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第八六話 元・《魔王》様の友人、終焉へと向かう


 一〇年や二〇年生きていれば、誰にだって最悪な思い出というものがあるだろう。

 イリーナにとってのそれが今、目前に立っている。


「事前に伝えておくよ。今回は誘拐が目的じゃない。むしろ、キミ達を殺すのがボクの目的だ。グロテスクなオブジェに変わったキミ達を見たとき、アード君はどんな顔をしてくれるのかなぁ。ふふっ、楽しみで仕方がないよ」


 うっすらと笑みを浮かべる、絶世の美女。

 されどその外観に反し、内面はあまりにも邪悪。

 狂龍王・エルザード。

 神話に名を刻む怪物であり、一度世界を滅亡寸前まで追い込んだ伝説のドラゴン。

 その規格外な力量は、イリーナの心身に刻みこまれている。

 そして、それはジニーにしても同じことだった。


「……数ヶ月前のことを、思い出しますわね。あのときも似たような状況でした」


 そう。ジニーもまた、エルザードと対峙した人間の一人。

 イリーナが誘拐されるという寸前、渾身の魔法を叩き付けたが、なんの効果もなく……

 おそらく、彼女の人生でもっとも大きな無力感を味わわせた相手。

 イリーナにとっても、ジニーにとっても、大きな影響を与えた難敵。

 だが……

 エルザードに対峙する三人のうち、唯一、シルフィーだけは平然とした様子であった。

 彼女は黄金の聖剣・デミス=アルギスを肩に担ぎ、


「狂龍王ってあだ名からして、ドラゴンよね? それなら一時期倒しまくってたから、得意な相手だわ」


 大胆不敵に言い放った、その矢先。

 シルフィーの姿が消失する。

 あまりに速い踏みこみゆえ、イリーナとジニーの目にはそのように映ったのだ。

 そしてシルフィーは紅い髪をなびかせながら、敵方へとほんの一瞬で肉迫し――


「だわッ!」


 裂帛の気合いと共に、袈裟懸けの一撃を見舞った。

 獰猛でありながらも、冷徹に相手の急所を狙った斬閃。

 常人であれば斬られたことにさえ気付かぬであろう神速の一撃は、しかし、エルザードにとってなんら脅威でなかったらしい。

 彼女は無造作に右手を動かし、シルフィーの斬撃を受け止めてみせた。

 瞬間、凄まじい轟音が耳朶を叩き、発生した衝撃波が突風となって、謁見の間に飾られた装飾品の数々を壁際へと吹き飛ばす。


「……へぇ。この剣、並大抵のものじゃないね」


 黄金色の刀身を受け止めた、エルザードの右手の甲から、紅い滴が流れ落ちる。


「そういえば、アード君の取り巻きに古代の戦士がいるとか、そんな話を聞いた覚えがあるな。どうでもよかったから今まで忘れてたけど……キミが件の人物だったというわけだ」

「えぇ、その通りッ! 《激動の勇者》、シルフィー・メルヘヴンッ! この名前を抱いて、冥府に昇るがいいのだわッ!」


 戦闘意思を爆裂させながら、疾風迅雷の連撃を繰り出す。

 その猛攻を、エルザードは両手で捌きながら、僅かに目を瞠った。


「なるほど。勇者を騙る子供、ってわけじゃなさそうだな。特殊な剣に、桁外れの技術。キミがあのシルフィー・メルヘヴンか。ボクよりも二世代前の同族から、キミの逸話は良く聞かされてたよ。単独で龍の巣に吶喊して、千を超える我等が同胞を殲滅した少女。まさかまさか、本人に会うことが出来るだなんてね」


