千崎真冬
――正午近く。
大きなレジ袋の頭からタライやお玉の柄を覗かせながら、それを両手に持った俺は月見野学園月光寮に連なる坂を上っていた。
袋の隙間にはレトルト食品やカップ麺、お菓子に缶詰に5kg無洗米の小袋が所せましと詰め込まれている。
先ほどのバス停でちょうどコンビニの看板が見えたので、俺はバスから一人降りると割高な食品を片っ端から買い漁った。
その後、次のバスが一時間後でないと来ないことに絶望しつつ、昨日通った坂を再びのっしのっしと踏みしめている訳だ。
昨日より暖かいので道路の残雪も殆ど溶けていた。このまま次第に暖気が増していき春の気候になっていくのだろう。
指の第二関節に喰い込む重量を感じる。
「手袋買っておくんだった」
坂の上を仰ぐ。ここから先の校舎に至るまで人工物は道路と両脇の電柱電線以外存在しない世界だ。
枯れた桜並木を過ぎ、荒れたアスファルトの坂を上り、森林公園を横切ったところで漸く石灰色の漆喰に固められた月光寮が建っているのだ。
その門戸を見るまであと何分歩けばいいんだろうか。
いろいろと気を紛らわしながら上って来たのでいくらか距離も縮まっただろうと思いスマホを取り出す。
――残り所要時間徒歩25分。
「うへぇ」
ずっしりと感じるビニール袋の取っ手に悶絶しつつ、戻ったら一番にとっておきのレトルトビーフカレーでも食べようと心に決める。
そこまで考えて始めて、遙か後ろからエンジン音が近づいてくるのに気がついた。
車の音ではない。抑揚の無い一定音域が連なるエンジン音。
驚くことに、後ろを見ると一台の原付バイクが坂の遙か下から登ってくる。
徒歩の俺にとって心臓破りの坂とも言える傾斜は目で見るよりも歩くと遙かに過酷で、自転車通学は無理だと思う。
が、その原付――ベスパは知ったことかと言わんばかりの勢いで登ってくる。
甲高い排気音は最早悲鳴に近い。可哀そうなベスパ。フロント部中央のヘッドライトは消え入りそうにその光を瞬かせていた。
その乗り手。白いフルフェイスの向こう側はフルスモークで見えないが、メット裾から飛び出し靡く黒髪の長さと、服装からここの学校の女子生徒だとわかった。
スカートは月見野学園のパニエ付きの漆黒のプリーツで、黒タイツに包まれた細っこい脚が原付のステップに直立している。
その女子生徒は呆気にとられる俺の横にたどり着くと、ひと際大きなアクセル音を吹かしてエンジンを止めた。
ヘルメットを脱ぐと漆黒のロングヘアがはらりと舞った。
「君、新入生?なんで歩きなの?」
イントネーションが青森のものだった。市街地から通っている地元の生徒だと一発で分かった。
ぱっちり二重の目。切れ長の眦はどこか眠そうに垂れていて、その眼差しを優しげなものにしている。
雪国は美人が多いと聞くが、寒さでほんのり紅潮した白い頬は彼女のハーフめいた容姿に拍車をかけていた。
「バス使えばいいのにー」
顔立ち自体は高校生なのだが、動作が大人のように落ち着いていて一つ一つに品がある。
ゆったりした語調は心地よくなんとなく育ちの良さというものが滲み出ていた。どこぞの関西弁女とは大違いだ。
「いえ、歩いた方がいいと思ったのでッ!」
背に物干し竿でも突っ込まれた勢いで屹立する。彼女のまっすぐな視線が逃げようとする俺の目線を追う。
「面白いね、君」
彼女はくすりと笑うと愛機のカゴを指さして一言。
「二人乗りは無理だけど荷物なら上まで送ってあげてもいいよ」
「いいんですか!?」
「もち!」
そう言って彼女は手袋に包まれた親指を軽く天に向けた。
原付を坂の上に見送り、そこからの俺は背中に羽根でも生えたかのような軽やかな気分だった。
所要時間25分と記された道をあっという間に駆け上がった。
体感時間は数分足らずだったのは言うまでもない。
「遅いよ~」
