第八九話 元・《魔王》様と、魔力奪還作戦
《ストレンジ・キューブ》。
かつて、とある《邪神》が創造した世界改変装置。
それを用いることで、奴等は世界を改変した。
アルヴァート・エグゼクス。
そして、ライザー・ベルフェニックス。
我が元・配下達の謀略に対し、俺は遅れを取ってしまった。
ゆえに俺は、この時代で手に入れた宝の全てを失った。
学友達は総じて醜い怪物へと変えられ、何よりも大切な少女、イリーナは敵方の手へ渡ってしまった。
そのうえ……今、我々は魔力をも奪われている。
現状はまさに最悪の一言に尽きるが、しかし。
それがどうしたというのか。
俺は、俺達は、決して諦めない。
《ストレンジ・キューブ》を強奪し、イリーナを奪還し、必ずや世界を救う。
そのために――
今、我々は古都・キングスグレイブの只中を疾走している。
かつて我が帝国の首都であったこの都市もまた、住人の全てが魔物に変えられている。
そこに加え、アルヴァートの配下であろう多数の《魔族》達が配置されており、まさに総力戦の構えで以て我々の進行を食い止めようとしているが――
いかなる敵が現れようとも、俺達を止めることなど出来はしない。
「囲めッ! 奴等を取り囲めッ!」
「相手はたったの五人だぞッ! なぜ止められんのだッ!?」
「増援を呼べッ! このままでは突破されるッ!」
怒号と激しい攻撃の轟音が重なり、街中は戦場も同然の様相を呈していた。
舗装された地面の石畳が砕け、建造物が崩壊し、土煙が立ちこめる。
それを引き裂きながら、我々は古都の大通りを駆け抜けた。
立ちはだかる者、全てを屠りながら。
「疾ッ!」
オリヴィアが繰り出した剣閃が、数多の魔物を一瞬にして両断する。
彼女は名実ともに、世界最強の剣士だ。今も昔も、己が身体機能と剣のみを頼りに戦ってきた。ゆえに魔力を失おうとも、その戦力が削がれることはない。
「ブラック・ホール! ブラック・ホール! ブラック・ホォォォォォル!」
ヴェーダ・アル・ハザード。オリヴィアと同じく、かつて四天王の一角を務めたマッドサイエンティストの変態は、魔力を失ってなお健在である。
俺でさえ解析不能な、わけのわからぬ力を用いたのであろう。
上空に開いた無数の黒穴が、膨大な敵方を吸い込んでいく。
「アタシも負けてらんないのだわっ!」
「私も、お役に立ちますわよっ!」
シルフィー。そして、ジニー。二人の手には一振りの長剣が握られている。
魔力を失った彼女等は、その時点で戦闘能力の全てを喪失した。それを補うのが、あの独特な柄を有する長剣だ。
彼女等の意思に応じて、柄の中心を走る一筋のラインが煌めきを放つ。
次の瞬間。
シルフィーが度外れた踏み込みを見せ、桁外れの速度で以て敵方を斬り伏せていく。
ジニーの周囲に多数の氷刃が顕現し、それが目前の敵方へと飛翔する。
「くッ……! 奴等、魔力を失ったはずだろうッ!? なのになぜ、こんなッ……!」
敵方の驚愕は、ヴェーダが生み出したもの。彼女は我々がこのような事態に陥ることを先読みしており、戦力の欠如に対する策を創り上げていた。
それが、魔力内蔵型魔装具である。
剣の柄に埋め込まれた蓄積装置に前もって魔力を溜め込んでおけば、この魔装具は魔力を消耗することなく魔法を発動することが出来る。
これを以て、ジニー、シルフィー、そしてこのアード・メテオールは、オリヴィア達の足を引っ張ることなく戦闘行動に参加しているのだった。
「……とはいえ。今回も私の出る幕はなさそうですね」
皆、俺が動く前に躍動し、襲い来る敵のことごとくを処理していた。
そのためキングスグレイブに足を踏み入れてから現在に至るまで、俺は一切の戦働きをしていない。それが少し、申し訳なかった。