 喋る最中も、シルフィーによる攻勢は続行されており……

 秒を刻む毎に、その激しさは増していく。


「……勇者の称号を持つ少女に、聖剣まで加わるとなると、かなり厄介だねぇ。神話に名前を刻むわけだ」


 デミス=アルギスの刀身を防ぐエルザードの両手は、もはやボロボロだった。

 再生能力が追いつかない。回復と同時に新たな裂傷が生まれ、鮮血を周囲に飛び散らせている。

 傍から見れば、完全に防戦一方といったエルザード。

 そうした様子に、イリーナとジニーは冷や汗を流した。


「い、いつもお馬鹿なことばかりしてるから、忘れてたけど……!」

「ミス・シルフィーの力量、やはり規格外、ですわね……!」


 あどけない可憐な外見と、馴染みやすい性格ゆえ、失念しやすいが。

 シルフィー・メルヘヴンは《激動の勇者》という異名をとる、伝説の大人物である。

 地方によってはその存在は神格化されており、《魔王》や四天王と同じように崇拝されてもいる。

 普段こそ周囲を騒然とさせる大馬鹿者だが……こうした状況となれば、彼女がなにゆえ神話に名を刻んだのか、よく理解出来る。


 ただただ強い。

 その圧倒的な天性と、若くして古代の戦場を生き延びたという経験。

 そこに加え、《邪神》の一柱より勝ち取った聖剣・デミス=アルギスを有する彼女は、まさに伝説の英雄以外のなにものでもない。

 しかし――


 今、彼女が猛攻を仕掛けている相手もまた、伝説の中の伝説。

 さしものシルフィーも、単独では決定打に欠けるといった印象であった。

 それを察したイリーナとジニーは、お互いに顔を見合わせ、


「あたし達にだって……!」

「ミス・シルフィーの援護ぐらいは、出来ますわね……!」


 畏怖を抑え込みながら、頷き合う。

 そして二人は、かつてアードから贈られた、彼手製の魔装具を召喚する。

 瞬間、二人の意思に応じて、異界より二種の武具が現れた。

 互いの手元に呼び出されたのは、一本の槍。ジニーが有するそれの穂先は紅く、イリーナのそれは蒼い。

 また、槍の顕現と同時に、その穂先と同色の脚甲が二人の両足を覆う。

 任意で特殊な攻撃を放つ武器と、常時身体機能を高めてくれる脚甲。

 これらが揃うことで、二人は古代世界の戦士並に戦えるようになる。


「加勢するわよ、シルフィーッ!」

「なんとか隙を作りますッ! そこを突いてくださいましッ!」


《激動の勇者》が見せる雄姿に、二人は助けられていた。

 シルフィーがいればなんとかなる。

 自分達だけでは無理だが、彼女が加われば、あの恐ろしい化物を倒せるかもしれない。

 そんな希望が畏怖を取り除き、戦いに臨む勇気を与えていた。

 ゆえにイリーナとジニーは槍を構え、勇敢に突撃する。

 そして、シルフィーが嵐のような猛攻をかける中、二人は横やりを入れる形で突きを繰り出した。


「おっと、危ない」


 後方へ跳躍し、距離をとるエルザード。

 彼女はイリーナとジニーの姿を見やりながら、唇に笑みを宿らせた。


「ほう。聖剣には劣るけれど、なかなか強力な魔装具だね。彼の手製といったところかな?」


 三対一。それでも悠然とした態度を崩さぬエルザードに、僅かな畏怖を覚えるイリーナだが、頭を横に振ってそれを掻き消すと、


「あんたなんかッ! あたし達の敵じゃないわッ!」


 闘志を昂ぶらせ、踏み込んでいく。

 そして、突きを連発。

 さすがにシルフィーの斬撃には劣るからか、エルザードは涼しげな顔をしながら、ひょいひょいと華麗に躱していく。

 だが、それは想定の範疇。

 エルザードがイリーナの動きに集中した瞬間を狙って、ジニーが動く。


「《ライズ・バースト》ッ!」


 叫びに合わせて、イリーナがその場より後方へと跳躍。

 刹那、エルザードの足下に巨大な魔法陣が展開し――

 数瞬後、無数の白雷が天に向かって走った。


「う、あ……?」


 ジニーに贈られた紅い槍は、任意で雷撃を放つことが出来る。

 その一撃は高威力なだけでなく、相手方の全身を痺れさせ、動作を停止させる効果を併せ持っていた。


「今よ、シルフィーッ!」

「がってん承知ッ!」


 待機していたシルフィーが、ここぞとばかりに獰猛な踏みこみを見せた。

 まるで獣が牙を剥くように、食いしばった歯を見せながら突撃し、そして。


「だわぁあああああああああああああああッ!」


 絶叫と共に、渾身の一撃を見舞う。

 袈裟懸けの斬閃。

 それは身動きを停止させたエルザードを見事に捉え、左の鎖骨から右の脇腹までを、深々と斬り裂いた。


「や、やったッ!」

「あの狂龍王を、私達だけでッ……!」


 勝利の確信が、歓喜と安堵をもたらす。

 爆発的なそれが、二人の表情をこのうえなく明るいものにさせたのだが、しかし。


「……! 二人とも、警戒を解くのは早いのだわッ! まだ終わってないッ!」


 神妙な顔で叫びつつ、彼女は弾かれたように、敵方から距離をとった。

 その鋭い眼光が見据えるは、胴に深手を負い、大量の鮮血を垂れ流すエルザードの姿。

 まさに満身創痍。あと一押しで絶命という、詰みの形である。

 が、そうであるにもかかわらず、エルザードは笑みを浮かべていた。

 悠然と、まるで勝ち誇っているかのように。

 そんな顔でイリーナとジニーを交互に見やりながら、彼女は口を開いた。


「ふふ。やっぱり、人間は成長が早いな。たかだか数ヶ月しか経っていないというのに、息がピッタリじゃないか」


 絶対的な高みから見下ろすような調子で紡がれた、褒め言葉。

 それをイリーナは、強がりだと思った。

 思い込もうとした。

 ジニーにしても同様である。

 ピンチゆえに、あえて気丈な態度を取るのだと。

 エルザードの言動は、敗北寸前の人間が見せる、ありがちなものだと。

 そのように思い込んだ。

 しかし。


「きっと魔法の腕前も上がっているんだろうね。メンタルもだいぶ成長したようだ。元・講師として、実に嬉しいよ。そのご褒美として――」


 次の瞬間。

 イリーナとジニーは、思い知ることになる。

 自分達の考えが、希望的観測でしかなかったことを。


「今からキミ達に、本当の絶望というものを教えてあげよう」


 宣言と同時に、エルザードの姿が変異する。

 見るからに深手といった裂傷が見る見る間に癒えていき、それに合わせて、彼女の素肌が一部、白金色の鱗に覆われていく。

 次いで、側頭部から捻れた角が伸び、口端が耳まで裂け、歯や爪が鋭い刃のような形状へと変化。

 半人半竜といったその姿には、イリーナもジニーも見覚えがある。

 だが――

 敵方の全身から放たれるプレッシャーは、当時の比ではなかった。


「アード君に屈辱を味わわされた後、ボクも生まれて始めて、努力というものを積み重ねたのさ。あの一件がなければ、一生経験することもなかったろうね。最強のドラゴンであるボクが、強くなるために自分を鍛えるだなんて。けれどその結果――」


 エルザードの全身が発光する。

 イリーナとジニーが認識出来たのは、それだけだった。

 眩い、黄金色の煌めき。

 その脅威を、二人は理解することが出来なかった。

 反面、シルフィーは《激動の勇者》の面目躍如といったところか、一瞬にして危機を察し、半ば本能的に防御魔法を発動。

 強固な防壁が三人の少女を覆う。

 そして――

 桁外れな、破壊の嵐が襲い来る。

 猛烈な光と衝撃が絶え間なく続き、鼓膜を破らんばかりの轟音が脳を揺らす。


「くッ……! むちゃくちゃ、だわねッ……!」


 シルフィーの口から苦悶が漏れる。

 その後もしばらく破壊の嵐は続き……

 それが過ぎ去り、平穏が戻った頃、周囲の環境があまりにも変わり果てていた。

 豪奢な謁見の間は、もはや原型がない。

 そもそも城という概念が庭ごと消えている。

 広大な王城と、それを守る掘や壁、門……そして、そこに居た人々。

 全ての要素が綺麗さっぱり消え失せて。

 都市の只中に、巨大な穴を穿っていた。


「なによ、この力……!?」


 穴の中心部にて、イリーナが呆然と呟く。

 そんな彼女を嘲笑うように見つめながら、エルザードが大きく裂けた口を開いた。


「かつてのボクは、真の姿にならなければ一〇〇%の実力を出せなかった。でも、今は違う。今のボクはこの姿の方が強い。そして当然、基本的なパワーもまた、あの頃よりも数倍は高くなってる。それがどういうことか、理解出来るかな? イリーナ君」


