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天道瀬名

 寮に帰って一眠りした。二度寝ってのはなんでこうも気持ち良いんだろうか。

 窓から照らす光もだいぶ強くなったので、昨日の夜に早苗さんからもらった菓子パンを口にする。

「行くか!」

 財布を確認し部屋を出る。目指した先は寮入口のバス停だ。

 時計は朝八時を回り、最初のバスがそろそろ来るはずなのだった。が、麓に繋がる道路の向こうからはその姿は一向に現れない。

 時折、エンジン音が聞こえハッとするように坂を見るのだが、それは月見野学園職員の車で、通り際に車窓から怪訝そうな流し目が一瞥する。

 寸分の狂いもなく定刻通りに到着することで日本の電車は世界的に有名だがバスはその限りでもない。それも春休みで誰も乗らないような路線だ。

 まさか、このまま今日は来ないとか無いよな……

 三台目の自動車をがっくりして見送りながら大きなため息をした。

「何してん、キミ」

 流暢な関西弁が聞こえ肩を上げると私服姿の女子が立っていた。

 大きく胸元の開いた黒のピーコートの下にはパーカー。パーカーの薄っぺらいフードはコートから飛び出ており、下には濃紺のジーンズを通してよく鍛えられた筋肉質な脚が浮き出ていた。

 靴はあたたかそうな皮の茶ブーツ。ほんの下まで買い物に行くのに彼女のお洒落な性格が垣間見えた。

 当の本人はというと手提げ鞄を持ち小首を傾げている。

 若干きつそうな目だがとっつきやすさも醸し出している柔らかい表情だ。

「見ない顔やね」

「ここの寮の人ですか?」

 恐らくは上級生だと思われるので敬語で尋ねた。

「そりゃこんな山ン中のバス停おるなんて寮の人間以外おらんって!つかアンタ一年やろ?」

 関西弁の少女の俺を呼ぶ名がキミからアンタに変わった。

「どこの特待なん?ま、アンタみたいなカラダやと体操なんて無理そうやし、バレー卓球?いや無理やな。鈍そう」

 考えるように片手を顎にやりながら、目線が俺の身体を舐めまわすように上下する。

 その視線に応えるように心で叫んだ。

 ――俺は騎士道特待生だ!当ててみせろ!

