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勇者への花言葉

作者: 漆木 歩

「……どうやら、ここまでのようね」

 打ちつけた頭が痛い。切られた腕が、脚が上手く動いてくれない。刺された腹部から流れる血が止まってはくれない。それでも、私が片手で握る剣を手放すことはない。

 地面に仰向けで倒れている男に剣先を向ければ、彼は笑った。

「さすが勇者だな。長年俺を追い求め、ここまで追い詰めただけのことはある」

「それはどうも。……魔王なんかに褒められても、嬉しくもなんともないけどね」

 長い黒髪、アクアブルーの瞳を持つ魔王を見下しながら、私は垂れてくる鬱陶しい自身の赤毛をかき上げる。

「これで、終わりだ」

 剣を両手で構え、魔王の心臓めがけ突き刺そうとした時だった。

 魔王の口元に、弧が描かれる。

「いい目だな、勇者。そのエメラルドの瞳は俺だけを映し続ける。……それが仇になるとも知らずに」

「は? それは一体どういう――ッ!」

 魔王の言葉に気を取られた直後。背中に鋭い痛みが走り、私は構えていた剣を後方へと振り払う。刃は後ろにいた魔王の臣下を切りつけ、相手を地面へと倒れ込ませた。

 その直後。体から力が抜け始め、立っていることさえままならず、私は剣を地面に突き立て必死に堪える。

「……一体、何を、したっ!」

「動けない、みたいだな。そいつの攻撃には毒があってな、体を一時的にだが麻痺状態に陥らすことが出来る。それを利用したんだ」

「なん、ですって……!」

「今の俺では動くことも、お前にとどめをさすことも出来ないが、臣下と共にこの場を離脱することぐらいは出来る」

「……っ! させ、ない……――待てっ!」

「さようなら、勇者。――また会う時まで」

 深い闇と臣下と共に消えゆく魔王に対し、私はただ叫ぶしか出来なかった。

 動くことさえ出来ず、次第に重くなっていく体はついに地面へと倒れ込み、私の意識はそこで途絶えた。



「んっ……ここは?」

 目を覚ました私を迎えたのは、殺風景で簡易な山小屋だった。起き上がる際にギシッと音が鳴る木製のベッドに、同様の木材で出来たテーブルとイスが私の目に入った。

 視線を変え、自身の身なりを見てみれば服は下着以外纏ってはおらず、代わりに不格好な包帯が至る所に巻かれていた。試しに指でなぞってみれば、包帯の端は容易に解け、同時に激痛が体を襲った。

 現状から、何者かが怪我の治療をしてくれたのだということは理解できる。けど、一体誰が……。

 そう思った時、部屋のドアが音を鳴らして開き、人影が姿を現す。

「あ、良かった。目が覚めたんですね」

 私よりも一頭身ほど背が低い少年は、部屋に入り私の顔を見ると安堵の息を吐き、優しく微笑んだ。

 栗色のクセッ毛のある短髪に、漆黒の瞳を持つ少年の手には湯気の立つ器が握られており、微かに薬草粥の匂いがする。

 少年は私が寝ていたベッドの側まで足を進めると、近くのイスに腰掛けた。

「二日も眠っていたから、もう目を覚まさないんじゃないかって心配してたんですよ。意識が戻って本当に良かった」

「二日も、私は眠っていた?」

「そうです。……あ、でもそれは僕が発見してからのことだから実際はもっと眠っていたかもしれません」

「発見って……私、どこかで倒れてたの?」

「はい。街外れの荒野に、傷だらけで。一応怪我の手当てはしたんですけど、まだ痛みますよね」

「……そう、ね」

 包帯が巻かれた腕をなぞれば痛みが走り、苦痛で表情が歪む。意識を痛みに集中させれば、頭や四肢、腹部にまで痛みを感じ、自分が重傷を負ったのだと痛感させられる。

 だけど、怪我の原因は……?

