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始まりの握手

「はは……本当に一撃もらっちゃったよ」

 真冬さんが賞賛の微笑を称えていることに気付いたのは、その一撃が決まってからしばらくしてからだった。

 無心で放った剣撃は正確に真冬さんのブリスターを直撃し、真冬さんは後ずさりしながら額を押さえている。

「あれ、もしかして俺……今一撃決めました?」

「うん。こんな真っ直線な振り。読みやすいしそうそう貰わないんだけど――」

 そう言って真冬さんは床に転がっていた自分の剣を拾う。

「気づいたらもらっていたわ。もし試合ならこれ一撃で負けてたかもね」

 ブリスターを胸に抱え、感慨深そうに目を瞑りながら、

「不思議な感覚。まるで君の気迫そのものに斬られたみたい。思い一つでどんな盾でも防げずに決められる必中の剣。そんな一撃だったわ」

 そう言ってブリスターのベルトを締めなおす。上気した色白の顔は、再び曇りがかった保護具に覆われた。

「これで互いに一本っすね」

「そうね。本当は三本先取だけど」

 壁に掛けられた丸時計に視線を預ける真冬さん。

「時間も無いし……悪いけど残り一本取った方が勝ちってルールに変更したいんだけど」

「わかりました」

 既に時刻は16時を回ろうとしていた。窓からはオレンジ色の光が差し込んでいる。

 さっきの一撃に至るまで、長いこと剣戟の応酬に入れ込んでいたらしい。

「じゃあこの一本を取った方が勝ちってことで」

 ふっと一息吐いて相対する。

「あんないい剣見せてもらったんだもん。私も本気でいかせてもらうわ」 

 真冬さんは瞼をゆっくり細めながら剣を構えた。

 その瞬間――。

「なんだこれ」

 相対した瞬間、俺達が立っていた世界が変貌した。

「この空間は一体」

 まず、真冬さんの眼が瞬き氷晶のような煌めきが虹彩を刺した。次いで身を襲う感覚。

 じっとり染みた汗が一瞬で干上がった。たちまち寒気が場を支配し、両手で視界を庇った俺は、気づけばどこまでも広がる雪原に立ちつくしていた。

 闇の中、青白く広がる雪と暗い空の地平線が見えた。大気まで凍りついた暴力的な寒風が身を叩きつける。

「なんだここ、さっきまでいたホールはどこ行った」

  顔を庇いつつ目を凝らすと、先ほど立っていた時とほぼ同じ距離に真冬さんがいた。

 しかし、その格好は先ほどまでホールにいた時のような黒地に黄色ラインの制服姿ではない。

 振袖つきの真白な着物姿。その丈は短く、タイツで見えなかった雪のように白い彼女の生脚が暗い雪原で際立っていた。

「真冬さんなのか?でもその髪は……」

 しかし、俺が一番先に眼を見張ったのは艶やかな着物姿などではなかった。

 真冬さんの髪、漆黒のロングヘアはそこにはなかった。色素が抜け雪のように白く輝く髪が猛吹雪で振り乱れている。

 瞳は真っ青に煌めいていてこの世のものとは思えない。それはまるで、幼い頃に読んだ雪女の姿そのものだった。

「試合を続けましょう。リッツくん」

 抑揚の無い声で雪女が呟いた。

 正面に構えられている刀刃は凍りついていて、先ほどまでの練習用の片手剣の面影は感じられない。

 刀身も長く氷柱のようだった。その形状はまさしく氷で作られたファンタジーの剣そのものだ。魔剣という言葉が脳裏を掠めた。

「こんな能力聞いたことないっすよ」

 俺は冷めきった汗を眉間に垂らし彼女がもたらすであろう未知の一撃に備える。

 音も無く雪女が跳んだ。

 六花紋様が施された振袖が振りかざす一撃は、先ほどまでと同じ見慣れた横一閃。

 大気を裂く平行線を受け止めつつ反撃に転じようとするのだが、

「剣が凍る……!」

 当てられた刀刃はみるみる白く凍りつき、蠢く氷塊は握る腕まで達しようと侵食を速める。

 咄嗟に鍔競りあっていた雪女から離れる。するとその氷は霧散したかのように消え失せた。

 自分の剣を見るとまだ雪がまとわりつき白くなっている。

「触れた物全てを氷漬けにする魔剣……」

 勢いよく払う。霜のようにこびりついた白雪が雪原に飛び散り同化した。

「もう一度だ!」

 両脇を締め真上に翳し駆ける。鷹の構えから振り下ろした一撃。先ほどヒットさせたものと同じ攻撃に集中する。

「――今だ!」

 両断する瞬間、真冬さんの姿をした雪女は飛びかかる俺をふっと一瞥した。青く凍りついた魔眼が俺の思惑を見透かしているように貫く。

「く……ううッ!」

 咄嗟に重心が崩れふらつく。闇雲に放った一撃に正確性とキレは無く、ひらりとかわした雪女の剣が迫る。

 眼前に迫った瞬間。その平行線は稲光のように迸り縦の一閃が加わった。先ほど喰らった剣撃とは比べものにならない十字の剣閃ははっきりと俺の胴に刻まれ、頭から雪原に倒れる。

 四肢を冷気が支配し、腕から落ちた剣は柔らかい音を立てて雪影に埋もれた。

 曇天を見上げた俺は自分の腹に視線を落とす。

 斬られた十字形の断面は白く凍りつき、切り口は垂直に毛羽立った霜で埋め尽くされていた。

 音を立てて十字の氷柱が作り出され、同時に身を走ったのは肉が裂けるような鋭い痛み。

 凍りついて死んでしまう……!