俺が息せき切って寮に辿り着いた時、ベスパの少女はヘルメットを小脇に抱えながら待ち構えていた。
驚くべきことにその隣には先ほど麓で別れた天道瀬名の姿も見える。
「なんや。真冬とリッツ知り合いやったんか」
「君リッツくんっていうんだってね。変わってるね」
黒髪の少女がほほ笑んだ。なんとものんびりした人だ。
「今年から入学する桃山国立です。その呼び名はもう瀬名先輩に言われまくったんで慣れました」
「こくりつくんか~。私は千崎真冬。瀬名と同じ二年だよ」
千崎先輩はにこっと頬を緩めると一礼した。思わず俺も30°の敬礼でそれに返す。
「真冬は去年一年で唯一レギュラーやったんや。こんなだけどウチより強いで」
瀬名は千崎先輩を小突きながら白い歯を見せた。
「やめてー。やめてってばー」
対する千崎先輩はしがみつく瀬名から逃げようと身を悶える。
「そうや。リッツは真冬の練習手伝ってくれへん?」
思い出したように瀬名が顔を上げた。
「えー瀬名は?」
目を丸く見開いた千崎先輩が声をあげた。
「新しい練習用の泥人形おるし、ええやろ?そや、アンタが真冬の練習相手するんやで」
「へ?俺っすか?」
いきなり練習相手を任された俺はぽかんとするばかり。
「つか何すかその泥人形って表現!そもそも瀬名先輩は練習しないんですか!?」
瀬名は尚も悶える千崎先輩の肢体を羽交い絞めにしながら
「下で借りてきたでぃーぶいでー見るんや!丁度リッツきたしええやん。めんどくさいし」
最低だこの人。駅ビル内のレンタルビデオ店でアニメのDVDを借りていたが、どうやら千崎先輩との自主練をほっぽり出して俺にその役目を押しつけるつもりらしい。
自分はぬくぬく暖房の聞いた自室でアニメの一気見に洒落込む腹つもりなのだろう。確かにこの寮での春休みは暇をもてあますにしても……
「早速今年度初の部活やなあ!リッツ」
「校舎入れるんですか?俺まだ入学式終えてないんですけど」
「ううん。他にいい場所があるんだよ~」
千崎先輩がふふふとほほ笑みながら人差し指をあげた。その先には月光寮の建物。この中にあるというのだろうか?
「そ、寮の多目的ホール!練習設備も揃ってるんや。そもそも入学もしてないのに本校舎入ったらリッツ不法侵入者やで」
千崎先輩の言葉に割り込んだ瀬名はベスパのカゴから買い物袋を下ろすと缶詰を取り出した。それは、下のコンビニで俺が購入した自分の為だけの貴重な食料だ。
「それ俺のです」
「え、そうなの?ゴメンゴメン。じゃあ全部もらっとくわ」
そう言って瀬名は袋に入った他の缶詰を全て取り出しコートのポケットに次々とつぎ込む。
「細かいこと気にしすぎやでリッツ」
右手を挙げその場を去ろうとする瀬名に対し
「瀬名、ダメよそれ。リッツくんに返しなさい」
「うう……」
語気を強めた千崎先輩にしょんぼり肩を落とす瀬名。
それと同時にポケットに入れた缶詰はぼとぼとと地面に落ちた。
月光寮は月見野学園本校と離れた位置に建っている。
敷地は隣接する森林公園と柵で隔てられてはいるが、夏には狸やウサギが迷い込むこともあるらしい。
まさに自然の真っただ中に佇む憩いの学生寮だ。
二階建ての建物は古さを感じるが寮特有の陰鬱とした雰囲気は無い。各部屋は全て個室でベッドや机にテレビ冷蔵庫も完備されている。
まるでビジネスホテルの一室。学生寮としては破格の待遇だ。しかも特待生はこれらすべてが定額の電気料金を除いて無料というのだから驚きだ。
カモシカの剥製が飾られた廊下を横切りながら歩くこと数分。伝えられた多目的ホールと書かれた真四角形の建物は寮と渡り廊下でつながっていた。
「失礼しまーす」
中に入ると微かに埃の匂いが立ちこめていた。
春休みど真中のこんな時期では誰も足を運んでいないらしい。
板張りの小さな体育館のような建物の端と端にはバスケットゴールがあって、前方には月見野学園の校旗が掲げられている。
