騎士道部
高校生活二日目はガイダンスとオリエンテーリングに終始し、昨日に引き続き昼下がりには全ての日程が終了した。
早く帰れるのは勿論だけど、授業がないことが一番嬉しかった。
机に座って静寂を過ごすことが蕁麻疹が出るほどに嫌いな俺にとってあの抑圧された時間は苦痛でしかない。
明朗な調子で生徒の笑いを織り交ぜつつ授業を作っていく教師ならまだいい。教師が一方的に抑揚なく言葉を発し続けるような授業が一番嫌だ。
禿頭の眼鏡姿の老教師がこっちの反応など知ったことかとでも言わんばかりに延々講演する。なんとか段活用とか聞きなれない古語の説明が垂れ流されるだけの念仏のような授業。こういう手合いが一番苦手だ。
そのせいか中学時代の古典の成績は最悪なものだった。念仏のような授業を聞いていると本屋に行くと催す特徴的な腹痛が発症して、見る見るうちに俺の顔を青く染める。
授業なんてそっちのけで腹痛を気にすればするほどその痛みは増して終いには異音が静寂の中で木霊するのだ。恥ずかしいったらない。
その最も忌避する本格的な授業がいよいよ明日から始まる。それも一コマ90分の七時間授業だ。時計が一回りしてもまだ五分も残っている授業が一日七時間もあるのだ。
「うへぇ」
そんなことを考えながら教科書や参考書の満載した紙袋を吊るし、山道をひいひい歩く。
「おかえりなさい。こくりつくん」
「早苗さんお疲れ様です」
受付窓口の中の早苗さんは眠そうな顔でワイドショーを見ている。
賑わうロビーを横目に男子棟の自室に向かう。鍵を開け部屋に入った俺は一番にベッドの上に飛び込んだ。
「明日からは授業か、だるいな」
内履きのままベッドに横になって眼を瞑るといろいろな光景が流れた。
初っ端からトップギアで自己紹介を一芸大会に変貌させたクラスのお調子者。それと掛け合うゴリラのような担任……
「はあ……」
そして、暗雲のように垂れこむ明日から始まる授業への憂愁。
ほんの一昨日までは自室でブレインステーションのオンラインゲームをするだけの毎日だった。飽きたら寮をぶらぶらしたりシェリーカに構ったりと、好き勝手な生活ができて退屈なんか無かった。それがこれから大きく制限され束縛される。
でも、俺はその為にここまで来たんだ。騎士道をやるためにわざわざこんな遠い地まで来たのだ。そのためにまず一歩。
「――行くか!」
弱き心に喝を入れ飛び起きる。隅に立てかけられたスポーツバッグと、それよりも細身なショルダーバッグを担ぎあげる。その中には俺の剣と防具が入っているのだ。
家電製品や生活用品の仕送りに遅れること数日。ようやく届いた中学時代から慣れ親しんだ鎧と長剣。
「これでようやく戦えるぜ」
部屋を飛び出し玄関に赴くと一人の男子に声をかけられた。
「お前って騎士道部だよな?」
寮で始めてみる顔は皺ひとつない新品のジャージを着ていた。俺と同じ一年生だろうか。
その男子生徒は人のよさそうなころころした眼で、両肩にかけられた二つのショルダーバッグを指さす。
「それって騎士道の防具だろ?」
俺より少しばかり小柄な体格。明るくくすみがかった茶髪は地毛なのかはわからないが無精に伸びて首筋まで垂れていた。サイドやてっぺんも無造作に散らされていてどことなく軽そうな印象を受ける。
言葉遣いも標準語。この寮には県内各地からきた生徒もいるが少なくとも地元出身でないことだけはわかった。
「そうだけど、そういうアンタも新入生か?」
反射的にタメ口でそいつに答えた。シェリーカに話す時よりもぶっきらぼうな口調。中学時代に友達と話す時のぶっきらぼうな口調だ。
思えばこの二週間はずっと異性としか話していなかったので、男同士の気兼ねない会話は久しぶりだった。
「特待生だよな……?いや、違うか。でもこんなデカいバッグなんて騎士道以外ないよな」
「そうだけど、これから見学いくんだ。お前も行く?」
両肩のショルダーバッグを首で示す。
「今日が初日らしいんだ。挨拶に行くついでに試合もさせてもらえたらと思って」
「でもなー。どうっすかなー。俺まだ用品届いてないんだよなあ」
こちらの反応を窺う茶髪男。軽そうな見た目に反して異様にコミュニケーションがぎこちない。堂々としていればきっと俺なんかよりモテるだろうに煮え切らない奴だ。
「いいじゃん。俺も部活に顔を出すのは初めてだし、行こうぜ」
「え、いいの!?」
満面の笑みが顔を覆った。丸い瞳は水を得た魚のようにキラキラしている。
「俺、興梠歩。よろしくな!」
握手を求められるが生憎両の手はショルダーバッグの保持に精いっぱいで応じることができない。
「桃山国立だ。こっちこそよろしくな」
握手を返そうとバッグを落とさぬようにおそるおそる差し出した右手。歩はそれをなかなか握ろうとしない。警戒した目線がこちらを凝望し続ける。
