葛藤
騎士道場の外、既に誰の手も及ばなくなって久しい、旧馬術部の乗馬トラックの遺構に差し掛かった俺はようやく監督を捉まえた。
「どうした桃山。練習に戻れ」
監督は何時ものレイピアのように突き放した言葉を向ける。皆が部活に勤しむ中騎士道場を飛び出してきた俺は監督の命に反した事をしている。
しかし、監督はそれに対して何の疑念も抱いていないようだ。微動だにせずこちらに視線を向けている。次の言葉を待ち構えている刺すような目線。
この調子に普段の俺ならば萎縮してしまうだろうが今はそんな事考える余裕すら無かった。
先程の組み合わせ発表の時から心に引っかかっていた小骨を一気に吐き出すべく声を荒げる。
「どうしても監督に聞きたい事があるんです。それを教えてもらうまで練習には戻りません」
感情のまま詰め寄るが、監督はいかにも面倒そうに腰に手を据える。「ほう」と一息つきながら眉をひそめる。
「で、何が聞きたい?技術の指南なら今は忙しいから無理だぞ。世界史の補習の教材を作らねばならんからな」
「何で俺と真冬さんを組み合わせたんですか……!?」
被せるように叫んだ。木立から何羽かの鳥が飛び立ち、羽音が耳を叩いた。
「お前がそこまで感情的になるのは珍しいな。もっと黙々と剣を振るタイプだとは思っていたが」
しかし。監督はそんな事気にする素振りも無く続ける。
「前も言った通り、今回の選別戦は私が最も適していると判断した相手同士で組んでいる。不服があるのか?」
「ありますよ。何でよりによって真冬さんとなんですか?」
「さっぱり意味が分からないな。何故そこまで真冬と試合を行う事がそんなに不服なんだ?」
「それは……」
口ごもってしまう。監督はその理由を見透かしたような目で続ける。
「お前が言いたい事は分かっている。真冬はお前を気にかけていたからな。やり合いたくない気持ちもわかる。本来候補組は期待組と一緒に部活は行わない。区別され各自鍛練し、選別戦では入れ替え戦とも言うべき試合を行うのが慣例だ――しかし、真冬とお前は少々慣れ合い過ぎたな」
それはまるで監督が自分自身に言い聞かせているようだった。
本来、候補組と期待組は一軍と二軍。決して同じ椅子には座れない相容れない間柄だ。それなのに俺と真冬さんの交流を監督は諫めようとはしなかった。ゆくゆくこういう形での対決は有り得た。それが分かっていながら何の対策も講じなかった事に対する悔やみなのだろうか。
監督はしばらく何か考えているようだった。何か譲歩案があるのか。俺は儚い期待を抱きながら待つ。
が、次の瞬間発せられた言葉は予想に反した現実的な物だった。
「もし、貴様がそこまでして私が決めた組み合わせに不服なら簡単だ。次の選別戦、辞退しろ」
乾いた砂を踏みしめる音がして遠ざかる監督の背中。
「私はな桃山。お前達二人の力量が見たい。剣を交えた先に何が起きるのか――この試合の結果がどうなるのか知りたくて仕方が無いんだよ」
その背中を見ながら、俺は汗まみれの拳を握りしめる事しか出来ない。
「先日のハルとの試合。御苦労だった。正直貴様が最初の一撃を当てるというのは予想外だった。そこから先は見るに堪えない一方的なハルのペースだったが……だがな、試合の後ハルに言われたんだ『もっと貴様を見てほしい、桃山国立の力量を見極めて欲しい』とな。全くどこまでもお人好しな奴だよウチのキャプテンは」
「ハル先輩が……?」
思いもしていなかった。俺はあの試合良いとこ無しだと思ってたのに。絶句する俺を尻目に監督は続けた。
「元々お前もハルも騎士道のプレイスタイルとしては非常に似通っている。被っているんだよお前達は。オーダー五人に同居するなんてあり得ない。それなのにハルはお前の事をもっと気にかけてくれと監督である私に談判したんだ。その意味が分かるか?」
「……」
