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魔剣使い

 模擬試合を終え玄関口に戻った俺は、無造作に積み重ねられた俺宛ての荷物の山を見つけた。

 それらを全て自室に運び終えたのは時計の針が夕方六時を回った後のことだった。

 早速届いた電動ポッドで湯を沸かしカップ麺を食す。そのままベッドに飛び込み小一時間寝ていたらしい。

 じっとりとした寝汗と寒気にも似た疲労感を感じながら目を覚ますと、すっかり日が落ち部屋も真っ暗になっていた。

 食べてすぐ寝たせいか胃の上部が重苦しい。

 傍らのミニ時計を見る。蛍光色で緑色に発光する針は夜の八時を差していた。

「いろいろと疲れた一日だったな」

 生活用具は揃った。あとは退屈しのぎのパソコンやネット回線を整えなきゃ。

 それからチャリでも買うか。下と行き来する手段がほしいし――坂きつそうだけど。

 これからの生活に向けた様々な計画プランが逡巡した。心の中で全力疾走しているような慌しさは新学期が始まるまで続くのだろう。

 手探りで進んだ入り口のスイッチを押すと部屋が明るく照らし出された。

 枝影を不気味に映していた窓は点灯と共に消え失せ、代わりにそこに見えるのは寝ぐせでボサボサになった疲れきった俺の姿。

「酷い顔だ」

 随分遠くまで来ちゃったな。望郷がもたらす寂しさを感じながら思い切りカーテンを閉める。

 冷蔵庫に入れっぱなしになっていたスポーツドリンクを口にすると、塩混じりの味が喉に張り付いた。

「風呂でも入るか」

 

 自室に鍵をかけて、プラスチックのタライに洗面用具一式が入っていることを確かめ歩き出す。

 廊下は灯が等間隔で点いているがなんとも寂しくて不気味だ。

 まだ寒いので感傷的な虫の音色は聞こえない。窓を隔てた外は木の枝の影模様だ。

 時折強風に木々のざわめきが耳を打つものの、真っ暗で外の様子は窺い知れない。何かが潜んでいてもわからない気味悪さを感じる。

 男子でここに残っているのは俺だけなんだろうか?

 瀬名やシェリーカの女子棟もこんな感じなんだろうか。

 廊下の壁には油絵が飾られていた。それを横目に見ながらロビーを横切り歩くと、銭湯のような垂れ幕が俺を迎えた。

 アイボリー色の床はじっとりと湿っていて、歩く度にスリッパの足先がぺたりとへばりつく。

 曇りガラスの向こう、室内の灯りは点いている。

 売店も食堂もシャッターを閉じている中で、唯一この共同浴場だけは絶賛営業中という感じだった。

 更衣室は整然としていてドライヤーが置かれた鏡台には髪の毛一本落ちていなかった。

「結構綺麗だな」

 轟々という音。

 天井に据えられた送風機が誰もいない更衣室に風を行き渡らせるべく、カクつく首を懸命に揺らしていた。

 ロッカーの扉を開けると据えた匂いと共に空っぽな空間が出迎える。そこに今日一日行動を共にした汗臭いスウェットを放り込んだ。

「明日は洗濯の場所を確認しないとな」

 そんな独り言をつぶやきつつ脱ぎ終えた俺は、浅黄色の曇りガラスの扉を勢いよく開いた。

 足を踏み入れた浴場は今まで見たどんな銭湯よりも綺麗で広かった。白いタイルが埋め尽くされシャワーが据えられた台が整然と並んでいる。

 入口には逆さの桶が綺麗に積まれていて女神像の彫刻が手にした水瓶からお湯を注いでいた。

「すげえ」

 これなら入浴料取ってもいいんじゃないだろうか。感心しながらゆっくりと洗面台に腰掛ける。

 タライを用意する必要なんてなかったな。

 そんなことを思いながらカポンと一鳴りさせて湯を被った。

 と、そこで初めてひたひたと足音が迫っていることに気付いた。

 他に人がいるのか!?

 振り返り湯気がかかった先に人影が揺らめいていた。

 入った時には全く気付かなかったが先客がいたらしい。その人影は男とはかけ離れた丸みを帯びたシルエットだった。

「あ……」

 俺はそこで初めて男湯女湯の概念を思い出した。

 入れ替え時間は?今はどっちの時間なんだ?

