を殴打。
度外れた衝撃が全身を駆け抜け、気付けば俺は、浮遊感を味わっていた。
我が総身は風に舞う紙切れのように虚空を進み、壁面をブチ破って宮殿内を貫通。
そのまま中庭へ出て、地面に衝突し、ゴロゴロと転がった末にようやっと停止する。
直撃の寸前、真横へ跳んだことにより、ダメージは最小限に抑え込むことが出来た。
とはいえ軽い脳震盪が発生し、視界が揺れている。
何度か深呼吸をして、落ち着かせねば――
「アァアアアアアアアド、メテォオオオオオオオオオオオオルッッ!」
どうやら一息つく間もないらしい。
狂乱した老爺が迫ってくる。
宮殿内に穿たれた横穴を経由して、こちらへと一直線に。
「……やれやれ、だな」
揺れ動く視界の只中に、敵の姿を捉えた、その瞬間。
迎撃を実行する。
無数の属性魔法による弾幕を展開。
我が前方にて顕現した魔法陣、二七。
ライザーを取り囲むようにして顕現した魔法陣、五七。
計八四の魔法を完全同時発動。
そして、破壊の嵐が巻き起こる。
炎、風、土、水、雷。五大属性による猛攻が、広範囲に影響を及ぼした。
宮殿の中庭が瞬く間に更地へと変わっていく。
まさに戦場さながらといった光景であったが……
「るぅうううううううぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
大軍をも退けるであろう猛攻を一身に受けてなお、ライザーはそれをものともせず突っ込んできた。
ダメージは皆無。身に纏う純白の法衣が、僅かに焼け焦げた程度。
だが、時間は稼げた。
「ブッ潰れよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
肉薄し、右手に顕現させた巨大なメイスを振り下ろしてくる。
回避は容易。我が脳髄は既に安定状態へと戻っている。
ゆえに敵方の一撃は空転し、地面を派手に穿った。
「ふぅ。やはり一人で相手取るには、中々に厄介、ですが」
土塊が四方八方に飛び散るさまを見つめながら、俺は呼吸を整え、呟く。
「このアード・メテオールは、ただ一人でここに立っているわけではない」
次の一撃を加えんと、ライザーがメイスを構えた、そのとき。
「だわっしゃあああああああああああああああッ!」
シルフィーの雄叫びが轟くと同時に、ライザーのもとへ鎖の束が殺到した。
《縛神の天鎖》。
彼女に預けた《魔王外装》が、敵方を捕縛せんと躍動する。
「ぬぅッッ!」
虚空の只中を推進する鎖の束。これを脅威と感じたか、ライザーはその場より飛び退いて距離を離した。
――その先には、彼女が待ち構えている。
「はい、ピカッとな!」
虚空に突如開いた黒穴から、ヴェーダが半身を覗かせ――
《万理解変の鏡盾》の効力を発動。
構えられた鏡盾が、強烈な輝きを放った。
その煌めきにライザーが飲み込まれ、そして。
「おや?」
奴の上半身から、メフィストの半身が飛び出てくる。
訪れた好機を、彼女が逃すはずもない。
そのとき、オリヴィア・ヴェル・ヴァインが疾風のように駆けた。
ほんの一瞬にして最接近。
敵方を刃圏に捉えると同時に、オリヴィアは手にした一振りの剣――
《崩滅の覇剣》の刀身を奔らせた。
斬らば森羅万象を崩滅させる、漆黒の刃。
その狙いは当然。
「終いだ……! メフィスト=ユー=フェゴールッッ!」
鏡盾の力によって分離させられた、悪魔の霊体。
奴は今、肉の器を捨て、霊体のみの状態となり、ライザーの体に憑依している。
これを分離させ、覇剣によって切断したなら……
少なくとも此度の戦いは我々の勝利となろう。
今まさに、その瞬間が――
訪れようとした、そのとき。
「ふふっ、まだまだ終わりじゃあないさ」
