第九六話 元・《魔王》様、敵地へ向かう
「ここ……どこ……?」
《魔王外装》を獲得してからすぐ、唐突に出現した謎の幼女。
当惑した様子の相手方と同様、こちら側もまた困惑を極めていた。
「メフィストが送ってきた刺客、かしら……?」
「……敵意はまるで感じられんが」
オリヴィアの言葉に頷きながら、俺は目前の幼女を注視する。
……普通だ。あまりにも、普通であった。
肩まで伸びた栗色の髪。そばかす。愛らしい顔立ち。
どこにでも居そうな、普通の子供。そんな印象の彼女だが……
「身に纏う衣服は、おそらく高級な絹で作られたもの。容姿と衣服のアンバランスさが、どうにも気になりますね」
まるで、そう……底辺層に位置する子供を、過度に着飾らせたような印象を受ける。
重要なのは、着飾らせた者が誰か、という点だが。
「もし。そこの小さなお嬢さん(リトル・レディ)。貴女のお名前をお聞かせ願えますか?」
安心感を与えるような口調と表情を意識したつもりだが、やはりそれでも相手方は警戒心を強めたままだった。とはいえ、こちらの問いには応じる気があったようで、
「マ、マリア」
「良い名だ。ではマリアさん。貴女はなぜこちらへ?」
「わ、わかんない」
この回答と、幼い顔に宿る不安からして、自己意思による移動ではなさそうだ。
即ち、何者かに無理矢理転移させられたということになる。
その下手人はメフィスト=ユー=フェゴールで間違いなかろう。
「やっぱ刺客?」
「……奴に縁ある者とは思い難い。しかし、だからこそ逆に、それらしい感はあるな」
ふむ。このままでは時間だけが過ぎるばかり、か。
であれば、少々リスクは伴うものの、思い切った行動に出るほかあるまい。
「いつまでも睨めっこをしてはいられません。ここは一つ、短時間かつ確実な方法で、相手の正体を教えていただきましょう」
「……霊体に刻まれた記憶を読み解くつもりか?」
「危険だわ。罠だったらどうするの? 下手をしたら心が壊れるわよ」
「可能性はゼロ、とは言い切れませんが、現段階においてあの男がそうした行動を取るとは思えません。おそらく問題はないかと」
メフィストは支離滅裂な人格破綻者ではあるが、しでかすことには規則性や一貫性がある。それを崩すような突発的展開を創るようなことはしない。
よってここで、こちらに対する攻撃に似た行いをするとは思いがたい。
あのマリアという子供には、此度の一件における重大な意味があるのだ。
その内容次第では……悲劇を防ぐためのキーマンとなりうる。
「マリアさん。不躾ではありますが、貴女の全てを教えていただきたい」
ゆっくりと歩み寄っていく。
安心させるための所作を心がけてはいるが、やはり警戒心は強いままだった。
けれどもこちらの意思が少しは伝わっているのか、逃げるようなことはしなかった。
「では、失礼をば」
マリアのすぐ前まで移動し、それから彼女の頭に右手をかざす。
そうして読霊の魔法を発動。その瞬間彼女の霊体に刻まれた情報が頭に流れ込んでくる。
死。別離。不安。恐怖。
孤児院。仲間。家族。院内の大人。
ライザー・ベルフェニックス。
希望。安堵。羨望。憧憬。幸福。――愛情。
ライザー・ベルフェニックス。
死。苦痛。恐怖。別離。
ライザー・ベルフェニックス。
再会。安堵。愛情。
ライザー・ベルフェニックス。
困惑。当惑。不安。不明瞭。愛情。
ライザー・ベルフェニックス。
ライザー・ベルフェニックス。
ライザー・ベルフェニックス。
「…………なるほど、そういうことか」
俺は全てを理解した。マリアの正体。メフィストの目論見。そして――
ライザーという男の真実。
それらを十全に把握した結果、俺は自らが進むべき道を見出した。
「マリアさん。我々に貴女を保護させてください。必ずや、ライザー様のもとまでお送りさせていただきます」
「えっ。ほ、本当……?」
「えぇ、お約束いたします」
この言葉に安堵したか、マリアはこちらへの警戒心を解いたようだ。
「私はアード・メテオール。あちらのお二人は、それぞれオリヴィア・ヴェル・ヴァイン、シルフィー・メルヘヴン。……後ほど、別の仲間もご紹介させていただきます」
転移魔法を発動し、皆と共にヴェーダとジニーのもとへ帰還する。