 脳内に直接語りかけると彼女は訝しげに首を傾げた。垂れたショートヘアが頬の輪郭を隠しちょっと可愛い。

「……ひょっとしてアンタ騎士道部の?」

「よくわかりましたねそうです不肖ながら騎士道部特待生です」

 言い終わるが早いか彼女の鞄を持った右腕が飛んできた。

「ぶ!」

 鞄は避ける間も無く顔面にヒットした。鼻に異様な辛みを覚えうずくまる。

「何が不肖や!からっきしやん。これくらい避けなアカンやろ」

「いきなり避けれる訳ないじゃないですか!不意打ちもいいとこですよ!」

 鼻を押さえ涙声で反論する俺に対し彼女のよく回る舌は一向に止まらない。

「ウチはフレイル使いなんや!剣で攻撃してくるだけが騎士道部やないんやで!」

 ドヤ顔で鞄を肩にひっかけるショートカット女。

「それじゃあ貴方も」

「せや!2-A天道瀬名。浅瀬の瀬に名前の名で瀬名や。よろしゅうな」

「桃山国立です」

「どこの大学やそれ」

 相変わらずどこに行ってもこのツッコミを受けるが本場関西人のツッコミは驚くほど清冽な物だった。

「名前なんですけど……」

「まあ、ええわ。ほんなら下いこかリッツ」

「リッツ……」

 そういう天道瀬名も名字みたいな名前だがそれには突っ込まない。

 一方、俺にあだ名を早速つけてくれた瀬名先輩は坂の下から上がって来たバスを見つけ諸手を振っていた。



 バスの中は同乗した二年の天道瀬名だけで、途中のバス停でも新たに乗る客は皆無だった。

 運行路はそれまでの殺風景な郊外から東京程の高さではないがビルが立ち並ぶ市街地に入り、彼方には漢字の人という文字の形にも似た、ベイブリッジの主搭が見えた。

 港に隣接した駅に近付くにつれ雑踏も増えてくる。バスが停まるとおばあちゃん数人のグループが騒々しく乗り込んだ。

 俺は車内最後尾に腰かけぼんやりとバスの揺れに身を任せる。

 目を閉じると車内の暖房が心地よいまどろみに誘ってくれる。

「ぶ!」

 と、隣に座る女子高生の豪快な肘鉄で穏やかな眠りの世界から強制的に引っ張り出される。

「何すんですか!」

「やっぱ寝とったんかい。んで、リッツはどこから来たん?」

 どうやら話相手が欲しかったようだ。

 でもしかし、デリカシーってもんがないのかこの人は。いくら最初に話すきっかけが見つからなかったにしろ、俺を何だと思っているんだろう。

 俺は半ばぶっきらぼうに、

「岡山です。倉敷市」

「結構近いなあ。うちは兵庫ねんけど」

 大阪だと思ってたら隣県、結構近場だった。

「どこ?中学までどこやっとった?」

「え……?」

「ポジション。騎士道やっとったんなら必ず固定のポジあるやろ。なんとなくだけどアンタの場合だと次鋒か副将?」

「なんすかそれ」

 ムッとしながら瀬名の眼を見る。

 俺は回らない舌で瀬名の一方的な質問攻めに答えた。

 出身中学では大将をやっていたこと。両手長剣以外まともに使える武具がないこと。中学の最高成績は県大会ベスト8だったこと等だ。

「からっきしやん。なんでスカウトされたん」

 真面目に答えていたら瀬名が噴き出した。さも可笑しそうに目の端を潤ませ口角が釣りあがっている。

 あからさまに見下されている。

「あんまりだ……」

 顔だけはそこそこ可愛いなと思っていたのだが、女の子にここまで扱き下ろされて流石に涙目になる。

 俺は生憎そういう仕打ちで悦ぶ性癖は持ち合わせていない。

「ふーんじゃあ、そういう天道先輩はどうだったんすか?」

 声色を変え嫌味ったらしく横目で小突く。

 が、当の本人は全く気にせずにどや顔で胸を張る。

「言っとくけどウチは兵庫じゃ県大会決勝で聖ジョージの中等部をあと一歩まで追い詰めたんや。月見野ここじゃレギュラーはまだやから中高トータルの最高成績やな」

 意外に大きい胸の膨らみが分厚いピーコートの生地越しに主張していて視線が釘付けになる。

「兵庫って騎士道競技やってる中学多いですよね。それでそこまで行くなんて、天道先輩って結構スゴイんですね」

「それほどでも……あるわ!」

 あからさまに合わせて褒めただけなのに、その名の通りのお天道様のような絵に描いた笑顔で答える瀬名先輩。

 マジで謙遜しねーなこの人。

「あと、その天道先輩ってやめてーな。背中がムズムズする」

 そう言って瀬名は首を掻き毟る。

 瀬名が言っているセントジョージというのは兵庫県の強豪校だ。高等部は全国有数の強豪として知られていて昨年の秋は全国ベスト4。

 その聖ジョージ学院、通称聖Gの中等部相手に一歩も引かなかったという天道瀬名は成程、なかなかの実力者と言えるのだろう。

「じゃあ何って呼べばいいんですか?」

「瀬名、瀬名先輩でええよ。なんなら天道のアネキでもええんやで」

 舎弟扱いされてるようだ……

「でも瀬名先輩くらいの実力があっても、ここじゃレギュラーって難しいんですか?」

 これからの自分の身の振り方を知っておく必要もあるので敢えてこんな質問をしてみる。

 しかし、思いのほか瀬名は落ち着いた様子で

「ここはいろんな特性持ったバケモンが多いんや。スカウトもそれ知ってて全国からかき集めとる」

 先ほどまでのテンションが鳴りを潜めたように両手を絡ませる瀬名。

「ウチみたいな小手先の技術だけの騎士なんてここではただのモブやで……ふぅーっ!」

 そう言って彼女は大きなため息を吐くと、腕を伸ばし「つぎ、止まります」のボタンを小突いた。

 轟々とした車内に上品な機械アナウンスの声が響き渡る。

「リッツ。あんたもどっちかっていうとそっちの連中なんやろ?そうでもなけりゃアンタレベルがここ呼ばれんって」

 組まれた両手に顔をうずめる瀬名。見え隠れした丸い瞳がこちらを凝視していた。

「いや」

 ――わからない。確かにスカウトの電話が来た時は嬉しかったがそこまでの価値を自分で見いだせていなかった。

 俺の何がスカウトの目に止まったのか未だに理解できていないのだ。そもそも特待生なんて話並みの生徒にそうそう来るもんじゃない。

 普通はどんなに上手くても地元の高校に進学してそこで全国を目指すのが殆どだ。わざわざ越境進学して騎士道競技に勤しむ選手なんて中学で全国レベルの成績を治めた者でないと……

 なんで俺が?岡山県大会ベスト8レベルの自分の実力が何を以て評価されたのか?その疑問は特待制度の電話を受けた時からずっと頭について回っていた。

「わからないっすよ。俺は自分の特性なんてものがわからないままここに呼ばれたんです。俺にそんなズバ抜けた能力があるなんて想像もつきませんよ」

 俺はこれ以上彼女の追求に答えることができない。見ると、信号が赤く点灯し、唸りのようなアイドル音が支配していた。

「まあ、ええわ。新学期が始まれば皆故郷から戻ってくる。そうなったら模擬試合模擬試合の繰り返しでアンタの力量なんて底の底まで嫌ほど解析されるやろ!方向性なんてそれからでええ」