メフィストの霊体がライザーの内部へと戻り、そして後方へ跳躍。
オリヴィアの斬撃は惜しくも空転した。
「ぬわぁん! もうちょいだったのに!」
「けれど、今ので希望が見えましたわ」
「……うむ。勝算は十分にある」
「あんときの借り、一〇〇倍にして返してやるのだわッ!」
俺と共に、ライザーを取り囲む仲間達。
そして。
「行動開始ッッ!」
我が号令の下、皆が一斉に躍動した。
俺が全体指揮を執りつつ、ジニーと共に遊撃と囮を務める。
隙を見せたなら、シルフィーが天鎖を用いて拘束。
続いてヴェーダが鏡盾を発動し、メフィストの霊体を分離。
最後にオリヴィアが覇剣で霊体を切断し、決着。
――と、そのように事が運べば良いのだが。
相手は史上最狂の宿敵。
かつて我々が、全てを賭してなお勝てなかった怪物。
ゆえに――
そう易々とは、行かなかった。
「うるぅおおおおおおおぁあああああああああああああああああッッ!」
こちらの狙いが、ことごとく外れていく。
先手を打ち、包囲し、確実に追い詰めたと思いきや……次の瞬間には崩される。
そんな展開が連続するばかりで、状況はまるで好転しない。
「《固有魔法》の詠唱さえ叶えば……!」
自然と舌打ちが漏れる。
この状況を打破するには、孤独なりし王の物語の発動が必須であろう。しかしながら、敵方の動作が想定以上に疾く、そして危うい。
「詠唱を行う暇もないとは……!」
精神状態にもよるが……現在のそれならば、詠唱完了まで一〇秒といったところか。
その時間中、俺は全神経を詠唱に集中せねばならぬため、大きな隙が生じてしまう。格下が相手なら、捌きながらでも実行が可能だが……此度は望むべくもない。
しかし。
よしんば《固有魔法》を発動出来たとしても。
このままではおそらく、勝利を収めることは不可能だ。
メフィストはライザーの内部に入り込み、霊体同士を結合させているに違いない。
この結び付きを弱めねば、鏡盾で分離させたとしても、すぐさま元に戻ってしまう。
それこそ、先刻の一幕と同じように。
「結合の状態を弱めるには、やはり」
マリア。
此度のキーマンとなる存在が、脳裏に浮かび上がった、そのとき。
「もう、やめて……! もうやめてよ、ライザーっ!」
悲鳴にも似た絶叫が、彼女の口から放たれた。
瞬間、停止する。
我々だけでなく、ライザーもまた戦闘行動を止めて、彼女へと目を向けた。
「おぉ、マリア……! どう、したのだ……! なぜ、泣いている……!?」
幼い娘の瞳は今、涙で濡れていた。
「誰が、其処許を、泣かせたのだ……!? ゆ、許さぬ……! よくも、マリアを……!」
激しい憤怒が、ライザーの顔を歪ませる。
そんな彼を真っ直ぐに睨め付けて。
マリアは肩を震わせながら、叫んだ。
「なんで、こんな酷いことするのっ!?」
果たしてこれが、己に対する非難だと気付いているのか、否か。
ライザーは呆けたように口を開いて、マリアを見つめるのみ。
そんな彼の視線を浴びながら、彼女は嘆きの声を放ち続けた。
「なんで、ずっとモヤモヤしてたのか、やっとわかったよ……! ライザーはあたしに、隠してたんだ……! 自分の汚いところ、全部! 全部全部全部! 隠してた!」
「マ、マリ、ア……?」
「なんで!? ねぇ、なんで!? なんでこんな、酷いことをするの!? なんでこんな、酷いことが出来るの!? みんなを苦しめて、泣かせて! 孤児院のみんなまで、傷付けて! あたし、ライザーのことがわかんないよ!」
「わ、我輩、は……! 我輩は、全て……! 全て、其処許のために! 其処許の幸福を実現するために! 動いているのだ!」
脂汗を流しながら、ライザーは言葉を紡ぐ。
その姿はまるで、己の無実を訴える罪人のようだった。