それからすぐジニーの治療を行い、容態の回復を見届けた後、皆の魔力を奪還。
《魔王外装》の一つ、《万理解変の鏡盾》の効果により、失われた魔力が元に戻った。
「これにて準備は万端。後はメガトリウムへ向かうのみ……ですが」
メフィストの仕業であろう。メガトリムを中心として、極めて広い範囲に妨害術式が展開されている。そのせいで転移魔法が使用出来ず、我々は徒歩で向かうことになった。
けっこうな距離を、皆と共に歩む。
妨害されていたのは転移魔法だけではなかった。旅路を快適にするであろう魔法がことごとく使用不可となっており、食料や寝床の確保など、全てを手作業で行わねばならない。
不便を強いられた我々は持ち得る生存術の全てを駆使して、どうにか自然環境と折り合いをつけつつ、進んでいった。
そして現在。平野の只中にて、闇色の空の下、我々は焚き火を囲んで過ごしていた。
煌々と輝く炎が夜闇を明るく照らす。
「みんな~! シチューできたよ~!」
マリアの明るい声に、皆の顔が綻んだ。
「待ちわびたのだわっ!」
「右に同じく」
「……うむ」
限られた食材で作られているにも関わらず、マリアのシチューは絶品であった。
孤児院で過ごした経験が役立っているのだろう。粗末なもので美味な品を作るための工夫を、マリアは知り尽くしている。
「あ~~、染みるのだわぁ~~」
「本当に、不思議ですわね。有り合わせの食材でこれほど美味しいものが出来るだなんて」
「……わたしの分の肉は貴様が食べるといい。気にするな。子供は食うのが仕事だ」
胃を掴んだことで、皆とマリアの距離が一気に近くなった。
そんな彼女等のやり取りを、少し離れた場所で見守りながら、俺とヴェーダは言葉を交わしていた。
「いやぁ、ビックリするぐらい早く打ち解けたねぇ、マリアちゃん」
「えぇ。特にあのお三方は面倒見が良く、子供を好いておられますから。短時間で心を開いてもおかしくはありません」
「そうだねぇ。……今のところ、全て師匠の思惑通りってところかな」
やれやれと肩を竦めて見せるヴェーダに、俺は首肯を返した。
メフィストが妨害術式を用いて我々に不便を強いた理由。それはおそらく、マリアとの距離を詰めさせるためだろう。共同生活を経て、彼女と良好な関係を築かせ、そして……そのうえで、悲劇を味わわせるつもりだ。
「……相も変わらず、悪趣味な」
「まぁ、師匠らしいっちゃらしいけどね」
ヴェーダの顔に、特別な嫌悪感などは浮かんでいなかった。
むしろどこか、穏やかに過去を懐かしむような表情で。
そんなヴェーダに、俺は一つ問い尋ねた。
「袂を分かってなお、未だに残っているのですか? あの男への好意が」
「そうだね。厄介なもんさ、愛情ってやつは」
肩を竦めながら、ヴェーダは語り続けた。
「あんなのでも、ワタシにとっちゃ育ての親だからね。本当は君達みたく嫌悪しなきゃいけない相手なんだろうけど……難しいんだなぁ、これが」
「相手がいかなる外道であろうとも、いかに失望しようとも、その情は残り続ける、と?」
首肯するヴェーダに、俺もまた頷きを返した後。
視線をマリアへと向けながら、俺は口を開いた。
「一度それを胸に抱いたなら、もはや永遠に消えることはない。愛とはそういった、呪いにも等しきもの。しかし、そうだからこそ――」
「その想いは、悪魔の呪縛さえも撥ね除けるだろう、と、君はそう考えているわけだ」
「えぇ。さもなくば、我々は敗れるでしょう。メフィスト=ユー=フェゴールは今回の一件に対し、愛をテーマに据えると口にしておりました。愛という概念の真髄が、奴の思惑通りのものであったなら、我々に勝ち目はありません。しかし――」
皆と共に笑うマリアの顔を見つめながら、俺は断言する。
「私は信じますよ。彼女の愛が、悪魔の想定を上回ることを」
「ワタシも信じてるよ。この騒動が、ハッピーエンドで終わることをね」
俺達は頷き合いながら、互いにシチューを啜るのだった。
そして夜は更け――
皆、地べたへ転がり、眠りに就く。
満腹感や疲労なども相まって、皆、すぐに意識を手放していった。
俺は焚き火の前で寝ずの番をしながら、そうした様子を見守っていたのだが。
