第九一話 元・《魔王》様と、逆転の一手
朦朧とする意識の中。
俺は無力感に打ちのめされながら、仲間達の有様を見つめることしか出来なかった。
焼け焦げたジニー。
壁を背にして倒れ込んだオリヴィア。
穿たれた大穴の先で、眠るように目を瞑ったシルフィー。
そして――
槍に貫かれ、その身を宙に浮かせたヴェーダ。
彼女の指先が、そのとき、ピクリと動いた。
「ん、んん……………………あ、よいしょっ、と!」
それまで微動だにしなかったのが、嘘だったかのように。
彼女は槍の棒柱部を両手で握り、勢いよく跳ねた。
鋭い穂先による拘束を逃れ、二の足で地面を踏む。その胴体には小さな穴が開いていたのだが……みるみるうちに、塞がっていく。
「師匠の言葉を借りるなら、想定通りというところかな」
ふぅ、と息を唸らせるヴェーダ。おそらく彼女はさっきまで死んだふりをしていたのだろう。そうしながら、好機を伺っていたのだ。
「はぁ。結局、最後の最後まで付けいる隙がないままだったなぁ。残念残念」
肩を竦めつつ、周りを見回す。
破壊された広い室内の様相と、仲間達の現状を見て、ヴェーダは再びため息を漏らすと、
「師匠は、いつもコレだ。ワタシが大切にしてる玩具を、笑いながらブッ壊す」
普段、笑顔しか見せぬヴェーダが、今。
その幼い顔に、怒気を宿らせていた。
「こういうことするから、一緒には居られないんだよ」
怒りと、哀れみ。普段、彼女が決して見せぬ表情が、そこにあった。
しかしそれも一瞬のこと。深呼吸することで気を落ち着けたか、ヴェーダはすぐにいつも通りの笑みを浮かべ、宣言する。
「さぁ~って! そんじゃ、ちゃっちゃか治しましょっかね~っ、と!」
快活な彼女の姿を見て、俺は安堵した。
これで皆は大丈夫だろう。
あいつ(ヴェーダ)が味方で、本当に良かった。
もはや意識を繋ぎ止めておく必要もない。
俺はヴェーダに全てを任せて、瞼を閉じた――
――ほんの一瞬にして、我が意識は眠りへと誘われたのだろう。
そんなタイミングを待ち受けていたかのように。
奴が、我が夢の領域へと入り込んできた。
普段見ぬような景観は、きっと奴の介入によるものだろう。
血のように紅く染まった空。その只中に浮かぶ黒い太陽。
大地は荒れ果て、草木一つなく、岩塊が転がるのみ。
そんな不毛の地に、ぽつねんと大きな円卓が置かれていた。
俺は座椅子に腰を下ろし、向かい側に座る男――メフィスト=ユー=フェゴールを睨みながら、口を開く。
「貴様、なんだその姿は。ふざけているのか」
問うてからすぐ、己の間抜けに気付く。
このバケモノはいつだって、ふざけた存在だった。
だから、そう――――首から下を艶美な女体に変えた状態でこちらと接するという、その程度のことで苛ついていては身が持たない。
「僕はね、常々こう思ってるんだ。人生を楽しむには、ユーモアが必要だとね」
「……そのふざけた姿も、貴様なりのユーモアだと?」
「ふふ。君を喜ばせるための、ちょっとしたサービス、という側面もあるけれどね」
豊満な胸元を寄せて、強調してくる。
そんなさまに性的興奮など覚えるはずもない。ただただ不愉快だった。
「ふむ。どうやらお気に召さなかったようだね。僕の顔面造形は君の愛する二人にそっくりだから、きっと笑ってくれるものと思っていたのだけど」
愛する二人とは、リディアとイリーナを指したものだろう。
……確かに、よく似てはいる。
そうだからこそ、ことさらに不愉快だった。
「……貴様を相手に戯れるつもりはない。不毛な言い合いが望みであるならば、早急に席を立たせてもらう」
「せっかちだねぇ、君は。もう少しゆとりというものを――――あぁ、悪かった。僕が悪かったよ。だから席を立たないでおくれ」
片手でこちらを制しながら、メフィストは本題を切り出してきた。
「今回、君の夢に入り込んだのは、今回のルールを説明するためさ。去り際に言っておけばよかったのだけどね。テンションが上がりすぎてつい、忘れてしまったんだよ」
