第九四話 《激動の勇者》、愛ゆえに斬る
――狭い。
この広々とした石造りの空間が、実に狭く感じられる。
それほどに、敵方の総身から放たれる圧力は度外れたものだった。
だがそれでも、怯むわけにはいかない。
猪突猛進。
常に前へ。
前へ前へ前へ。
それこそが、シルフィー・メルヘヴンの闘争である。
《激動の勇者》に後退の二文字は、ない。
「だぁりゃああああああああああああああああああああッッ!」
ヴェーダ手製の魔剣を大上段に振りかぶり、突撃する。
防御を完全に捨てた攻撃偏重の姿勢。それは荒々しくも洗練された闘法であった。
「だわぁッ!」
肉薄し、そして、振り下ろす。
並の兵であれば彼女の気迫に圧され、身じろぎ一つ叶わず、両断されて終いとなろう。
だが此度の相手は尋常の手合いではない。
片手である。
平然と、悠々と、シルフィーの迫力に満ちた一撃を、片手に握る剣一本で止めて見せた。
刹那、シルフィーは瞬時に身を屈め――
その直後、擦過する。
今し方、彼女の頭があった場所を、敵の刃が通過した。
まさに神速の突き。見て躱すといったことは誰にも叶わぬ、見事な一撃だった。
それを易々と回避してみせたシルフィーの戦闘センスは、まさに規格外と呼ぶべきもの。
「ぬぁりゃあッ!」
屈んだ状態から身を起こし、その勢いを白刃に乗せて、横薙ぎ一閃。
突き終えた体勢では、刀身による防御は不可能。
ゆえに敵方は咄嗟に地面を蹴って、後方へと跳躍し、迫る斬撃を空転させた。
(……遠いけれど、でも、近い)
彼我の間合いを、シルフィーはそのように捉えた。
端から見れば結構な距離を離しているように感じられるだろう。だが実際のところ、これしきの間合いであれば、一踏み、一呼吸にて十分詰められる。
即ち、気を抜く暇が微塵もないということだ。
(一対一の勝負だっていうのに、まるで戦場に立ってるような気分だわ)
この、ヒリヒリとした緊張感。
この、メラメラと燃え立つ昂揚感。
新兵ならば嘔吐しかねない極限の状態が、むしろシルフィーには心地よく、そして――
妙に懐かしい。
きっとそれは、彼女が有する絶対的なセンスによるものであろう。
物心付いた頃より、磨かざるを得なかった野生の勘が、シルフィーに敵方の正体を教えているのだ。
次の瞬間、彼女は無意識のうちに、ある人物の名を呟いていた。
「……リディー姐さん?」
口にしてすぐ、ハッとなり、そして頭を振った。
馬鹿馬鹿しい。
ありえない。
そのようなこと、あってたまるか。
あの人は死んだのだ。もう何千年も前に、自分を置いて、死んだのだ。
だからもう二度と、あの人には会えない。
――そう、思っていたのに。
「あ~あ。バレちまったか」
涼風を思わせるような美声が、敵の口から放たれた、次の瞬間。
相手がフードを脱ぎ、その素顔を晒してきた。
それは。その顔は。
間違いない。
薄暗闇を明るく照らす、キラキラとした白銀の髪。大人びた美貌。しなやかな肢体。
その全てが、彼女を彼女たらしめている。
そう、目の前に立つ彼女は。あの美しいエルフは。
「姐……さん……!?」
リディア・ビギンズゲート。
《勇者》の称号を有する者達の頂点であり、原点。
師であり、母であり、姉である彼女が、そこに在った。
「嘘……ありえないのだわ……こんな……」
大きく目を見開き、呆然と口を開きながら、シルフィーは前方へと歩み寄った。
一歩一歩、相手へ近づくたびに、その存在感が強くなる。
彼女の全身には、並々ならぬ生命力が漲っていた。
彼女の瞳には、煌々とした活力が宿っていた。
彼女の立ち姿には、威風堂々とした迫力があった。
頭の天辺から爪先に至るまで、彼女はリディアそのものだった。
在りし日に見た、敬愛する指導者の姿、そのものだった。
「姐さん……! リディー姐さん……!」
理屈じゃない。魂が彼女のことを本物だと認めている。