 黄金色の瞳で見据えられ、イリーナは全身を竦ませた。

 ジニーも同様である。

 相手方の圧倒的な威容に、ただただ体を震わせていた。

 そして、シルフィーにしても。

 脂汗を流し、聖剣を握り締めながら、彼女はポツリと声を漏らす。


「イリーナ姐さん。ジニー。アタシが時間を稼ぐのだわ。その間に逃げてちょうだい」


 もはやこれしか、打つ手はないのだと。

 シルフィーの声音には、悲痛なまでの決意と覚悟が宿っていた。


「逃げて、逃げて、逃げ延びて。アードと合流するのだわ。そうすれば安心よ。アードが二人を守ってくれるから……!」


 そこまで話すと、シルフィーは大きく深呼吸して、


「勇者の称号は伊達じゃないってことッ! アンタに教えてやるのだわッ!」


 勇ましく、エルザードへ向かって直進する。

 迷いも恐怖もない。

 ただただ己の意思を貫くのみ。

 自らを犠牲に、友を逃がす。

 そんな彼女の覚悟は、しかし――


「通じないよ。何もかも」


 エルザードは不動の体勢を保った。

 シルフィーが肉迫し、聖剣を大上段から振り下ろしてもなお、微動だにしない。

 やがて鋭い刀身がエルザードの頭頂部へと殺到し、直撃するのだが。

 瞬間。金属同士が衝突したような、激しい音が鳴り響き――


「ぐッ……!」


 シルフィーの斬撃が、跳ね返されてしまった。

 彼女は大きく仰け反り、痺れた手元を見つめながら、歯噛みする。


「まだ、まだぁッ!」


 連撃を繰り出すが、結果は同じ。

 そのことごとくが跳ね返され、エルザードの薄皮一枚、斬ることが出来なかった。

 それでもシルフィーは諦めることなく、猛然と聖剣を繰り出していく。

 全ては、時間を稼ぐため。

 二人の友を逃がすため。


 だが……

 そんな彼女の意思を知りながらも、イリーナとジニーは動けなかった。


 恐怖が、二人の体を石のように固めている。

 頭の中は真っ白で、何も考えることが出来ない。

 そんなイリーナに向けて、エルザードは微笑を送りながら、


「イリーナ君。キミは最後に殺すと約束しよう。そして、まずは手始めに――」


 エルザードが、右手を無造作に動かした。

 依然として、連撃を浴びせかけるシルフィーへ。

 その掌を、向けながら。


「ドラゴンが勇者を殺す。そんな瞬間を御覧に入れようか」


 裂けた口が、おぞましい笑みを作ると共に。

 エルザードの手先から、極大の光線が放たれた。

 それはシルフィーの華奢な体を飲み込んで――

 気付けば、彼女は遠く離れた場所に、倒れ込んでいた。

 焼け焦げた全身から、煙を上げながら。

 そんな様子を目にした瞬間。

 イリーナの脳裏に、二つの情が芽生える。


 一つは、圧倒的な畏怖。

 そしてもう一つは……友を害されたことによる、莫大な怒気。

 今、相手の力に怯え、空白となっていたイリーナの頭に、一つの思いが浮かぶ。

 報復である。

 烈火の怒りが、戦闘意思を芽生えさせた。

 そんなイリーナの肩に、ジニーが手を置いて、


「ミス・シルフィーには、本当に申し訳ないと思いますが。ここは彼女の思いを、無碍にさせていただきましょう」


 ジニーとしても、思いは同じようだった。

 二人とて理解はしている。逃げることが出来るなら、それが最善であると。

 だが、目前の怪物を相手に、それは不可能であろう。

 ならばもはや、立ち向かうほかはない。

 というか、そもそも――


「女の子にだって、意地というものがありますわ。そうでしょう? ミス・イリーナ」

「えぇ、その通りよ……!」


 友人を傷付けた相手の頬を、一発さえ張ることなく逃げるだなんて。

 女の意地に反するものだった。


「ふふ。そこらへん、キミ達は全然変わってないなぁ。危険から逃げるよりも、やられた友人の報復を選択する。…………そういうの、本当にクソ不愉快だよ」


 イリーナやジニーの思いだけでなく、友情という概念さえも、唾棄すべきものだと。

 心の底から忌々しげに、エルザードはそんな思いを吐き捨てた。


「行くわよ、ジニー……!」

「いつでも準備万端ですわ、ミス・イリーナ……!」


 互いに覚悟の光を瞳に宿し、そして。

 両者同時に、地面を蹴った。

 槍を携えながら、勇猛果敢に踏み込んでいく。

 彼我の間合いは一瞬にしてゼロとなり、すさぐさま二人の攻勢が展開される。

 槍による突きや薙ぎ払い。そこに攻撃魔法を加え、多彩な角度から攻め立てていく。

 だが――


「本当に、息が合っているねぇ。深い友情がなせる業ってやつか。感動的だな。けれど……そんなもの、ボクの力の前にはなんの意味もなさない」


 二人がかりの猛攻は、しかし、エルザードの身になんら危害を与えることが出来なかった。

 槍の穂先は鋼のような肌に弾かれ、魔法による熱や冷気、衝撃の類いもまた通用しない。


 だが、それでも。

 二人は諦めなかった。


 前に進む意思を持ち続ければ、必ず道は拓ける。

 アードと出会ってから常に、尋常ならぬ経験を積み重ねてきた。

 自分達よりも上の存在を相手にしたことだってある。

 そして、命の危機に晒されたことだって、一度や二度じゃない。

 けれど、それら全てを乗り越えて、自分達はここにいる。

 諦めることなく、ひたすらに足掻き続けたなら、きっと望む未来を掴むことが出来るはずだ。


 ――そんな意思を抱く二人へ、エルザードは微笑する。

 まるで、嘲笑うかのように。


「これまで何度も、友情の力で危機を乗り越えてきた。だから今回もなんとかなる、と。そんなふうに考えているのだろうけど」


 二人の攻撃を浴びつつも微笑を保ち、言葉を紡ぐエルザード。

 その瞳に――

 明確な殺意が、宿った。


「友情が奇跡をもたらす。そんな考えは愚かな幻想でしかないってことを教えてやる」


 瞬間。

 エルザードが二人に対して、迎撃の動作をとった。

 これまで無防備に受け続けてきた、槍の穂先。

 イリーナが繰り出したそれを平然と掴んで……

 容赦なく、粉砕する。


「なッ……!?」


 目を見開くイリーナへ、エルザードは冷然とした声を放つ。


「さぁ、絶望の始まりだ」


 裂けた口が、邪悪な笑みに歪む。

 そして。

 エルザードはジニーが繰り出した槍さえも粉砕し――


「二人目の死を、間近で見届けるがいい」


 宣言すると共に、エルザードが貫手を放った。

 その鋭い爪が捉えたのは。

 ジニーの、柔らかな鳩尾。

 エルザードの手は彼女の腹部を裂き、臓腑と背骨を貫いた。


「う、あ……!?」


 あまりの激痛に目を見開くジニー。

 その瞳から、光が急速に失われていく。

 まるで、死に際の如く。


「ジニィイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!」


 友の意識を繋ぎ止めようと、絶叫するイリーナ。

 その絶望感に満ちた叫びを、エルザードは心地よさげに聞き入りながら。


「今は自分の身を心配した方がいいと思うなぁ?」