「それにしても、勇者様も大変ですね。こんなに酷い怪我を負ってでも、魔王を退治しなくちゃいけないなんて」

「――ッ!?」

 勇者、魔王、退治。そのキーワードによって、記憶が一瞬にして蘇る。

 私は、王より魔王討伐の命を受けた勇者。世界を掌握しようとしている魔王を倒すことを使命とした人間。

 ついに魔王の所在をつきとめ、戦いを挑み、そして死闘の末、瀕死の状態まで奴を追い詰めたんだ。

 けど……。

「……追わなきゃ」

「え?」

「瀕死の状態の魔王を……臣下と逃亡を謀っている奴を追わなきゃ!」

「む、無理ですよ! その怪我じゃ!」

 少年の言うとおり、確かにこの体では無理な話なのかもしれない。

 立ち上がろうと僅かに力を込めただけでも傷は痛み、力の入らない両脚は小鹿のように不安定に震え、またベッドへと体が倒れ込んでしまう。

 悔しいが、今の私では魔王を追いかけ、とどめを刺すことは不可能だろう。

 あと一歩。あと一歩だと言うのに……!

「とにかく、今は治療に専念しましょう。ちょっと冷めちゃったけど、僕お粥作ってきたので食べて下さい」

そう言って私をなだめた少年は、持っていた薬草粥入りの器をこちらに差し出した。

今は食事を取る気分にはなれないが、それでも少年の言う通り。今は治療に専念して、一刻も早く体を本調子にした方がいいだろう。

私は器を手に取ると、それに添えられたスプーンにも手を伸ばし、粥を口に運んだ。

「――んっ!」

 直後。思考と行動、全てが一時停止する。

「どうですか? 勇者様」

 微笑んでそう尋ねる少年の言葉に、返答できない。

 ま、まずい。まずすぎる。

薬草粥は基本、苦いものだと食べ慣れた身ゆえに理解はしてきたが、そのことを差し引いた上でもまずい。アク抜きをしていないのか、はたまた、苦みを消そうと余計な調味料を入れたか。このとてつもないまずさでは判断のしようがなかった。

「……もしかして、美味しくないですか?」

「あ、いや、その……」

 微かに潤んだ瞳でこちらをジッと上目使いで見つめる少年の純粋な姿に、さすがにまずいとは言えないだろうと良心が囁く。

 しかし本心を喋ってしまう性格ゆえ、嘘をつくことは苦手だ。悩み悩んだ結果、

「け、怪我には効きそうね。良薬口に苦し、って言うから」

 と、当たり障りのない言葉で本心を濁した。

 その言葉を聞いた少年は最初、キョトンとした表情を浮かべていたが、怪我には効きそうだという言葉を理解したのか、「じゃあ、いっぱい食べて元気になって下さいね」と嬉しそうに笑った。