「シルフィー」
こちらの名を呼ぶ、その穏やかな音色。唇に浮かぶ、慈母の如き微笑。
あぁ、リディアだ。
浮浪者だった自分を導いてくれた人。心から敬愛する戦士。唯一無二の家族。
どれだけ焦がれたか。
どれだけ逢いたいと願ったか。
万感の思いがこみ上げ、瞳が涙で濡れる。
「姐さんっ……!」
気付けば、駆けていた。まるで生き別れた母と再会した、子供のように。
リディアの胸へ飛び込まんと、地面を蹴って――
「やっぱお前は、てんでダメだな」
無意識のうちに、シルフィーは後ろへ跳んだ。
その刹那――白刃が閃く
すぐ目前を、刃が通過する。
ほんの一瞬でも跳ぶのが遅れていたなら、シルフィーは命を刈り取られていただろう。
眼前に立つ、リディアの手によって。
「ね、姐さん……!?」
何が起きたのか、理解出来ない。
唖然としながら、対面に立つ姉貴分を見つめるシルフィー。
そんな様子にリディアはため息を吐いた。まるで、落胆したかのように。
「ちょっと見ねぇ間にデカくなったと、そう思ったんだけどな。どうやらオレの勘違いだったみてぇだ。その乳みたく薄っぺらいガキのまんまだよ、お前は」
右手で前髪を掻き上げながら、リディアは再び嘆息する。
その冷め切った目に、シルフィーは困惑することしか出来なかった。
「ど、どうして……?」
目前の状況に戸惑い、瞳を揺らす。
そうした姿にますます失望を覚えたか、リディアはガシガシと己の頭を掻いて、
「すっとぼけてんじゃねぇよ馬鹿野郎。てめぇが今、どういう状況に立たされてんのか思い出せ。ここは敵地で、相手はあの糞野郎だ。それだけで十分わかるだろうが」
人は、あまりにも受け入れがたい現実を前にしたとき、逃げ出さずにはいられない。
それは屈強な精神を有するシルフィーでさえ、例外ではなかった。
だから、頭の中から消えていたのだ。
現状がいかなるものか。本当は理解しているはずなのに。
しかしそうだからこそ、シルフィーは逃げた。目前の現実から、逃げた。
そんな彼女の弱さを睨みながら、リディアは容赦なく断言する。
「敵なんだよ、オレは」
彼女の顔に、もはや慈母のような穏やかさはどこにもない。
敵方の命を狙う、苛烈な戦士の形相だった。
「は、はは。何を、言ってるのだわ、姐さん。またそんな、タチの悪い冗談を。ちょっと、おふざけが過ぎる――」
「構えろ、死ぬぞ」
あまりにも冷然とした声が耳に入った、その瞬間。
すぐ目前に、リディアの姿があった。
――そして、斬撃。
こちらの右肩を狙って繰り出された袈裟懸け一閃。
シルフィーはそれを、紙一重のタイミングで回避した。
地面を蹴って、後方へ跳躍。
猪突猛進を信条とする彼女が、ここで初めて、後ろに退いた。
「なん、で……!?」
はらりと一房、シルフィーの紅い髪が落ちる。
跳ぶのが遅れていたら、肩から脇腹に至るまで、真っ二つにされていた。
その剣には迷いも、躊躇いも、一切なくて。
だから否応なく、シルフィーは理解した。
リディアは今、本気で、こちらを殺すつもりなのだと。
「何を、するのよ、姐さん……! お、怒ってるの……!? で、でも、だからって……ここまで、しなくても……!」
リディアは長剣を肩に担いで、三度ため息を漏らした。
「いい加減にしろよシルフィー。お前が認めようが認めまいが、状況は変わらねぇ」
そしてリディアは躊躇うことなく、残酷な現実を突きつけた。
出来の悪い娘に理解を促すかのように、ゆっくりと。
「あの糞野郎が、お涙頂戴の感動劇なんざ創るわきゃねぇだろうが。オレを復元して、お前と引き合わせたのは……シルフィー、お前が苦しむ姿を見るためだよ」
淡々と用意された原稿を読み上げるかのように、リディアは無機質な調子で語り続けた。
「今、オレの肉体は別の誰かに支配されてる。自由はほとんど利かねぇ。こうやって、お前と駄弁るのがせいぜいってとこだな」