 片手をイリーナへ突き出して、エルザードは口端を吊り上げた。

 死ぬ。

 そんな予感が、イリーナを無意識的に動かした。

 完全に脊髄反射といった調子で、彼女は防御魔法を発動する。

 そうして、イリーナの全身が煌めく防護壁に覆われた、次の瞬間。

 エルザードの掌が、黄金色の閃光を放つ。


 激痛と衝撃、浮遊感。


 眩い光が視界を侵し、それからすぐに、意識が暗転する。

 どれだけの時間が経ったのだろうか。

 頬から伝わる、硬くて冷たい感触。

 目を覚まし、瞼を開いたイリーナは、自分が街中に倒れているという現状を把握した。

 咄嗟に発動した防御魔法により絶命は免れたようだが……

 しかし、それでも全身に刻まれたダメージは深い。


「う、ぐっ……!」


 激痛を感じ、涙目となりながらも、ゆっくり立ち上がるイリーナ。

 そんな様子を、民間人が当惑した様子で見つめていた。


「あの女の子、城の方から吹っ飛んできた、よな?」

「お城が消えたことと、何か関係があるのかしら……?」


 自分達の騒動は、民間人の心に不安をもたらしているようだ。

 そんな様子に申し訳なさを感じつつ、イリーナはようやっと、二本の足で地面を踏みしめた。

 そのとき。


「はは。キミもしぶといねぇ、イリーナ君」


 楽しげな声と共に、エルザードが天空より舞い降りた。

 その半竜半人といった姿を前にして、民間人の心はことさら乱れたのだろう。


「な、なんだ、あのバケモンは……!?」

「き、気持ち悪い……!」


 畏怖と嫌悪。そうした視線を一身に浴びたエルザードは、眉間に皺を寄せて、


「……ジロジロ見てんじゃないよ、ムシケラ共が」


 不快感を言葉として放ちながら、彼女は右手を天へと掲げた。

 エルザードが何をしようとしているのか、イリーナは瞬時に悟り、制止の声を放つ。


「やめ――」


 だが、口を開いてからすぐ。

 イリーナの声を聞くことなく、エルザードは行動した。

 天上に無数の魔法陣が顕現する。

 黄金色の幾何学模様が虚空を埋め尽くす、美しくも恐ろしい様相。

 それが、多くの人々にとっての、最後の光景となった。


「くたばれ」


 冷然とした言葉が放たれると同時に、魔法陣から巨大な炎球が放たれる。

 膨大な破壊の群れが、街中に降り注ぎ――

 ほんの一瞬にして、惨状を創り上げた。

 灼熱が人と建物を焼き払う。

 木造建築が多いこともあって、火の手は瞬く間に広範囲へと拡大。

 エルザードが放った魔法は、目視確認出来ぬ場所さえも、急速に惨劇の舞台へと変えていく。


「なんて、ことをッ……!」


 エルザードは、イリーナを狙ってはいなかった。

 ゆえに彼女は炎球の被害を被ることはなく。


 その瞳は今、地獄絵図を捉えている。


 異国情緒に溢れた美しい街並みは炎に焼かれ、見る影もない。

 そこで暮らしていた人々は、あまりにもむごい死に様を晒していた。

 黒炭状となった、性別不明の死体。

 下半身のみを炭化させた少女。

 衝撃によってバラバラに吹き飛んだ男達。

 つい数時間ほど前まで、彼等は泣いたり笑ったりして、人生を謳歌していたのだろう。

 そう思うと。

 イリーナは心の底から悲しくなって。

 それと同時に――


 惨劇をもたらした怪物に、激しい怒りを覚えた。


「なんで……! なんで、こんなことをッ! 皆、関係ない人達だったのにッ!」


 イリーナの怒気に、エルザードはニタリと笑いながら応えた。


「うん、そうだね。関係ないね。だから平然と殺せるんだよ。無関係だからこそ、命を奪うのになんら躊躇いがなくなる。もっとも、ボクは人間が大嫌いだから、関係があろうとなかろうとアッサリ殺しちゃうんだけどね?」


 燃え盛る街中にて、エルザードは両手を広げながら、邪悪な笑みを深めた。


「キミを殺して、アード君を絶望させた後、この国の人間を皆殺しにしてやろうと思ってるよ。ドレッド・ベン・ハーに成り代わって以来、王様ごっこをやってきたわけだけど、いやはや、人間の支配ってのはストレスが溜まるもんだね。そのお礼として、国中の皆に残酷な死をプレゼントしてやろうってわけさ」


 冗談でもなんでもない。本気の発言に、イリーナは歯噛みした。


「させないッ……! そんなこと、絶対に、させるもんですかッ……!」


 アサイラスの民は、イリーナにとって敵国の人間達である。

 だが、そのような事情など関係ない。

 人の命は、どんなものであれ尊いものだ。

 メガトリウムでの一件を経て、イリーナはより強く、そう思うようになった。

 人間は汚く醜い。だが、そんな汚濁の中に、小さな煌めきを持つ。

 その美しい煌めきを守るために。

 命を賭して、目前の悪を討つ。

 そうした誓いを胸に、イリーナは敵方を睨む。

 そんな彼女を小馬鹿にした様子で、エルザードは肩を竦めた。


「まるで、ボクを倒すと言いたげな目をしているけれど。そんなの不可能さ。自分の状態をもう一度確認してみるといい」


 イリーナのつま先から頭の天辺までを見回しながら、エルザードは言う。


「武器は砕かれ、脚甲も大破寸前。全身の骨に亀裂が走り、内臓にだって大ダメージを受けている。本当は泣きたくなるほど痛いんだろう? 強がってないで、素直に泣き叫びなよ。ア~ド~、助けてぇ~、ってさぁ。そしたら、今回も彼が駆けつけてくれるかもしれないぜ?」


 小馬鹿にした調子で言葉を紡ぐ。

 だが、イリーナがその言葉通りにすることは、絶対にない。


「あんたに誘拐された頃のあたしとは、違うのよ……!」


 当時の彼女は、ただの弱者だった。

 物語の主人公に救われる、囚われの姫でしかなかった。

 けれど。


「あたしはもう、守られるだけのお姫様なんかじゃ、ない……!」


 生来の負けん気。

 そして――何よりも強い憧憬の思いが、彼女に英雄願望をもたらしている。

 その脳裏には今、二人の姿が浮かび上がっていた。

 一人は、最高の親友にして、最強のヒーロー、アード・メテオール。

 少し前、イリーナは彼へこう語った。

 自分が強くなろうとした理由は、アードにとっての特別になりたかったからだと。

 だが、それだけではない。

 イリーナは、アードそのものになりたかったのだ。

 その絶対的な強さで、何者をも守ることが出来る、そんな存在になりたかった。

 そうした思いを加速させた人物が、頭の中でアードと肩を並べている。

 古代世界で出会った伝説の勇者、リディア。彼女はまさに、理想の自分そのものだった。

 自由奔放に生き、豪快に笑い、誰かの危機に颯爽と駆けつけて、あっさりと救う。

 アードとリディア。二人と肩を並べたい。

 危機に瀕したとき、泣き喚く女の子でいたくない。

 むしろ……

 涙を流す者達を、守れる人間になりたい。


「あんたは確信してるんでしょ……! アードは、この場にはやってこないって……! あたしも、そう思う……! 泣き喚いたところで、いつも都合良くヒーローがやってくるわけじゃない……! だから……!」