「アード君はもしもの時の切り札ですっ!」
「そうだね! まだまだ君の出番は回ってこないよ!」
「雑魚は我々に任せろ」
「アンタなしでもやれるってところ、見せつけてやるのだわっ!」
頼もしい仲間達が大立ち回りを演ずる姿を、俺はただ見つめるのみであった。
そうして、彼女等が切り開いてくれた道を疾駆する。
そんな道すがら、ヴェーダがケラケラと笑いながら口を開いた。
「やっぱ数の力ってのは馬鹿に出来ないねぇ~! あんだけキツかった道中が嘘みたいに楽チンだもの!」
世界改変の直後、ヴェーダとオリヴィアの両名は、とある魔装具を完成させるべく研究所へと向かっていたという。
そうした動向を、ライザー達は先読みしていたのだろう。
街が魔物の巣窟になってすぐ、事前に配置されていた《魔族》達が襲来。
さしもの両者も数の暴力に圧され、撤退を余儀なくされた。
その後、紆余曲折の末に我々は合流し、現在へと至る。
「あとは研究所が破壊されてないことを祈るばかりだねっ!」
「結界の類いは展開したのでしょう?」
「まぁね。でも、長くは保たないんじゃないかな。アル君もライザー君もワタシの発明品を危険視してるだろうし。もう既にブッ壊されててもおかしくはないね」
そうなっていたなら、我々は終わりだ。
研究所の無事を心から祈りつつ、足を動かす。
無論、《魔族》達も総力を挙げて我々を包囲せんと働くが、全ては無駄事であった。
一蹴し、蹂躙し、殲滅し、俺達は目的地へと急ぐ。
その果てに。
我々はそれを目にした。
長い長い通りの終着点。そこに居を構えた研究所の有様。
広々とした敷地内は、黄金色に煌めく半球状の結界によって守護されており、施設は傷一つ付いていない。
「どうやら、間に合ったようですね」
このまま真っ直ぐに突き進めば、新たな道が拓かれる。
それは、イリーナの救出に繋がる道だ。
なんとしてでも彼女を取り戻したい。そのために俺は、命を賭ける。
「止めろぉッ! ここでなんとしてでも止めろッッ!」
「これ以上先に進ませるなッ!」
「奴はまだ来ないのかッ!?」
敵方からしてみれば、ここがまさに正念場であろう。
《魔族》達の攻勢が最高潮に達する。しかしそれでも、我々は止まらない。
立ちはだかる障害の全てを打ち倒し、進んでいく。
目的地まで目と鼻の先。
――そこまで到達した、矢先のことだった。
目前。
研究所のすぐ近く。
曲がり角の先から、ゆらりと、一人の男が姿を現す。
刹那、我々は立ち止まった。
そうせざるを得なかった。
「……ここで切り札投入、ですか」
呟きながら、俺は皆と共に眼前の敵を睨んだ。
その外見は年老いた浮浪者といった様相。ザンバラな赤茶髪に無精髭、ボロボロな麻布で出来た衣服が、みすぼらしさを一層強めている。
「……ただ者ではないな」
オリヴィアの言葉に、皆が頷いた。
小汚い浮浪者といったその姿に騙されるような者など、ここには一人も居ない。
立ち止まり、静かに敵方を観察しながら、オリヴィアは言葉を続けた。
「上背がある。よく絞られた、しなやかな肉体だ。加えて、あの異様に盛り上がった脹ら脛の筋肉。おそらくは近接戦を得意とする戦士であろう。……皆、心してかかれ」
「言われなくてもわかってるのだわ。さっきから隙が見当たらないもの、アイツ」
オリヴィアとシルフィーは相手方の力量を十全に把握しているようだ。
両者の顔に極限の緊張感が漲る。
そうした中、《魔族》達は先刻までの攻勢が嘘だったかのように静まり返り、現状を見つめ続けていた。
「ようやっと来おったか……!」
「ギリギリだが、なんとか間に合ったな……」