「来たわね新入生。ちょっと手伝ってほしいの。きてー」
千崎真冬先輩は大きなショルダーバッグから騎士道競技に使う道具を取り出していた。
剣道やフェンシングの面道具のような保護具。その表面は透明な強化プラスチックでできており、通称ブリスターと呼ばれている。
他には練習用の直剣や、ひざ当てひじ当てなどのサポーター多数。
「せっかくだし瀬名と練習試合でもしたかったんだけど。貴方でもいいかな」
帳簿を広げ何度も個数確認している黒髪の少女。
「校舎の部室から最低限のだけ持ってきたの。リッツくんは自前の防具とかあるの?」
「いえ、騎士道関係の荷物は夕方でないと来ません。防具はブリスターだけでもいけます」
俺は頼んでいた荷物諸々が夕方でないと届かないことを思い出した。
この競技に使う武器、贋剣は重みこそあるが質感自体はとても柔らかくできている。当たると痛くないかというと嘘になるが、ブリスターで最低限顔面さえ守れればいい。防具無しで充分だ。
「それと、わかっているとは思うけど試合形式は自己申告になるわ。電子演算測定は向こうの大きな騎士道場じゃないと設備が整ってないのよねー」
「構いませんよ。ここはいろんな部活の人が使う場所なんですか?」
俺は壁際に二つ折りに立てかけられた卓球台を指さす。
「寮生が退屈しのぎに運動するとこなの。バスケなんて外にもコートはあるけど冬は雪で埋もれちゃうしね」
「へぇ」
「と言っても冬は寒くて殆ど誰もここには来ないのよね」
千崎先輩、真冬さんは取りだした武具を床に広げた。小ぶりの練習用のものだが、直剣、曲剣、ジャベリン、斧など様々だ。
「リッツくんは何使うの?剣?斧?それと槍?」
両手にダガーと手斧を掲げ真冬さんが小首を傾げた。なんとも物騒な絵面だ。
俺が使うのは剣だ。それも大型の両手剣。
通常の片手で扱う物よりリーチがあって一撃の威力がある。
威力重視だけで言えば槍や大斧といった武具もあるがどうにも扱いづらくてだめだった。両手でしっかり持って振れる大振りの剣の方が俺には性に合っている。
機械測定を用いた試合ではヒット部位、武器のもともとの攻撃数値、そして攻撃者のヒット具合、所謂「剣圧」で威力が決まる。
全方位から巡らされた測定機器と防具に巡らされたセンサーは連動していて、剣が身体に触れた瞬間に演算し判定は下される。
選手の持ち点はこれら剣の応酬によって試合の経過と共に減っていき、先に相手の持ち点をゼロにした者が勝者となる。
試合形式自体は剣道やフェンシングと似ているが、殆ど主審のストップはかからないまま試合はシームレスに進んでいく。
その様子はそのまま中世の騎士の戦いそのものだ。
が、これから俺達が行う練習形式に機械審判の設備は存在しない。
俺たちはかつて中世の騎士たちが実際に模擬戦で行っていたように、この競技のルーツとも言える自己申告式の試合形式によって試合を行う。
立会人の判断なども入るが、感じた攻撃、ヒットを素直に認め勝敗の公平な判断を二人で協議しながら試合を作っていく。
多少攻撃をごまかすこともできるが、それは騎士道精神に反する慎まれるべき行為だ。
それでも勝とうとする奴はいるもので、小学校時代苦い思いをしたことが多々ある。
「そろそろ始めようかしら」
真冬さんは剣を置くと、今度は奥から自分の物らしいショルダーバッグを引きずる。立てかけられたネイビーカラーのバッグには「月見野・千崎」と書かれたプレートが留められていた。
「リッツくんの実力が見てみたいの。全力で来てね」
ゆっくりとファスナーが降り、重い開閉音が四隅に響いた。
真冬さんの声が引き締まり、いよいよ模擬戦かと全身に武者震いが走る。
「もちろんですっ!」
思わず即答する。初の実戦にも関わらず昂揚している自分がいた。押さえられない、こんな美人と手合わせできるなんて!