 イリーナの心が、決意で満たされていく。

 そして、彼女は己の意思を、敵方へと叩き付けた。


「ヒーローがやって来ないなら……! このあたしが、ヒーローになるッ!」


 決意が。勇気が。

 力へと変わっていく。


「あんたを倒すッ! もう、誰のことも傷付けさせやしないッ!」


 今なら。

 誰かのために勇気を振り絞り、打ち倒すべき悪を前にした、今なら。

 きっと、彼の言葉に反することはないだろう。

 あの剣(、、、)は、|自分を受け入れてくれる《、、、、、、、、、、、、》だろう。

 そしてイリーナは、左手を天へと掲げ、叫ぶ。


「来なさいッ! ヴァルト=ガリギュラスッ!」


 その呼びかけに応ずるかの如く。

 今、大気が鳴動し、周囲の虚空に稲光が走る。

 圧倒的な力の到来。

 そんな予感を抱かせる現象の末に――イリーナの手元へと、一振りの(つるぎ)が現れた。

 無駄な装飾はなく、純粋かつ美しい白銀色のそれは、かつて《勇者》・リディアが愛用した三大聖剣が一つ。

 心の力で、邪悪を断ち斬るもの。

 その名は、ヴァルト=ガリギュラス。


「へぇ。それが、キミの切り札ってわけかい」


 聖剣の柄を握り締め、構えて見せるイリーナへ、エルザードは嘲笑を送る。

 そんなチンケな剣で何が出来るのだと、言わんばかりに。

 そうした敵方を睨みながら、イリーナはかつて、アードにこの聖剣を託されたときのことを思い返した。

 学園祭にて、敵に操られたシルフィーの暴走を止めた後のこと。

 ヴァルト=ガリギュラスを再び学園の大樹へと封印してから、アードはイリーナと二人きりになり、こんな言葉を投げかけてきた。


“イリーナさん。いずれ貴女にも、命を賭けねばならぬような難局が訪れるでしょう”

“そのときのために……聖剣を貴女に託します”

“大樹への封印の際、貴女の任意で召喚出来るよう、仕掛を施しておきました”


 そうした言葉にイリーナは驚き、そして、こんな問いを口にした。


“あたしに、聖剣が使いこなせる、かな?”


 アードは即座に頷いた。


“むしろ、かの聖剣は貴女にこそ相応しい”

“ヴァルト=ガリギュラスがもたらす力は使い手の心を蝕む、危険なものです”

“いかなる聖者をも邪な道へと走らせてしまう。そんな、聖剣とは名ばかりの邪剣”

“しかし……貴女ならば使いこなせるでしょう。力に心を支配されることなく、ね”


 アードは確信に満ちた笑みを見せながら、イリーナの肩に手を置いて、


“かつての《勇者》・リディアがそうだったように”

“貴女もまた、英雄の器を有している”

“誰かのために戦うとき、限界を超えた力を見せる貴女こそ、聖剣の使い手に相応しい”


 アードは、自分を信じてくれた。

 いかなる力も使いこなすだろうと。

 その力を正しいことに用いてくれるだろう、と。

 そしてイリーナは、彼の信頼に応えるべく、聖剣に呼びかけた。

 守るべきものを守り、絶望を希望へと変えるために。


「《アルステラ(煌めけ魂)》ッ! 《フォトブリス(我、聖なる光となりて)》……《テネブリック(闇を打ち払わん)》ッ!」


 超古代の言語による詠唱が、イリーナの口から放たれた瞬間。

 彼女の全身が眩い光に覆われ――

 数瞬後、その華奢な体に、白銀色の鎧が纏われた。


「くッ……!」


 鎧の顕現と同時に、ダメージによる痛みなどは完全に消え失せたが、その反面。

 圧倒的な力が流れ込み、それが心に邪悪な情念をもたらしてくる。

 敵への憎しみ。破壊衝動。凶暴な殺意。陵辱欲求。

 聖剣・ヴァルト=ガリギュラスが、使い手たるイリーナの心を犯し、自分好みに染め上げようとしている。

 だが――


「あたしはッ! この力を、正しいことに使うッ!」


 決意の言葉を叫び、邪心を打ち払う。

 そしてイリーナは、清純なる闘志だけを胸に、敵方へと吶喊した。

 雄叫びを上げながら迫る彼女へ、エルザードは嘲笑を送る。


「ははっ、勇ましいねぇ。けれどそれは、まさに無駄な足掻きでしか――」


 言葉の途中。

 イリーナはエルザードを刃圏に捉え、裂帛の気合いと共に聖剣を振るう。

 袈裟懸けの斬撃。

 渾身の力を込めて放たれたそれに対し、エルザードは不動の姿勢を貫いた。

 こんなもの、なんの効果もない。

 イリーナのような小娘が、泣き喚くことしか出来ぬ弱者が、自分を害することなど出来はしない。

 そうした考えが、エルザードのニヤケ面から伝わってくる。


 しかし。


 数瞬後、狂龍王はその悠然とした顔に、驚愕を宿すこととなった。

 イリーナが繰り出した斬撃は、エルザードの体を捉え――

 白銀色の刀身がその肌と肉を裂き、骨をも断ち斬った。


「がぁッ!?」


 襲来した、予想外の激痛に、エルザードは目を大きく見開いた。


「せりゃあッ!」


 返す刀で、イリーナが斜め上へと刀身を振り上げる。

 その一撃もまた見事にエルザードの体を斬り裂いて、先の傷と合わせて、彼女の胴に×の次を刻む。


「ぐぅッ……!? ば、馬鹿なッ……! 本気になったボクに傷を付けるだなんて、そんなこと、出来るわけがッ……!」


 喀血しながら、たたらを踏むエルザード。

 驚異的な治癒力により、先刻受けた傷はすぐさま癒えた。

 が、心に刻まれた驚愕は、現在も彼女の心を動揺させている。

 冷や汗を流し、後退するエルザードへ、イリーナは果敢に踏み込んでいった。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」