 正直なところ。このまずい粥をこれ以上食べるのは魔王討伐よりも苦戦しそうだと思ってしまうが、彼の笑顔を見せられては断るわけにもいかない。

 仕方なく最後まで――鍋に残っていた分も懸命に食べ続けることとなったのだった。

「き、気持ち悪い……」

「病み上がりであれだけ食べればそうなっちゃいますよ。お水、どうぞ」

「あ、ありがとう……」

 理由は他にもあるんだよ、と言いたかった言葉を呑みこみ、私は差し出されたコップに手を伸ばし、中の水を飲みほした。

 ふと窓の外を見れば、覗く荒野は茜色に染まっていた。もう夕方。結局療養だけで一日が終わってしまうのか。

 折角魔王を追いつめたというのに、その先に進めない歯痒さが胸に残る。

「……ん? 花?」

 ふと視線を窓の縁に移せば、そこに置かれていたのはガラスの瓶に入った黄色い大輪の花。

中心は茶色、花びら黄色いその花は、夏に都市の花売りが売っていたのを見たことがある。確か、名前は……。

「向日葵、ですよ」

「え?」

 私が花に視線を向けていることに気付いたのか、少年はイスから立ち上がると窓に歩み寄り、花瓶をこちらへと持ってきてくれた。

「僕、実は花が大好きなんです。だからこうして、部屋に飾っているんです」

「へぇ、そうなんだ。……あ、でも向日葵ってこの地方では咲かない花じゃないの?」

「特別に取り寄せたんです。花言葉に惹かれて」

 花言葉。そう言えば、こうして咲く花々にもロマンティックな意味のある言葉がつけられているのだったか。

 そんなことを思いだしながら、私は少年に尋ねる。

「それで、なんて花言葉なの?」

「…………」

「……あのー」

「『私の目はあなただけをみつめる』」

「え?」

「太陽を見続ける、向日葵らしい花言葉だと思いませんか?」

 夕日を背に、そう言って笑った少年の表情が、どこか悲しげに見えたのは私の気のせいだろうか。

 深く追求することは、その場の雰囲気で出来なかったが、なんとなく私の目にはそう見えたのだった。



「そう言えば、お姉さんはどうして魔王討伐をしているの?」

 療養を続けて早二日。立ち上がれるほどには回復した私は、少年の傍らでニンジンを切っていたその手を一時的に止める。

「どうしてって、剣の腕を見込まれて王様にお願いされたからだけど……」

「それだけの理由?」

「後は、魔王にこの世界を掌握されたくなかったから、かな。この世界が奴のものになるなんて嫌だしね。それが、どうかした?」

「ううん。聞いてみたかっただけ」

 そう言って話を切りあげると、少年は切っていたジャガイモを水と共に鍋に入れて煮だした。

「後ね。魔王が美男って本当なの?」

「……はい? そんな話どこで――」

「街では噂になってるよ」

「噂、ねぇ……」

 今街では様々な噂が飛び交っているが、まさかその話を持ち出されるとは思ってもいなかった。

 私は多少戸惑いながらも、口を開く。

「まぁ、確かに美男と言えば美男ね」

 魔王は、人の姿をした魔物だ。切れ長の瞳に高い鼻筋、整った顔立ちは、奴が魔王だということを知らなければ、世の女性は惹きつけられるだろう。現に魔王はその美しい容姿で女を虜にし、その生気を奪って生きているのだから。

 だが、生気を奪うと言うことは相手の女性を殺すということ。魔王は、人を殺して生き長らえているのだ。私はそれを、許すわけにはいかない。

「けど、魔王は魔王。いずれは私が倒す!」

 こみ上げる敵意が、包丁にも伝わってしまう。強く握られた包丁を下ろし、ニンジンを切り終えると私は浅く息を吐き、冷静さを取り戻す。

 そして、冗談交じりにこう言った。

「少年。いくら魔王が美男だからって、奴みたいな男になりたいって言いださないでよね? 少年が魔王になったら、私が倒さなきゃならないんだから」

 これは、ほんの冗談のつもりだった。純粋な彼にこう投げかければ「そんなことない!」と否定の言葉が返ってくるものだと思っていたからだ。

 だけど少年は目を見開いて驚くと、顔を鍋からこちらに向けた。

「お姉さん、が……?」

「え?」

「僕が魔王になったら、お姉さんが僕を倒してくれるの?」

「そう、ね。少年が今の魔王みたいに悪いことばかりするのなら、私が何処までも君を追いかけていつか必ず倒す、かな?」

「……そっか」

 そうポツリと呟いた少年は項垂れ、その後微かに口を動かした。

「……僕も、魔王になった方がよかったのかな?」

「ん? 今、なんて言ったの?」

「ううん。何でもないよ、お姉さん!」

 だけどその言葉が、私の耳に届くことはなかった。

 ニコリと笑う少年の姿に促され、私は追及することが出来ないまま料理を進めることとなった。

 私は切ったニンジンを鍋に入れ、続けてサラダの準備を。少年は鍋をかきまぜ、スープの準備を。

 そのはず、だったのだが……。

「ところで、さ。今、スープの鍋に何か入れた?」

「ハチミツだよ? きっと甘くて美味しくなるよ!」

「……そ、そう?」

 今日の夕食も、大変なことになりそうだと事態を悲観しながら、私はレタスをちぎり続けるしか出来なかった。



 療養生活が続き、傷が癒えてきた五日目。今日もテーブルを挟み、少年と夕食を囲んでいた。いつもの様に談笑しながらとる食事だが、今日は彼に告げなければならないことがあった。

 私は話が一区切りしたところで一呼吸おいて、彼にこう告げた。

「二日後、ここを出ようと思うの」

 いわゆる、旅立ちの話だ。

「……お姉さん、魔王討伐に行っちゃうの?」

「うん。傷もだいぶ癒えてきたし、このまま魔王を野放しにしておくわけにもいかないしね」

「そ、そっか……」

 少年は少しだけ俯くと、テーブルをジッと見つめ、しばらくの間顔をあげなかった。僅かに窺える表情は曇っており、別れを惜しんでくれているのだと思うと、不謹慎だがそれはそれで嬉しかった。

