第九七話 元・《魔王》様と、露見する悪意
メガトリウムに入って早々、我々は強い違和感を覚えた。
「まるで無人都市ですね」
メガトリウムは都市国家であり、人口はそれなりに多い。
そこに加え時刻が昼下がりとなれば、どこも活気に満ちいるはず。
けれども今、大通りを歩む我々の周囲に人気は皆無であった。
「不気味な感じね。まさにもぬけの殻って有様だわ」
「皆、どこかに消えてしまったのでしょうか……?」
「……あるいは」
「どっかに隠れて、襲撃のタイミングを計ってるとか、ね」
オリヴィアの言葉をヴェーダが引き継いだ、そのとき。
彼女の発言が、現実のものとなった。
「ぐぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
周囲の建造物から突然、武装した連中が無数に飛び出てきた。
彼等の瞳は総じて青く煌めき、胸元には同色の刻印が浮かび上がっている。
ライザーの《固有魔法》によって戦闘能力を大幅に強化された、自己意思を持たぬ操り人形達。それが襲ってくること自体は、想定の範疇であったが……
「な、なによ、こいつら……!?」
「子供しか居ませんわ……!」
そう、現れたのは無数の子供達であった。
ライザーは幼子の人権や幸福を何よりも尊重する。ゆえにこうした行いに子供を荷担させるようなことは決してない……はずだった。
この想定外は確実に、メフィストの仕業であろう。
俺は当惑する皆に対し、声を張り上げた。
「例え相手が幼子であろうとも! 我々は彼等を打ち破って前に進まねばなりません! この悪辣を乗り越えた先にしか、我々の望む未来はない!」
そして、やって来る。
無数の子供達が。操り人形に変えられた哀れな子供達が。
一斉に、襲いかかってくる。
「ひっ……!」
マリアの喉から小さな悲鳴が漏れる。
怯えた様子の彼女を庇うように抱きながら、俺は穏やかに語りかけた。
「ご安心を。貴女に危害は加えさせません」
宣言すると同時に、俺は防護魔法を発動。
瞬間、我々を覆う形で半球状の防壁が展開する。
「皆さん、ここは私にお任せを」
ライザーの異能によって操作されたこの子供達は、極めて厄介な強敵である。
桁外れの戦力もさることながら、攻撃を掠めただけで肉体の支配権を奪われてしまう。
そうなったなら我々は同士討ちを始め、最悪、全滅も有り得る。
だが、それならば。
「指一本、触れさせませんよ」
向かい来る子供達に対し、俺は風の魔法で以て対応した。
暴風が渦を巻き、絶大な物量を吹き飛ばしていく。
「流石アード君ですわ! この物量をものともしないばかりか――」
「吹っ飛ばしながらも、相手が怪我をしないよう気を遣うとか。やっぱ君は器用だねぇ」
そう。相手は敵でありながらも、哀れな被害者だ。
俺は吹き飛んだ子供達が地面に衝突する直前、怪我をしないよう浮遊の魔法を掛けて、ダメージを消し去っていた。
これは相手方への配慮であり……同時に、マリアへの配慮でもあったのだが。
「なんで、こんな……」
やはり、どうやっても当惑は免れなかったか。
きっと彼女は説明を求めているに違いない。けれどもそうしたところで、今は信じないだろう。付け加えるなら……そもそも、悠長に説明出来るほどの余裕がない。
「ふむ。やはりなかなか、ままならぬものですね」
秒を刻む毎に、襲い来る子供達の数は増していく。
この圧倒的な物量に対し、一切の手傷を負わせることなく対応するのは難しい。
このまま進行したなら、いずれ小さなミスが生まれ、哀れな被害者達に無用なダメージを与えてしまうだろう。
それを予期したか、オリヴィアが言葉を投げてきた。
「ルートを変更すべきではないか?」
俺は一つ頷いて、
「これより、新たな道筋を拓きます。皆さん、足下にご注意を」
発言と同時に、足下へ魔法を発動。
途端、石畳が崩壊し、巨大な縦穴が形成される。
そして落下――――する直前のことだった。
「えっ」
マリアの口から声が漏れると同時に、我々は地下へと落ちていった。
落下時の独特な感覚を味わいつつ、敵方の追跡を防ぐため、すぐさま穴を塞ぐ。
それから着地の衝撃を和らげるため、皆に浮遊の魔法を掛けた。
降下中は特に何事もなく――――我々は無事、下水道へと到着。
その後すぐ、俺はマリアへと声をかけた。
「……何を、見たのですか?」
青白くなった彼女の顔には、強い困惑が宿っている。
しばらく黙した後、マリアは返答を寄越した。
「皆が、居た……どうして……あんな、怖い顔……」