沈黙のまま立ち尽す俺。木立の隙間からはオレンジ色の陽光が差し込み始めていた。
「ハルとやり合ったことで私の目下の判断材料はついた。来年以降もお前はハルの後継にはなれないだろう。お前には騎士として最も必要な物が欠けているからな。それが何か分かるか……?」
俺に言葉をかける監督。終始冷たい言葉だと思っていたがその節にはどこか俺を気遣っているような面が見え隠れしていた。しかし、俺は素直になれない。不貞腐れた顔でその言葉を聞いていた。
「が、お前がハルに負けた事で見るべき項目が消え失せた訳ではない」
「?」
「貴様の騎士としての技量はよく分かった。だからこそ次なる段階を見極めたい。お前はもう真冬と戦う事でしか貴様の真価を見せることが出来なくなったんだよ」
「それはどういう意味ですか!?」
しかし、監督は俺の問いに答えようとはせず、歩き出す。
「もし、貴様が本当に私の方針に不満があるのならば従わなくても構わない。部活に顔を出さなくても私は責めない……その場合は不本意ではあるが――遅かれ早かれ退部になってしまうだろう。だが仕方あるまい。月見野の流儀が合わなくて辞める者は何人も見てきたからな」
『退部』という脅迫めいた恐ろしい言葉を呟く監督に俺は何も言い返す事が出来なかった。
監督は校舎に向かう背中越しに手を振りながら、
「選別戦、真冬相手だろうがお前の全力を尽くせ。『冬の女王を殺して見せろ』私が監督としてお前に言える事はそれだけだ。検討を祈るよ赤騎士」
足音が遠のいていく。騎士道場の喧騒はいよいよ増してきた。皆部活に熱が入って来たんだ。
それなのに俺の思考は驚くほど冷却されていた。
真冬さんと試合をしたくないとこの期に及んで駄々をこねているのは知っている。でもそれだけじゃなかった。
心の隅に針のように残る存在――真冬さんが憧れたと言う男、その存在が頭にひっついて離れない。
俺は戦うべくして真冬さんと試合を組まれた?どういう意味なのか分からなかった。
どうしたらいいのかと自問自答した所で答えは見えている。次の選別戦で真冬さんに勝つのだ。それしか答えが分かる方法はないし道は決まっている。一本道だ。
だと言うのに……組み合わせが決まって腹をくくるしかないのにこんなにも心が迷って乱れている。
決心して突き進めない自分の弱い心が歯がゆくてしょうがなかった。
「どうすればいいんだ……クソッ!」
遠巻きに部活の喧騒を聞きながら、俺は半分になった乗馬トラックの跡地でしばらく立ち尽していた。
選別戦の組み合わせ発表が終わって数日後の放課後。
俺と燐華と歩の一年生トリオは騎士道場ではなく、図書館にいた。
三人で机に座り、参考書や教科書を捲りながらひたすら取り組んでいるのは補習課題だ。
俺は暗記モノの地理歴史一極特化。燐華はチャイナ娘ながらやたら古文と英語に詳しく化学がまるでダメだった。
歩に関しては文系がまるでダメで理系は並みレベル。と言うように全員が極端すぎる傾向の持ち主だ。
テストは言うまでも無く散々な結果に終わった。
だからこうして三人集まって補習後の提出課題に勤しんでいるのだが、
「三人寄れば文殊の知恵とは言うけど……」
「全員がゼロならいくら増えてもゼロよね」
燐華が痛いとこを突いて来る。相変わらずの毒舌だった。
「だよなあ……」
俺はシャーペンをくるくる回しながら机に顔をうずめる。
「そんな落ち込むなよリッツ」
そう言葉をかける歩。三人の中で最も成績が良いのは意外なことにコイツだった。と言っても全体で言えば下から数えた方が明らかに早い順位なのだけど……
「ま、この興梠歩に任せとけよ!数学だけは得意だからさ……ぶッ!」
「少し黙っていなさいよ。こちとら元素記号覚えるのに集中してんのよ」
どや顔の鼻穴にボールペンをぶっ刺したのは燐華だった。