 いつか昔話で見た、氷の彫刻となった男の最期がリフレインする。

 氷塊の中で凍りついた男の苦悶の表情が今の自分に重なっていた。身を覆う氷は見る見る内に胸元まで達し視界全体が青白く固まった。

 思考が緩慢になり気持ちよくなってきた。そこで、俺の意識は途絶えた。



 気が付くとそこは先ほどまでと同じ寮のホールだった。

 クリーム色の鉄骨が入り組む天井を見ていた。横を見るとニスが艶めく板張りの床が広がり、身をすさぶ猛吹雪も、曇天の大雪原もそこにはなかった。

 先刻まで真冬さんと試合を行っていた月見野学園月光寮の多目的ホール。そこで俺は大の字になって転がっていた。

 白昼夢でも見ていたようなおかしな感覚だった。

「リッツくん?」

 我に帰ると心配そうな目で真冬さんが見下ろしていた。

「なんなんすか、今のアレ」

 俺は両断されたはずの凍りついた腹部を見下ろすが、勿論それはあの雪原で見たような傷跡などない。

 夢でも見ていたのか?俺は両手をまじまじと見て事態を把握しようとする。

 しかし、何をどう考えても腑に落ちない。幻でも見ていたのか?

「やっぱり……見てしまったのね」

 黒髪の少女は心底困ったというような顔をしていた。

「あんなん見たことないですよ」

「そうね、そうよね……」

 腰を起こしてもらい立ち上がる。

「過大なプレッシャーがもたらす幻覚。お前にしか振れない魔剣。監督はそう教えてくれたわ」

 真冬さんは立ちあがると未だに震えが止まらない俺の両肩に手を置いた。

 しっとりと柔らかい少女の両手は暖かく、乱れた息も凍えるように痙攣する肩も落ち着きを取り戻した。

「もう、大丈夫だから。終わったから。さっきのことは気にしないで」

 俺はその手を取り少女の黒い瞳をまじまじと見つめた。

「プレッシャーなんてレベルじゃないですよ。先輩が剣を抜いた瞬間世界が一変しました。あの場所は……」

「あれは私の心の中の風景。それが対戦相手に雪原を見せるの。何故かはわからないけどいろんな選手が持つ特性の一つだと監督は言ってくれたわ」

 何もおかしいことはない、とでも言いたげに真冬さんは告げた。それが彼女の力なのだという当然の言葉。

「リッツ君に清々しい一撃をもらって、それで私も本気出しちゃった」

「真冬さん。あんなエグい物始めてみましたよ。そもそもあれが剣技なのかすら今の俺にはわからないです」

「そうよね。びっくりさせちゃったよね?今度は気をつける」

 消え入るような声で囁きながら、真冬さんは何度も頭を下げる。

「ごめんね……本当に……」

 俺はそんな彼女にかける言葉も見つけられないまま呆然と立ちつくしていた。

 あの時、俺は間違いなくこのホールに身を置いたままだった。

 雪原も雪のように白い髪の真冬さんもそれは脳が創り出した幻想に過ぎない。

 俺は真冬さんのプレッシャーに負けた。

 もし俺があの世界に打ち勝つ気概があれば、何の問題も無く先刻振るった一撃を繰り出せたはずだ。

 が、できなかった。

 全ては俺の未熟さ故。例えあの冬の領域が真冬さんの力が作り出した空間だとしても、それを理由にして負けに甘んじる自分が許せなかった。

 もう一度あの世界で勝利を。悔しさと不甲斐なさが逆に闘志の火を点けた。

 「ありがとうございます真冬さん。俺が負けたのはあの世界のせいでも真冬さんのせいでもない。自分自身に負けたんです。俺、またあの場所で戦いたい。で、今度は勝ちたいです」

「リッツくん?」

 ぽかんと開いた口は緩やかに笑みに変わる。

「本当に君って……」

「?」

 せき止めた息を吐き出し真冬さんは笑う。

「大丈夫。君の一撃は紛れもない一線級よ。とんでもない剣圧。あれを常に当てられるようになれば、きっとここの誰よりも強くなれるよ」

 スカートの裾をぽんぽんと叩き立ち上がる真冬さん。その笑顔は今まで見たどの表情よりも晴れやかだった。

「もう夕食時ね」

 指さす先は既に五時に回ろうとしていた。

「私はそろそろ帰るけど、リッツくんは自炊?」

「いえ、麓でレトルト買って来たんでポッドでも借りて温めようかなと」

「ならよかった」

 真冬さんは騎士道用具をバッグに詰めるとそれを担ぎあげた。

「私はこれを部室に片付けたら帰るわ。てか校門そろそろしまっちゃうし急がなきゃ」

 いそいそとホール出口に進み俺も続く。

 引き戸を開け振り返り様に真冬さんを夕焼けが照らした。

 オレンジ色の陽光が黒髪を煌びやかに照らす。その様子に俺はどきっとする。

「今日は楽しかったわ」

 心臓の鼓動が高鳴るのを覚えた。でもすぐに言葉がついて出た。

「俺もです。またやりましょう!」

 自然に差し伸べられた右腕に込めたのは、かつて大切な人達との節目に交わしたのと同じ想いだ。

 出会いも別れも、手と手を繋ぐだけでその人と共有した大切なものを全て記憶に刻める気がした。

 昔、あの人が交わしてくれた握手。ついこの前、中学最後の日に校門で交わした恩師との握手。

 たった一言頑張れよという言葉を伴った握手がどうしてこうも強く記憶に刻みついているのだろう。

 あの時は別れの握手だった。でも今の握手は――。

「ええ、これから二年間だけど宜しくね、リッツくん」

 しっかりと握り返される温かさを感じながら、俺はこれから始まる三年間を決して悔い無き物にしようと心に刻みつけた。

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