献身の愛、コレペティの
「綺麗なお花ね。」
友人の、楽屋に届けられたブーケを見つめての言葉だった。その淡いピンクのガーベラが美しいゆえ、花束しかない現実に、溜息をつきそうになる。その心の次第を覆い隠そうとし、添えられたカードを手に取った。そこには「盛況であらんとお祈り致します。」と。友人もそれを覗き込み「来てもらえたらよかったのにね。」と慰めともとれる言葉を発した。私は、一応は強がってみようとし、「仕方がないわ。市民オペラの稽古なんだから。」と取り繕ってみた。演目は『ドン・ジョバンニ』。贈り主の彼はレポレッロの役を得ていた。
「それにしても、グリーグのコンチェルトよかったわ。どういったらいいのかしら。神秘的!あなたならでは世界ね。これも留学先がフランスだったから。」
「ありがとう。ほんと、意識した。北欧のロマンを如何に醸し出すか。」
今日は母校の学生オーケストラによる演奏会だった。私は、グリーグのピアノ協奏曲のソリストに招かれた。一緒にいる友人とは、同じ音大の同級生。共に特別演奏コースで学んだ。それは、将来、日本を代表する奏者を目指すものだ。私も彼女も特待生として在学中に大学からの費用で留学を果たせた。私が選んだのは、フランス、パリ。それはフォーレ、ドビュッシー、ラベルを学びたかったから。そして、その扉をたたいたのが、パリ国立高等音楽院だった。でも、それでもあきたらず、オペラ座のコレペティの募集に応じた。そう、フランスを留学先に選んだのは、象徴派と呼ばれている詩人の作品をより原語で味わえる環境を求めたからだ。だから、コレペティの職を得られたのは幸いだった。その後、音楽院でもコレペティを志願した。お陰で、歌手の唄うベルレーヌの詩の美しさが伴奏を務めることで体に染みていくように感じられた。ただ、それに没頭する余り日本を代表するピアニストになるという目標は消え失せていた。
「もったいないな。コレペティを続けるだけなんて。」
また、その話。うんざりしちゃう。
「もうそれは云わないって約束したじゃない。」
思わず口をついてしまったのだろう。彼女は反省仕切りというふうだった。
「でも、どうなの。彼とは?」
一応の気づかい、それとも愛想?いっとくけど単なるバリトン歌手とコレペティという関係ではないわ。彼は、私の伴奏の技能を高く評価してくれている。もちろん、留学で培ったものだけど、それだけではない。彼の歌唱には不思議と全身全霊を捧げられる。
でも恋愛感情としては正直どうかなあ?好意を寄せている素振りは見せているけど一向に気付いてくれない。いや、気付いているけどそうでないふりをしているだけ。まさか!こんなこと、とても彼女に云えない。私にだってそれぐらいの誇りを持ってもいいはずよ。そんな想いが巡るため会話は途絶えたままだった。
「思いきって告白したら。」
云える訳ない…。そう心の中でつぶやいてみた。でも不思議と葛藤はなかった。きっと音楽で繋がっているからだわ。私があえてこういう関係にとどまっているのを、彼女も同性として分かるはずよ。
「憧れるわ。無償の愛って」
「冷やかさないで」
その様子から、彼女が感傷に浸っていると気づいた。でも聞けない。その理由は。もちろん、だいたいの察しはついていた。彼女も、多くの音大出身者同様、生活の糧を音大を目指す人のレッスン料で賄っていた。そう、ピアニストとして芽が出なかったのも事実。そして、そのことを自虐的ともいえる言い回しで語りだしていた。しかし、別段気に留めることもなく、彼女の話は聞き流すだけだった。そうしつつ、これも一つの恋愛感情かしらと考えていた。もしかして、尊敬の念に過ぎないだけだったりして。だって、その才能に惚れている実体もあるんだから。だけど、このときも彼女の一言で我に返った。
「胸キュンってやつ?私には絶対に似合わない。」
「そうかも」
「もう!」
彼女は、屈託なく笑う。共に音大に通っていたころがいたく懐かしい。