期待組
月見野学園での騎士道生活が始まって二週間が過ぎた。
期待組はレギュラーになることのない面子が期待を込められくくられる実質的な二軍だ。その人数は全部員のほぼ半分で占められていた。
期待組にいる間は絶対にレギュラーに選出されることはないばかりか、対外の練習試合にすら出られない。結果を残すには「候補組」との対戦で勝って向こうの組に入るしかないのだ。
俺は初日にシェリーカに負けたまま期待組に直送された。それと同時に、同じく期待組先輩たる天道瀬名が俺を捕まえた。期待組の集まりに振り分けられ項垂れていた俺は彼女の班に入り二週間、練習に励んでいた。
瀬名は部活二日目の開口一番に
「まあ、気にせんで次の試合に向けて鍛えればええから!」
境遇的には新参の俺よりも厳しい状況にあるはずなのに、持ち前の太陽のような笑顔で俺達選別試合に負け不安いっぱいの俺達を仲間として受け入れてくれたのだ。
入部早々期待組に入った俺と違って瀬名は既に一年ここでの生活を経験しているにも関わらず、だ。
三学年まんべんなく所属する瀬名の班。その中には興梠歩もいた。
「たあ――ッ!」
「見え見えだ!」
菱形のカイトシールドの影から現れたメイスを避けきった。素人でも見切れるフェイント。お返しに赤錆のロングソードを振り上げた。野球の広角打法のような要領で曲線が上昇する。
「ぶッ!」
軽快な音を響かせた一撃は歩の頭部保護具を払いのけた。自分でも肩すかしするほど簡単に決まった。大技を喰らった歩はもんどり打ってひっくり返る。
「おいおい、こんな分かりやすいアッパースイング。避けなきゃまずいって」
「……うっせえなぁ」
鎖帷子のフードをじゃらりと垂らし歩は仰向けで呟いた。
「立てるか?ほら」
手を貸し起こすと二人でコートから降りる。
立ち合い中にずっと端で待っていた二人組が入れ替わり剥がれかかったテープの内側に入る。隅に腰を下ろすと無造作に転がっていた自分のスポーツドリンクに口を付けた。
俺達期待組に与えられるコートは機械判定設備など無い。床も板張りでもんどり打てば派手な音が騎士道場中に響く。テープで境界が区切られただけの目視判定頼みのコート。機械測定具が無い分広いがどうにもみすぼらしい練習場だった。
俺達はこのコートの奥にあるレギュラー候補生が凌ぎを削る豪奢な機械判定の空間に踏み入れることすら許されず、監督が制定した候補組メニューを徹底してこなしていた。
学園外の山道をランニング。ほうほうの体で戻ると今度は体力作りの基礎練習が始まる。それらウォーミングアップを終えてようやく本格的な練習が始まる。鎧に着替えテープで四等分に分けられた狭いフィールドで立ち合い練習を行うのだ。
俺と歩は初日の腐れ縁もあってかこの二週間ずっとコンビを組んで部活に勤しんでいた。というより、俺が歩の練習に付き合わされているというのが現状だった。
歩は本当に弱かった。
自分よりも小さく華奢なシェリーカに負けたことでメッキの自信が削げ落ちた俺であったが、それでもこいつにはこの二週間殆ど負けなかった。恐らくこの部で一番弱いのは彼で間違いないだろうと思う。
期待組生活が始まって数日後のある日。一部の三年生の提案で模擬戦の逆トーナメントをやったことがあった。
逆トーナメントというのは勝ち進み負けた者が脱落していく通常のトーナメントの逆で、勝った者はトーナメントから脱し、負けた者同士が次戦で戦うというものだ。
つまり、負け続けた者が最後に残り最弱が決まるというエグいトーナメントなのだ。俺は二戦目で運よく(運よく?)興梠歩と当たって勝利して逆トーナメントから脱したが、歩は以降の試合でも負け続けた。
あまりに一方的な負け方をするので皆が暗黙の内に彼の最弱を確信し、瀬名の機転で逆トーナメントは終了となった。
「俺って才能ないのかなあ」
腑抜けた声を屁のように漏らしながら歩が寝そべっていた。俺は板張りのコートで剣戟を振るう他の部員の立ち合いを見ながら歩に答える。
「動きが単調すぎんだよ。目線でどこ狙ってるかモロに分かって読みやすいし、技術云々より立ち回りが下手なんだよお前」
「どうしろってんだよクソッ」
高校で騎士道を始めたと言う一般入部の仲間にも負けた彼にフォローする言葉も見つからない。
最早こいつは部内で初心者が安心するための木人、サンドバッグ、チュートリアルモードの無抵抗な対戦相手のような存在になりつつある。本当に特待生なのか疑わしくなってきた。大金叩いて一般入学してきたのではないかとすら勘ぐってしまう。
そんな彼をむざむざ見捨てることが出来ず、俺は歩に付きっきりだ。
