第八四話 元・《魔王》様、出撃する
国境沿いでの一戦を終えてから、俺とイリーナは一時、村へと帰還した。
それから数日後のこと。
再び夏期休暇を満喫していた我々のもとに、オリヴィアが尋ねてきた。
我が家の玄関愚痴にて、いつもの仏頂面を見せながら、彼女は口を開く。
「まず……エラルドが夏期補習講座に顔を見せた」
「ほう。それはそれは。実に喜ばしいですね」
夏期補習講座とは、なにがしかの理由で休学していた生徒に用意された仕組みで、これを受講することで休学中に取れなかった単位を補充出来る。
エラルドは俺達と共に進級することを選んでくれたのだろう。
新学期からの学園生活が楽しみになるような、明るいニュースであった。
しかしオリヴィアが持ってきたのは、そうしたプラスの話題のみではなく――
「先日の戦について、女王が貴様に招集をかけた」
「それはそれは。また以前みたく、勲章でもいただけるのですか?」
「いいや。元来であれば国を挙げて称賛するような功績ではあるが、状況はまだまだ緊迫している。貴様を称賛する暇さえもないほどに、な」
肩を竦めつつ、オリヴィアはさらに言葉を重ねた。
「わたしと女王を中心に、他の有力貴族なども交えて会議を開く。貴様も同席しろ」
「かしこまりました。……イリーナさんの同席も許可していただけますか?」
彼女を一人、村に置いていくのも忍びない。
そう考えての発言に、オリヴィアは無言で頷いた。
そして俺達はオリヴィアが用意した馬車へ乗り込み、王都へ向かう。
到着後。寄り道などはせず、まっすぐ王城へ。
広々とした城の中を、オリヴィア、イリーナと肩を並べながら歩く。
その末に、我々は会議室へと足を踏み入れた。
「おう! 来たな、アード! 此度の活躍、まっこと凄まじいものであった!」
入室して早々、円卓の上座に着席していた女王陛下・ローザよりお褒めの言葉をいただいた。
その横に腰を落ち着けている宰相、ヴァルドルは俺を睨むのみで、何事も発することはない。
いつもなら嫌味や小言などを飛ばしてくるタイミングだが……
メガトリウムでの一件で、少しだけ俺に対する印象を変えたのだろうか。
結局、ヴァルドルは俺から視線を外し、対面に座る二人……
ジェラルド公爵とその息子、エラルドに目をやった。
「それにしても、さすがはスペンサーといったところか。他の貴族であれば、敗北の無様を晒しておったろう。それを見事、勝利へと導いた。この功績は称賛に値する」
あくまでも、今回の働きは公爵家の力によるものだと、そのように他の貴族達へアピールする。こうした行為は単純に考えれば、俺の手柄をゼロにするような悪意に満ちたものだと、そのようになるのだが……実際は違う。
これはヴァルドルなりの、俺への配慮であろう。
平民などが無駄にデカい功績を挙げ、目立とうものなら、他の貴族達に睨まれる。
何せ彼等は、出る杭を打たずにはいられぬ生き物ゆえ。
そうなると無駄なトラブルに巻き込まれることも多くなるだろう。
そんなことが起きぬよう、ヴァルドルは気を遣ってくれたのだ。
それを理解しているがために、イリーナやエラルド、そして……
母・シャロンと共に同席しているジニーもまた、何も言うことはなかった。
そうした状況を前に、俺やイリーナ、オリヴィアも着席。
今後に関する方針を決めるための、重要な会議が始まった。
まず女王・ローザが口火を切る。
「此度の一戦がいかなる顛末を迎えたか、敵方とてそれは把握しておろう。しかし……敗戦を受けてなお、アサイラスは停戦交渉や宣戦布告の撤回などはしておらん。敵方はあくまでも戦を継続するつもりじゃ」
ローザは細い指で円卓を突きながら、我々の顔を見回した。
「そこで皆に意見を求めたい。今後、我々はどのように動くべきか。此度の会議にて、それを決定したいと思う」
ともすれば、国家の存続にさえ関わるような重大すぎる内容。
迂闊なことは口に出来ぬ。そんな空気の中、一人の初老貴族が挙手をした。
確かこの男は、歴史ある侯爵家の当主であったな。
彼は怜悧な瞳を細めながら、己が意見を口にした。
「ここは専守防衛が得策かと」
「ほう。なにゆえそう思う?」
「は。此度の一件、おそらくはアサイラスの暴走などではありますまい。かの蛮王とて、それほどの愚は犯しませぬ」
その考えにローザは頷きを返したが……
反面、ヴァルドルは髭を弄りながら、難しい顔をしてこう言った。
「……そこに関しては、少々懐疑的に思う」
「む。宰相殿は、アサイラスの暴走もありうるとお考えか?」
「うむ。以前までならば、貴殿の述べた通りだと思ったろう。だが、先の五大国会議にて奴めの様相を目にした今となっては……少々、意見が変わっておる」
ヴァルドルは眉根を寄せつつ、こんなことを呟いた。
「あの男、ここ最近になって気の触れように拍車がかかったように思えてならぬ。ゆえに暴走し、血迷ったことをしてもおかしくはない」
……ふむ。なかなか、興味深い情報だな。
あのドレッド・ベン・ハーとは、俺も会議の際に顔を合わせたのだが、気の触れた狂王以外のなにものでもなかった。
しかしその狂気が元来のものでなく、後天的に増大されたものだったとしたなら?