……メフィストは常に、己が引き起こす事件を遊戯として扱っている。
こちらがそれを受け入れるか否かは関係ない。自分で決めた法を相手に押しつけ、一方的に話を進めていく。まさに、邪悪な神そのものだった。
「今回はそこまで複雑なものではないし、それに応じてルールも単純かつ少数に抑えよう。まず一つ目はパワー制限。残念だけれど、今の君達に全力は出せない。だから今回はハンデをあげる。今の君達でも十分に攻略出来る程度にしか、僕は力を使わないことにするよ」
舐め腐った言い分だが、いちいち目くじらを立ててはいられない。
一秒でも早く、この不愉快な時間を終わらせるべく、俺は続きを促した。
「二つ目は?」
「時間制限。あまりダラダラしててもつまらないし、今回のゲームは一〇日間に設定しておくよ。君達はその期間中に、メガトリウムへ足を運ぶ。それが守れるなら、期間中に何をしてもかまわない」
「……ルールは、二つだけか?」
「うん。他はまぁ、特に必要ないかな。この二つだけあれば十分楽しめそうだからね」
ニタリと、不快な笑みがメフィストの口元に浮かぶ。
「僕は提示したルールに則って、正々堂々としたフェアプレイを誓う。君達も同じような感じで、僕の悪だくみをブチ壊すといい」
敵方の狙いに気付き、それを前もって潰すことで、奴の愉悦を防ぐか。あるいは、敵方の狙いに気付けぬまま己の不甲斐なさを呪うか。
メフィストを相手取った遊戯とは、いつだってそういうものだった。
「いやぁ、それにしても。ライザー君には感謝しなきゃいけないねぇ。愛しのハニーとまたこうして遊べるのだから。まぁ、僕からしてみれば全部想定通りの――」
「用件は終わったな。であれば、俺はもう皆のもとへ帰る」
席を立つこちらへ、メフィストは再び肩を竦めて見せた。
そうしてからすぐ、邪な微笑を浮かべ、
「君の泣きっ面を拝ませてもらうよ。あのときみたいに」
確かな自信を覗かせる敵方へ、俺は胸を張り、堂々と宣言した。
「泣くのは貴様だ。それこそ……あのときのように、な」
これが、夢の中で奴と交わした、最後のやり取りとなった。
――――意識を覚醒させ、瞼を開けると同時に。
「あぁ、やっと起きた!」
「……まだ、どこか痛むか?」
「はぁ。何しても起きないから、死んじゃったのかと思ったのだわ」
仲間達の顔が、瞳に映る。
どうやら心配をかけさせてしまったらしい。
俺はそのことについて謝罪しつつ、上半身を起こした。
そして、彼女の姿を目にする。
「ジニーさん……」
床に横たわり、眠り姫のように瞼を閉じている。
肌は青白く、生気は欠片もない。
「皆、外傷だけで済んでいたんだけどね。でも……ジニーちゃんだけは、霊体が酷く蝕まれてた。これは魔法を使わなきゃ治せない」
「……ならば早急に、魔力を取り戻さねば」
皆、一様に頷く。
特にヴェーダは誰よりも深く首肯して、
「うん。マジで早くしないと、取り返しが付かなくなるよ。このまま症状が進行していったなら……持って一〇日ってとこだと思う」
メフィストに提示された遊戯期間と、ジニーのタイムリミットが一致しているのは、おそらく偶然ではないだろう。
「……元来、我々の目的は《ストレンジ・キューブ》、および、イリーナさんの奪還、ではありますが。それはもはや、後回しにするしかないかと」
一〇日以内に魔力を取り戻し、ジニーの治療を行う。そして……メガトリウムへと足を運び、メフィスト=ユー=フェゴールを討つ。
これを最優先事項として設定することに、異論を唱える者は居なかった。
「問題となってくるのが……いかにして魔力を取り戻すのか。これについて何か、アイディアはありませんか?」
沈黙が広がる。皆、腕を組み、首を捻っていた。
俺も同じように思考を巡らせる。
――その末に。
「手があるとするなら、一つ」
オリヴィアが静かな口調で、言葉を紡ぎ出した。
奇しくもそれは、俺と考えを同じくするもので。
一か八かの、賭けに等しき選択であった。
「《魔王外装》。これを用いれば、あるいは――」