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鷹の一撃

 再び始まる剣戟の応酬は今度も陽燐華に分が合った。

 片手で振るわれる中華刀のトリッキーな動きは燐華自身の軽快なステップも相まってなかなかに厄介で、重剣を扱う俺は防戦一方を余儀なくされた。

「これで分かったでしょ?アンタは弱いの!」

 思い切り振るわれた一撃。それを完全に受け切ってからの反撃にしようと剣を構えたら足払いが来た。

「くぉッ!」

 思わずたたらを踏んでつんのめる。早い剣技に視線を慣れさせた上での体術。こいつの戦術はジャブからの大技にある。蝶のように舞い蜂のように刺すという言葉が脳裏を掠めた。

 フェイントからの足払いでの姿勢崩し。次に来るのは――殺しに来る本命の攻撃!

「ん……おおぉッ!」

 転倒する手前。長剣を突きたて身体を横に飛ばす。プレートが擦れる耳障りな転倒音に混じって燐華の剣の風斬り音がはっきりと聞こえた。空を切った剣の風圧に首筋の冷や汗が吹き飛ばされる。

「ああああッ!」

「こいつッ!」

 甲高い驚愕の叫びが聞こえた時には切っ先は彼女の胴鎧に切迫していた。

 寝ころんだまま咄嗟に向けた長剣は燐華の胴鎧に接触。彼女の振るう青龍刀もまた俺の肩筋に接触していた。

 互いの致命傷を免れた相撃。俺の破れかぶれの剣が届いたのは長い刀身が生みだした幸運に他ならない。

 そして、燐華の中華刀を回避して肩への攻撃で済ませることができたのも幸運のおかげだった。

 殆どまぐれとも言える攻撃ヒットと致命打の回避。その幸運の組み合わせが燐華の脇腹に辛うじてヒット、彼女もまた俺の肩口を僅かに掠るに留まるという両者相討ちの結果にした。

「これは……まあ両者にポイントだね」

 審判役は他の副審達の合図に従い俺達の間に歩み出た。

「どちらも試合ならギリギリ続行可能レベルのヒットだけど。まあ三本勝負だから……次が最後の一本でいいかな?」

 白ラインの施された袖をまくり、ちらりと腕時計を気にする先輩。もう時間はそう残されていないらしい。全面張りのガラスから注ぐ夕陽が目に染みる。

 これで俺は一点、燐華は二点目を取った。もう俺の勝利は無い。

 しかし試合は三本勝負。イレギュラーの相討ちという判定が生まれたが最後の一戦まで結果がどうなるかは分からない。とにかく俺は燐華に三点目を与える訳にはいかない。それだけは確かだ。

「アンタ、間抜けだね」

 相対して一番に燐華が呟いた。先ほどまでの激情に駆られた姿が無いのが意外だった。俺の剣を受けて激昂するかと思いきや冷や水でもぶっかけられたような調子だ。燐華は整然とした佇まいで続ける。

「転ばされて地べた這いずり回って、そうまでして勝ちたいんだ」

 起き上がり様の剣を必死に向けた体勢。確かに傍目から見ると間抜けな構図だった。

「でも勝ちは勝ちだ。俺は勝ちたい。その為に何だってする。どんな無様な姿でも勝ちは勝ちだろ?」

「へぇ……」

 子供の口喧嘩のようなボキャブラリーに欠けた必死の言い返し。

 しかし、それを聞いた燐華の目が細められる。その奥に見えるのは嘲りから来るものでも侮蔑から来るものでも無い。純粋に戦いを楽しむ者が見せる期待を滲ませた笑みだった。これからの一戦が楽しみでしょうがないという感情。そしてそれは俺も同じ。

「だったらこの一戦――!」

 一声上げたのは燐華だった。彼女の叫びと共に背後に現われる極彩色の蝶の翼。鱗粉のような粒子がみすぼらしい木張りの練習コートに漂っていく。

 でも、それに気圧されるつもりは毛頭無い!