 そして、そもそもそれらは入浴前に最低限得ておくべき知識で、俺は考える前にこの空間に足を踏み入れてしまったことに気付いた。

「ちょ……待っ」

 声を漏らすが湯気に遮られた影は立ち止まることなく次第に大きさを増していく。

「どこか隠れる場所は」

 勢いよく左右に見渡すが、そんな場所遠く離れた湯船以外にある訳がなかった。

 そして――。

 遂に、靄がかった湯気をかきわけて全裸の女が現れた。

 タオルに巻かれた大きな腰、引きしめられた腹から視線を上になぞる。その先は肌着が被らされている訳もなく、湯気がぼんやりと大きく膨らんだ双丘を覆っていた。

 その上できょとんとした瞳で俺を見下ろす女子の顔。

 例えるなら唖然の一言、喜怒哀楽の感情が一切見えない無心の表情。

 濡れそぼった肩口までの亜麻色の毛先からは水滴が滴っており、くびれる所とふくらむ所が極端に対比した見事な肢体の持ち主。

 それは、既にこの寮では見慣れてしまった一学年上の騎士道部先輩、天道瀬名のものだった。

「ひいいいいいいいいいいいいいいい」

「リッツううううううううううううう」

 情けない素っ頓狂な悲鳴と、地鳴りのような罵声が同時に浴場に響き渡った。

 俺は立ちあがり反転、腰かけていた椅子を盛大に蹴飛ばしながらタオルで股間を隠し駆け出した。

「見ィたなアアアアア!」

 憎悪と恥辱に染まった呪詛のような雄たけびを後ろに、タイルに何度も足を滑らせながら辿り着いた湯船に一目散に飛び込む。

「ぶぶぶぶぶ」

 がぽがぽと音が耳を突きぬけて泡まみれの視界が暗転した。

 鼻奥にツンとする痛みを感じながら潜水していると、黒い影が漫画のように躍動的なポーズを決めて飛び込んできた。

「リッツの変態のあほ~!」

 直後水中を割るように現れた肘鉄が脳天に炸裂した。

 割れるような痛みに耐えきれず、ぶくぶくと泡を吐きながら湯面に浮上する。

 そこには真っ白な歯を横並びに噛みしめ見下ろす瀬名の姿があった。

 一枚の洗顔タオルは器用にも胸と下腹部をカバーしているが、濡れた湯で貼りついていて逆にそそる。その表情もこれまで見た彼女のどんな表情より艶っぽくて恥じらいがあった。

「あほ……」

 一言呟く瀬名。

「ごめん」

 やっぱ胸でけーなと思いつつ謝る。この状況で尚、目を奪われる谷間がそこにはあった。

「見た?」

「見てない」

「嘘」

「本当」

「はぁ~~~っ!」

 長大なため息の後のぎろりと猛禽の眼差し。

「そもそも他の女子がはいっとったらリッツ、明日には岡山に強制送還されとるところやったんやで」

「……ごめんなさい」

「時間は男が六時半から七時半、女が八時から九時!」

「…………ほんとごめんなさい」

 観念した俺はタイルの上に正座していた。情けない格好だ。

「まあええ」

 恐る恐る見上げると、頬を掻きながら横目で見下ろす瀬名の姿があった。頬は熱を帯び紅潮しているが、それは湯のせいか俺のせいかは窺い知れない。

「今度おかしなことしたらリッツのポークビッツ、全校生徒に広めてやるから」

 見られたのかアレ……

「リッツのポークビッツ……広めるから」

「でもそれって瀬名先輩が見たってことも同時に広まるんじゃ……」

「うっさいわ、あほぉ!!!」

 

 寮一階のロビー広間にはテーブルとリラクゼーションチェアが並べられ、窓際のタカの剥製の隣には大インチのプラズマテレビが設置されていた。

 寮の自室に据え付けられた小さなテレビの数倍はあろうかという大画面は全国放送のお笑い番組を映し出していた。

 そのロビー中央のテーブルを囲うようにピンクのアームチェア四つ。ガラステーブルの透明な天板を挟む先には寮支給の浴衣を羽織り、湯上がりの湿った髪を頬に張りつかせた瀬名が身を預けていた。

 テレビ真前のソファーにはこれまた浴衣姿のシェリーカ・シェーレザルトが脚を揃えてちょこんと鎮座している。

 実はシェリーカは先ほどの件の間、ずっと端の湯船に浸かっていたらしい。

 目の前の関西弁女の言う話では離れたところから一部始終観察していたそうだ。

 俺のを見てポークリッツと吐き捨てた瀬名ならともかく、シェリーカのような純粋無垢な少女がアレを見てしまったらトラウマもの確実だと思うのだが、当の本人は全く興味もないといった風にテレビに貼りついていた。

