神性封殺
瞳を開けると、其処は元いた場所だった。
板張りの歩道。その下のテトラポッドに打ちつける静かな波音。背後の観衆。
この一連の顛末は俺達以外の一般の人間には普通の立ち合いとして見えていたのだろうか。
「いてて……」
「いてえ」
三人の男子生徒が倒れていた。
金髪の女子生徒のバルディッシュが氷剣とぶつかった瞬間、冷気が相克の剣と槍に収束し――消散した。
真冬さんの世界はドライアイスのように白煙に消えたのだ。
頭上からは夕陽が照らし身体中が蒸し暑い。一気に灼熱のサウナに放り込まれた気分だった。干上がった汗がまたどっと噴き出す。
「キリエ先輩……」
真冬さんは察しているようだった。この世界を崩したのは紛れも無く眼前のバルディッシュの女子生徒の力によるものだ……!
キリエと呼ばれた女子生徒は金髪のお下げを小気味よく揺らしてみせた。
「ハルの言うこと聞いてなかったの?これは只の草試合なんかじゃない……そこの一年生の能力を推し量る為のッ!」
バルディッシュが片手剣を押し出そうとする。
真冬さんの瞳は鴉の羽毛のように黒ずんだ虹彩に変わっていた。しかし、未だその闘志は消えてはいなかった。
白銀の片手剣はあっという間に競り合いを五分に戻す。
「尚更私は退けません!」
「なら私がアンタの相手をする……真冬ッ!」
キリエのバルディッシュが振り上げられる。それに即座に対する真冬さんの剣術もなかなかの物だった。
「はあああああッ!」
二人は同時に叫び、目にも止まらぬ戦いが始まった。それぞれ一歩も引かない真正面からのぶつかり合いだ。
俺も、他の男子部員もその華やかな剣舞に見とれていた。こうなった以上、俺に奇襲を試みる者は誰もいない。
「何とも釈然はしないけど、まいっか」
頭上の階段の上を陣取った月見野騎士道部のキャプテン、三木元春紀先輩は後ろ手で頭を掻いて見せる。
キャプテンといいキリエと呼ばれた女先輩といい、彼らの言うことがイマイチ理解できなかった。
俺の力を推し量る?そんなの初日の選別試合で分かったことではないか。
初日に俺はシェリーカと対戦した。そして敢え無く負けた結果が今の立ち位置、二軍たる「期待組」だ。
キャプテンはそんな俺の心境を知る由も無く、目の前で激戦と繰り広げる女子二人に檄を飛ばす。
「キリエ、能力開放はナシと言ったはずだぞ」
「ごめん、つい……てか真冬も使ってたし!」
キリエ先輩は剣戟の応酬に明け暮れながらも弁解する。
「ここに来る前にはっきり言ったよな!?二回言ったよな!?」
「ああもう……!」
ヤケクソ気味に打ち払い部長に怒鳴りつけるキリエ。二人は一応部長と部員という間柄だ。
が、言い返す少女は終始強気な発言だ。同じ三年同士対等の力関係にあるのだろうか。
「まあ、どっちみち私の力なんて合って無いようなものだからいいんだけど!」
そう言って一際強い突きを浴びせる。しかし、真冬さんもまた既にレギュラーの座を安定させている実力の持ち主だ。華奢な剣刃ながら怯むことなく打ち返す。
本気の気迫は集中が途切れない。
絶対的な力の権化、「冬の領域」こそ消えたが能力無しのサシの斬り合いでも彼女は十二分に強い。
彼女の持つ片手剣は細い刀身でありながらも全く力負けしていない。
果敢に挑み続けるその姿勢は高月咲那の、あの日見た剣舞にどうしても重なってしまう。
「まるで赤い鳥の剣跡だ」
「リッツ、ドウシタ?」
「シェリーカ!?」
驚いて振り返るとシェリーカが立っていた。
今までどこをぶらぶらしていたのかは分からないが、恐らくはこの草試合騒ぎを聞きつけ駆けつけてきたのだろう。
「ん?マフユとキリエ!」
そしてすぐさま眼前で繰り広げられている真剣勝負に見入る。その瞳は純粋な好奇心に満ちた光に溢れている。
「おいおい、一撃必殺の御姫様まで登場かよ」
「じゃあ俺らも再開するか?」
皆この激闘を目の当たりにして再び戦意高揚といった所だった。それまで呆けていた連中も各々武器を構え再戦の様相を見せる。
それは俺も同じ。すっかり納めていた剣を抜いていた。
「……シェリーカもいくか?」
「ヤー!」
傍らのシェリーカも混ぜろと言わんばかりに目配せしている。
「もういい。そこまでだ!」
しかし、それは唐突に終わりを告げる。
叫び声と共にハル先輩は一跳びで階段を飛び降りる。彼のいた場所から夕陽が現れる。既に日没になりかけていたのだ。あまりの立ち合いの白熱っぷりに時間すら忘れていたようだ。
「しょっと」
重苦しい着地音の後に、背に掛けられた二本の大剣がカチャリと音を立てた。
「キャプテン」
「わかったわよ……ハルがそこまで言うなら仕方ないわ」
素直に剣を納めた真冬さんと対照的に、キリエ先輩は物足りなそうに矛を納めた。
「騎士道部が一つの騎士団ならキャプテンであるハルは即ち騎士団長よ。わかるわよね?」
釘を刺す様な視線が三人の騎士道部員を牽制する。
「わかったよキリエ。剣を納めよう」
「うっす……」
「ちぇ、部長命令は絶対ッスからね」
キリエに従うように他の男子生徒も武器を納める。