「ね、姐さんなら、そんな――」
「いいや無理だ。諦めろ。一回経験してっからわかんだよ。こうなったらもう、抗ったところで無駄だってな。肉体の主導権はどうやっても取り戻せねぇ。オレかお前、どっちかが死ぬまで戦うしかねぇんだよ。……あのときみてぇに、な」
リディアは今、己が末期を思い出しているのだろう。
彼女の死に様は、オリヴィアから伝え聞いた。
曰く、リディアは単身メフィストのもとへ乗り込み……敗北。
体も心も支配され、暴虐の限りを尽くし、そして。
親友の手によって、討伐された。
……メフィストは、あの悪魔は、それを再現しようとしているのだ。
親友同士の悲劇ではなく、親子の悲劇として。
リディアの末期を、再現しようとしている。
「い、嫌……! そんなの、嫌よ……! 姐さん……!」
大粒の涙が零れ落ちる。
もはやシルフィーは、戦士としてここに立つことが出来なかった。
苛烈な運命に心挫けた、か弱き乙女。
今のシルフィーは、そのようにしか振る舞えなかった。
「……はぁ。やっぱお前って奴ぁ、オレが居ねぇとお話になんねぇんだな。そんなだから、今際の際に思い出しちまったんだよ、お前のことを」
冷たい氷のようだったリディアの顔が、そのとき、温かさを取り戻した。
我が子を見つめる母のように柔らかく笑いながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「あそこで終わることに、文句はなかった。オレには相応しい結末だと思ったよ。けど……現世に未練がなかったかと言えば、嘘になる。出来の悪ぃ放蕩娘が、どっか行って帰ってこなくなっちまったからな」
ジトッとした目を向けられ、シルフィーは「うっ」と声を漏らした。
リディアの立ち振る舞いに穏やかさが戻ったからか、シルフィーの心持ちに余裕が生まれる。だから彼女は、普段と同じように、姉貴分へ言葉を返した。
今、自分達が置かれた状況を忘れて。
「そ、それは……心配を、かけちゃったのだわ……ごめんなさい……」
「あぁそうだな。もっと謝りやがれ馬鹿野郎。どんだけ心配したと思ってやがる」
叶うなら、娘の頭をくしゃくしゃに撫でてやりたいと、そう思っているのだろう。
リディアは右手を胸元まで上げて……諦めたように、下ろした。
そうして、そのまま、母親のように微笑みながら、語り続ける。
「お前がな、立派になった姿を見たかったよ、シルフィー。それが、それだけが、唯一の未練だった。だから――」
瞼を閉じて、一息。
そうしてから、再びシルフィーへ向けられた眼差しは。
情け容赦のない、戦士のそれだった。
「今回はただ操られるだけじゃねぇ。シルフィー、オレはお前を殺す。自分の意志でだ」
来る。
絶大な戦闘意志を伴って。
全力の《勇者》が、迷いなくやって来る。
「ひっ……!」
喉を痙攣させて、シルフィーは再び後退した。
「退がってんじゃねぇッ! てめぇは《激動の勇者》だろうがッ!」
肉薄する。リディアの剣が目前まで迫る。
避けるのが精一杯だった。全身が恐怖に震えて、上手く動かせない。
「う、ぐぅ……!」
リディアが振るう斬撃は、総じて必殺のそれ。
迷いなく、淀みなく、躊躇いなく、自らの意志でシルフィーを斬ろうとしている。
その現実が、彼女を徹底的に追い詰めていた。
「どうして……! 姐さん……!」
なぜ、こんなことをするのか。
メフィストの呪縛に抗うのではなく、それを受け入れるだなんて。
妹分を、殺すだなんて。
「嘘よ、こんなの……! 嘘に、決まってるのだわ……!」
目前の現実が、悪い夢か何かであってほしいと、心から願う。
けれど……リディアの気迫が、存在感が、殺意が、それを完全に否定する。
ずっと彼女のことを隣で見てきたシルフィーだからこそ、わかる。わかってしまう。