「なるほど。お互い同じ剣使いのようね」
「普段からその片手剣を?」
「ええ」
真冬さんが持つのは片手剣。このスポーツを始める時、誰もが初めに手にするであろう武具だ。
中世の時代、両手で振るうロングソードが現れるまで、この80㎝に満たない長さの剣は単にソードと呼ばれていた。
その呼び名が片手剣となったのは武具の種類が増え、戦いのバリエーションが発展して以降の話だ。
数百年を経て公に規定された騎士道競技の時代でもそれは変わらず、片手剣、ソードこそが基本モデルとして採用されていた。
「そうですか。俺は馴染まなかったんですけどね」
そう言って慣れない刀身の剣を振って感触を確かめる。
本来は両手持ちのロングソードなのだが、この場で俺が握っているのは真冬さんと全く同じメーカーの片手剣だった。
意匠なども一切施されていない、白い練習用のモデルだ。しかし全く同一の武器同士で戦うということは、扱う者の実力差がそのまま現われるということだ。
俺の中学三年間のスキルでどこまで通じるか分からないが、やるからには真冬さんに勝つ気概でいく。俺は靴紐をきつく締めて前を見据える。
真冬さんは制服の上にひじと膝のサポーターを装着する。
二度三度ずり落ちないようテープの固定を確認している。
「制服のままするんすか?」
「ああ、予備はちゃんとあるし気にしないでいいから。あと、ブリスターはちゃんとつけようね」
真冬さんはゆっくりとお面のように前面から固定具が飛び出た保護具を取り出しニッコリと笑った。
透明で顔の形に沿うようにデザインされた頭部保護具は装着してもまるで生身の顔そのままの風貌を保つことができ、ファッション重視の選手には自身の顔を売り込みつつ安全に試合ができると人気が高い。
微妙に光を反射したブリスター越しに見える真冬さんの素顔は相変わらず可愛らしいものだった。対する俺はと言うと慣れた兜のバイザーがもたらす閉塞感がないのでどうにも慣れない。
「わかってても顔の直撃はやっぱ怖いんだよなあ」
電池式のバッテリースイッチを押すと、吐息で曇っていた視界が瞬く間に澄み渡る。一瞬で視界の違和感は感じなくなった。
「剣はこれでいい?」
俺と同じようにブリスターを装着した真冬さんの側頭からはヘッドホンのような流線型の固定具が両耳にかけ張り出していた。
遠目に見ると全く何も装着しない少女の耳脇からヘッドホンのような流線型の異物が覆っているように見える。
「盾もあるのよね。私の予備のだけど、要らない?」
バックラーサイズの丸い盾を掲げながら真冬さんが小首をかしげていた。
「いえ、両手剣を使ってるんで。盾はもう小五から持ったこともありません」
俺は剣を両手に持ち替え腰元に下げた。固定用の鞘もないので手に預けた形だ。
「力技で攻めるタイプなんだねー。一撃、もらわないようにしないと」
真冬さんもブリスターの曇り止めを点ける。
俺達二人は互いに一本の片手剣を持ちホール中央に相対した。
「試合は互いに三本先取でいいかしら?審判役がいないし判定は自己申告になるけど大丈夫……?」
「はい、かまいません!」
血湧き肉躍る衝動にたまらずその場で小刻みな跳躍を繰り返す。この感覚久しぶりだ。
「じゃ、いきましょうか」