女子の間で変な噂が立たなければいいのだけど……
ちらちらこちらを見る女子部員のグループを横目で見ながらため息が漏れた。
「俺としてもなんとかしてやりたいんだけどなあ」
「お前だって期待組だろ。こっちだって精いっぱいやってんだよー」
「おっほ。何すんだ!?」
人差し指をレイピアのように突き出し執拗につついてくる歩。間延びした声を出して腰をひねらせ交わしているといきなり頭を贋剣で殴られた。
「ちょ……」
「わっ」
スコンスコンという二発の音が相次いで響いた。この乱雑で馴れ馴れしい感じは天道瀬名か?と振り返ると、
「何じゃれてんの?邪魔なんだけど」
見慣れない女子生徒だった。短く分けられたツインテールが左右に揺れていた。眉をひそめこちらをじろりと睨む鋭い目つき。肩に担がれた平たい刀身は切っ先になるにつれ波打ち湾曲した中華刀だった。
柄に結ばれた赤い帯は丁度その女子生徒のシニョンの下にまで届いていて、まるでリボンのように柄を彩っている。
青龍刀を持つ少女。こいつを俺は知っている。
そうだ。丁度俺とシェリーカの前に選別試合を行っていた組の内の一人。確か名前は……
「陽燐華。めんどくさいから先に言っとくわよ。ちなみに留学生じゃなくって横浜生まれ横浜育ちだから日本語も使えますから。変な配慮はいらないから」
ご丁寧に自己紹介を交えつつ、陽燐華はこちらを睨みつけながら青龍刀を勢いよく納めた。花びらと蔓のような装飾が施された美しい鞘だ。
「悪かったよ。つかお前も一年だよな?」
荒っぽい挨拶にはこちらも粗野な言葉遣いで返す。
「そうだけど、それが何か問題でもあるワケ?同じ一年だからって舐めないで」
元々女子と会話するのが苦手だがこの手の女子はごまんと見てきた。大抵女子同士ツルんで男子を敵視、いや蔑視しているようなタイプ。その物言いは小学生の頃に男子を敵視してきたクラスの学級委員長に似てるな。そんなことを俺は思っていた。
だが、しかし……
よく見るとなかなかの肢体をお持ちでピンと張りのある太ももは色づいた果実のように艶っぽい。ワガママな女子のような言動にこそ目を瞑れば彼女も俺達と同じ高一だ。それなりに成長しているようだ。ワガママボディとはこのことか。生意気そうな目つきもそれにアクセントを加えていてなかなか色っぽかった。
でも、俺はこういう女子は苦手だな。どっちかというととろんとしてておっとりしててトゲが無い女子のが好きだ。
「なんでもないよ。じゃあな」
この手の女子は俺達冴えない男子にはとことん冷たい風を当ててくるからこちらもそれ以上慣れ合わない。
「なんだなんだ?俺らの試合にケチつけようっての?」
必要最低限の言葉でその場から離れようと踵を半歩翻す俺。しかし、そんな計らいを意に介さない歩はこのショートツインテの女子にズカズカ近づいていく。吐いたセリフは三流チンピラのそれと同じだ。
「違うわよ。あんた達が邪魔だって言ってるの。私は早くレギュラーに上がらないといけない。なのにあんたら二人はそんな私たちを精神的に邪魔してくる。怒らない理由がある?」
「それは違う。リッツは俺がよえーから付き合ってくれてるだけだって」
「だいたい、男二人でいっつもそんなにくっついて気持ち悪いんだけど。まさかションベンも二人で行くんじゃないでしょうね?何なの?ゲイなの?」
「こいつペラペラと……」
歩は起き上がり様に帷子頭巾を思い切り脱ぎ去ると陽燐華に詰め寄る。その手にはメイスが握りしめられている。まずい。
「おい、やめとけって」
「いいのいいの。俺だって初対面の女子にメイスで殴るなんてしねえよ」
俺の忠告に歩は背を向けたまま手を振って見せる。
「なあ。お前も選別試合で負けたからこっちいるんだろ。なら俺達はイーブンの関係だ。あんまりとげとげしくしないでさ。せっかくの高校生活楽しもうぜ」
近寄る歩に対し燐華の眉はあからさまに嫌悪の様相を見せ歪んだ。
「はあ?アンタ何言ってんの」
「だからさ、ここは一緒に頑張……ッ!?」
歩の上半身が背中から床に落ちるのを見た。スローモーションのように流れた光景の後に鎖帷子のじゃらじゃらした衝撃音が騎士道場中に響き渡る。
「なっ」
そのままこの場を後にしようとした俺だったが、その鮮やかで暴力的な体術に思わず声が漏れる。
歩が自分よりも頭一つ分小さな女子の前に立ちはだかった瞬間、陽燐華は両肩を掴みそのまま跳んだ。
軽装具裾のスリットから太ももを見せながら、宙に舞った女剣士はそのまま着地。肩に預けた遠心力がそのまま歩を背中から地に叩きつけた。