何もかもが真実であると。
だからこそ、シルフィーは逃げることしか出来なかった。
「何やってんだ馬鹿野郎ッッ! 敵を前にして逃げる奴があるかよッ!」
立ち向かえ。
そう促すリディアだが、しかし、シルフィーは依然として及び腰のまま、逃げ惑うのみ。
そんな彼女に、堪忍袋の緒が切れたのか。
シルフィーを追いすがっていたリディアが立ち止まり、顔を歪めながら怒声を放った。
「こんなんじゃあ、拾った頃の方がずっとマシだったぜッ! あの頃のてめぇは弱っちかったが、オレに刃向かい続けた分、今よりゃ遙かにマシだッッ!」
逃げ惑うシルフィーの脳裏に、過去がフラッシュバックする。
シルフィー・メルヘヴン。
彼女は戦災孤児だった。
両親と故郷を戦で失ったのは、いずれも物心が付く前。シルフィーは一般的な幼児が受ける親の愛や、同胞との友情を知ることなく、残酷な世界へと一人放り出されたのである。
(最初はただ、泣き喚いてた)
(それしか出来なかった)
(でも、お腹が空いて)
(泣いてるだけじゃ、生きていけないって、そう思った)
シルフィー・メルヘヴン、当時、三才。
生き延びるためなら、なんだってした。
窃盗、恐喝、放火、殺人、詐欺、毀損……
最初はただ、生存本能に従っての行動だった。
だが時を経るにつれて、彼女の中に明確な、生存に対する意思が宿った。
憎悪である。
浮浪児となって数年、シルフィーが学んだことは総じて、世の暗黒を表すものばかり。
温かみのある情など、誰も向けてはくれなかった。
世界は常に、残酷だった。
(目に映るものが全部、憎かった)
(だから、壊そうと思った)
(いつかこの世界の、何もかもを壊してやろうって、そう思ってた)
間違いを犯しているという自覚など皆無。
闇しか知らぬ彼女にとっては、漆黒の意志だけが唯一の正義であった。
――そんな、どうしようもない頃に。
シルフィーは、彼女に出会ったのだ。
“よう”
“お前だろ? ここらを荒らしてるっていう、有名な悪ガキってのは”
綺麗。
第一印象はそれだった。
その女は見たことがないほど綺麗で、眩しくて、だから。
無言のまま、シルフィーは襲いかかっていた。
――そして、敗れた。完膚なきまでに。
手ひどくやられ、意識が遠のいていく。
悔しかった。
何も成していないのに。この世界への憎しみを、晴らし切れていないのに。
だがその一方で……あれだけ恐れた死という概念に、安らぎを覚える自分が居た。
(けれど、アタシは死ななかった)
(気付いたら、大きな背中が目の前にあって)
(……おんぶされてるって知ってからすぐ、また襲いかかった)
しかし無駄だった。
首を絞めても、噛みついても、刃物を突き立てても、女には通じない。
それどころか彼女は豪快に笑いながら、こう言った。
“さすが、街一番の悪タレってとこか。元気が有り余ってやがる”
“なぁクソガキ。お前に居場所をやるよ”
“そこで存分に暴れりゃいい”
“オレ達みてぇな外れ者にゃあ、うってつけの居場所だ”
これが、シルフィーとリディア、二人の出会いだった。
「あの頃のお前は、狂犬そのものだったなぁッ! 毎日毎日、暇さえあれば、オレの命を狙って来やがったッ!」
そう。拾われてからも、ずっとずっと、憎かった。
太陽のように眩い彼女が、憎くて憎くて、仕方がなかった。
(毎日、挑んでは負けて、挑んでは負けて)
(いつもいつも、顔が変形するぐらい殴られて)
(でも……最後は絶対に、アタシの頭を撫でて、笑う)
(……そんな人、どこにも居なかった)
育ての親を本気で殺そうとする幼女。拾った子供を本気でブン殴る保護者。
実に歪な関係だった。
まっとうな親子とは、到底言えなかった。
けれどそれが、次第にシルフィーの心を癒やしていったのだ。
(アタシを殴る拳に、真っ黒な情を感じなかった)
(アタシの髪を触れる手に、気持ちの悪い情を感じなかった)