 頼む、このまま忘れてくれ。

 一方被害者を自称する瀬名は大層御立腹で、俺はこの件に関して風呂上り三十分に渡ってねちねちと嫌みを吐かれた。

 ちゃんと時間を見とけだの、ウチの胸を見たなだの……それなりの胸の大きさを本人は自覚しているらしく、俺に見られたということを相当気にしている様子だった。

 追及されて至極当然のものから股間にぶら下げたモノが小さいだの、どうでもいいわと突っ込みたくなるものまで。

 多岐に渡った追及もようやく終わり、今は日中に行われた真冬先輩の模擬試合にまで話が発展していた。

「んで、真冬にいいとこなしにボロ負けしたと」

「でも一撃は当てたんですよ。……何すかそのジト目!信じてくださいよ!」

「うーん。さっきのアレの後じゃなあ、リッツの言うこと全部嘘まやかしに聞こえてくる」

 瀬名は頬に張り付いた濡れそぼった髪を剥がしながら頬杖をつく。

「真冬さんとの試合。こっちも一撃は確かに当てれたんです。互いに一本取ったあとの立ち合い。でも、そっからラスト一本ってとこで雪原を見ました」

 身を乗り出していた俺の肩が力なく落ちたところで、瀬名は興味深そうに眉を吊りあげる。

「へぇ……」

 真冬さんの見せた世界に思う節があるようだ。

「そのラストの一本をかけた立ち合いが始まった瞬間です。真冬さんの周囲から俺の立つ床まであっという間に雪原が覆い尽くし、ホールの天井は猛吹雪の曇り空になっていました。まるで場所そのものがどこまでも広がる真夜中の雪世界に飛ばされた。そんな錯覚を受けました」

 あんなの幻覚なんてモンじゃない。はっきりと感じた身を刺す寒さは本物の感覚だった。空間そのものの変質。真冬さんが本気を出した途端、俺とはあの世界に飛ばされたのだ。

「冬の領域」

 瀬名がぼそりと一言言い放った。

「真冬だけが作り出せる雪と暗闇の世界。真冬と対戦した皆が同じ幻覚をみとる。まるで空間転移能力や」

 いつの間にか瀬名はテレビの横の自販機の前に立っていた。

「あの子が呼びだす世界は対戦相手を皆困惑させ、その実力を文字通り凍りつかせる」

 取り出し口に腕を突っ込んだ手は次の瞬間には真っ赤なコーラ缶を握っていた。

「この学校におかしな能力を使う魔剣使いは数あれど、真冬の能力はかなりヤバイ部類やな。剣技や立ち回りで他者にはない圧倒的能力を持つ騎士は数あれど世界そのものを創り出してしまう能力なんて……」

