贋剣
千崎真冬の強さ。その根幹を一言で表すなら圧倒的な剣速だ。
振るわれる剣は常に迷いが無く思い切りがいい。受け止められる事を恐れず真っ直ぐ向かってくる。
動作の初動から振り切るまでのモーションは一貫して淀み無く、まるで最初から攻撃がその場所に決まるのを確信しているかのようだ。
確定された未来に従ったまま打ちだされたような剣。全ての攻撃が一切合切の迷い無く向かってくるのだからたまったものではない。
普通であれば誰もが戦いの最中、空ぶっての反撃や、剣を受け止められた場合を想定しながら剣を打ち込む。完全な隙を見つけ叩きこむ一撃ならいいが、そんな好機そうそう無い。
多くの場合、立ち合いとは試合の流れを自分に持っていく為の攻撃が大半で、剣戟の継ぎ目継ぎ目でどうしても迷いが生じる。
この攻撃を交わされたら、反撃が来たら。しかし、真冬さんにはそういった迷いが一切無い。常に最速のギアが全開で回っている。どこかで一段下に落とされるなんて事は全く無い。
自分の攻撃ペースを一切緩めず次に繋げる為の一手は恐ろしく速い。
ヒットしようが、相手の攻撃を受けようが、常に高速で振るわれ続ける剣舞はまるで精密な行動パターンを組みこまれた機械のようだ。
相手からすればどう緩急を付けても勢いが削がれない様は恐怖だろう。
対戦相手は人間の弱さが存在しない氷のように冷酷無比な剣を前に、先に心が折れてしまう。
見えているのに、上手く対する事が出来ていても、不自然なエラーは身体にも心にもどこかで発生し続ける。
万全だと思った攻撃はどこかで焦点がブレて発揮できなくなる。常に最速の剣戟を浴びせられ続けられると思考が追いつかないまま圧倒されてしまう。
解れていく自分本来の力。取り戻せなくなったら負けに繋がる。
それが冬の領域。対戦相手の十二分のパフォーマンスを阻害する真冬さんのプレッシャーの正体だ。
彼女と対する者はまるで一人孤独な氷の世界に放り込まれ、戦いの優位性を奪われる。
冬の女王にとっては彼女本来の騎士道をしているだけだが、相手は一方的に異次元の剣戟に付き合わされている状態になるのだ。
瀬名の話では、彼女が入部した頃からこのスタンスは変わっていないらしい。
ということは、真冬さんは高校で騎士道を始めて以来、終始この型を使い続けていると言う事になる。
本人は無意識の内に自分の剣を自由に振るっているのだ。その剣術で彼女はレギュラーを勝ち取り、全国でたくさんの猛者を打ち負かしてきた。
まさに天賦の才。やろうと思って身に付く技術では無い。
普通の騎士であれば数をこなしていく内に次第に自分の型を身につけていく物だ。しかし、彼女の場合は違う。
最初からその洗練された型があった。後はその歯車をより速く回す為に慣らしていくだけ。
言うのは簡単だが、頭の中で思い描いた理想の剣舞を実際に再現し続けるのは至難の業だ。
対戦競技という性質上、思い通りにさせてくれる相手なんている訳が無いのだから。体操やフィギュアスケートのように個人技を披露する種目とは違う。
相手をどう出し抜いて自分のペースに持ち込めるか試行錯誤しながら試合を進めていくしかない。
その中で終始思い描いた剣を体現出来ると言う事。
もしも騎士道競技において勝利の女神がいるのであれば、真冬さんは確実に彼女に愛されている。
そんな絶対的な加護を受けた冬の女王――千崎真冬の剣は並大抵の覚悟で交わし続けられる物では無い筈だった。
「キルポイント、桃山国立」
抑揚の無い声で宣言される監督の得点コール。
俺が真冬さんをキルした事を意味する宣告は既に数回。中堅戦で瀬名が奪い取ったリードは更に広がっていた。