真冬さんはゆっくりと剣を取り出すと斜めに構えた。太極拳の呼吸でもしているかのようなゆったりした体勢だ。
それに呼応するように俺も片手剣を両手で、まるで剣道のように構え対する。
「いきますよ真冬さん!」
「本気できてね」
「抜剣――!」
一瞬の静寂の後に試合開始を告げる二人の声が重なる。俺の高校生活初めての試合が始まった。
「やあああああ!」
俺は一跳びで真冬さんのブリスターに覆われた頭を狙う。
西洋剣術では鷹の構えとも言われる、頭上からの狙い澄ました一撃だ。
しかし片手剣のリーチは思いのほか短く、直感でかけた補正は働かず空振りに終わった。
空を切った剣を立て直そうと二の足を踏んだ。今度は真冬さんが攻める。
「はあッ!」
黒い髪が真横に靡き、低く落とされた体から放たれた一閃は、咄嗟に構えた刀身を激しく叩きつける。
俺の脳内で青白くスパークした振動は交錯した後、剣が離れてもしばらく電流のように俺の手に残っていた。
――すごい振りだこの人。
見た目からは全く感じなかったが凄まじい闘気を秘めている剣だ。流石は一年次でレギュラーを張っている選手だ。
全国区の剣、ここにきて気分一つで模擬戦に応じた認識の甘さに歯噛みする。右から左から、微妙に角度を変えた剣閃が矢継ぎ早に繰り出され、反撃の機を一向に見いだせない。
圧倒されすぎていて目が慣れる暇も無い。完全に流れを持っていかれてしまっている。
「くっそお!」
半ばヤケクソ気味に振り上げた切っ先はわずかに真冬さんのブリスターを掠めた、つもりが僅かに刀身が足りなかった。
「今のはちょっと危なかったわね」
真冬さんが胸に手を当てその場に立ち止まる。強張っていた互いの剣を持つ手がゆるりと降りた。
「片手のリーチは掴みづらいの?」
俺が慣れないショートソードの感覚に四苦八苦しているのを悟ったのだろうか。
苦笑を浮かべる真冬さんは剣を持った手を広げて一時休戦のポーズを取る。
「いいえ」
乱れた呼吸を正し首を振る。
「本当はリッツくんの剣もどんなものか見たかったんだけどついつい地が出てしまって」
「真冬さんが謙遜することなんてないです!」
俺は剣を掲げた。
「俺が攻撃に転じられなかったのは俺が弱いからなんです。それだけなんです」
今度こそ当てる。慣れないショートソードの間合いは確かにやり辛いものがある。しかしそれだけが原因でないのは俺にも理解できる。
試合には流れというものがある。俺は出だしからペースを奪われ知らず知らずに受け身になっていた。
俺の本質は長剣のリーチを生かし常に先手から勢いで圧倒する力の剣だ。
しかし真冬さんの敏捷性を活かした側面の攻撃に戦法は完全に封殺されていた。
「遠慮はいりませんよ。確かに間合いは短いですが直慣れます。続けましょう……!」
「ごめん」
にこりと気まずそうに笑いながら真冬さんも剣を構えた。
「水さしちゃったね。君の本気度、よおくわかった」
試合再開。
鋭い吐息の音に視界が一瞬靄がかかった。肌寒かったホールも動きまわったせいでだいぶ暖かく感じる。
身体の暖気はほぼ完了した。
「ここからっすよ」
「ええ!」
再び駆け出し、二本の剣が絶え間なく交錯する。
俺は全力で受けていなしていく。が――。
やっぱ強いこの人。
真冬さんは重心を沈め、死角から現れるカーブ球のように剣を繰り出す。