「いかにバケモノ集団が相手とて、魔力を失っている以上、奴には勝てまい……!」
期待と信頼、そして畏敬の念。
それらを一身に浴びながら、対面の男は厳かに口を開いた。
「――お命、頂戴する」
あまりに穏やかで、あまりにも静かな声。
闘気も殺気も一切感じられず、そうだからか。
奴が腰に提げた刀剣を抜き放ってなお、誰も反応が出来なかった。
「ッ!」
まるで疾風の化身である。気付けば男の姿がオリヴィアの目前にあった。
刹那、白刃が閃く。
オリヴィア相手に剣を用いての勝負。尋常の手合いが相手ならば、愚行と言わざるを得ない。だが――
「ちぃッ!」
一閃目を回避。二閃目は魔剣にて防御。三閃目に対し躱しざまの斬撃を放つも、空転。
次の瞬間には男がオリヴィアの背後へと回っていた。
「だ、わぁあああああああああああッ!」
気迫を乗せた一撃が、シルフィーの手によって繰り出された。
最速、最鋭の突き。男の横っ面目がけて打ち込まれたそれは、しかし、その皮膚に触れることさえなかった。
切っ先がそこへ到達するという、直前。
敵方の姿がまるで蜃気楼の如く揺らぎ、消失する。
魔法の類いではない。単純な身のこなしで以て、斬撃を躱しただけ。
とはいえ、その動作速度は異常極まりないものだった。
「オリヴィア・ヴェル・ヴァイン。これしきの技量で剣聖を名乗るとは片腹痛い」
研究所の真ん前にて、まるで門番のように立ちながら、男はボソリと呟いた。
普段のオリヴィアであれば、即座に「舐めるな」と返していただろう。
だが今、彼女は額から一筋の汗を流すのみで、一言も発することはなかった。
もしシルフィーが横合いから妨害しなかったなら、今頃、斬られていたかもしれない。
その現実がオリヴィアを沈黙させているのだ。
「雑兵に興味なし。我が狙いは……貴様一人だ」
男は右手に握る刀剣の切っ先をこちらに向けながら、静かに言葉を紡ぎ出した。
「我が名はセルジア・ナガン。アード・メテオールとの一騎打ちを所望する」
「……我々を同時に相手取れるほどの力量を有していながら、一騎打ちの申し出、ですか」
謀略を疑うこちらの心理を、敵方は正確に読み取ったらしい。
小さく首を横に振りながら、セルジアは応答した。
「小賢しい企みごとなど、我が胸にはない。一騎打ちを所望する理由は二つ。一つは美学ゆえ。これと見込んだ強者は、一対一の尋常なる勝負で討ち果たさねば気が済まぬ。そしてもう一つは……アード・メテオール、貴殿を一騎打ちにて仕留めたなら、御屋形様との死合いが実現する。それこそ我が最上の望み。このセルジアは、それだけのために生き存えてきたのだ」
御屋形様。その呼び名は、アルヴァートを指したものだろう。
となるとこの男、古代世界の生き残りか。奴をそのように呼ぶのは、あの時代においてアルヴァートの直参を務めた戦士のみ。であれば、度外れた戦闘能力にも納得がいく。
「……アード君、卑怯かもしれませんけど、ここは全員で」
ジニーがそっと耳打ちをしてくる。
一騎打ちを受ける振りをして、全員で奇襲。そうすれば勝てると、ジニーはそのように考えているのだろう。
「確かに、こうした場面では数的有利を活かすのが定石ではあります。が……此度の手合いには通じません。むしろマイナスに働く可能性が高いかと」
数の利は高度な連携が取れることを前提としたもの。翻って、我々の連携力はいかほどのものか。
結論から言えば、微妙である。我々は個々の我が極めて強く、それゆえにスタンドプレーは可能だが、チームワークは不得手であると理解している。
そんな我々がセルジアのような強者を相手取った場合、連携が上手くいかず、各個撃破されるのがオチだろう。