本来ならば有り得ない。
俺は真冬さんに練習試合でもまだ一度も勝てた事が無い、それなのに一撃が決まりまくった。
本来の試合ならどうやっても渾身の一撃はどこかで読まれる。防がれるのを織り込んだ上で常に最適箇所への攻撃を高速で脳内処理し続け闘うのだ。
相手の裏をかいたつもりの攻撃が成功しないと確信した瞬間、それは次の一手への布石に置き換わる。これはどのスポーツでも言える。
俺は試合が始まって常に思考をフル回転させて剣を打ち合った。
どこに攻撃をすれば真冬さんにヒットするか、次はどんな剣が来るか。
事実、真冬さんの剣は凄烈を極めた。高速の斬撃は俺を掠め続けじりじりと持ち点が減っていく。
漸く耐えてもその先からいきなり致命的な一撃が現れる。
それを避け反撃するが勿論当たらない。すんでで防がれる。
だが一瞬の隙。傍目からは分からない間近で対峙する者にしか感じられない針の穴のような僅かな隙。その一瞬だけ出来た穴に剣を振ると呆気ないくらいに一撃が決まった。
真冬さんの苛烈なラッシュを避け防ぎ、僅かに生じた隙に乗じて渾身の一撃を見舞う。それだけで今までくらっていた攻撃を帳消しにするようなダメージが真冬さんに与えられるのだ。
そのような立ち合いが何度も続いていた。
何かが、おかしい。
初手から感じていた言いようの無い違和感が徐々に輪郭を帯びていく。
「はあッ!」
鬼気迫る少女の掛け声。レイピアのような鋭い突きにリーチを生かした長剣の反撃。真冬さんが身をかわしながら後ろに跳んだ。彼女のサーコートの裾が尾を引き離れていく。
「させるか!」
地を蹴って一気に詰め再び肉薄。垣間見た頭部保護具越しの彼女の瞳は焦りも奢りも無い。
感情そのものが消失していて――まるで虚空を見ているようだ。昏い虹彩の奥底に秘めた何かが俺に訴えかけてくる。
それが何なのか、既に確信を持ち始めていた俺は、
「――ッ!」
思い切り身体をねじ込んで真冬さんの側頭部を斬り飛ばす。
頭部保護具が外れ彼方に飛んでいく。
床に転がる強化プラスチックの音を耳にしながらただ呆然としている観衆。
沈黙が流れ、
「機械判定、キルポイント判定――桃山」
淡々と広がり続ける点差。本来なら喜ばしい数列が目の前に広がっている。それなのに俺は歯噛みしていた。感情が胃の底から濁流のように溢れ出す。
「ふざけるな」
兜を脱ぎ捨て睨みつけた先の真冬さんは微笑を浮かべていた。
「どういうことかしら?」
仮面のような微笑を浮かべ、モデルのように整った歩きでラインにつま先を揃える。
「まだ試合は終わって無いわ。勝負の結果は分からないわよ」
鷹揚に広げられた手には監督から渡された頭部保護具。それを装着し黒髪を靡かせる真冬さん。側面のつまみで判定設定を最適化しているのだ。
その俺の感情など歯牙にもかけない振る舞いに怒りが増幅していく。
「勝負結果?分かり切っている癖に……見え透いた嘘もいい加減にしてください」
吐き捨てながら今さっき投げ捨てた自分の兜を拾う。近くに座る瀬名は何かを訴えかけるようにこちらを見つめていた。
いや、瀬名だけではない。歩も対面のシェリーカも……この騎士道場にいる誰もがこの茶番を既に理解し始めていた。
巧妙な試合運びだった。
執拗に俺に攻撃を加え、なんとか放った渾身の切り返しが幸運にもヒットする。それは突出した真冬さんには余りに致命的な一撃――キル判定に繋がる。
一見拮抗しながら徐々に差が付いているように見える。が、真冬さんはこんなお粗末なカウンターを喰らい続けるような騎士ではない。
普段の彼女の実力であれば例え俺が大量リードだったとしてもあっという間に追いつかれている筈だ。