(アタシを見る目には、いつだって温かさがあって)
(だから、アタシは)
(この人のことを)
シルフィー・メルヘヴン、七歳にしてようやっと、親の愛を知る。
そしてそれが、彼女にとって、初めて胸に抱いた“誇り”であった。
(姐さんは、アタシを人間にしてくれた)
(痩せた負け犬から)
(世界の残酷さに負けた、弱い犬から)
(一人の戦士へと、育ててくれた)
だからこそ。
そうだからこそ。
今、シルフィーは逃げることしか出来なかった。
どうして、戦えようか。どうして、斬れようか。
この大恩人に対して、なぜ、刃を向けねばならないのか。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……う、うぅ……うぅぅぅぅ……」
気付けば、涙が流れていた。
過酷な運命が、ただただ悲しくて、ただただ怖くて。
もはやシルフィーは戦士でなく、年相応の、か弱い生娘でしかなかった。
そんな無様を晒す彼女へ、リディアが叫ぶ。
「ふざけてんじゃねぇぞ、てめぇッッ! 剣を握れッ! 向かってこいッ! てめぇはオレ等の仲間だろうがッッ! てめぇが背負ってる称号を思い出せッッ! てめぇはッ! シルフィー・メルヘヴンはッ! 《勇者》の一員だろうがッッ!」
追いすがり、剣を振るい、叫ぶ。
その顔は怒りで歪んでいるけれど、しかし、それは畏怖すべきものではなかった。
子を思う親の顔を、いったい誰が畏怖しようか。
リディアは今、愛する娘に、最後の指導を行っているのだ。
「こういうときに泣きべそ掻いて逃げるような奴ぁ、一人も居なかったッ!
どいつもこいつも、勇んで向かって来るだろうよッ!
《鉄拳》だったら思い切りブン殴るッ!
《不動》だったら黙って斧を振るうッ!
《大賢》だったら胸張って杖を向けるッ!
《狂奔》だったら笑いながら突っ込んでくるッ!
《疾風》だってそうだッ! 《黒狼》だってそうだッ!
《灼熱》もッ! 《燐輝》もッ! 弱っちぃ《不屈》だってッ!
てめぇみたいに逃げたりしねぇッッ!
きっと皆、てめぇの姿を見たら嘆くだろうぜッ!
こんな弱虫が、《激動の勇者》かよってなぁッッ!」
……なぜ、そんなことが言い切れるんだ。
皆、リディアのことを愛していた。
自分と同じように、あるいは自分以上に、彼女を愛していた。
だったら皆、同じことをするだろう。
今の自分みたいに、何も出来ず、逃げ回るのが当然――
「オレ達ゃあなぁッ! 一人前の戦士なんだよッッ!
勇者の称号背負ってる奴だけじゃねぇッ!
何者でもねぇ雑兵一人に至るまでッ! オレに付いてきた野郎共は、どいつもこいつも一角の戦士だッッ!
だから乗り越えていくッッ!
どんなに辛い現実だろうとッ!
どんなに苦しい試練だろうとッ!
決して逃げることはしねぇッッ!
例えそれが、オレを殺すことだったとしてもッ!
オレの仲間達は全力でやるだろうよッッ!
そんで、オレを斬って、泣きながら笑うんだッッ!
安心してくれ、後は任せろってなぁッッ!
それが、オレの仲間だッ! 一人前の戦士だッッ!
なのに――
シルフィーッッ!
てめぇはいつまで、オレに心配かけさせりゃあ気が済むんだッッ!
どいつもこいつも、立派になったってのにッ!
てめぇだけだぜッッ! まだ面倒みてやんなきゃって、そう思わせるような奴はッ!
てめぇはいつになったら――
いつになったら、オレを安心させてくれるんだよッッ!」
リディアの叫びが。
魂から放たれた嘆きが。
シルフィーの心を、震わせた。
(――あぁ、そうか)
(姐さんの、言う通りだわ)
(アタシが、間違ってた)
(皆、確かに、姐さんのことを愛してた)
(……だからこそ、斬るんだ)
(姐さんを、安心させるために)
(それが、それだけが)
(姐さんの愛に応える方法だって、知ってるから……!)