「悔しいけど、アタシも同じ意見だわ」
「ワタシはこういうノリ好きじゃないし、どうでもいいかな」
それから、オリヴィアが俺の目を真っ直ぐに見据えながら、言った。
「……任せても、いいか?」
この男を倒せるのは俺だけだと、オリヴィアはそう考えている。そのように、期待してくれている。それならば――
「このアード・メテオールにお任せください」
応えねばなるまい。
「ジニーさん。皆と共に、後ろへ」
「はい」
彼女もこちらに絶大な信を置いているのだろう。引き下がることなく従ってくれた。
俺は仲間達を背にして、一歩前に進み出ると、
「では、始めましょうか」
半身となり、緩やかに剣を構える。
これに応ずるかの如く、敵方は前傾姿勢を取った。
そして。
「いざ――」
踏み込んでくる。
やはり疾い。並外れて疾い。
気付けば目前にて剣が閃いていた。
だが、対応は可能。
大上段から振り下ろされた斬撃を真横に跳んで回避する。それと同時に、属性攻撃魔法を発動。セルジアの周囲に無数の魔法陣が現れ、次の瞬間、魔導による暴力が牙を剥く。
風刃、氷柱、炎弾、岩塊、雷撃。
四方八方から、膨大な属性魔法がセルジアへと殺到する。
並の手合いならこれで終いだが――
「つまらぬ」
しゃがれた声が耳に届いた、次の瞬間。
セルジアの手によって、流麗な銀線が描かれた。
およそ千を超える斬撃。それらは飛来する属性攻撃のことごとくを捉え、そして。
「斬魔術は、オリヴィア・ヴェル・ヴァインの専売特許にあらず」
こちらが放った攻撃、全てが斬り刻まれ、消滅。
この技術はオリヴィアが得意とするもの。
剣才しか持ち得ぬ彼女が、魔導の強者を相手取るために編み出した、無二の牙であった。
それを《魔族》に使用されたオリヴィアの胸中は、いかなるものであろうか。
およそ愉快な心持ちではないだろうが、慮ってはいられない。
来る。
そう思った頃には、セルジアの姿が眼前にあった。
斬り結ぶ。
一合、二合、三合。
白刃を触れ合わせ、大輪の火花を咲かせながら、俺は頭を働かせた。
強い。
切り札として投入されるに相応しい戦士だ。
この男は《魔族》ゆえ、当然のこと、並外れた魔導の才を有している。だが、そうであるにも関わらず、この男はあえてそれを捨て去り、剣のみを選んだのだろう。
振るわれし斬撃の一つ一つから、セルジアの偏狂的な美学を感じる。
「……アルヴァートの直参、伊達ではない、か」
現段階において、こちらが使用出来る魔法は斬魔術によって無効化される。
よって必然的に、剣術の勝負となるが……
このセルジア・ナガン、剣の技量のみであれば俺よりも上手だ。
ゆえに相手の土俵で戦えば、敗北は必至。
「勝負事の趨勢は開幕前の時点で確定している。……貴殿の言葉だ、《魔王》陛下」
こちらの正体を知りながらも、セルジアの心に畏怖はない。
その一方で、己の力量に対する自負もなかった。
闘争の最中に生ずる心の揺らめきが、このセルジアには見受けられない。
無だ。奴の心には、無が広がっている。
どこまでも静かな、波紋一つない水面のような男だった。
「素首、頂戴する」
勝負を終わらせに来た。
そう感じ取った瞬間。
「秘剣・蛇絡め」
セルジアの剣がうねるように動作し、そして。
我が手中にあった長剣が、蒼穹へと舞い上がった。
「ッ!」
危機を察し、思い切り後方へと跳ぶ。
擦過の気配。
着地と同時に、俺は自らの腹部へと目をやった。
……一瞬でも跳ぶのが遅れていたなら、臓物を地面にぶち撒けていただろう。シャツが横一文字に裂かれ、肌から鮮血が滲み出ている。
我が現状は誰の目から見ても、窮地以外のなにものでもなかった。