皆とはおそらく、彼女の友人達であろう。
……ライザーはかつて、マリアと共に愛した子供達にさえ、襲撃を強いたのか。
「なんで、こんなことになってるの……? 皆、どうしちゃったの……?」
わけがわからない。
まるで悪夢でも見ているような状況だ。
そんな想いが、彼女の瞳に宿っていた。
「……ねぇ、皆。皆は知ってるん、でしょ? どうして、こんなことになってるのか」
求められた説明に対し、我々には受け答える義務がある。
ついさっきまでは、そうする余裕がなかった。しかし今は違う。
例え信じられない内容だったとしても、説明責任は果たすべきか。
「……全ては、ライザー様の手によるものです」
「えっ」
目を大きく見開いたマリアへ、俺は語り続けた。
「信じがたいでしょうが、事実です。街の惨状は全て、彼が望んで行ったこと。そこに疑いの余地はありません」
メフィストに操られての結果、ではない。これはライザーの意思によるものだ。
あの悪魔は無理矢理に人を動かすようなことは決してない。本物の情動による悲喜劇にしか愉悦を感じることが出来ないと、かつて奴自身が語っていたのを覚えている。
だからライザーは、自ら望んで、子供達を尖兵へと仕立て上げたのだ。
過去、マリアと共に愛した孤児院の子供達さえも、例外ではなかった。
結局のところライザーは、マリア以外、どうなってもいいと考えているのだろう。
しかし……やはり当人には信じられない内容だったらしく。
「嘘だ……! そんなの、ありえないよ……!」
マリアからしてみれば、ライザーは御伽噺の《勇者》にも等しき、清廉な存在であろう。
それが街の惨状を創ったと言われても、信じるはずもない。
……そうだからこそ、この娘はこれから、激しい苦痛を味わうことになる。
その未来に憂いを覚えたがために、俺は自然と、口を開いていた。
「……本来なら、貴女のような幼い子供に重荷を背負わせるなど、あってはならぬこと。しかしどうしても、我々には貴女の存在が必要なのです。貴女は事の次第を見届け、そして……もっとも重大な決断を下さねばならない」
それが我々にとって、望むべきものとなるか、否か。
その分岐点となりうる出来事が、早速やってきた。
「た、助けてくれぇっ!」
薄暗い下水道に声が響く。
少しして、前方の曲がり角より声の主が現れた。
「ひっ、ひっ、ひっ……!」
大人の男性である。
ボロボロの麻布で出来た衣服を纏っており、さながら浮浪者といった様相だ。
そんな彼がこちらへと走り寄って来る。
その顔には強い恐怖が刻まれており、足取りはまるで怪物から逃れるような調子だった。
「……いや。まるで、ではなく、どうやら事実だったようですね」
少し遅れた形で、それが曲がり角からやって来る。
巨大なナメクジ型の魔物だ。
壁に張り付き、這うように進む。
その進行速度は、鈍重そうな外見からは想像も付かぬほど速い。
「ひぃいいいいいいいっ!」
男性からすると、到底敵わぬ怪物なのだろう。
しかし我々からしてみれば雑魚も同然であった。
「《フレア》」
男性を避ける形で、俺は火球を放った。
灼熱の一撃は見事直撃し、巨大なナメクジを焼き尽くす。
「お、おぉっ!?」
背後を向き、魔物の死を確認した途端、男性が驚きの声を上げた。
そんな彼へ近づきながら、俺は問い尋ねる。
「なぜ、貴方は下水におられるのですか?」
「……は?」
何を言ってるんだ。男性はそんな顔をしながらこちらを見た。
「なぜ、って。大人になってしまったからに、決まってるだろう。君達も――」
喋る最中、彼はマリアの姿を目にして、片眉を上げた。
「どうして、子供がここに……?」
「……事情をお聞かせ願いたい」
そして、男性の口から語られた内容は、まさに。
ライザーが抱えた狂気と悪意、そのものだった。
「国民は皆、一定の年齢を過ぎたら例外なく地下送りになる。そして……死ぬまで、この魔物だらけの地獄で過ごさなきゃならない」
「だ、誰がそんな、酷いことを……」
マリアの問いに、彼は苛立たしげに眉根を寄せて、鋭い視線を向けた。
羨望や嫉妬、そして嫌悪感。到底、子供に向ける目つきではない。
そんな態度に怯えた様子で、俺の後ろに隠れるマリア。
男は舌打ちを一つ零してから、返答を寄越してきた。
「国王だよ。全部、あいつが決めたことだ」
この答えに、マリアが凍り付いた。
「え……ラ、ライザー、が……?」
「あぁ、そうだよ」
短い言葉には、限りない憎悪が宿っていた。