「じ、事実、其処許は幸福であったろう!? 気心の知れた仲間達を蘇らせてやった! 聖女にもしてやった! 世界の有様も、其処許が望んだ通りにした! 思うがままだ! そ、それなのに…………その目はなんだぁッッ!」
ライザーを見るマリアの瞳は、まるでドブのように濁っていた。
その心に今、いかなる情が渦巻いているのか。
……少なくとも、善きものではなかろう。
ライザーにとっても。そして、俺達にとっても。
「そう。あたしが、悪いんだね」
「……マリア?」
「そうだよ。うん。あたしが悪い。わかってたよ。きっと、あたしのせいだって。全部、あたしのせいなんだって。あのとき、あたしが、大事なことを言わなかったから」
「な、何を、言っておるのだ……?」
「あたしが全部悪い。こんなことになったのは、あたしのせい。あたしなんかが、居るから。みんなが嫌な思いをする。ライザーだって。……あたしなんか、生まれてこなきゃよかったんだ」
「…………ッ! そ、それは、違う! そのようなことは、断じて!」
目玉が飛び出んばかりに、瞼を大きく開きながら、ライザーがマリアのもとへ歩み寄る。
だが、彼女は両手を突き出して、拒絶の言葉を放った。
「来ないでッ!」
ポロポロと、涙が零れ落ちる。
「全部、あたしが、いけないの。あたしの、せい。だけど。それでも。あたし……ライザーのことが、許せない」
嗚咽を漏らし、喉を引きつらせながら、マリアは語り続けた。
「好きだった。大好きだった、から……ぜったいに、許せない。みんなのこと、傷付けたライザーが、許せないよ……」
歯を噛みしめ、対面の老爺を睨む。
そして、マリアは叫んだ。
「ライザーなんか、もう……大っ嫌い!」
きっとそれは、致命的な一言だった。
ライザーの心を破壊するには、十分過ぎるほどの一撃だった。
「う、う、あ……! ああ、あああああ、あああああああああああ……!」
頭を抱え、呻き声を漏らす。
凄まじい苦悶だった。それはまさに、魂が軋む音だった。
「ぐ、う、うう……うが、あ……あああああああああああああああああ……!」
そのとき。
奴の総身がフワリと宙に浮かび、上空へと昇っていく。
――危うい。
直感的に危機を悟り、無意識のうちに声を放つ。
「皆さんッ! 一所に集まってくださいッ!」
ぐずるマリアは、きっと動けまい。そのように皆が判断し、一斉に彼女のもとへと駆けた。そうして我々が一塊となった、次の瞬間。
「う、お、あ、あぁああああああああああああああああああああああああッッッ!」
空中にて絶叫を放つライザー。
前後して、その体に異変が起こった。
総身が闇色のオーラに包まれ、そして――
肥大化する。
ぶくぶくと、ぶくぶくと。
黒いシルエットが大きく膨れあがっていく。
それは小山ほどのサイズになるまで成長し、そこでピタリと動きが止まった。
「ど、どうなってるんですか、アード君……!?」
「さて。なんにせよ、我々にとって都合の良いことではないでしょうね」
それを証明するかの如く。
見上げる俺達の前で、漆黒のオーラが霧散した。
そうして現れ出でたのは――異形の巨人。
小さな山ほどもある、圧倒的な巨体。
裸身の戦士を連想させる、彫刻像じみたその体は、全身が灰色に染まっており、随所が熾火のように輝いている。
背面には六本の腕があり、それぞれが剣や槍といった武器を握り締めていた。
肩から伸びる二本の腕は、その両手を胸元で合掌させたまま動かない。
頭部には前後左右に四つの顔があり、それぞれが苦悶、悲哀、落胆、憤怒を表している。
「げひゃひゃひゃひゃ! スッポンポンだ! スッポンポンになってるよ、ライザー君!」
「笑っている場合か……!」
「な、なんだか、ヤバいのだわ!」
「ア、アード君……!」