その先には遥かに長身の三木元春紀――ハル先輩。その背に下げた二本の大剣はクロスしていて肩口から生えている。
あまりの威圧感に身の毛がぞくりと総毛立つ。
ところが、
「よっし、じゃあこれで模擬戦は終わりだ」
キャプテンの顔がクシャッと崩れた。重圧感が開放されたような笑顔。朝見せた好青年のそれだった。
「ふう……」
「はあ~っ!」
大きな息をついて他の部員が緊張を崩した。その場にあぐらを書いて座り込んだり、しゃがみ込んだり……しかし真冬さんとキリエ先輩だけは違った。
依然戦意に満ちた目で向き合っている。何かを無言に語り合っている眼だ。
「全くこいつらだけはオンオフが出来ないんだよなあ……帰るぞ、キリエ」
「へ!」
部長がぽんと肩に触れた瞬間、キリエ先輩から緊張が抜け落ちた。
「わ、わかってるわよッ」
言動こそ少し子供っぽいが体格は鍛えられた上級生そのものだ。
槍のような長柄の武具を扱うには力だけではない、軽快なフットワークを生かす為のカモシカのような筋肉が不可欠だ。
そう言った意味でキリエ先輩は間違いなく鍛え上げられている。完成形に近いと言っても過言ではない。そうでなければあの空間で真冬先輩と渡り合うことは難しい筈だ。
「やれやれね……」
キリエ先輩は乱れた前髪をセットしながらこちらに視線を向けた。
「まあ、急に皆して攻めたのは悪かったかもね。許してよ一年坊」
「はい知ってます。でもこれはこれでいい趣向でした」
何はともあれ集団戦の形式は初めてだった。いい経験になったと思った俺は上ずり気味に先輩に答えた。
「ならよかったわ。まあ真冬のあの調子も含めていろいろ不満もあるだろうけど……」
遠くでシェリーカに宥められている真冬さん。まだこの一連の顛末に不満ありげな表情だ。彼女にしては珍しく頬を膨らまして黄昏れている。
無理も無い。何の説明も無しに奇襲を受けたのだ。普段穏やかな彼女でもあそこまでキレた。
それほどまでにこの顛末は彼女にとって我慢ならなかったのだろう。一方的に仕掛けられ、一方的に剣を納めることを余儀なくされた。フラストレーションが溜まりそうだ。
「悪いなリッツ。でも確かめてみたかったんだ」
キャプテンは今度は俺に向き直る。
「なんでお前がこの月見野までやってきたのか。呼ばれたのか。分かった気がする」
「俺は自分の力を高みに近づけたかったんです。でも俺の実力じゃ――ふぇ」
荒っぽく頭を撫でられた。
ごつごつした掌がワシャワシャと俺の髪をかき混ぜる。
「やめてくださいよキャプテン」
俺はこれは先輩に後輩として可愛がられているんだと思いながらも身をよじって逃げようとする。
「弱きだな。そういうところを何とかしないと真冬の後衛は務められないぞ」
「へ……今なんて」
スキンシップはそこで終わった。
ハル先輩はそこで立ち止まり俺を真っ直ぐに見た。
「桃山国立。部長としてではなく、一人の騎士としてお前に決闘を挑みたい」
真摯な顔に戻っていた。
「なんで……俺と?」
「それは俺とお前が決して同立できない立ち位置にいるからだ。もっとわかりやすいように言えば、この騎士道部内で俺とお前は鏡合わせなんだよ」
言葉の真意が分からない。俺は狐につままれたような顔をして呆ける。
「それってどういう」
しかし、ハル先輩は答えない。向こうの真冬さんの方を向いて、
「ここまで言えば分かるな?こいつがここに呼ばれた理由がさ」
「はいキャプテン。全ての辻褄が合いました。つまり彼は私の――」
「そういうことだ。期日は一週間後の日曜日。それで全てこの問題は片がつく。いいな?」
それだけ言ってキャプテンは踵を返す。それに準ずるように他の部員もその場を後にした。
取り残される俺と真冬さん、そしてシェリーカ。
キャプテンと真冬先輩の間ではそれがどういうことか意思の疎通が出来ているようだった。
「マフユ……リッツ……」
一人蚊帳の外だったシェリーカは戸惑うようにぎゅっと俺達の手を握っていた。不安気な銀髪の少女。しかし、俺はその小さな手を握り返すことができない。
今まさに決闘を申し込まれた当事者であるというのに全く意味が分からなかった。
何で?期待組で一年の未熟者の俺が強豪校月見野のキャプテンと?
勝てる訳がない。圧倒的力量差は明白だ。
そもそもこんな力量差があるカードで試合をする必要性が分からない。既に結果の目は見えているからだ。
だというのにキャプテンは俺と一騎打ちを望んでいる。
そして、それがどういうことなのか真冬さんは知っている。
「真冬さん、教えてください。キャプテンと貴女の間で一体何があったんですか!?」
「リッツ君……」
「去年の大会ですか……?」
しかし、真冬さんは答えない。どこか悲しげで繊細な睫毛が伏せられている。その直下の二つの瞳は俺を見ている――これまでに無いほどの憐憫に満ちた目で。
「彼との戦い。君が戦う――ひいては彼に勝つ意思があるか。それだけが行く末を決める。私からはそれしか言えない」
そう言って真冬さんは去る。
俺とシェリーカは立ちすくんでいた。俺達三人に燐華がようやく追いついた頃には、海浜公園はとっぷりと日が暮れていた。




