憧憬
幻想世界のようなフロアを抜けた俺達は最上階展望台から陸奥湾を眺めていた。
俺の右手には売店で買ったおにぎり。ぼんやり見る先には水平線が走り、その僅かばかり下に一隻のフェリーが浮かんでいた。遠すぎるせいか止まっている程にゆっくり見えるが船尾の白い航跡は絶えず伸びていた。
「ワオ!みてみてーリッツ!」
「ああ、見てるよシェリーカ。だから少し静かにしような」
「ヤー!すっごおおおい!」
だめだこれ。
望遠鏡を見てシェリーカが嬌声を上げていた。双眼鏡を大きくしたような固定式の望遠鏡を右に左にと傾けながら見回している様は、何個か向こうの望遠鏡で同じようにはしゃいでいる観光客の子供と変わらない。
一緒にいるこっちが恥ずかしくなるくらいだった。
「全く、あれで一撃必殺狙いで攻めてくるんだから凶悪よね」
シェリーカと反対側の望遠鏡、そこで静かに海を眺めていた燐華がレンズから顔を離した。
「――それでいて向こうじゃ名家の令嬢だって言うんだから」
「え、シェリーカってそんなにスゴイ家の生まれだったのか?」
貴族制度は半世紀以上前に廃止されたがその系譜は現在にも受け継がれている。民主主義という言葉が根付いて久しい21世紀に入った今でも各国重役には元をたどれば貴族や騎士の家の者は存在する。
日本も例外では無く、明治維新以前の武家や公家をルーツとする政治家や大企業の経営者は多い。
燐華の話ではシェーレザルト家はドイツで名の知れた一族のようだ。聞いたことのない横文字の製薬グループをあげられたが、海外情勢に疎い俺にはよくわからなかった。
が、とりあえず相当な金持ちなんだなということだけは分かった。
ドイツ連合国は騎士道界では世界でも五本の指の座を常にキープし続ける強豪国だ。騎士道競技の体系は確立されているし欧州大会は二十歳以下の若者にも大きく門戸は開かれている。彼女ほどの実力であればわざわざ日本に留学しなくても向こうにいれば世界選抜生やドイツ代表を目指せるだろうに。
日本の高校騎士道界に飛び込んできたのはどういう意図があってのことなのだろうかなどと思いを巡らせるが、俺にはシェリーカの家の思惑など計り知る事などできない。
「日本の、いえ下々の人間達の文化に触れるって目的もあるのかもね。彼女の技術は既に完成形の域にあるわ。そもそも相手の攻撃を想定していない一撃必殺の戦法なんて自分の役をどう揃えるかって作業と同じよ。麻雀で狙って数え役満を連発させるくらい有り得ないわ」
麻雀の役でシェリーカの強さを表現しようとするのは何とも燐華らしく心の中でニヤリとしてしまう。彼女もまた横浜からこの最果てまで赴いてきた人間の一人だ。
そして、俺も岡山からここに行き着いた。様々な所で育った者達が集まり同じ目的を持って鍛練する月見野学園はやはり面白いな。感情を隠せずにふふふとほくそ笑んでしまう。
「まるであんたってシェリーカのメイドね。あんたみたいなガサツな男にメイド服は似合わないから庭師ってところかしら。その長剣で剪定は出来て?」
わざとらしく頬に手を当てて映画に出てくる貴族のような可笑しな口調で燐華が笑う。
「へいへい。そう言う燐華の家は何やってんだ?中国拳法の道場とか?」
「軽く流してきたわね。私ん家はそんな堅物な稼業してないわよ」
不満げに眉を曇らせながら椅子から立ち上がる。
「私の家は横浜中華街でも名の知れたシュウマイ屋なんだから。今度とびきり極上な肉汁のを食べさせてあげるんだから覚悟なさいッ!」
「リッツ!リンファー!」
ビシッと差し向ける燐華の人差し指を押しのけてシェリーカが現れた。
「タスケテ!あのスコープもう何も見えない!」
まくしたてられるままおにぎりの残りを喰いつくしシェリーカの望遠鏡に向かう。
椅子に腰かけても高すぎる座高をかがめてようやく覗きこむとその先は暗闇に包まれていた。黒一色で何も見えない。