「……どうされましたか、マリアさん」
起き上がった彼女に、問い尋ねる。
マリアは夜空を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「不安なの。ライザーのところへ、帰るのが」
心細げな彼女に、俺は自らの横をポンと叩いて見せた。
するとマリアは愛らしい歩調でこちらに近づいて来て、俺の横へと座り込んだ。
「白湯ですが、お飲みになられますか?」
「うん、ありがと」
木製のコップに口を付けるマリア。そうしてから彼女はポツポツと語り出した。
「……なんだか、似てるな」
「似てる?」
「うん。アードさんって、なんだかライザーに似てる」
「……ほう」
「傍に居てくれるだけで、なんだか心がポカポカして……しあわせな気持ちになるの。こんなふうになったの、ライザー以外だと、アードさんが初めて」
「……似ていますか。私と、ライザー様は」
「うん」
彼女の考えを、否定するつもりはない。
彼女の記憶を読み、ライザーの人となりを理解した今だからこそ、そのように思う。
実際、マリアの言う通りだ。俺と奴には似通ったものがある。
特に……人間性の本質は、全く同じと言ってもよい。俺もライザーも、本質的には自己中心的な男なのだ。そこに気付いていないから、間違いを犯し続けてしまう。
俺は過去の苦い経験を経て、そうした己の本質を理解した。
それ以降、俺は常に己の行動を客観視するようになったのだが……
一方で、ライザーはまだ己の本質を把握出来ていない。
それゆえに、今もなお、進むべき道を間違えている。
奴が真に己を理解し、正しき方向へ進むには……この娘、マリアの力が必須となろう。
俺は彼女の顔を真っ直ぐに見つめながら、口を開いた。
「マリアさん。貴女の不安は、相互理解の不足によるものでしょう」
「そうご、りかい?」
「はい。ライザー様には、貴女がまだ知らぬ一面があります。そして……ライザー様もまた、貴女のことを十全に理解しているとは言い難い。そうだからこそ齟齬が生まれ、不安を生んでいるのです。しかしながら……今回の一件で、それも解決するでしょう」
幼い彼女には難解であったか、よくわからないといった顔をしている。
「……とにかく、彼のもとへ参りましょう。そうしたなら否が応でも解決します。貴女達が抱える心の問題が、全て」
「うん。そうなると、いいな」
期待感を抱いた様子で、小さく頷くマリア。
彼女の脳裏には今、うっすらとだが確実に、幸福な未来が思い描かれているのだろう。なんとかそれを、現実のものにしてやりたいと思う。
悪魔の思惑を叩き潰し、この哀れな娘と、かつての配下を、救ってやりたい。
いや。
必ず、救うのだ。
もう二度と悲劇を起こさせはしない。
そのために――
俺は仲間達と共に、メガトリウムの土を踏む。
目前に在る巨大な門は、まるで我々を迎え入れるかの如く、堂々と開かれていた。
「これより先、いかな事態が待ち受けていたとしても……皆さん、決して取り乱さぬように。前回はそれでやられました。同じ轍は二度と踏んではなりません」
研究施設にて、不意を突かれた我々は、奴に惨敗を喫した。
だが今は。
心身共に充実した今ならば。
あのメフィスト=ユー=フェゴールを相手に、十分な勝負が出来るだろう。
我が身に装備された三種の《魔王外装》も駆使すれば、勝利することだって不可能ではない。
「さぁ、では……参りましょうか」
皆一様に、緊張の面持ちで歩を進めていく。
その一方で、マリアは事情を知らぬため、我々の緊張が理解出来ずにいるようだ。
困惑した様子で付き歩く彼女の頭を、俺はそっと撫でながら、
「必ずや、貴女達の笑顔を取り戻してみせます。どうか今は我々のことを信じてください」
「……うん」
わけもわからぬまま頷くマリアの姿は、まさにか弱い幼児のそれ。
こんな年端もいかぬ少女の肩に、あの悪魔は過酷な運命を背負わせたのだ。
極上の悲劇が見たいという、あまりにもふざけた理由で。
その報いはきっちりと受けてもらう。
今回も敗北するのは貴様だ。メフィスト=ユー=フェゴール。
強い決意を胸に抱きながら。
俺は皆と共に、悪魔が用意した悲劇の舞台へと、足を踏み入れたのだった――