 体勢を低くして、獲物を襲う獣のように疾走する。

 その躍動に、エルザードは怒気を放った。


「調子に乗るな、小娘がッ!」


 彼女の頭上に無数の魔法陣が顕現する。


「消えてなくなれッ!」


 エルザードの号令一下、魔法陣から蒼穹色の光線が一斉に放たれた。

 あまりにも膨大な超高熱の群れ。

 だが、イリーナは立ち止まることなく、疾走を続けながら、


「《セル・ヴィディアス(脅威を糧とせよ)》ッ!」


 聖剣・ヴァルト=ガリギュラスが有する力の一つを発動する。

 詠唱を口にした直後、白銀色の刀身が強く発光し――

 エルザードが放った無数の蒼き熱線を、吸い込んでいく。


「なにッ!?」


 再び驚愕を顔に刻む狂龍王。

 その目前に、イリーナが肉迫した。

 踏み込む力が大きく高まっている。

 それは先ほど、エルザードの魔法を吸収したがため。

 ヴァルト=ガリギュラスは魔力による攻撃を全て吸収し、使い手の力へと変換する。

 ゆえにエルザードの殺意に満ちた魔法は、むしろイリーナの力を高めてしまった。


「ハァッ!」


 大上段からの振り下ろし。

 ド迫力の斬撃に対して、エルザードは舌打ちをかましながら、後ろへ跳んで回避する。


「この力ッ……! 召喚した剣によるもの、だけじゃないッ……!」


 彼女は本能的に、イリーナの体から未知のエネルギーが放たれていることを感じ取っていた。

 決意と勇気が力に変換され、全身から迸っている。

 それは彼女の身を覆う、純白のオーラとして可視化されており……

 その正体をエルザードは推察し、そして。


「《魔族》共めッ……! ボクを、踏み台に使いやがったのかッ……!」


 イリーナは今、《邪神》の力を目覚めさせているのだろう。

 彼女の血肉と魂。その始祖は《邪神》の一柱である。

 そして現在、イリーナという存在を構築する全てが、《邪神》へと近づいている。

 意思の力で無限のパワーを生み出し、世界をも変えてしまう、圧倒的な存在。

 一人の無垢な少女が、絶大な怪物へ進化する過程を、エルザードは見せつけられていた。


 それは、《魔族》達の謀。


 奴等は、イリーナの覚醒を狙っていたのだ。

 自分を、捨て駒のように利用して。

 そんな推察が、エルザードの怒りに火を点けた。


「舐めるなッ! ムシケラ風情がッッ!」


 踏み込んでくるイリーナに対し、エルザードは一振りの剣を召喚する。

 彼女が配下として使っていた《竜人》族の男。彼が用いたそれと同じ、竜骨を基に作られた大剣。その切っ先をイリーナへと向けながら、エルザードが大地を蹴った。

 そして、燃え盛る街の只中にて。

 少女と竜の剣戟が、開幕する。


「るぅあッ!」

「はッッ!」


 聖剣と竜骨剣が激しくぶつかり合い、火花が大輪に咲き誇る。

 刀身同士の衝突が轟音と衝撃波を生み、舗装された石畳が秒刻みで砕けていく。

 まさに人外の闘争。

 その趨勢はしばらく、完全なる互角であったのだが。

 次第に均衡が崩れていく。

 優位となりつつあるのは――

 狂龍王・エルザードであった。


「ははッ! どうした、イリーナ君ッ!? 動きが悪くなってきたぞッ!?」


 イリーナの頬を竜骨剣が掠める。

 元来、ドラゴンの骨を基に作られたそれは、掠っただけで相手の魂を食らう。

 だが、現在のイリーナは《邪神》と同格の存在になりつつあるからか、竜骨剣が有するおそるべき力が通じていない。

 けれどもその刀身がもし、深々と体を捉えたなら。

 いかな存在であれ、絶命へと至るであろう。

 そして近い将来、その瞬間は確実にやってくる。

 エルザードだけでなく、イリーナもまた、そんな予感を抱いていた。


(体が、重い……!)

(心が、辛い……!)


 急速に目覚めた《邪神》の力。

 そして、聖剣がもたらすエネルギー。

 それらはイリーナの体と心に大きな負荷をかけていた。

 常人であれば膝を折り、倒れ込んでしまうであろう疲労感。

 もはや限界はとうに超えている。

 ゆえに必然、イリーナの心が諦観に支配され始めた。


(あたしは、ここまで、なの……?)

(所詮、守られるだけの、お姫様だったってこと……?)

(苦しい……)

(何もかも投げ出して、眠っちゃいたい……)


 いかな存在とて、上限というものはある。

 人としてのリミットを遙かに超過したイリーナの弱音を、誰が責められよう。

 誰かを守るために、立派に戦った。

 限界を超越し、桁外れの怪物を追い込んだ。


 ……もう、十分に頑張ったじゃないか。

 後のことはアードに託そう。

 自分がこいつに勝てなくたって、彼がきっと、どうにかしてくれる。

 そんな考えに甘えようとした、そのとき。


「踏ん張りなさいッ! ミス・イリーナッ!」


 剣戟の、激しい轟音を斬り裂いて。

 聞き慣れた少女の叫びが木霊する。

 その声の主は――


「ジニーっ……!」


 遠くの、崩れた建物の陰で。

 青い顔をしながらこちらを睨む、友の姿があった。


「もうアード君に任せよう、だとかッ! こいつには勝てないとかッ! そんな、お馬鹿なことを考えてましたわねッ! それは大間違いですわ、ミス・イリーナッ! 貴女はそんな、くだらないドラゴンに負けるような人じゃないッ!」


 ジニーの、声が。

 その、言葉が。

 イリーナの心に染み渡っていく。


「私にとって貴女はッ! アード君に並ぶヒーローですッ! 覚えてますかッ!? 私に初めて声をかけてくれたのはッ! 私に初めて、救いの手を差し伸べてくれたのはッ! アード君じゃないッ! ミス・イリーナッ! 貴女ですッ!」


 青い顔で、なおも叫び続ける。

 その瞳に涙を浮かべ、憧れのヒーローに、エールを送るかの如く。


「ずっと、貴女の背中を見てきたッ! 貴女の隣に並びたいから、必死に努力したッ! ミス・イリーナッ! 貴女は私にとって、親友であると同時に、憧れの存在なんですッ! そんな貴女が、ドラゴンなんかに負けるはずがないッ!」