手を抜いて巧妙に俺にキルポイントを献上しているは最早明白。
「一体何を言っているのかしら?」
しかし、冬の女王は困ったように顎に手を当てるだけ。俺が再開位置に立つのを待ち構えている。
「真冬さん。アンタ棄権はしないと言ったよ。でも……そういう意味だったのかよ」
「そういう意味って、どういう意味?」
とぼけたように小首を傾げる。普段であれば可愛らしいその仕草も今この状況では俺の感情を逆撫でするだけだ。
「……くッ!」
「早く開始位置に戻らないか桃山。試合放棄とみなすぞ」
監督が苛立たしげに警告を促す。とんだ茶番だと言わんばかりの冷めきった表情。
「何とも思わないんですか!」
俺は思い通りの返しが来ない真冬さんを差し置いて、今度は怒りの矛先を監督に向けた。
「分かりきった八百長みたいな試合です。何故止めない?これは明確に騎士道に反した不愉快な試合ですよ」
しかし、監督は腕時計を一瞥しながら溜息一つ。このやり取りがさも無駄だと言いたげに眉をひそめる。
「なら辞めるか?その場合はお前の棄権になるぞ」
これ以上の遅延行為は減点対象だと言わんばかりに真一文字に口を結ぶ。一見、この試合を勝ち負けでしか見ていない監督としての機械的な意志が見て取れる。
でも、それは嘘だ。この場にいる人間は真冬さんがどんな人間か知っている。そして、彼女が何でこんな愚かしい行為に落ちているのかも。
彼女の素質と能力を誰よりも熟知している監督が分からない筈が無い。知っているのに誰も止めようとも変えようともしない。それが無償に腹立たしい。
「よく分かりました。ならこの試合、勝ちにいきます」
俺は兜に頭を通す。息苦しさ。衝撃吸収素材が顔中を暑苦しくさせ耳を圧迫する。だが、くぐもった周囲の喧騒と不快な熱気は逆に集中をもたらしてくれる。
すぐに試合は再開された。
再び始まる突き主体の真冬さんの速攻。その軌道が感覚で分かる。俺は申し合わせた型でも踏むかのようにステップだけで回避、すかさず出来た穴に長剣を滑り込ませる。
攻撃はヒットし、真冬さんの持ち点が減る。威力高めの長剣のヒットで削り切れないのはヒットした部位――彼女の胴鎧が厚いからだ。
決して俺自身が手を抜いている訳ではない。寧ろ怒りが剣圧をより上昇させている。
思いのまま殴りつけた剣は明らかに太刀筋も読みやすくヒットは望めない。しかし、真冬さんはそれらをぎりぎりでかわしながらこちらに合わせてくる。
それが尚更俺の剣をより直情的にさせる。分かってはいるのにこんなお粗末な剣中学でも振った事が無いのに、
「ふざけんな……ふざけんな!」
俺にしか聞こえない呟きが兜の中で反響し呪詛のように耳に纏わりつく。
その瞬間に放った一撃は脳天から真冬さんをぶち破る。
俺の吐息と共に観衆から悲鳴が上がった。
無理も無い。こんなに派手な頭部へのヒットは公式戦じゃそうそうお目にかかれない。
頭部保護具のスペック上、怪我に至らない一撃だったと思う。しかし、ダイレクトに頭を打ちつける様は見た目にはショッキングで女子生徒の間でどよめきが沸く。
いくらなんでもこんな攻撃は無いんじゃないか。非難めいた視線があちこちから向けられているのが感覚で分かる。
今、この場で俺は明らかなヒールだった。それなのに、
「ふざけんな!」
罵声を上げる。もう彼女が一歳上の先輩だとかタメ口の暴言だとかは気にしなかった。
ただ、彼女が腑抜けた剣で俺の相手をする事が許せなかった。
「本気で来いよ千崎真冬!俺はあんたに勝ちたいんだ。でもこんな勝ち方じゃ許せないんだよ……自分自身が」
ゆっくりと立ち上がる冬の女王。