その姿に《魔族》達が沸き上がる。
「惜しいッ!」
「だが、もはや終いだ」
「アード・メテオールの手に剣はない。頼みの綱はもう、どこにもない」
「あの剣がなければ魔法は使えん。完全な丸腰というわけだ」
「さすがセルジア。あのアード・メテオールさえも仕留めてみせるか」
誰もがセルジアの勝利を確信している。こちらが死する瞬間を、心待ちにしている。
だが。
オリヴィア。ジニー。シルフィー。ヴェーダ。
仲間達の顔と目に、絶望感は皆無。
皆、この期に及んでなお、俺の勝利を疑っていない。
そして、この俺自身もまた、自らの勝利を確信している。
「認めましょう。貴方の強さを。しかし――」
徒手空拳の不安など微塵もなく、俺は自然体のまま相手を見据え、言葉を紡ぐ。
「貴方の剣には、強さしかない。偏狂的な美学に裏打ちされた、絶大な技量しかない。セルジア・ナガン。貴方の剣には――心が、ない」
敵方に対し右手を向け、人差し指をクイッと動かす。
かかって来い。
身振り手振りに込めた心情を、セルジアは読み取ったらしい。
刀剣を担ぐようにして構え、前傾姿勢となり――
旋風を伴いながら、踏み込んでくる。
一瞬だ。彼我の間合いは、一瞬にしてゼロとなった。
ヴェーダ手製の剣を失った今、この身は真に脆弱な、村人のそれである。
セルジアも心得ていよう。だがそれでも油断なく、こちらの確殺を狙ってくる。
詰めの甘さなど皆無。最後の最後の最後まで――否、決着の時が訪れてなお、この男の心には小波一つ生じはすまい。
まさしく圧倒的な強者だ。
けれど。しかし。
「心なき刃など、恐るるに足らず」
動いた。
セルジアが。そして、我が肉体が。
認識出来たのは、煌めきだけ。
白刃の輝光が眩い。
村人の肉体ではこれが限界。敵方の剣閃など捉えようもない。
だがそれでも。
動く。動くのだ。
肉の器が有する限界点を遙かに超えた領域へと、我が身を導くものがある。
心だ。心の力だ。
友を救う。世界を救う。
イリーナを、救う。
断固たる意思が、切なる思いが、限界の壁を突き破る。
それゆえに――
我が首を狙って放たれた突きの一撃は空転し、この手が敵の刃を掴む。
「白羽取りッ……!? それも、片手でッッ……!?」
ここに至り、初めて、セルジアの心に波紋が生じた。
その時点で、勝敗は決したのである。
敵方の動揺を見逃すはずもなく、俺は現状の最適解を放った。
右足を躍動させ――上段蹴り。
あっけないほど簡単に。惚れ惚れするほど激烈に。
我が足刀は、セルジアの頭部へと直撃した。
「――――ッ!」
小さな呻きが、決着の証となった。
敵方の瞳から輝きが失われ、その身が地面へと沈んでいく。
どうっ、とセルジアが倒れ込み、そして、静寂が生まれる。
先刻まで悠然と状況を見守っていた《魔族》達。彼等の顔には総じて、脂汗が浮かんでいた。
「そんな、馬鹿なッ……!」
「ありえない……! 素手で、セルジアを倒すなど……!」
「こんなバケモノ、どうしろというのだ……!」
意気が折れた。
そのように察した俺は、連中の顔を見回しながら、口を開く。
「まだ、続けますか?」
ぞくりと、全員が身震いする。
もはや戦意など、誰も抱いてはいなかった。
「くそぉッ!」
「このようなところで無駄死には出来ん……!」
「もはや、退くしかあるまい……!」
追い立てられた犬のようであった。
《魔族》達は我先にと逃げ去り、残ったのは我々のみとなった。
「さすがです、アード君っ!」
「アタシが見込んだ男だもの、これぐらい当然だわっ!」
「……ふん」
「やっぱ君は興味深いねぇ~! この一件が終わったら解剖させてちょうだい!」