 私もここでの生活は楽しかったし、少年と別れるのは惜しい。だけど私は勇者。やらなければならないことがあるし、いつまでもここに留まることはできない。

 そんな私の気持ちを察してか、少年は次に顔をあげた時、不安がないようにと笑顔を私に向けてくれた。

「しょうがないよね。お姉さんは勇者だもんね。うん、気をつけていってらっしゃい」

「……ありがとう。けど、準備の為に、あと二日はここでお世話になるけどね」

「あ、そっか。じゃあ、もう少しの間一緒にいようね」

「うん、そうだね!」

 互いに微笑み合い、私達は食事を続けた。

「ところで、今日の食事はどう? お姉さんに言われた通り、甘いものは控えたよ。お塩も、コショウもちゃんと入れたんだ」

「本当に? じゃあ、大丈夫――」

 と、言いながら私はスプーンでスープを掬い、口に運んだ。が、

「――じゃ、ない……」

 今回は、思考は停止しなかったものの、スープに口つけた際のスプーンを持つ手が止まる。

「え? おねえ、さん?」

「……多分、塩と砂糖、間違えてる」

「あ、アハハハハ……」

 目の前で乾いた笑みを浮かべる少年を睨みつけながらも、私は仕方なしにスープを口に運んだ。

 残り二日。限られた時間しかないが、彼にまともな料理を教えようと心に誓いながら。

「…………」

 しかし、こうして笑いあえるのも、この味を食べられるのも後二日。そう思うと心はチクリと痛み、私は気を紛らわすように豪快にスープを飲みほした。


  ◇―◇―◇


 そこには華があった。

 この魔王に支配され、落ちていく世界には似つかわしくない程、綺麗で、妖艶で、それでいて棘に満ちた華が。

 華は自分達の存在に目もくれず、ただただ先を急ぐように歩き、肩で風を切って行く。

 美しい。その光景を、純粋にそう思った。

 赤い髪は花びらのよう、エメラルドの瞳は葉のよう、腰にさした剣は棘のよう。――そう、まるで、薔薇のような存在の貴女。

 魅力的な彼女に引き寄せられるように彼は一輪の薔薇の花を手に駆け寄った。

 そして、

「――――」

 一輪の花を、彼女に手渡した。


   ◇―◇―◇


 二日後の早朝。まだ少年が寝ている時間帯に起きると、私は身支度を整え、姿見用の鏡の前でくるりと一回りした。

「武器よし、荷物よし。忘れ物は、ないな」

 武器である剣は手入れ済み。荷物はすでに鞄にまとめてあり、これと言って抜けている物もない。問題はなさそうだ。

 私はそのまま部屋を出ると、キッチンを抜け、山小屋の外に出た。

 外の澄んだ空気を体いっぱい吸い込めば、高ぶっていた感情は少なからず押さえられ、冷静さが保てる。魔王の居場所の目星はついており、戦略も既に考えてある。実行するだけの体力も長い療養で戻った。長かった旅にも、そろそろケリをつけなければいけない。

 これで、最後の戦いにしよう。

 目を閉じて覚悟を決めた私は、グッと拳に力を入れて瞼を開いた。迷いは、ない。

「魔王を見つけ出し、決着をつけて、それで……それで、その後どうなるんだろう?」

 今までは魔王討伐だけを考え生き、戦ってきたが、この後はどうなるのだろう。

 この魔王討伐の旅が終われば、私は自由の身となる。そうすれば、私は余生をどう過ごすのだろう。戦うことをやめ、静かな街で平穏に暮らして、そして、

「……あ」

 その時。もし、もし少年さえ良ければ一緒に暮らすのはどうだろう?

 今回助けてくれたお礼に、今度は私が彼の支えとなりたい。彼と暮らすのは料理の失敗などトラブルが耐えないだろうが、それもまたそれできっと楽しい人生となるだろう。

「フフッ」

 私は未だ承諾も取らない彼との余生に、笑みをこぼした。

「お姉さん」

「ん? あぁ、起きたんだ。どうしたの?」

 声をかけられ振り返れば、少年は私の真後ろに立っており、少しだけ驚いてしまう。

 それに、何故だろう。どこか雰囲気が昨日とは違う気がする。落ち着いているというか、なんというか。

「お姉さん、本当に行っちゃうの?」

「え? あぁ、もちろん。魔王討伐が私の使命だからね」

「そう、か」

 私の返答に項垂れる少年の頭を、私は優しく撫でる。

「心配しなくても、魔王なんてすぐにやっつけて帰ってくるって」

「う、うん」

 それでもどこか浮かない顔を浮かべる少年の姿に、私は首を傾げる。

「どうしたの?」

「ねぇ、お姉さん」

「何?」

「僕のこと、覚えてる?」

「え? どこかで会ったことあったっけ?」

 手当をしてもらったあの時が初めての出会いだとばかり思っていたため、一瞬戸惑ってしまう。

 覚えてる? 何処かで出会ったことが? 記憶を遡ってみても、うまく思い出せない。何せ、魔王討伐の旅を続け、巡ってきた街は数知れず。そう簡単に思い出すことは出来ない。