その様はどこか退廃的で目線も虚ろだ。試合を行わなければならないと言う義務感だけが今の艦女を動かしている。
「……クソッ」
その余りに情けない様に堪りかねた俺は手を差し伸べる。あんなに怒りを向けたと言うのに彼女が笑みを崩さないまま。白い手袋を覆う銀色の手甲が俺の篭手と擦れ金属音が発せられた。
「どうしてこんなにムキになるかな……」
冬の女王はさも可笑しそうには小さく笑いながら俺を見上げていた。その眼は酷く濁りきっていて輝きは見えない。
「あーあ。最後まで戦い抜かなければいけないのに。こんなにコートから降りたいって思った事ないんだよね」
「なら、これが結果だってのか」
開始位置で相対しているとまた怒りが滲みだして堪え切れなくなる。無意味だと思っていても言葉が感情のまま勝手に溢れてくる。心無い言葉を目の前の少女に浴びせ続けてしまう。
「真冬さん。今アンタが振っているのは騎士の剣じゃない、贋剣だ。いくら技術や才能がトップクラスでも、その剣を振る心が弱いから去年も負けたんじゃないのか?アンタどこかで自分の負けを受け容れているんじゃないか?」
目の前の女王は何も答えない。ただこちらをじっと見据える感情の無い双眸。
「自分が頑張ってもどうせ次の人が負ける。なら自分が負ければ……だから手を抜く。アンタは一見誰にでも優しい。何時も誰かの為を思って戦っている。けどな……」
俺は遠くで腕を組みながら眺める巨漢を一瞥する。双刀の巨人、三木元春紀は険しい顔でこちらを見ていた。
先輩は言っていた。真冬さんを何とか出来るのは俺だけだと。三木元先輩では真冬さんを変える事は出来なかったのだ。
なら、俺が三木元先輩の言葉で自分の剣を取り戻したように、俺が彼女に発破をかけてやる。
「本当は皆の為に戦っているんじゃない。ただ、自分の優しさを他の連中に承認されていたいだけだ。アンタは強いけど弱い。ハル先輩は勿論、シェリーカや瀬名よりも弱い騎士だ――だって、自分って言うスタンスが無いんだからな」
俯きながら後ずさる真冬さん。ゆっくりと開始位置に戻る俺達だが、俺の方は尚も捲し立てる。
「言っとくけど俺は最後まで本気を出し続けるぞ。このまま二ケタ得点差まで行ってやる。記録更新確定だ。ざまあみろ」
心にも無い事を言っていた。けど今この状況の一過性の怒りが俺の感情を過大にして声を発させているのだ。
「俺は少なくとも気持ちだけならアンタよりよっぽど上だと確信した。勝ちたい気持ちも無しに勝ってきた騎士には分からない気持ちだ。アンタの能力の代償だろうがそんなもので俺の勝利への意志とこの剣は揺るがない……」
何も言わない冬の女王。俯いたまま。彼女は今何を思っているのだろう。
だが俺の感情は止まらない。
「俺はこの意志の力がある限り負けないんだ。少なくとも去年アンタの後に戦って負けた――大河って人みたいに弱くはない」
その瞬間――去年月見野の大将を務めたと言う騎士の名を口にした瞬間、ぴくりと冬の女の肩甲が震えた。
銀色の薄いプレートがまるで冬の冷気に震わされているかのように動き――
「……くっ!」
一瞬で世界が変貌した。
逆巻く雪混じりの暴風。身体の周りの空気が急速に冷却されていく。
周りを取り囲んでいた観衆も、網目状の光が張り巡らせられた床や判定機材も、視界一杯広がる白に霧散した。
俺と真冬さんはたった二人で雪原に対峙していた。
日差しは見えない。それだけ凄まじいブリザードが俺達二人を周囲から隔絶させている。
俺の前は冬の女王――白銀の髪を吹雪に靡かせ白装束の和装に身を包んだ真冬さんの姿しか見えない。
「そうこなくっちゃな」
間違いなく負ける。そう確信したのに手に持つ剣の柄は仄かに温かかった。