「行くぞ抜剣!」

 合わさった声は主審役の先輩に先んじて、俺達は正面切って飛び出していた。

 驚愕の目を見開いた主審役は即座にそれを理解しバックステップで引き下がる。彼が立っていた場所に数コンマ遅れてぶつかり合う二つの刀刃。

 鬩ぎ合う刃はくぐもったフィールドに漂う粒子をかき乱す。鼻腔を微かに殺気の臭いがくすぐった。全方位に漂う気配は燐華の剣がどこから来るかをカモフラージュしているようだ。

 まるで蜃気楼の中に一人立つ戦場だった。彼女もまた魔剣を扱う資格を持つ騎士だということか。

 俺は始まりの日に真冬さんが見せた大雪原を思い出していた。

「――でも、その力がなんだろうと俺は負けないッ」

 矢継ぎ早に繰り出される剣撃は中華刀独特の曲線を帯びた太刀筋となって眼前に迫る。

 それら全てを長剣で防ぎ次手を考える。研ぎ澄まされた神経は無意識の内に剣の軌道に合わせ打ち払って見せた。

 一瞬燐華の目が見開かれる。

 が、嘘でしょと言いたげな表情はすぐに闘気溢れた形相に書き換えられていく。

「……ッ!」

 僅かな溜めの後、吹き飛ばすような一撃がガツンと響いた。発勁はっけいのように力強い一撃に硬直した俺目掛け燐華の左足が浴びせられる。

「!」

 万全のタイミングで来た奇襲にも怯むことなく身体が順応した。

 絡み合っていた刀刃を即座に解き、柄で足蹴に備えた。

 勢いよく迫ったニーソックスに覆われた美脚は柄を蹴飛ばし離れる。俺達二人の間に一瞬の静寂が訪れた。

「やるじゃない。さっきまでとまるで違うんだけど」

 大股開きで足先を滑らせながら制動する燐華。額と首筋から汗が伝っていた。彼女もまた死力を尽くしているのだ。

「次で決めるぞ」

「たああッ!」

 再び始まる近接距離の打ち合い。

 言葉も思考も無かった。浴びせられ続ける剣の軌跡を頭で理解するより前に身体が動く。

 互いに一手を欠いた受けと回避の応酬は程良い陶酔感を与えてくれる。

 決して当たらない一撃の打ち合いはまるで俺と燐華の間で申し合わせた荒っぽい演舞だ。

 勿論回避を期待して繰り出している訳ではない。渾身の一撃はどれも相手を殺す為に、当てるために振るわれている。

 互いがそれを察知し、すんでで受け切って次に繋がる剣を振るっているだけなのだ。だがそれが心地よい。

 俺はいつの間にか対面の少女の表情から試合前に見せた露骨な憎悪の念が消えていることに気づいた。勝利と言う名の共通の目標目指して死力を尽くす。何故こんなにも楽しいのだろう。

 かつてそれが生死を賭した形式の打ち合いだった時代。かの騎士達もこんな感覚を抱きながら剣を振るっていたのだろうか。

 しかし、その剣の舞は唐突に終わりを告げるものだ。

 勝ちたいという意思の力は流れに乗って自然と俺の頭上に構えられる。記憶の中にいる赤い女騎士の声が反芻される。

「鷹の如く、攻めろ――!」

 剣戟の最中僅かに訪れた勝機と言う感覚は見惚れるような中華刀の切り返しを避けきった直後だった。

「おおおおおッ!」

 振りかざされた鷹の一撃は獲物を見つけ飛びかかる鷹の如く、燐華に吸い込まれた。

「そこまで!」

 一撃を受け身体から床に落ちる華奢な薄桃色の中華鎧の少女。

 主審役の先輩が張り上げた一声で俺は剣戟に徹するだけの無意識の領域から呼び戻される。

 そこで初めて俺は彼女の鎧の継ぎ目、肌が露わになった肩部分を斬り落としたことを知った。

 

 

 

 

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