その強烈な情念が、否応なしに理解を促してくる。
男が放つ負の感情は、ライザーの非道を確実に証明するものだった。
それでもなお。
マリアは、信じたくなかったのだろう。
「ライザーが、そんな……! そんなこと、するわけ、ない……!」
これに男は再び舌打ちを漏らし、
「……とにかく、助けてくれてありがとう」
礼を述べてからすぐ、彼はこの場から離れていった。
最後の最後まで、マリアに負の感情を向けながら。
その背中を見つめながら、オリヴィアがポツリと一言。
「……子供は地上にて安楽に暮らし、大人は地下にて苦痛と恐怖に塗れて死ぬ宿命、か」
「まぁ、彼らしいっちゃらしいよねぇ」
ライザーにとって大人というのは、悪意の塊のような存在なのだろう。
そんな連中が、かつてあの男から大切なものを奪ったのだ。
だからライザーは、大人を憎む。彼等の人権など微塵も考慮せず、徹底して残酷になる。
そしてそれは、ライザーがマリアに決して見せなかった、己の汚濁そのものだったのだろう。
「ライザー……どうして……」
信じがたい現実を前にしたように、呆然とするマリア。
実際のところ、彼女は半信半疑だったのだろう。
マリアにとってのライザーは、まさに救世主そのものだ。おとぎ話の《勇者》みたく、至上の聖人であると、彼女はライザーのことをそのように定義していた。
それが今、崩れ去ろうとしている。
「嘘だよ、そんなの……」
信じたくないから、耳と目を塞ぐ。
けれども現実は彼女の小さな手をすり抜けて、苦痛を与えてくる。
……下水道を行く最中、俺達は幾人もの大人達を救った。
彼等は総じて、涙を流しながら俺達に感謝し、そして……
「ここから出られたなら、国王を殺してやる……!」
皆、誰もが。
「国王は姉の敵だ……! 絶対に許せない……!」
ライザーへの憎悪を、口にした。
「………………」
マリアは無言のまま歩き続けている。
その表情は無機質で、内面の情を読み取ることが出来ない。
「ねぇ、マリア。大丈夫?」
シルフィーの言葉にも、無反応であった。
我々は会話を交わすことなく、黙々と地下を進み、そして。
「この梯子を登れば宮殿に出ます」
目的地へと、到着した。
梯子を登った先は物置となっていて、その一室を抜けると、広い通路に出た。
「……ここも静かですね」
探知の魔法を発動する。
生体反応はただ一つ。おそらくはライザーであろう。
「宮殿内に、彼以外の存在は確認出来ません。とはいえ」
「警戒はすべきだな。反応が出ぬよう、偽装している可能性もある」
オリヴィアの言葉に皆が頷いた。
「一階の東側通路。そこにおそらく、ライザー様がおられるかと」
我々は周囲を警戒しつつ、ゆっくりとした歩調で進んでいく。
その道中は実に静かで……
それと同時に、凄惨なものだった。
「っ!?」
それを見た瞬間、シルフィーが眉根を寄せた。
いや、彼女だけではない。俺やマリアも含めて、全員が不快感を露わにする。
「子供の死体……!?」
冷や汗を流すジニー。その目には奇妙な死に様を晒す、子供達の亡骸があった。
文官の格好をしている彼等は、総じて石のように硬直しており、その顔はまるで魂を抜かれたような有様であった。
「まだ、幼いというのに……! なんと惨いことを……!」
オリヴィアの声音には激しい憤怒が宿っていた。
そうした義憤は俺、シルフィー、ジニーもまた強く感じるものではあるが……
マリアは今、何を思っているのだろう。
顔を青くして、わなわなと震えている、この幼い娘は、いかなる情を抱いているのか。
……最悪の事態にならぬよう祈りを捧げることしか、俺には出来ない。
我々は静かな足取りを維持しながら、ライザーとおぼしき生体反応へと近づいていった。
距離が接近するごとに、幼児の遺体がその数を増していく。
そして――
「う、うあぁああああああああああああッ!」
幼い少年の悲鳴が、耳朶を叩く。
広い広い、通路の中心で。
老いた男が、立っていた。
その両手は、幼子の頭を挟み込んでいて――
「違う。これも、違う」
そのとき。
少年の口から、純白に輝くオーラが放たれ、ライザーの体へと吸い込まれていく。
その後、少年はこれまで見た死体と同じ状態となり……壁際へと、投げ捨てられた。
「ライ、ザー……?」
マリアの声が、通路に響いた瞬間。
「おぉっ!?」
強い反応を示しながら、こちらを振り向く。
果たして、その男は。
――おぞましい姿へと変わり果てた、ライザー・ベルフェニックスであった。