称賛の声に対し、俺は微笑しながら、
「さぁ、参りましょうか。逆転の一手を打つために」
結界に守られた研究所を、指差すのだった。
◇◆◇
ヴェーダの手によって結界が解除されてからすぐ、我々は研究所の敷地内へと入った。
施設の外観はヴェーダ手製ということもあって奇抜・独特を極めたものだったが、内観は意外にも真っ当な造りをしている。
通路を進む最中、俺は全方位を警戒し続けていた。
こういう、目的を果たした瞬間というのが一番危うい。誰であっても多少の油断が生まれてしまうからだ。
敵方はそこを突いてくるのでは、と危惧していたが……どうやら杞憂であったらしい。
特に何事もなく、我々は施設の中を進んでいき、広々とした部屋へと辿り着いた。
「うわぁ……なんというか、壮観、ですわね……」
この部屋は魔道具・魔装具の製造と、その実験場を兼ねたスペースとなっているらしい。
室内の右半分には多数の作業机と、製造用の道具や装置などがズラリと並んでいる。
左半分は実験用の空間となっていて、安全確保のためか、四方に結界装置が配置されていた。
「さぁ~て! そんじゃ、チャチャっと造っちゃおっかな!」
勝手知ったる我が家へ帰ってきたことが、よほど嬉しかったのか、ヴェーダはスキップしながら作業机の一つへと向かった。
その後、背嚢を下ろし、そこからいくつかの素材を机に乗せて……
「あ、そうだ。もしかしたら作業中に街一帯が消し飛んだりするかもしれないけど、そのときはまぁ運が悪かったと思って諦めてね!」
なんとも不安になるようなことを述べてから、ヴェーダは製造作業へと移った。
それからしばらくして。
最悪の事態など発生することなく、目的の魔装具が完成した。
外見は極めてシンプルな、銀の腕輪である。
その効果は……魔力の奪還。
この腕輪を装着している間、という条件付きではあるが、失われてしまった魔力を取り戻すことが出来る。
「よし。そんじゃ、実際に戻ったかどうか実験してみよっか!」
室内の左側にある実験スペースへと足を運ぶ。そして我々は虚空へ掌を向け、思い思いの魔法を発動した。
結果は――
「成功、ですね」
「これでもう足を引っ張ったりはしませんわ……!」
「あぁ~~~! デミス! もう離さないのだわ!」
気勢を高めるジニーと、再び召喚可能となった聖剣に頬ずりをするシルフィー。
オリヴィアは元々、魔法に思い入れなどはなかったため、特にこれといった反応はなかった。
ともあれ、俺達は最終目標へと大きく近づいたというわけだ。
「世界の改変を許して以降、我々は猫に追い立てられる野ネズミの如く、常に死と隣り合わせの状況にありました。しかし、それも今日までのこと。ここからは、彼等が追い込まれる番だ」
俺の言葉に、皆は士気を上げた様子で頷いた。
「ミス・イリーナを、なんとしてでも……!」
「溜まりに溜まったフラストレーションを爆発させてやるのだわ!」
「教え子達と……わたしの芋畑。早急に救わねばならぬ」
「ゲームは勝ってなんぼだからね! ここいらで逆襲といこうか!」
皆の顔には、希望が宿っている。
俺も同じだ。
もはや恐れるべきものなど何もない。皆を救うため、一直線に邁進する。それだけだ。
そして我々には、それを成すだけの力がある。
「さぁ、では――」
頼もしき仲間達へ、檄を飛ばす。
その、最中の出来事だった。
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ……
音が、鳴り響く。
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ。
これは、拍手か?