なんのために、リディアが皆を拾ったのか。
なんのために、リディアが皆に背中を見せ続けてきたのか。
己の夢を叶えるため? 己の意を通すため? ……違う。断じて違う。
彼女は「オレに付いて来い」だなんて、一度さえ口にしたことはなかった。
それどころか、自分のもとを離れる者に対し、笑いながら言い続けていた。
“お前はもう、立派な戦士だ。どこに行ってもやっていける”
“胸張って生きろ。んで……出来るだけ、幸せになりやがれ”
……そうだ。
リディアはいつだって、仲間達の幸せを願っていた。それだけを、願っていた。
彼女は皆にとっての指導者であり、師であり、友であり、姉であり……母だった。
そんな彼女の愛に応える方法は、ただ一つ。
(アタシが、一人前になったということを証明する)
(勇者の称号に相応しい戦士になったってことを、証明する)
(そうして、姐さんを安心させることが、それだけが)
(姐さんへの、恩返しなんだ……!)
歯を食いしばる。
剣を握り締める。
涙をグッと堪えて、前を見る。
そして――
「うぉ、あぁあああああああああああああああああああッッ!」
踏み込んだ。
前へ。
敵のもとへ。
愛する姉貴分のもとへ。
「だりゃああああああああああああああッッ!」
振るった。
剣を、本気で。
その刃には覚悟が宿っていた。
強い強い覚悟が、宿っていた。
「ハッ! やっとわかったのかよッ! 最後まで出来の悪ぃ娘だったぜッッ!」
笑った。笑ってくれた。
リディアがやっと、安堵したように笑ってくれた。
けれど、まだだ。まだ足りない。
まだ何も、証明してはいないのだから。
「アタシは、《激動の勇者》だッ! 姐さんと、皆の意思を引き継ぐ存在だッッ! それを今から、わからせてやるのだわッッッ!」
攻める。
攻める攻める攻める攻める攻める攻める攻める。
防御などない。
後先など考えない。
猪突猛進。
後退の二文字なし。
常に前へ。
それこそが、《激動》の矜持だ。
それこそが、シルフィーの理想だ。
それこそが――
ずっと憧れ続けた、英雄の姿だ。
「親離れさせてもらうのだわッ! 《勇者》・リディアッッ!」
「やってみやがれ、《激動》のシルフィーッッ!」
いつまでも、子供ではいられない。
いつまでも、面倒を見てもらうわけにはいかない。
だから今――
巣立ちのときを迎えるのだ。
「うぁあああああああああああああああああああああああッッッ!」
「どらぁああああああああああああああああああああああッッッ!」
両者、一歩も退かず。互いに渾身の斬撃を繰り出し、そして――
互いの刃がぶつかり合い、発生した衝撃が、両者の体を吹き飛ばす。
間合いが開いた。
「ふぅぅぅぅぅ……」
息を吐き、気を静め、剣を構える。
シルフィーとリディア。両者は鏡合わせの如く、同じ構えで以て、相手を見据えた。
静寂の帳が降りる。
おそらく次の一合で、最後となろう。
どちらかが死に、どちらかが残る。その結末がいかなるものであろうとも、後悔はない。
「……いい顔だぜシルフィー。この状況を創り出した糞野郎への怒りなんざ、微塵もねぇ。運命を受け入れて、乗り越えることしか考えてねぇって顔だ」
構えながら微笑し、リディアは語り続けた。
「最後に、これだけは言っとくぜ。この先どんなことがあっても、怒りに飲み込まれるな。オレぁそれで失敗した。そのせいで……親友に辛い思いさせちまった」
過去の悲劇を思い返しているのか、リディアは殊更強く、次の言葉を口にした。
「お前は、オレみたいになるんじゃねぇぞ」
シルフィーは真っ直ぐに相手を見据え、静かに頷いた。
「アタシは、姐さんにはならない。だってアタシは……貴女を、超えるから」
この答えはリディアにとって、最高の内容だったらしい。
ここに来て一番の笑顔を、見せてくれた。
「――さて。んじゃ、やるか」
鋭い空気を纏うリディア。
シルフィーもまた、戦闘意思を放った。