「ああ、これは時間切れだ」
そう言って目を離した先にはコインの投入口がある。
「また百円入れれば見れるよ」
「って見る物海しか無いじゃない。飽きないのかしら」
燐華も俺の隣に来て窓を眺めた。
薄雲に覆われた空とその下に広がる紺碧は望遠鏡無しでも絶景だが単調だった。
何せ俺達はもう三十分近くもこの展望フロアで時間を潰していたのだ。
「お待たせ皆。買って来たわ」
そこに紙製の買い物袋を両手に提げた真冬さんが現れた。下のお土産フロアで買い忘れたお菓子があると言って席をはずしていたのだ。
「お帰りマフユ!」
シェリーカは飛び付き買い物袋を漁る。やがて、その中からよく熟れた紅い林檎を取りだした。
「あ、それ青森県産のリンゴよ」
「アプフェ!」
「なにそれ喰うの?」
俺の問いにこくんと頷くシェリーカ。白い小さな両手で抱えた林檎はそのまま俺の胸元に掲げられる。
「ムイテ!」
「ええええ」
ナイフなんて持っている訳が無かった。
林檎を渡されたまま途方に暮れる俺。そこを真冬さんが近づいて林檎を取り去った。
「いい、シェリーカ。林檎はこう食べるのよ!」
ガブリと一口。果汁の瑞々しい音。
口元から離れた林檎は大きな歯型で薄黄色の果肉が露わになっていた。
普段の慎ましい様とは打って変わって豪快な齧りっぷり真冬さんに俺は呆気に取られた。
観光会館を満喫した俺達。今日は五月にしては異様に蒸していた。歩いている観光客皆が半袖でまるで夏の着こなしだ。
「晴れてよかったわ。波音が涼しげ」
板張りの橋梁状の歩道は海浜公園まで続いていて、足元の僅かな隙間からは密集しているテトラポッドが見えた。暗い灰色のブロックの合間にぶつかる飛沫の音が涼しげだ。
元は岸壁だったここは遊歩道として改装され今では地元の釣り人達に人気のスポットとなっていた。至るところで竿を海に垂らしている釣り人が見える。
「人多いっすね。でも皆フィッシングに来てるみたいだ」
「ここは何時もそう。観光で来た人たちはだいたい観光会館を見たら新町とかに行っちゃうから……ここに来てるのは本当に地元の人たちだけ」
歩いた先には海浜公園と称される広場があった。
「ここは、ねぶたを作っているんですか……?」
「ええ」
見ると、駐車場に隣接するように無数の小屋が立ち並んでいた。まるで飛行場のハンガーのような建物一軒一軒には製作中のねぶたが保管されていた。
製作途上の代物ではあるが巨大な人型が並び揃ったその様は壮観の一言に尽きる。
武者や有名な歴史上の戦をモチーフにした巨大な山車が鮮やかにライトアップされ、夜の街を練り歩く勇壮な光景。それが俺がテレビで見て知っているねぶた祭りだった。
しかし、今見ている山車は肩口や頭の半分などところどころから内部のフレームが露出している。着色もされておらず一様に真っ白な張り子だ。これから夏の開催に向け製作が進んでいくのだろうが、今立ち並んでいる山車がどんな題材をモチーフにしているかなんて検討もつかない。
「昔はこのねぶた小屋も観光の目玉だったけど新幹線が北海道まで行ってからはだいぶ寂しくなったって、早苗さんがそんなこと言ってたわ」
「そっか。早苗さん……いえ寮長はこの街で生まれ育ったんでしたっけ」
「ええ、県内の高校騎士道競技パワーバランスも、経済や県自体もいろいろ昔と状況が違ってきたみたいね」
真冬さんの話では、かつてのねぶた祭りは日本史や三国志をモデルにした山車が多かったと聞く。
しかし、次第に西欧的な山車も増えて今ではまさに現在の日本の騎士道競技のレギュレーションのように古今東西様々な英雄譚や騎士道物語のねぶたが造られているそうだ。
俺の記憶では「ドラゴンを退治する聖ゲオルギウス」や「ハンニバルのアルプス越え」なんてタイトルのねぶたが印象に残っている。俺から見ればいろんな山車があってもいいじゃないかと思うが、その辺は早苗さんのような昔のねぶたを知っている人達からするとすんなり首を縦に振れない物もあるんだろう。