「どうした?」
「……変な名前だな。大学かなんかか?」
――知らねえしうるせえよ。
「ほら、早く行くぞ」
こいつを瀬名に引きあわせたらどうなるのだろう。そんなことを考えつつ俺達は再び月見野学園に向かった。
興梠歩は俺と同じ騎士道部の特待生だった。彼は宮崎出身で地元の強豪の特待生試験に落ちてこちらのオファーに応じたそうだ。
中国地方どころか九州まで及んでいる月見野のスカウトに正直驚かされた。
尚、実力は俺とどっこいの県大会レベルで全国経験は皆無だった。
歩は俺より数日遅れでこの寮に来たということだが、生憎浴場でも廊下でもすれ違った記憶すらなかった。
「ああ、俺部屋に引きこもってたから。食堂開くまでは仕送りの食糧喰って生きてた。街まで買い出し行くのだるいじゃん」
奴も俺と同じブレインステーションの下僕だったが、俺よりその汚染度は酷く世間では所謂廃人と言われるレベルのゲーマーだった。途上も好きなオンラインゲームの話を延々されてそろそろうんざりしてきたので騎士道競技の話題を持ち出す。
やがて会話の焦点は特待生という単語に移り変わっていく。
「この学校ってとりあえず実績ない連中でも期待枠とかで取るんだってよ。生え抜きを育てるんだろうな。お前も俺と同じクチじゃね?」
「それでも俺は取りたいな。この競技八年もやってるし」
「何だって?」
手ぶらの歩は両腕を背中に預けながら俺を覗きこむ。
――レギュラーになって全国で活躍する。
その為に来たんだ。三年間だらだら部活をするつもりで、物見遊山気分で故郷離れた遠い地にまで来た訳じゃない。
しかし、十日前に誓った固い意志は早くも折れそうになっていた。歩との会話でここの実情、現実が見えてきたからだ。
入学前は俺自身の剣がスカウトの目に止まる物があって、それが特待生のオファーに繋がったんだという期待があった。
実際には、その中の有象無象で競い合いエースの片鱗を見せた者を生え抜き育てるというのもあるのだろう。だとすれば俺はこの怪物ひしめくレギュラー争奪戦に勝ち残らなければならない。
それがどれだけ大変であるか。月見野は全国でもベスト16以上を毎回残している強豪なのだ。改めて自分がやろうとしていることが途方もないことだと気付いた。
人気の失せた放課後の校門をくぐる頃には口数も減り、無言で進む俺に歩がついていく形となっていた。俺達二人が向かうのは本校舎から離れた騎士道場だ。
「聞いた話だとこのへんだって話だけど……あれか?」
剣道場と弓道場を素通りして校舎の裏手に回る。そこには駐輪場のような屋根に覆われた鉄柵で囲われたスペース。床面のコンクリートはヒビ割れており損壊が激しい。本校OGの早苗さんが口にしていた昔存在した馬術部の施設だ。
錆びだらけの骨組の中には泥で汚れたコーンやスコップなどが無造作に積まれシートが被せられていた。
そして、用具置き場に姿を変えた馬房を通りすぎると探していた建物が眼前に姿を現す。
「でけぇ……」
呆けた顔で見上げる歩。
無理もない。校舎のほぼ真裏の、寂れた区画にこれまで見てきた施設と明らかに趣を異にする建造物が現れたのだ。
乗馬トラックを押しつぶすように建てられた一階建ての幅広な建物、それが月見野学園騎士道場だ。アクリル張りの窓の向こうには甲冑姿の部員も見える。
「失礼しまーす」
一応挨拶を添え中に入ると、建材と木が入り混じった独特の匂いが鼻を突いた。
盛大な掛け声で打ち合う部員達。耳を刺激する贋剣の衝突音は本物の刃物を打ち合う音そのものだ。特殊合金とゴムで作られた刀身は柔らかいので当たっても怪我はしないが、同じ素材同士で打ち合うと派手な金属音を響かせる性質を持っている。
技術研究の末に完成したということだが、そんなことに徒労を費やす騎士道用品開発者には頭の下がる思いだ。
騎士道用品のトップシェアは欧米メーカーが殆ど占めているが、それらの開発には日本の技術が下地として使われている。もともと剣道という武道があるのにわざわざ海外流入の競技にここまで本腰を入れてとんでもない技術を開発する、まさに変態技術国家だ。
「たあああッ!」
発せられている掛け声は怒号に近かった。ひっきりなしに打ち合い、鍔競りあっては蹴りで距離を取る荒っぽい試合だ。まさに実戦形式。
「すげえな」
田の字のように四つ設けられた競技コート、手前二つは練習用のものだが奥二つはセンサー機材完備の本格的なものだ。
二つのコート床には青いマットが敷かれ、上を赤い可視光線が網目のように走っている。部員がその上を横切り戦う様を丸いカメラが首を動かし監視している。公式戦で使用されているものと同等の設備だ。
途方もなく高額な機材を公式戦さながら四隅に揃えられる規模、毎年のように全国出場している月見野学園の力の入れっぷりが分かる。