危機感。
我が胸中にそれが飛来した、次の瞬間。
「《ギガ・ウォール》ッッ!」
迷うことなく、俺は防護魔法を発動した。
この姿で扱うことが出来る、最大級の防御。
《ギガ・ウォール》を我々の頭上にて多重発動し、分厚い層を形作っていく。
そして。
「滅ビヨ、来タレ」
異形の巨人から、底冷えするような声が放たれ――
次の瞬間。
六本の腕が構えた六種の武装から、数えきれぬほどの光線が放たれた。
無差別攻撃。
巨人が繰り出した膨大な熱源は、地上に在る全てを無差別に破壊した。
宮殿が一瞬にして崩壊し、瓦礫さえも消し飛ばされ、都市部もまた荒れ地へと変わっていく。
破壊の渦中にあって、我々は唯一、無事なままだった。
とはいえ、かなりギリギリの状態である。
「まったく、出鱈目な威力ですね……!」
億単位で層を作った最善最硬の防護膜。
しかしそれでさえ、常時修復を施さねば貫かれてしまう。
このふざけた破壊力も十分におそるべきものだが。
「ちょっ! や、山が! 山が消し飛んだのだわ!」
遙か遠方にそびえる山稜が、我々の目の前で消え去ってしまった。
「威力だけでなく、効果範囲まで出鱈目か……!」
「うわぁ~。ちょっと師匠、張り切りすぎじゃないかな」
「こ、このままじゃ、世界が滅びかねないのだわ!」
シルフィーの言葉は、決して大げさなものではない。実際、メフィストが健在であった頃は常に、この世界は滅亡の危機に立たされていたのだ。
そして――
奴の暴挙を止めていたのは、いつだって。
俺と、リディア《勇者》だった。
「……オリヴィア様、ヴェーダ様、シルフィーさん。《魔王外装》をこちらへ」
三人から天鎖、鏡盾、覇剣を受け取り、装備していく。
その最中、俺はマリアの顔を見た。
カタカタと震えながら、涙を流している。
その頬を伝う滴は、恐怖によるものか。あるいは――
己の言葉を、悔やんでのものか。
いずれにせよ、ここが正念場だ。
全てがここで決まる。
勝利し、全てを救うか。はたまた、敗北し全てを失うか。
何もかも、マリア次第だ。
「……これより、私は死地へと向かいます。皆を救い、安寧を取り戻すために」
幼い娘の瞳をジッと見据えながら、俺は一つの問題を提議する。
「私が救う対象の中に、ライザー様を入れるべきか、否か。……マリアさん、貴女はどう思いますか?」
「えっ……?」
赤く腫れた瞼を擦りながら、マリアはこちらを見た。
「私は必ずや邪悪を討ち払い、皆の笑顔を取り戻します。それを前提として、貴女に問いたい。ライザー様は討たれて然るべき、邪悪の一部でしょうか? それとも、救済すべき被害者でしょうか?」
この答えで、全てが決まる。
緊張と共に、俺はマリアを見つめ続けた。
そして。
「……ライザーは、ほんとうに、いけないことをしたんだと、思う」
顔を俯かせ、唇を震わせながらも、マリアは言葉を積み重ねていった。
「それはきっと、許されないことで……許しちゃ、いけないことで…………でも」
「……でも?」
「大嫌いだって、言ったけど……! 言っちゃったけど……! それでも、あたし……ライザーのことを、許したい……! だって、ほんとうは全部、あたしが悪いんだもん……! ライザーのせいじゃ、ないんだもん……!」
ポロポロと涙を零す。
そうしながらマリアは、言葉を紡いだ。
ライザーへの想いを、紡いだ。
「あの人は、ライザーは……! あたしの、勇者様だから……! どんなに、酷いこと、してても……! ライザーを……ライザーのことを……嫌いになんか、なれないよ……!」
次の瞬間。
彼女が放った言葉は。
彼女が出した結論は。
俺達を勝利に導く、決定的な証だった。
「お願い……! みんなと同じように……! ライザーのことも、助けてください……!」