しかし、シェリーカと燐華はそんなこと知る由も無く、現在進行形で製作中の巨人達が集うガレージに夢中だった。
「ズィグフリィー!ヤー!」
「じーくふりーととふぁぶにる……?神話の何か?シェリーカは知ってるの?」
「ヤー!」
「それよりあっちを見ましょう!あの火の形の台座はどう見ても赤壁の火計よッ!」
先程まで保護者視点で呆れながら同行していた燐華まで一緒になってはしゃいでいた。
俺と真冬さんは観光会館の時と同じく、二人の後をゆっくりと歩く。
絶えず足元から伝わる波音と二人の少女の遠巻きな嬌声の対比が絶妙だった。
「俺、寮の詰まった空気苦手です。ここなら休みの日に足を運びたいです」
「波の音が綺麗よね。昔一回だけ来た時はこんなに整備されてなかったんだけど……」
「一回だけ?こんなにいい場所なのに」
真冬さんは気まずそうにぎこちない笑みを浮かべ頷く。
「私が青森市に来たのは月見野に入学した一年前からだから……家族で小さい時にここに来てから随分経つわ」
「ああ、さっきホログラムで見た岬……真冬さんはあの場所で生まれ育ったんですね」
「うん。小さな港町なんだけどね。いい所よ」
さっきの話で聞いた時は青森市に越してきたのはもっと昔だと思っていた。しかし、彼女も俺と同じように高校入学で初めてここにきたらしい。
「意外でした。ここの寮生じゃないし、てっきりずっと前から暮らしてるもんだとばかり」
「今住んでいる所は親戚の叔父さん夫婦の家なの。ここはいろいろ店もあるし便利よね。大阪とか東京の人からすれば青森市は田舎だって言うけど私の育った町から見れば十分都会よ」
そう言って口ごもる真冬さん。
真冬さんは自分の事をあまり語らない人だった。だが今はこうも自然に互いを分かりあうような会話が出来ている。
保護対象と毒舌を吐くオマケ一人はいるが、俺と真冬さんは二人並んで歩いている。その現実に胸が高鳴った。心の中でガッツポーズを取る。
「この海の向こうに行きたいよね。去年は様々な学校のいろんな人達と戦えた。でも世界にはもっとすごい人がいるんだよ……」
真冬さんは感慨深そうに立ち止まる。
「世界か……」
その時始めて、心に残ったまま他の物に堆積されて忘れていた古傷が疼いた。チクリと刺した微かな記憶は俺が騎士道を歩むと決めたあの日に刻まれたもの。
真冬さんを見ていたらあの日見た光景が重なったのだ。
「この街は好きだけど去年は青森を出て初めて知ることができた事があったわ。今年もまた、帝都に行きたいな」
「そうだ。俺はあの人に憧れて……」
真冬さんに俺の心中は分かる訳も無い。でも、俺は幼い頃に見た騎士の背中を今の自分に間違いなく複写していた。あの時見た背中に今の俺はなろうとしているのだと改めて思う。
「その為に月見野までやってきたんです――え?」
無意識のまま握りしめていた拳が一瞬で解かれた。鈴のような音が耳を打ったからだ。隣にいたはずの真冬さんの姿は既にそこに無かった。
「リッツ君、こっちだよー!」
声のする方向、駐車場に程近いアスファルトのベンチに真冬さんが立っていた。手を振る彼女の隣には屋根付きのリヤカーが止まっていた。荷台にはペンキで青く塗られた木箱が備え付けられていてリヤカーにくくられた幟には白い筆字で「アイス」とだけ書かれていた。
「真冬先輩、これは一体……」
近づく俺に真冬さんは背中を向けたまま、リヤカーを引くおばちゃんと何かやりとりをしていた。
「リッツ君、はいこれ」
振り返ったその両手にはアイスクリームが握られていた。コーンの先には青や白のアイスが豪快に盛り付けられている。
「ありがとうございます」
「二人が戻ってくるまでアイスでも食べながら一休みしましょう」
俺達二人は目に付いた石造りのベンチに腰掛けた。