 信号が青になり再び動き出すバス。

月見野ここの連中は本当に訳わからん剣振る奴ばっかや。ウチもそこそこ剣には自信あったんけど――心折れるで」

 大きな伸びをしてもたれる瀬名の髪から柑橘系のシャンプーの香りが漂った。

「リッツもめげずに頑張ろうや。なんか困ったらウチに相談してもええんやで」

 ぽんぽんと俺の肩を叩き初めて先輩らしいアドバイスを言う瀬名。

 バスはそこでゆっくりと止まり、大きな二つ折りの扉が空気の抜ける様な音を立てて開いた。冬の寒気が一気に車内に流れ込む。

「降りようリッツ。ウチと一緒に来いや」

 瀬名の背中を追うように俺は料金口に硬貨を放って下車した。



 昨日到着した時は散策なんてできなかった青森の街は、これぞ地方都市の悲哀とも言う程にシャッターが悉く閉じていた。閑散ここに極まれりと言った状況だ。

 時刻はとうに九時をまわっている。

 本来ならば一番盛況しているはずの駅前を往来する人の数は少なく、その中でも目を引くのがキャスター付きの小さなキャリーバッグに身を預けるおばあちゃん達だった。

 この界隈で歩いている若い連中はせいぜい俺と瀬名くらいなものだ。ただ、車の通りだけはやたらと多かった。

 ひっきりなしに行き交うトラックの排気ガスで道路脇で縮こまった氷の塊は黒く煤けていた。

「リッツは生活用品買いにきたんよな?」

 信号待ちをしながら瀬名が俺の横でぽつりとつぶやいた。

 背は俺とどっこい。女子にしては大柄でポッケに手を突っ込んでいる様はどこか野暮ったい。

「百円ショップなんかいけばタライとか食器は揃えられると思うんで」

「じゃあ方角一緒やな。駅ビルいこか」

 瀬名の先導で大通りに立つビルに足を踏み入れた。中は新しく、様々な店舗が軒を連ねていて若者が多い。

「ここはウチの生徒もよくバスでくるんや。服も日用品もある程度揃うし、ネカフェまでついとる」

 流石俺より一年早くここで暮らしているだけあって街の事情にもある程度精通しているようだった。

 百均と本屋をまわり、安っぽいプラスチックの日用品と退屈しのぎの漫画を買い漁った。

「あそこでメシでも食っていこか」

 一通り買い物を済ませた俺達は最上階のファミレスで少し早い昼食の席に着く。

「ところで」

 買い物の間、マシンガンのようにまくし立てていた瀬名の口がようやく落ち着いたのを見計らって先ほどから思っていたことを問う。

「なんや?」

「瀬名さんは兵庫の実家には帰らなかったんですか?あの寮何もないですよ?」

「せやなー。本当なら帰る予定やったんけどな」

 そう言って瀬名は大きく背筋を伸ばした。

 肩口まで切り揃えられた亜麻色の髪先がはらりと崩れた。

「今年はウチの学校、春の大会出られんくて。それもあって皆帰って閑散としとるんや」

 高校騎士道競技界には最大と言われる全国大会が年に二つある。それが春休みに行われる春大会と夏休みの終わりから二学期始めにかけて行われる秋大会だ。

 そのうち春大会は本来この時期に行われ帝都東京は賑わうのだが、県予選を落とした月見野学園騎士道部員は春は暇をもらって、部員のほとんどが帰省中とのことだ。

 練習は新学期から始動するらしい。

法霊崎ほうりょうざきと月見野。去年はウチらが勝って全国行けたんけど、今年は法霊崎の勝ちやったからなあ……残念やなあ、悔しいなあ。ま、旅費が浮いてええんけど!」

 負け惜しみのような言葉の端には本音も垣間見えた。瀬名は眦を決しこちらを見る。

 現在、青森県大会は決勝以外の試合は茶番と言われるほどにパワーバランスが二校に集中している。

 ここ青森市に校舎を構える月見野学園。そして西に大きく離れた沿岸地域の高校、法霊崎。

 この二校による独占的な二強時代が県下ではもう十数年も続いているとのことだ。

 実際この二校は全国でもベスト8、ベスト4など輝かしい成績を残している。

 両校は県大会で常に凌ぎを削り、必ずどちらかが春秋の全国大会に駒を進めてくる。今春は法霊崎に軍配があがったわけだ。

「俺の記憶が正しければ去年の春は月見野が全国にでてましたよね?寮も賑わったんですか?」

「もち!ウチら一年は寮のテレビにかじりついて見たなあ。と言ってもウチもリッツみたいに入学前でアタフタしてたけど。とりあえず今よりは寮も賑わっとったで。売店も開いてたし」

「売店開いてないのはきっついですよね……買い出し以外は何してるんですか?」

 薄暗い寮の廊下でシャッターを閉ざし、非常灯の緑に照らされた看板を思い出す。

「レンタルで借りたでぃーぶいでーとかを自室のテレビで見たり、飯作ったり、寝たり、あと模擬試合かな?」

 瀬名は指折り数えながら視線を上に泳がせる。最後の模擬試合というフレーズだけは心底楽しそうにトーンを強めた。

 昼食を終え月見野学園寮に戻ろうとバスに乗り込む俺達二人。

 だが、そこで俺は自分が買うべき食料品をほとんど買っていないことに気付いたのだった。



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