俺は彼女の頭を軽く撫でてから、一言。
「お任せを」
万の思いを込めてその言葉を送り、天上を見た。
依然として破壊の限りを尽くす、異形の巨人。その姿にライザーの苦悶を感じると共に、
「嗤っているのか、メフィスト=ユー=フェゴール」
悪魔の愉悦を、感じ取る。
「……皆様、行って参ります」
俺は浮遊魔法を発動し、宙へと浮かび上がった。
「後は、任せた」
「アタシの分までブッ飛ばしてくるのだわッ!」
「ご武運を……!」
「ちゃちゃっと片付けちゃってよ。いつもみたいに、ね」
背中に仲間達の声を受けて、俺は後押しされるように飛翔した。
防護膜から抜け出ると同時に、無数の光線がこちらへと殺到する。
それをギリギリのタイミングで躱しながら、俺は異形の巨人を睨む。
「……あぁ、やはり。貴様は嗤っているのだな、メフィスト=ユー=フェゴール」
翔る。
天空に浮かぶ巨人へと、迷うことなく。
そんな俺を撃墜すべく、熱源が群れを成して襲ってきた。
その一つ一つに、奴の悪意が籠もっている。
“無駄だよ”
“もう結末は決まってしまったのだから”
“ハッピーエンドになんかならないさ”
“君が何をしたって、ライザー君は救えない”
“何者も、救えはしない”
……いいや。
貴様は間違っている。
まだ、結末は決まっちゃいない。
まだ何も、終わっちゃいない。
それでもなお嗤うというのなら。
「――その愉悦、粉微塵に打ち砕いてやろう」
敵方を鋭く睥睨し、そして。
詠唱を、開始する。
「《《その道に在りしは絶望》》《《それは哀れな男の生き様》》」
切り札の準備を整えながら、俺は奴のことを想った。
ライザー・ベルフェニックスのことを、想った。
「《《その者は独り》》《《背を追う者は居ても》》《《覇道を共に進む者はなし》》」
我が軍の只中にて頭角を現し、遂には四天王の座にまで就いた男。
謁見の間にて初対面したときのことは、よく覚えている。
当たり障りのない、忠義を誓う言葉を口にするあの男の目は、あまりにも冷たくて。
何より――哀しみに満ちていた。
「《《誰にも理解されることはなく》》《《皆、彼のもとから離れていく》》」
当時はその所以が掴めなかったがために、俺はライザーに対し不気味な男というレッテルを貼って、その本質を理解しようとはしなかった。
敵対するようになった後は、なおのこと。
しかし、マリアの記憶を読んだことで、俺はライザーという男を深く理解した。
その哀しみの根源をも、完全に。
そうだからこそ俺は、もはやあの男を敵として見ていない。
「《《唯一の友にも捨てられて》》《《彼は狂気と孤独の海へと沈んでいく》》」
マリアの言う通り、俺とライザーはよく似ている。
虚無より生まれ、孤独と共に時を過ごし、苦痛の末に欲したものを得て――
その全てを、失った。
そこから先は、俺もあの男も同じだ。
去って行った者を想うことしか出来ず。
後ろを向き続けることしか出来ず。
無機質な人形のように生きて、間違いを積み重ねていった。
「《《その死に際に安らぎはなく》》《《悲嘆と絶望を抱いて溺れ死ぬ》》」
あのとき、俺を止められるような者は居なかった。
敗北を願っても。止めてくれと、心から願っても。誰一人、そうしてはくれなかった。
――そうだからこそ、俺がお前を止めるのだ、ライザー・ベルフェニックス。
「《《きっと、それが――》》」
お前の、救済になる。
お前はまだ、戻ることが出来る。
マリアのもとへ。大切な者のもとへ。
ライザー・ベルフェニックス。
お前に、俺と同じ過ちを犯させはしない。俺と同じ結末を、迎えさせはしない。
そのために――
俺は、己の力を解き放った。
「――――孤独なりし王の物語ッッ!」