 心に、熱いものが滾る。

 友情の炎が、燃え盛る。

 そして――


「勝ちなさいッ! ミス・イリーナッ! そのトカゲ女をブッ飛ばして、私に証明して見せなさいッ! 自分がアード・メテオールに並ぶ、最高のヒーローだということをッ!」


 大粒の涙が、ジニーの瞳からこぼれ落ちた、そのとき。

 エルザードが血走った眼で、彼女を睨んだ。


「ウザいんだよ、この馬鹿女ッ!」


 激情を放ちながら、目前に魔法陣を顕現させる。

 極太の青い光線がジニーへと殺到した。

 満身創痍な彼女に、それを躱すだけの力はない。

 だから……

 自分が、友を守る。


「《セル・ヴィディアス(脅威を糧とせよ)》ッ!」


 一瞬にしてジニーの目前へ移動すると、イリーナは聖剣の力を発動。

 迫り来る光線が、白銀色の刀身に吸い込まれた。

 そしてイリーナは友を背にして、微笑を浮かべ、


「見てなさい、ジニー! あんな奴、すぐにやっつけてやるんだから!」


 滾る思いを叫びとして放ちながら、突撃する。


「チィッ! 無駄に足掻くんじゃねぇよ、小娘がッ!」


 エルザードの口調が、荒々しくなる。

 復活したイリーナへの畏怖ゆえか。はたまた……

 見せつけられた友情に対する、情念ゆえか。

 いずれにせよ。


「今のあたしはッ! 負ける気がしないッッ!」


 熱き思いを刃に乗せて、聖剣を振るうイリーナ。

 その剣圧は完全復活、どころか、ますます高まりを見せている。


「くッ……! 友情の力、とでもいいたいのかッ……! 馬鹿馬鹿しいッ!」


 エルザードは顔を怒気に染め上げながら、竜骨剣を振るい、感情を爆発させる。


「何が憧れだッ! 何がヒーローだッ! 何が親友だッ! 結局は裏切るくせにッ! 当たり障りのいいことばかり言いやがってッ!」


 荒い口調と同様に、剣の運び方もまた、これまでにない獰猛さを帯びている。

 そんなエルザードと打ち合いながら、イリーナは彼女の心に潜む孤独を感じ取っていた。


「怪物と人間は相容れないっていうのにッ! 友情なんか成立しないっていうのにッ! あぁあああああああああああッ! お前達を見てると、心の底から虫酸が走るッッ!」


 怒りや憎しみ、そして妬み。

 マイナスの感情がエルザードに限界を超えた力をもたらしていた。

 だが、それと同様に。

 イリーナもまた、限界を超え続けている。


「怪物であろうとッ! なんであろうとッ! 手を取り合えば理解出来るッ! あたしと、ジニーみたいにッ! 人間はあんたが思ってるような、醜いだけの存在じゃないッ!」


 熱い。

 体が、心が、熱い。


「うぉ、ああああああああああああああああッ!」

「きぃああああああああああああああああッ!」


 依然として劣勢。

 だが、諦観などもはやどこにもない。

 友が見ている。

 自分のことを、親友だと言ってくれる友が。

 自分のことを、ヒーローだと言ってくれた友が。

 彼女の前で、無様な姿を見せたくない。

 彼女の前では、とことんヒーローでありたい。

 だから――


「勝たせてもらうわよッ! エルザァァァドォオオオオオオオオオオオッ!」


 イリーナはさらに、壁を一枚ブチ破った。

 滾りに滾った情熱が。決意が。勇気が。

 彼女の位階を押し上げた。

 魂の底から、絶大な力が流れ込んでくる。

 それに応じて、イリーナが纏うオーラが、純白から漆黒に変わり……


「くぅッ……!」


 全身に、激烈な痛みをもたらした。

 関節や骨が悲鳴を上げ、血管が破裂し、肌を突き破って血飛沫を放つ。


「ははッ! 暴走だッ! 所詮人の身に、《邪神》の力は過ぎたものッ! このままいけば、キミは自分の力に殺され――」

「それがッ! どうしたぁああああああああああああああッッ!」


 漆黒のオーラを纏い、全身から鮮血を噴き出しながらも。

 イリーナは激痛を熱情で吹っ飛ばし、豪快な斬撃を見舞った。


「この体がバラバラになろうとッ! そんなことはどうでもいいッ! あたしは、あんたに勝つッッ! 勝つッ! 勝つッ! 勝ぁぁぁぁぁぁぁつッッッ!」


 凄まじい出力に全身が悲鳴を上げ、血の涙さえ流しながらも、イリーナは止まらなかった。

 ド外れた猛攻に、エルザードは防戦一方となる。

 もう、反撃の余地さえない。

 ただただ、イリーナが振るう聖剣を竜骨剣で以て受け止め……

 刀身から伝わる衝撃に、顔を歪ませることしか出来ない。


「くうッ……! 認めない……! 認めないぞ……! 認めてッ! たまるかぁああああああああああああああああああッ!」


 激情を放つエルザードだが、戦況に変化はない。

 やがて彼女の竜骨剣に亀裂が走り、次第にそれが刀身全体へと広がっていく。


「う、嘘だッ! ボクがこんなッ! こんな、ゴミクズに負けるだなんてッッ! そんなこと、あるわけがなぁああああああああああああああいッ!」


 悲鳴にも似た叫びは、彼女の勝利への願望は、しかし、現実の前に打ち砕かれた。

 イリーナが振るった聖剣を受け止めた、その瞬間。

 ついに竜骨剣が限界を迎え――

 ひび割れた刀身が、木っ端微塵に砕け散る。

 そして。


「ブッ飛ばしてやるわッ! エルザードッ!」


 決着のときが、訪れた。

 右拳を握り固めるイリーナ。

 瞬間、その拳骨に、全身から迸るエネルギーの全てが凝縮されていく。


「く、そぉおおおおおおおおおおおおおおッッ!」


 向かい来るイリーナの喉元へ、エルザードが貫手を放つ。

 鋭く、速い。しかし、今のイリーナには止まって見えた。

 ゆえに易々と回避して、相手の懐に入り――


「歯ぁ、食いしばりなさいッ! このお馬鹿ぁああああああああああああああッ!」


 握り固めた右拳を、エルザードの顔面へと叩き込む。

 拳頭が頬に直撃すると同時に、エネルギーの爆裂が発生。高濃度に凝縮されたパワーが桁外れの衝撃を生む。

 そしてエルザードは、先刻イリーナが叫んだ通り、街中をブッ飛んでいく。

 建物を派手に貫通し、どこまでもどこまでも突き進んで、街を守護する壁さえも貫く。

 まるで人間の巣から追い出されるようにして外部へと放たれたエルザードの体は、なだらかな平野にて着地し、ゴロゴロと地面を転がった末にようやっと、その動きを止めた。

 大の字に横たわったエルザードは、天に浮かぶ太陽を憎らしげに見つめながら、


「ちく、しょう……! なん、で、こんな……!」


 もはや戦闘の続行は不可能。

 精神的にも肉体的にも、身動き一つ出来はしない。

 ただただ、敗北という現実を呪うことしか出来なかった。

 そんな彼女のもとへ、イリーナが聖剣を携えてやってくる。


「……殺せ」


 自分を見上げる少女へと、狂龍王は短く吐き捨てた。

 彼女に残された意思は、速やかな逃避のみ。

 さっさと死んで、こんな不愉快な世界からおさらばしたい。

 ……そうした意思を、イリーナは拒絶する。


「あんたのことは殺さない。あんたには、これからも生き続けてもらう」


 難しそうな顔で見下ろしてくる彼女へ、エルザードは乾いた笑みを漏らした。


「ボクを捕らえて、ペットにでもしようっていうのかい? 長い時間かけて、ジワジワ苦しめて、楽しもうってことかな? ははっ、さすが、《邪神》の末裔だな」


 口元には笑みがある。しかし、その瞳は真っ黒な憎悪で塗り潰されていた。


「キミが殺さないと言うなら、自らの手で命を断つまでさ。もう一秒足りとて、こんな世界には留まっていたくない」


 そう呟くと共に、エルザードは自らの肉体を崩壊させるべく、特別な魔法を発動したのだが――


「そんなこと、させるもんですか」


 身を屈めたイリーナが、エルザードの胸に触れた。

 その直後、狂龍王の体を覆うように顕現していた魔法陣が消失する。


「お前ッ……! なにを、したッ……!?」


 驚愕を隠せないエルザード。

 目を見開き、疑問を吐く彼女へ、イリーナは堂々と言い放つ。


「わかんない。なんとなく出来ると思ったからやってみただけよ」


 彼女自身、己の力を完全に理解したわけではない。

 ぼんやりとした輪郭を掴んでいるだけだ。

 受け継いできた《邪神》の血脈。それが覚醒したことによって得られたものは……

 小規模な、現実改変能力。

 その力によって、イリーナはエルザードの動きを封じたのである。

 イリーナ自身、己が用いた力に驚いている様子だった。


「……あたしはもう、本当に、人間じゃなくなったのね」


外なる者達(アウター・ワン)》……現代においては《邪神》と呼ばれる者達と、肩を並べる存在となった。

 そんな自覚を抱いたからか、その顔はどこか儚げだった。

 一方で、エルザードは歯噛みし、射殺さんばかりの視線をイリーナへ向けながら、


「ふざ、けるなッ……! 殺せぇッ! 今すぐ、ボクを殺せッ!」


 憎悪を爆発させる彼女へ、イリーナは首を横に振る。


「いいえ。あんたのことは殺さないし、死なせない。それはあんたがさっき言ったように、苦しめるため……とかではなくて。むしろ、その逆よ」


 イリーナは身を屈めた状態で、エルザードの顔を覗き込みながら、言った。


「数ヶ月前、あんたに誘拐されたときのあたしは、ただただ泣き喚くことしか出来なかった。あんたのことなんか、なんの理解も出来なかった。でも……今回、戦ってみて、なんとなくわかったわ。あんたは、あたしやアードにとって、辿り着いたかもしれない未来の一つなんだって」