……ドレッドの後ろにはやはり、未知の黒幕がいると考えた方がよさそうだな。
俺がそのように考える中、侯爵の男が咳払いをして、
「アサイラスの暴走であったとしても、我が意見に変わりはありませぬ。徹底した専守防衛。これに尽き申す」
その理由を、彼は次のように語った。
「此度の一件がメガトリウムを中心とする反ラーヴィル派の主導であったとしても、そうでなかったとしても、こちらから積極的に打って出るは悪手。独自調査したところ、アサイラスの戦上手は半端なものではないことが判明しております。そこに地の利まで加わらば、これはもう驚異的と言わざるをえない」
「打って出たところで、被害が増加するのみであると、そういうことじゃな?」
「左様にございます陛下。ジェラルド公を始めとする、国境線守護の家には負担が強いでしょうが、ここは皆々様に奮戦していただくほかありますまい。それに……我が方には伝説の使徒様まで付いてくださっている」
侯爵の男が、オリヴィアに期待を込めた目線を送った。
……この場に彼女を信奉する宗教、黒狼教の信者がいなくてよかったと思う。
彼等からしてみれば、現人神に等しきオリヴィアを国防に駆り立てるなど、不遜にも程があるだろう。
しかし、この場に座するは無宗教かヴェーダ派の信者が中心である。
そのため、誰もがオリヴィアに期待の眼差しを向けていた。
そんな目を受けて、彼女は腕を組みながら嘆息する。
「もはやわたしも、国家元首に等しい立場。ゆえに貴様等の期待に応えるのも責務として捉えようと思う。……だが、しばらくは助力できん。ちょっとした用があるのでな」
この言葉に、皆が首を傾げた。
俺も同様である。現状を捨て置いて優先する用事とはいかなるものか。
答えを得るべく、問いを投げてみた。
「用とは、いかなるものでしょうか? よもや、芋関係ではありませんよね?」
「当然だ。さしものわたしも、こうした状況で芋を優先するなど………………あるわけが、ない、だろう」
おい。なんだ今の間は。
それになんだ、その冷や汗は。
「……まさか、芋ですか? このタイミングで? このタイミングで芋なんですか?」
「違うと言っとるだろうが。ヴェーダに呼び出しを受けたのだ。魔動装置の製作を手伝えと、な」
ヴェーダの呼び出し?
……これは、あまりにも意外だな。
こうした状況の中、オリヴィアがヴェーダの要請を優先するとは。
「貴様の考えはわかる。わたしとて自分の判断に意外性を感じているぐらいだ。理詰めで考えたなら、奴めの要請など無視した方がいいに決まっているのだからな」
「ならば、なぜ?」
「武人としての勘が危機を叫んでいる。ゆえに私は、ヴェーダの手伝いに行こうと思う」
……ふむ。それならば、仕方がないな。
こいつの勘は極めて鋭く、悪いものであれば大方が的中する。
そんな彼女が嫌な予感を覚えたと言うなら、その意思を尊重する他ない。
他の貴族達についても、伝説の使徒に対して強くは出られなかったようで……
「よかろう。国境守護の一族として、歴史に残る仕事をしよう」
ジェラルドが厳かに言葉を紡ぐ。
そうすることで早くも、場の空気感が「決定」の二文字へと傾いた。
……まぁ、専守防衛は悪手ではない。
ラーヴィルとアサイラスの国力は、五分かあるいは、前者が上。
軍事力は五分と見るべきだが、戦というのは往々にして、攻める側が不利になりやすい。
自国内で戦うという前提で考えれば、軍事力は僅かながらラーヴィルに軍配があがるだろう。
こうした条件下の場合、長引けば攻める側、即ちアサイラスはジリ貧となる。
そうなれば相手方とて、いずれは戦争の継続が不可能となるだろう。
守りに徹すればいつか終わる。この戦はそういうものだと、皆はそう捉えている。
そしてそれは、間違いではない、のだが。
「私は反対いたします」
小さく手を挙げながら、こう発言した俺に対し、全員が注目する。
イリーナやローザ、ジニー、エラルドといった友人達は、好意的な目線であったが……
それ以外の連中は、険しいものが大半。
平民の分際で口を挟むなと、そんな顔である。
しかし、ここはあえて挟ませていただこう。
「相手方のジリ貧を待つ。それも手の一つではありましょう。しかし、それですと時間がかかりすぎる。そして……時間がかかるということは必然、戦の犠牲となる者も増加するということ。それはあまりにも忍びありません」
この発言に、貴族達のほとんどがマイナスの反応を寄越した。
「チッ……何を言うかと思えば、青臭い子供の論理か……」
こんな言葉を漏らす者もいたが、別に俺は、青臭さを露呈したわけじゃない。
ただ、専守防衛など時間の無駄だと、そのように言っているだけだ。
「私が本気を出したなら、此度の案件は一〇日以内に終わります。神祖に誓ってもよろしい。私がこの戦を、短期間で終わらせてみせましょう」
この発言に、貴族達が嘲笑する。
「ハッ! 一〇日以内に終わらせるだと?」
「さすがは大英雄殿のご子息ですなぁ。我々のような凡夫には、考えもつかぬようなことを言ってのける」
「何をどのようにすれば、戦が一〇日以内に終わるというのだ。直々に敵国へ乗り込んで、話を付けるとでも言うのか?」
最後に言葉を放った男性貴族に対し、俺はニッコリと微笑んだ。
そして、軽く拍手などしながら、口を開く。
「ご名答にございます」
こう述べた俺に、皆が目を丸くする。
が、イリーナを始めとする、俺の力を知る者達はすぐに納得した顔となった。
一方で、他の貴族達は目を眇めながら、こちらを睨むのみ。
彼等の視線には、一つの意思が込められている。
このような場所で冗談など、言語道断である、と。
そんな彼等の顔を見回しながら、俺は、
「このアード・メテオールが直々にアサイラスへ乗り込み、戦を終わらせます」
念を押すように、ハッキリと断言した。
「これは願望でもなければ、夢想でもない。誰にも覆せぬ、決定事項だ」