 タブを開け勢いよくコーラを流し込む瀬名。はじける炭酸音は数メートル離れた俺も聞こえてくる。

「冬の魔剣士」

 瀬名がぼそりと放った言葉を心の中で繰り返し呟く。

 魔剣士――。

 尋常ならざる異次元の剣技や能力を備え、それを自在に行使できる騎士道競技プレイヤーの総称。

 スポーツをする上で他の選手よりも秀でた、突出したスキルを持つプレイヤーは数多く存在する。

 必殺の変化球や直球を武器に持つ野球選手。必中のスリーポイントシュートを自在に決めることができるバスケ選手。

 鷹の眼でコートを見渡すサッカーの司令塔。他の選手にはできない走法で圧倒する陸上選手などなど。

 この騎士道競技においても他のスポーツの天才のように突出した能力や剣技を持つ選手は存在し、余りに常人をかけ離れた技術を持つ者を人々は魔剣使いだの魔剣士と呼んだ。

 マスコミなんかではもっと簡単にバケモノ、怪物などとも呼ばれている。

 多少はマスコミの過剰なプッシュや敗者達の誇張イメージから発展した通り名なんてのもあると思うが、真冬さんの能力はその中でも特異と言える。

 そもそもフィールドそのものを変質させる能力なんて古今聞いたことが無い。まさに魔剣使い。その力の片鱗をあの場所で見た。

 プレッシャーと眼力で対戦者を凍てつく雪原に導き、自分のペースで終始圧倒する能力。

 この一連の能力がもたらす彼女の剣を魔剣でなくて何を魔剣使いと呼ぶ?一年で月見野のレギュラーを務め全国に足跡を刻んだ千崎真冬の紛れもない持てる力だ。

 ――真冬の能力はヤバイ。

 瀬名が深刻な面持ちで呟いた言葉の意味が現実味を帯びて俺に突き刺さる。

「冬の女王、千崎真冬」

 関西訛りのイントネーションで瀬名が彼女の名を呼んだ。

「ウチはカッコいいと思ってこんな二つ名勧めたんだけどな」

 シェリーカの隣に腰を下ろしコーラを一口あおる。

「冬の女王なんて名前的にもあってる思うねんけど。厨二病だって顔赤くして否定するんや――けどな

 声のトーンが急に重苦しくなった。

「アイツはあんな能力持っておきながらそれを本戦で使おうとしない。大きい大会の試合でそれ使って勝つと何故か次の試合で必ず負けるジンクスがある」

「ジンクス……」

 多くのスポーツ選手が悩むカタカナ四文字の言葉。呪いにも近いそれは一度囚われるとなかなか脱却することができない厄介な代物だ。

 あの真冬さんがそんなものに囚われているとは意外だった。

「真冬、普段はあんなノリだけど心の中はウチでも計りしれん。相当悩んでると思う」

「セナ……大丈夫?」

 気づけば心配そうな表情のシェリーカが瀬名を見上げていた。

「秋の全国も今春の予選もあの子の試合から何かの流れが変わった。真冬自体は無敗なのに後のメンバーに不運が続いてな。結局流れ戻せんまま負けてしまった」

 シェリーカの湯上がり銀髪を撫で、瀬名は物憂げにこちらを見る。

「そんなんタダの偶然言うとるのに、あいつは口元で笑ってみせても心の中じゃ思い詰めとるんや。ジブンのせいで負けたってな」

 そうだ、瀬名は見ていたんだ。

 ……去年の大会から。

「アイツ、月見野が春出られんかったのもジブンのせいや思っとる。皆そんなこと無いって気にしてる奴なんかおらへんのに」

 俺は沈黙のまま、瀬名に聞き入っていた。

 俺自身もかつてはトラウマのような物のおかげでスランプに陥ったことがある。

 自分の場合それは部活中の小さな悩みに過ぎず、仲間のフォローと時間が解決してくれた。

 でも、真冬さんの場合は全国出場がかかる大一番でそれを発動させてしまったのだ。負けたら終わりの公式戦では精神的負担も桁が違うに違いない。

「ジンクスコワイ……何度も経験したら動けなくなる」

 シェリーカは瀬名に身体を預けた。しばらくの間静寂が支配する。

 ふと時計を見たら消灯時間が近いことに気付いた。

 柱時計に視線を逸らした俺の目線に瀬名が追従した。

「あ!もうこんな時間。話しすぎたわ!」

 そう言ってそそくさとコーラ缶を片づけテレビを消す瀬名。

「はよ、シェリーカはよ!」

 いつもの半分の速度にまで落ちた寝ぼけ眼のシェリーカを二、三度ぽんぽんと優しくはたく。

「セナ……何事?」

「もう時間や!はよ部屋戻るで」

 小さな背中が急かされるように押されていく。

「ま、リッツ!リッツも真冬なんとかしたってや……」

 なんとかしろって言われてもなあ。

「真冬に惚れとるみたいやし!」

「は!?」

 最後の一言を告げる瞬間、瀬名は白い歯をちらつかせた口を掌で覆った。

「なに言ってんすか」

「ガンバ、ポークリッツッ!」

 声を上ずらせながら赤面する俺に、瀬名は近づきおもむろにバチンと一鳴り。

 背中にひと際大きな平手打ちをかました。

「痛ッ~!なにするんすかこの人は!」

 その時、遠くから早苗さんの照らすライトがちらつくのが見えた。巡回の時間だ!

「ほな、また明日」

 そう言って瀬名とシェリーカはロビーを一足先に後にする。

「全く……あれで俺より一歳上なんだからなあの人」 

 派手に動いたソファーの位置を戻しているとライトに照らされ幻惑した。

「あら、こくりつくんおやすみ?」

 大きな欠伸を手で隠した寝ぼけ眼の早苗さんがこちらを見ていた。

「はい、瀬名先輩のせいで消灯ギリギリまでここにいるハメになっちゃいましたけど……」

 夢遊病患者のように歩を進める早苗さんに一つ会釈をして俺もロビーを後にした。

 


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