誰かが、拍手をしている。
俺ではない。ジニーでもない。シルフィー、オリヴィア、ヴェーダでもない。
――第三者によるものだ。
そう察した瞬間。
ぞわり。
全身の毛穴が開き、脂汗が一斉に吹き出した。
皆、硬直して、動けない。
俺も同じ有様となっている。
周辺警戒をすべき状況であるというのに、首を少し動かすことさえ出来なかった。
勝手に手先が震え出す。額から大量の汗が流れ落ちる。
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ。
拍手の音が、近づいてくる。何者かが、こちらへとやってくる。
それに伴って、頭の中で不協和音が鳴り始めた。
弦楽器を思い切り掻き鳴らしているかのような、不快な音が響いている。
脳髄が、現実の理解を拒絶しているのだ。
気持ちの悪い音を鳴らし、思考出来ないよう、仕向けている。
冷静さを失わせ、白痴も同然の状態へと誘ってくる。
――恐怖だ。
圧倒的な恐怖が、我々をそのような状態へと追い詰めているのだ。
しかし。
誰だ。
いったい、何者だ。
皆だけでなく、この俺に、ここまでの恐怖を味わわせる者が、この世のどこに居る?
……本当は、わかっていた。
そんな手合いは、ただ一人しか居ないのだから。
けれど。
俺は、その推測を拒絶した。
ありえないことだと、即座に脳内から排除した。
奴が戻ってくるだなんて、ありえない。
あってはならない。
そもそも、奴はあのとき、確かに封印したじゃないか。
俺と、四天王と、無数の配下達で、仇を取ったのだ。
俺達から、愛する者を奪ったあのバケモノを。
俺達から、尊厳を奪ったあのバケモノを。
生きとし生けるもの、全ての怨敵であるあのバケモノを。
俺達は数多の犠牲を払いながらも、確かに、この世界から追い出したのだ。
だから、奴が帰って来るだなんて。
そんなこと、あるわけが――
「現実逃避だなんて、君らしくないよハニー」
唐突に、囁くような声が聞こえた、次の瞬間。
濃密な闇が、まるで暴風の如く吹き荒れた。
「くっ……!」
「この、嫌な感じ……!」
「不味い、ねぇ」
「いったい、これは……!?」
激しく渦を巻くように流動する、闇のオーラ。
それはやがて一カ所へ集い、収束し――
――降臨する。
室内に静寂が戻ると同時に、それ(、、)が我々の目前にて、姿を現した。
「……ありえない」
俺は、愕然とするしかなかった。俺は、呆然とするしかなかった。
悪夢の再来に、慄然と全身を震わせることしか、出来なかった。
「……ありえない」
阿呆のように、同じ言葉を繰り返す。
このようなことが、現実に起き得るはずがない。……けれども、我が目に映るあの男は、あの怪物は、記憶に刻まれたそれと完全に一致している。
小さな小さな、子供のような矮躯。
身に纏う衣服の形状は実に独特で、全ての時代、全ての国の文化性に当てはまらない。それは奴の在りよう……即ち、完全なる孤立を、意味しているかのようだった。
その容姿はまるで天使のように愛らしく、瞳は不気味なほど強く煌めいている。
床に届くほど長い黒髪は、さらりとして、艶やかであり……吐き気を催すほど、美麗。
そんな、人の形をした悪夢は。
俺の様相を見て取った瞬間、ニィィィィ……っと口元を歪めて。
おぞましいほど流麗な音色で、言葉を紡ぎ出した。
「ほら。また会えただろう?」
まるで、あのときおの続きが、やってきたかのようだった。
そんなものは永遠に来ないと思っていた。
けれど今、それが目前にある。
かつての大戦。
古代における、人類と《邪神》の間で起きた戦争の、最終決戦にて。
奴は最後に、こう言った。
“僕は、思い出になんかならないよ”
負け惜しみだと、そう思っていた。
そう思いたかった。
これでやっと、奴が居なくなってくれたのだと、そう思いたかった。
あぁ、でも。
糞。
畜生。
激しい動揺の中に、醜悪な怒気が宿る。
それは、俺の隣に立つ姉貴分、オリヴィアも同じだった。
きっと、シルフィーやヴェーダだってそうだろう。
例外なのは、現代人であるジニーだけだ。
古代を生きた人間なら誰だって、同じ気持ちになる。
虫酸が走るような悪感情。それを吐き出すかのように。
俺達は、怨敵の名を、口にした。
「メフィスト=ユー=フェゴール……!」