 イリーナはエルザードの黄金色の瞳を見つめながら、言葉を続けた。


「あたしとアードは、本当に、最高の友達と出会うことが出来た。でも……あんたは違ったのね、エルザード。怪物であることを受け入れてくれる人達に、巡り会えなかった。……もし、メガトリウムで皆が来てくれなかったら。あたしも、あんたみたいになってたかもしれない」


 つい先日の一件、その大詰めにて。

 イリーナは人間に絶望し、自身の幸福な生活に終止符が打たれるものと、そう思っていた。

 ライザーの謀により、イリーナとその一族が《邪神》の末裔であると、大陸中に知れ渡ってしまったからだ。

 メガトリウムで過ごした一時により、イリーナは人間の闇を見つめることとなり……

 その結果、人と怪物はわかり合えぬと、そう結論づけた彼女にとって、自らの正体が露見するということは即ち、これまで築いた全ての関係性の崩壊を意味していた。


 しかし、現実はどうなったか?


 ……皆、自分のことを拒絶するどころか、メガトリウムまで駆けつけてくれた。

 ジニーやシルフィーだけじゃない。これまで関係を結んできた全ての人達が、自分を助けるために、馳せ参じてくれた。だからこそ、イリーナは人間に絶望した自分を恥じ、それまで以上にヒトを愛するようになったのだが……


「あんたはこれまでずっと、裏切られてきたんでしょうね。そんな人間にしか、出会うことが出来なかった。だから、こんなことになった」


 エルザードは自分やアードの映し鏡。そんな解釈をしたがために。

 イリーナは、彼女へ手を差し伸べた。


「あたしは、あんたのことを絶対悪だとは思わない。だからあたしは、あんたを殺さないし、憎むこともしない。むしろ……あたし達は、手を取り合えると思う」


 イリーナは真っ直ぐにエルザードの顔を見据えて、断言した。


「あたしはあんたを裏切らない。絶対に。だから……もう一度、人間を信じてほしい。あたし達と一緒に、人間の世界で生きるのよ。エルザード」


 この狂龍王は、多くの人々を傷付けた。それは決して許されぬことだとは思う。

 だが……傷付いた人々は、自分やアードが必死にフォローすればいい。

 エルザードは、ヒトとの関係がもとに歪んでしまった、もう一人の自分なのだ。

 そんな彼女には、幾ばくかの救いがあってほしいと思う。だからイリーナは……


「今日からあんたも、あたしのお友達よ、エルザード」


 うっすらと、柔らかく微笑んだ。

 そんな彼女に、エルザードは目を丸くして。

 それからすぐ、キッとイリーナを睨めつけた。


「……妄想も大概にしろよ。ボクがキミ達の、もう一つの未来? ハッ、馬鹿馬鹿しい。全然違うね。キミの推察なんて、何もかもが的外れさ。ボクは生まれてからずっと、人間が憎いんだ。そこに理由なんてない。だからキミのことも大嫌いだ。友達になんか、なってやるものか。むしろ傷が癒えたら、また今回と同じことをしてやる。キミのお友達を、目の前で殺してやるよ」


 饒舌に、挑発的な言葉を並べ立てていくエルザード。

 その姿をイリーナは、拗ねて泣き喚く子供のようだと、そう思った。


「心身共に肩を並べると、相手に対する理解って変わるものね。これまではあんたのことが、恐ろしい怪物にしか見えなかったけど。でも、今はなんというか、寂しがり屋のかまってちゃんって感じだわ」

「……は?」


 心の底から不愉快とばかりに、エルザードは眉間に皺を寄せた。

 今はまだ、心が通い合っていないけれど。

 いつか、この恐ろしかったドラゴンとさえ、笑い合うようなときが来るだろう。

 イリーナの心には、未来への希望だけがあった。

 これからに対する、さまざまな展望。

 新たな友人を加えての生活。

 それらに思いを馳せ、心持ちを明るくさせた、その瞬間。


 イリーナの足下に、突如、魔法陣が顕現した。


 エルザードの仕業、ではない。彼女もまた、突然の状況に瞠目している。

 そして数瞬後、イリーナの意識が暗転し――

 気付けば、彼女は見知らぬ場所に立っていた。

 空は暗雲に覆われ、絶え間なく雷鳴が響き渡り、大地はあまりにも荒涼としている。


 世界に終末が訪れたなら、きっとこんなふうになってしまうだろう、と。そう思わせるような、荒れ果てた大地にて。

 イリーナは二人の男を見た。


 一人は、アード・メテオール。

固有魔法(オリジナル)》によるものだろう。姿形が激変しており、目視しただけで失神してしまいそうなほど、今の彼は美しい姿となっている。


 そして――

 もう一人の姿にも、見覚えがあった。


 しかし、なぜ?

 なぜ、あの男がここにいるのだろう?

 そんな疑問を抱いた矢先のことだった。

 男が、その美貌に凶悪な笑みを浮かべ、叫びを放つ。


「素晴らしいッ! 嗚々、素敵だよ、お嬢さん(フロイライン)ッ! よくぞ進化してくれたッ!」


 狂おしいほどの歓喜が、その口から発露されたと同時に。

 男の手元へ、小さな筺が顕現する。

 純白の体表に、黄金色のラインが走るそれを目視すると同時に、イリーナはなぜだか、不思議な懐かしさと……


 あまりにも大きな、畏怖の情を覚えた。


 アレは、存在してはならぬものだ。

 アレは、破壊しなければならぬものだ。

 さもなくば……

 希望が。未来が。壊されてしまう。

 そんなふうに考え、無意識のうちに攻撃の姿勢をとろうとするが、しかし。


「無駄さ、お嬢さん(フロイライン)ッ! 貴君が完全に《邪神》へと成り果てた以上――もはやッ! 貴君は吾の願望を叶えるための聖杯にしかなりえないッ!」


 その言葉を証明するかのように、イリーナの全身から力が抜けていく。

 彼女の魂が。その奥底から生まれる無限のエネルギーが。

 煌めく流線となって、白い筺へと流れ込んでいく。

 そして――


「イリーナさんッ!」


 アードの、動揺した顔を最後に。


 イリーナの視界が、真っ黒に塗り潰された。


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