殴りつける様な横薙ぎの剣は彼女の得意な攻め手のようだ。
それを寸前まで引きつけ身をよじり回避する。
瞬間、慣性に身を預けたまま回転斬りをお返しする。
「!」
渾身の斬り返しが真冬さんの剣と鍔競り合った。
「やるわねッ!」
彼女の優しげな垂れ目が見開き、思い切り突き飛ばされる俺。
でもまだ終わらない。再び一跳びして放つのは先ほどと同じ縦からの一撃だ。
我ながらワンパターンだった。
しかし、慣れない小細工ほど脆く読まれやすいものはない。今の俺にできる剣はずっと使ってきた重力の彼方に力のまま振り下ろす一撃なのだ。
「もう一撃!!」
微妙に角度を変えた袈裟斬り。居合のような斜方からの一閃だ。
真冬さんに回避される。が、感心したように切れ長の瞼が細められていた。
「これはなかなか!」
空ぶって隙ができた体勢の俺に再び横斬りが殺到する。
「くううッ!」
それを咄嗟の判断で受け止めようと剣を構えなおす。
と、真冬さんの振るう横一線の軌道が捻じるように微妙に変化した。薙いだ平行線は直角にその角度を変え縦からの軌跡に転じる。
さながら十字を斬るようなその一撃が俺の翳した刀身をすり抜け身を両断する。
「ぐっおおお!」
胸をすかれるような衝撃と風圧が同時に襲い、思わず尻餅をついてしまった。
「痛!」
尾骨が板張りの床にぶつかる衝撃音と共に声が漏れる。
横からの軌道に慣れさせた上での縦への急変動。見慣れた目線を大きく外れた頭上からの攻撃に、俺は為すすべもなく一撃もらってしまった。
「ごめん!大丈夫だった!」
放心状態の俺に真冬さんが手を差し伸べる。
「もしかしてまだ結構鈍ってる?久しぶりなんだよね?」
一太刀すら浴びせられないまま一撃もらってしまった。これが本当の試合ならば既に持ち点を六割は持っていかれているだろう。
三本先取という模擬戦前に取りきめたルールなのでこれで一本。残り二撃もらったら負けが決定する。
「大丈夫です。今の一撃で吹っ切れました」
肩をぐるぐる回した末に再び切っ先を向ける。
「もう一度です!さあ続けましょう!」
試合は続く。
俺は尚も縦からの一撃を取る事に焦点を定めた。
思えばまだまともな高校騎士道の練習すらしていない。中学までの技術だけで対抗するしかない。
俺が現時点で取れる戦術はただ一つ。
「諦めずに頑張る」
我ながら馬鹿みたいな戦略だがこれに固執する他ない。
いつか、遠い昔。
俺に騎士道を教えてくれたあの人が口癖のように言っていた言葉を反芻する。
諦めない者を勝利の女神は裏切らない。執念は必ず最後の最後に形を以て現れると。
その時その勝負に負けたとしても、いつかそれは――後々の勝利に繋がるものだったと。いつかわかる時が来るものだと。
けど――。
「どうせ勝つならその時に勝ちたいものだよね」
にっこりと笑って見せた紅の女騎士を脳裏に呼び起こした。
「はああああああッ!」
その一撃は今日振ったどんな一撃よりも早く、鋭かった。
眼前の少女がその斬撃を認識した時には既に振り下ろされていた一撃。
腕の全筋力を剣速に注ぎ、頭上最頂点から一気に振り下ろす。鷹の一撃。
記憶に映った紅の騎士の剣技。その贋作は、俺の思いが添加され本物の一撃となって応えを示した。