「どこか、どこか……」

 だけど、出会ったことがあると言うのなら少年の為にも、自分の為にも思い出したかった。

 だから真剣に悩み、記憶の糸をたぐり寄せる。

「――ごめんね。お姉さん」

 が、その意識はすぐに途切れることとなった。

「え……?」

 刹那。少年の手に握られたナイフが私の腹部を抉り、抜かれる。

「な、んで……」

 訳が分からないまま体は倒れ込み、動かない体は少年へと預ける形となる。

「……どう、して」

「お姉さんが悪いんだよ。僕のこと、覚えてなかったから」

 苦痛で顔が歪むのが分かる。視界は次第に霞み始め、目に映る光景がぼやけ始める。徐々に迫り来る闇に必死に抵抗しながら、私は懸命に記憶を辿る。そして、

「……あっ。君、だったのか」

 薄れゆく意識の中。走馬燈の一つに見えたのは、花を手に私に微笑みかける一人の少年の姿。

 戦いを前に気を張りつめる私の前に現れた彼は、臆することなくニッコリと笑い、手に持っていた赤い薔薇の花を私に差し出した。

『綺麗なお姉さんにぴったりの花、どうぞ!』

 と、そう言って。

 それは、魔王討伐を宿命とした私の心を潤すには充分すぎるほど純粋な行為で、花を受け取る際に手が震えていたのを思い出す。「ありがとう」と、小さく呟いたお礼の言葉は彼に届いていたのか。

 そうか。あの時の優しい少年だったのか。受けた優しさを、どうして私は忘れていたんだろう。あの時、戦いで汚されていた私の心を癒してくれた少年を。

 まったく、どうして。どうして。

「…………」

 どれほど悔やんでも、もうどうしようもない。迫り来る闇は確実に私の意識を奈落へと突き落とし、永遠の眠りへと誘う。

 ここで終わってしまう命。魔王を倒すことなく、少年に謝罪と感謝の言葉も言えないまま。

 私の命は、ここで尽きてしまった……。


   ◇―◇―◇


「ごめんね」

 本当は、お姉さんは何も悪くない。

 あの出会いは一度きり。忘れていてもしょうがないものだ。最期に思い出してくれただけでも、本当は喜ぶべきことなんだと思う。

 だけど、それでも覚えていて欲しかった。僕との出会いを、僕の存在を。そして、

「大好きだよ、お姉さん」

 魔王なんか見ていないで、僕だけを見ていて欲しかった。

 だって、そうでしょ? 魔王はお姉さんを幸せには出来ない。だけど僕なら、お姉さんを幸せに  笑顔にすることが出来る。あの薔薇の花を渡した時だって、今までこうして一緒に暮らしてきた時だって。お姉さんは笑ってくれていた。幸せそうに、笑ってくれていたじゃないか。

 それなのにどうして、どうして笑顔にしてあげられる僕じゃなくて、お姉さんを傷つける魔王なんかを追い求めたの?

 なんで、どうして……。

「……花が、綺麗だね」

 考えたところで、もうお姉さんは答えてはくれない。

 徐々に冷たくなっていくお姉さんの身体を抱きしめながら、僕はそっと目を閉じた。

 あの部屋に用意した窓際の紫蘭の花は、何を想って風に揺れているんだろうね。


 そう思わない? お姉さん……。




以前コバルト短編賞に応募し、落選した作品なのですが、思い入れがあったため修正・加筆し、こちらに投稿させていただきました。


花言葉がテーマとなっている小説ですので、お時間ありましたら登場する花の花言葉の意味を調べてみてください。

花に託した少年の想いが、より分かるかもしれません。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ・花言葉が想像を掻き立てる ・会話が多く読みやすい ・ファンタジーな世界観へさらっと引き込んでくれるところ [気になる点] ・魔王どこいった ・描写不足 ・勇者の一人称で勇者の死が書かれて…
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