どうやって掲げられたのか天井の鉄骨には無数の垂れ幕や旗が吊るされていた。その中でひと際目を引く大きなものには黒地に黄色い三日月を模した盾の紋章が描かれていた。その隅には黄色い刺繍でOB寄贈の文字。リニアが通った年に生まれた俺にとって、昭和61年という年月が今から何年前のことかなんて途方もつかない。
板張りの床に視線を落とした先、競技場の最奥には甲冑一式が並び揃えられている。
最新技術の賜物とも言える機材が張り巡らされた中に古めかしい甲冑が溶け込んでいるのだ。
「フルプレートメイルに軽装の決闘着。一番左はホスピタル騎士団のデザインモデルか……」
どれもこれもカタログに掲載されている代表的なデザインモデルだった。
これら防具の素材はプラスチック、特殊合金、厚布。デザインも多種多様だが、共通する事項として全ての防具に武具の接触に反応する回路が張り巡らされている。
これにより剣の接触反応を全方位の測定装置が採点していくのだ。
目視による審判の頃には誤審も多かったそうだが、機械判定が導入された今では勝敗に関わる致命的な誤審は殆ど発生しない。
最も、無慈悲に淡々と判定を下す機械ですらエラーが出るほどの微妙な判定も稀にあって、その場合は主審と多数の副審で協議される。
各々個性あふれる甲冑に身に纏った部員たちの練習風景を見ていたら遠くに真冬さんの姿が見えた。帳簿にチェックをつけているようだ。背中を覆う黒髪は遠くにいても一目でわかるほど綺麗だ。
「真冬さんこんにちは」
「こんにちはリッツくん。早速来てくれたのね」
「はい、宜しくお願いします」
挨拶をしつつコートを見ると瀬名が降りてきた。
「なんやリッツ。もう友達できたんかい」
瀬名の草摺には二本のフレイルが携えられていた。
マインスイーパの爆弾を彷彿とさせる二つの刺付きの鉄球は歩く度に音を立てている。といっても恐らくゴム製なので当たっても骨が砕けるなんてことはない。
「こいつも寮暮らしの特待生なんです」
横の興梠歩を紹介しようとする。
ところが歩は思い切り俺の襟首を引っ張る。
「おい。なんだこの美人の先輩方は!お前とどういう関係なんだよ!?今すぐ応えろ。天と地がひっくり返ってもお前みたいな奴が知り合うレベルの女子じゃないだろ!」
「春休み中に寮のホールで模擬戦したの!つーか近えよ」
ひそひそ声で追及する歩に俺はこれまでの一部始終を説明するがその表情は納得いかんとばかり。瀬名と真冬さんが怪訝そうにこちらを見ている。
「あとで俺にもちゃんと紹介しろよ?」
「さっそく友達もできたみたいでよかったねー」
真冬さんはそんな俺達のやり取りなど露知らずといった感じだ。
「注目――ッ!」
不意に、平手を叩く音と共によく通る声が騎士道場に響き渡った。
声がした方を見ると大柄でがっしりした男子生徒が鎧が揃えられた段上に立っていた。眉の上で切り揃えられた短髪が爽やかな顔を一層際立たせている。
その目は穏やかで俺達新入生を歓迎しているが、内に鋭いものを秘めている気がした。
男子生徒はジャージを肩からまるでマントのように羽織っていた。上半身の体つきは確認できないが、練習用のスパッツ越しに浮き出た筋肉質の脚から相当鍛えられた実力者であることがわかる。
「新入生もこっちに集まってくれ。一番前の列で頼む」
長身の先輩の手招きに吸い寄せられる新入生一同。
前に立つと改めてその背の高さに驚かされる。外国人モデルのように大きい。180は余裕で越えているのではないのだろうか?
「俺は三年の三木元春紀、ここで主将をやってる」
巨漢の美丈夫はそう言って白い歯をちらつかせた。
「愛称はハルキーね!」
「ハルでもいいぞ!」
後ろから上級生の楽しそうな野次が入る。三木元部長は苦笑しつつも野次に関しては否定しない。
「じゃあ、早速だけど一年同士でこれから試合をしてもらう。四つある内の練習用コートで二手に分かれて一撃判定の一ゲームを行う。機械測定ができないから審判は二年三年がやる!」
そう言って向き直ると
「で、いいんですよね?カントク?」
「うむ」
隣に立っていたのはスーツに身を固めた監督と思しき女性だった。ビシッと決められたグレーのパンツルックは男装の麗人を彷彿とさせる。
「まずはお前たちの実力を測りたい。その上でレギュラー候補の組と選別する。特待生の中には中学時代に全国大会で優秀な成績も納めた者も多いだろうが、特待生だろうが一般入部生だろうが特例はない。決してこれまでの経歴だけを奢らず励め。…解散!」
一瞬吸気したあとの一声で上級生が準備に駆け出す。威圧感たっぷりの歩みに一年生の塊は二つに裂け道を作った。
「じゃあ、これから入部選別模擬戦を始めるぞー!」
三木元キャプテンの一声で俺達一年生の騎士道部初日が始まった。