集中する。感覚を研ぎ澄ませていく。
体と心を緩めて、緩めて、そして――
「うぉあああああああああああああああああああああッッッ!」
「るぅあああああああああああああああああああああッッッ!」
気力を、一気に爆発させる。
それに応えるかの如く、両者の足が度外れた膂力で以て、地面を蹴った。
床を踏み砕き、一蹴りで肉薄する。
ほんの一瞬にして刃圏。ほんの一瞬にして死圏。
引き延ばされていく。
時間が無限のように、引き延ばされていく。
両者は同時に動いていた。
全く同時に、剣を操っていた。
森羅万象が緩やかに動く、その最中。
シルフィーの脳裏に、過去の記憶が浮かぶ。
『あぁ、もうっ! また負けたのだわっ!』
在りし日の一幕。もう何千何万と繰り返した、リディアを相手にした模擬戦にて。
地べたを這いながら、シルフィーは土を叩いた。
そんな彼女を見下ろしながら、リディアは木剣を肩に担ぎ、笑う。
『お前とオレはよく似たタイプの戦士だ。どっちも感覚型だからな。理屈をこねくり回すよりも前に、直感が体を動かしやがる。――んで、だ。シルフィー。お前の直感力はオレよりも間違いなく上だよ。ただ、経験が足りてねぇ』
『経験?』
『そう。場数を踏んでいきゃあな、いつしか勝手になるもんだが……直感に対して、記憶が乗っかるんだよ。……理解出来ねぇってツラしてんな。ま、今のお前じゃわかんねぇよ。けど、いつかきっと、わかるときがくるさ』
フッと、どこか物憂げに、それでいて、どこか期待するように微笑みながら。
リディアは倒れ込んでいたシルフィーの頭を撫でながら、言った。
『そんときゃもう、ガキ扱いは出来ねぇなぁ』
――あのときは確かに、わからなかった。
リディアの言葉が微塵も理解出来なかった。
だが。
曲がりなりにも経験を積んで、修羅場を乗り越えて、成長を続けた数年間。
仲間のために、リディアのために、強さを求めて迷宮へ籠もった数年間。
そして……現代にて、新たな仲間と巡り会ってからの、数ヶ月。
それらがシルフィーに、かつて見えなかった景色を、見せていた。
(わかる)
(剣の軌跡が)
(姐さんの狙いが)
(手に取るように)
(ほら)
(こうやって横から、こっちの剣を相手の刀身にぶつけて)
(そしたら、相手が止まるから)
(フェイント)
(引っかかった)
(躱して、それで)
(――――――――――斬る)
果たして。
ほんの一瞬にして展開された剣戟は。
シルフィーが繰り出した、袈裟懸けの一閃により、決着を迎えたのだった。
「へ、へ……出来るように、なったじゃ、ねぇか……」
右肩から脇腹にかけて、斜めに斬り裂かれたリディア。
鮮血を噴き散らしながらも、彼女は満面に笑顔を浮かべて見せた。
そうして。
「最後、だぜ。こうするのは」
切なげに、それでいて、愛おしげに。
シルフィーの頭を、そっと撫でる。
それから彼女の背後……部屋の出入り口を指差して、
「さぁ、行け」
「……うん」
小さく頷いて、シルフィーはリディアに背を向けた。
握られた拳が、小刻みに揺れている。
唇が、勝手に痙攣する。
――泣きたい。泣き喚きたい。
そんな弱音をねじ伏せて、シルフィーは笑った。
痙攣する唇を無理矢理ねじ曲げ、笑顔を作りながら、背後の姉貴分へ最後の言葉を送る。
「安心してほしいのだわ、姐さん。アタシはもう、一人で歩いていけるから」
一歩、踏み出す。
決して後ろは振り向かない。
例え背後から、どさりと、倒れ込む音が鳴り響いても。
決して、歩みを止めることはない。
「それで、いい……デカくなれ、シルフィー……オレよりも……誰、よりも……」
遠のいていく。
彼女の存在が。
彼女の魂が。
それでも、振り向かない。
もう一人前の戦士だから。彼女を心配させるような子供では、ないのだから。
「………………」
黙したまま笑う。
涙など、絶対に流さない。
そして――
シルフィー・メルヘヴンは、愛する者の死を乗り越えて、前へと進むのだった。