「あーあ。せっかくのボールペンにアンタの鼻く○がついちゃったじゃない。弁償しなさい」
「ふざけ……!お前が勝手にぶッ!」
もう一本を差し込んだのは他でもない俺だ。燐華は試合の時と同じ猛禽のように鋭い目でこちらを一瞥する。
「やるじゃないリッツ。あんたも気づいてるんでしょ?」
「?」
いきなりのドヤ顔で小首を傾げる燐華の意図が分からない。不敵な笑みを浮かべる燐華は何か確信を得た表情で大きく手を振って見せた。
「こんな自習私達には無意味ってことによッ!」
そして言うが早いか参考書を思い切り宙に放り投げ、俺は頭を抱えた。
どうやらこの少女は最初から勉強をする気はさらさら無いようだった。周りの視線が痛い。遠くの受付に座る図書委員が眼鏡を抑え光を乱反射させている。
気難しそうな眼鏡の先の視線は白光に染まり直視できない。が、このままでは俺達三人が図書室から摘み出されるのは時間の問題だって言う事だけは分かった。
このままじゃまずい。そう悟った俺は周りの連中に弁解するように大げさに燐華を追及する。
「自習をやろうって言ったのは燐華じゃないか。なら今はさっさと課題終わらせて部活に合流しようよ」
「そうだぜ。言いだしっぺが何騒いでんだよ」
「うるさいッ!」
燐華は嘯く。
「そもそも教科毎で補習なんて効率が悪くない?所詮テストの順位は合計点で見られるのよ。団体戦みたいにね!」
「ふむ」
歩が頷いた。
「なら、数学で一桁しか取れないなら他の教科で満点を取ればいいのよ!私で言えば得意教科古文と現国、英語二教科。こいつら全部合わせて満点取って四百点なら数学ゼロでもお釣りが来るわ!「いや来ないだろ」
俺は思わずツッコミを入れる。傍らで自習をしていた他のクラスの生徒がいよいよ顔をイラつかせ始めた。
「それが出来たら苦労しないって。第一俺の場合世界史が得意だけど、歴史教科なんて暗記さえすれば取れるから……他の文系の奴らも同じくらい高得点取れるし結局埋まらないよ」
はぁーっと溜息する俺。
ネガティブな事ばかり考えていると忘れようとしていた懸念材料も再浮上してくる。それを代弁するかのように歩が口を開いた。
「部活も同じだよなあ。せっかく鍛えても候補組の奴らも同じようにどんどん腕上げるし、辛いなあ……」
「アンタの相手はシェリーカでしょ?ならさっさと諦めてここで勉強してなさいよねッ」
「なッ……いくら何でもはっきり言いすぎだろ。気にしてんのに」
歩は数学の教材を机の脇に寄せ身を乗り出す。今にも口論が始まりそうだったので俺はその上体を押さえつける。
「ところで!燐華は相手は同じ一年だっけ?」
「そうね。相手チームには三木元キャプテンもいるけど私はやるわよ」
俺の話題転換に何の疑問も抱かず喰いつく燐華。どうだと言わんばかりに捲くってみせたその腕はなかなか鍛えているようで、白皙の二の腕が筋肉で盛り上がっていた。
「燐華は何時も元気あって羨ましいよ。俺は相手が真冬さんだもん」
「おいおい、冬の女王が相手かよ。負けんなよな?お前が負けたらチームメイトの俺まで評価下がるだろうが」
歩に対してはオマエモナーと言いたい所だが、生憎そこまで突っ込む気力も無かった
退屈な授業が終わり補習を経てこうして図書館で時間を潰している。その間ももう一人のチームメイト。二年生の瀬名は騎士道場で自主練だ。
入学して最初のテストで赤点は流石にヤバイやろと言う先輩の計らいで俺達は部活に遅刻してまでこうして自習をしている。
だが、学生の本分は勉強と言えども元々騎士道特待で入学した俺にとって目下の懸念材料は週末に控えた選別戦だ。
「テストに選別戦……めんどくさいなあって思っちゃうよ。俺って……向いてないのかな」
気になって勉強に集中できない。その苛立ちが勝手に口から心にも無い言葉を発させる。
「あーあ。辞めちゃった方がいいんかな――!?」