「ぶっふ、げほっげほっ」
板張りの床に打ちつけられせき込む歩。起き上がれずに苦悶の表情を浮かべている。
片や中華風の軽装に身を包んだ少女は涼しい顔で衣装の裾をはたいていた。悪びれた様子なんてものはまるでない。
「おいおい、いくらなんでもやりすぎだろ!」
俺はたまりかねて燐華の足元で依然うずくまる歩の元に駆け寄る。
「フン、あんた達遊びでもやってるつもり?さっきからダラダラと剣振り合って。やる気あんの?」
「違う!歩も言ってたろ。わざと速度を下げてこいつの速さで立ち回りを確認しながらやってたんだよ。だらついてた訳じゃねーよ」
まくし立てる俺に対し燐華は不快そうに片目を細めた。
「そもそもそんな雑魚に付き合う必要あんの?あんたもレギュラー目指してるならそんなのほっといて力ある奴と試合すべきなのよ。ほっとけばそのうち退部するでしょ」
「なん……だと?」
シニョンから伸びるポニーテールを揺らしながら女子生徒は尚も嘯く。
「大体逆トーナメントのこいつの試合見たでしょ?どれもこれも全く相手の剣を意識せずに一方的に振ってるだけじゃない。これで特待とか。あんなのまともなシニアの中学生のがよっぽどマシよ。つか本当に間抜けね」
「るせえよ……」
少女の周りで見ていた数人の部員達も何事かと集まり始めていた。全員俺や燐華と同じ期待組の顔なじみだ。
「私にこんな投げ技まで喰らってみっともないとんでもない雑魚……ん?なんか言いたいワケ?」
「うるせえよ!無抵抗の人間にいきなり体術かますことないだろ!お前だって騎士道の心得は最初に習ったんじゃねえのかよ!?だいたい頭から倒れて打ちどころ悪かったらどうすんだよ」
唾を飛ばしながら激昂に駆られ叫んだ。沸き立った感情を一方的に吐き出したことで頭の端から何かが冷めていく。
「何よ。そうなんないように投げたじゃない。そこまで怒る事……」
まじまじと視線を感じ舌の回りが緩慢になっていく。
「確かに歩も少し口は過ぎたけど。それにしたっていきなり投げるなんてやめたほうがいいんじゃないかなって言いたいんだよ。……うん」
咳払いしつつ弁明する。なんともバツが悪い。気がつけば俺達三人の周りには期待組の部員が輪になって取り囲んでいた。俺達と同じ一年から上級生まで。何事かという顔で事の成り行きを見物している。
ちょっと言い過ぎたか。だが……後悔はしていない。
歩に対する同情でもない。彼女自体が憎かった訳でもない。ただ、彼女が同じ部員であるにも関わらず騎士道精神に反する行動をしていることが許せなかった。
騎士道を習う者なら誰でも習う弱者を助けるという精神。それを蔑ろにする燐華の一連の行動が俺を激昂させていた。ここまで声を荒げたのはいつ以来だろうか。
「へぇ。じゃあアンタにはその正しい騎士道があるっての?そんな甘い考えのやつが。あったま来た!」
ほとぼりを冷ました俺に対して今度は彼女が逆ギレした。
「あああああああああ!ふっざっけんなッ!」
先ほどまでの余裕など微塵も感じさせない感情のままの言動。その変貌ぶりに俺も思わず後ずさりしてしまう。
「おいおい燐華。やめとけって」
「お前の悪い癖だぞ。カッカすんな」
「あああああ!うっさい!ほっといて!」
周りの部員が差し伸べる手を振り払う燐華。この場を諌めようとした上級生の計らいも突っぱねこちらに人差し指を向けてくる。
「やってやろうじゃない。こっちだって好きでこんな組いる訳じゃないんだから。さっさとレギュラー候補にならなきゃなんないのよ!」
そう言って俺達一帯をぐるりと見回した。
「あんたに決闘を申し込む!そんなモヤシの騎士道なんてぶちのめしてやるんだから。」
ひと際大きく息を吸い込んだ後でツインテールが吠えた。反対側のコートにまで聞こえる金切り声だ。向こうで試合をしていた候補組の部員達もその異変に気付きこちらを見ている。
――だめだこいつ。どうにもなんねえ。
「わかったよ……やるよ。俺が勝てば文句ねえんだろ?」
「ぶちのめす!覚悟しとけボサボサ頭!」
最早女らしさなど全く失った凶暴性の塊がまくし立てる。うろたえながら俺は周りの先輩方を見る。
まあ、頑張れよ。
そう言いたげな視線に答えつつ俺は彼女との立ち合いを行うことになった。
レギュラー昇格とも全く関係の無い無意味な試合。だが、俺は闘志がふつふつと沸き上がるのを感じていた。
これは己の騎士道を賭けた真剣勝負だ。絶対に負けられない。この戦いにかける意気込みは選別試合以上だった。
傍らで大の字で伸びている歩は自業自得なので割とどうでもよかったけど……