その瞬間、燐華と歩が止まる。やってしまったと思いながら二人に視線を向けると先程までの空気を一変させた重苦しい二対の瞳がこちらを見返していた。
「ふざけ……ふざけんなよリッツ。俺はお前の励ましがあったから騎士道を続けてきたんだぞ。正直月見野はレベルが高すぎて俺なんかじゃすぐ落伍すると思ってた。くっそ弱い俺に最初は親切に練習に付き合ってくれた連中もいたけど、そいつら早々に見切り付けて俺を見捨てたし!けど……」
そう言って一呼吸置く歩。
「――それなのにお前は嫌な顔一つせず俺を鍛えてくれた。正直嬉しかったんだぜクソッタレ」
歩は語気こそ荒いが図書室だからか静かな口調だった。大声はご法度。
だが歩の語気は何時もの冗談を言う時の調子では無い。抑揚が無く物静かな分凄みがある。
目は潤っていて顔は怒りではっきり紅潮しているのが分かる。俺は冗談でぼそりと愚痴ってみたつもりだったのだが、ここまで本気にさせてしまうとは思わなかった。
「悪い、冗談だよ」
「冗談でもそんな事言うの辞めろよな」
怒りに打ち震える声で歩はゆっくりと椅子に腰を下ろした。
しばらく重苦しい空気が俺達三人の間に垂れこんだ。
それを割ったのは燐華だった。
「ここが図書館だから抑えたけど、私心の中でアンタの事二回殴ったわよリッツ。例え冗談だとしてもプレッシャーに耐えられずに吐いた戯言だとしても今のアンタの言葉は言ってはならない物だった。この意味が分かる?」
「……」
「アンタと試合をした時、私は正直嬉しかった。特待生なんて聞こえは良いけど要は騎士道の要素以外見られてない人間ってことじゃない?他の奴の事なんてどうでもいい存在だと思ってた。ただ一人私さえ強くさえいれば事足りるって。けど、アンタは違った。勝つだけなら私を一方的に斬ればいいだけなのにまるでアンタは」
そう言って口ごもる。
「まるで心から私を応援してるみたいに、試合を終えた時声をかけてくれたじゃない?正直すっごい嬉しかったんだけど。アンタとならこの辛くて孤独なレギュラー争いがもっと有意義な物になるって。三年間ここにいてよかったって思える学生生活になるって確信したんだから……」
「俺もだぜリッツ。お前のその一本気な姿勢を見ていたからこそ気が張れるんだ。どんな強いエリートでも立ち向かっていくから俺も頑張ろうって思えるんだ。そういう気持ち踏みにじるなよ」
「ごめん……俺が悪かったよ」
俺は頭を下げる。二人の顔からはもう怒りの情念は失せていた。
真冬さんと試合するって決まった時、勝つか負けるかっていう事よりまずこの人とはやりたくないなって思った。それは俺が弱いからと言うよりもレギュラーを争奪する騎士道部員としての思慮に欠けていたのかもしれない。
目の前に座る二人の騎士はその点で俺よりも確固した物を持っている。そうさせたのは他でも無い俺だ。
カッコつけた事言っておいて結局この中で一番弱い心を持っているのは俺のようだった。
「もっと鍛えるべきものはあるんだよな。剣以外にも」
俺は教科書を畳み立ち上がった。
「おい、もう行くのかよリッツ」
歩が止めようとするが俺は歩きだす。
「数学教えてくれてありがとな。漸く決心ついたよ。歩、燐華」
「何よ……」
尚も燐華は怪訝にこちらを窺っている。
「俺に足りない物はお前ら二人とも持ってたんだな。俺もそれを取りに行く」
「おい言い過ぎたって、だから辞めんじゃねえ!」
「ちょっと待ちなさいよリッツ」
不安気な声が背中にぶつけられる。
「違うよ。もう辞めるなんて言わない。それだけは安心してくれ」
俺は歩き出す。騒ぎ立てる一年生三人に終始目を光らせていた図書委員に軽く会釈しながら、扉を開いた。
その先には、
「ようやく肝座ったなリッツ。ついてこい」
目下の強敵千崎真冬をよく知る人間――同じチームメイトにして冬の女王の親友、天道瀬名が待ち構えていた。




