マリオネッツ
「人って、死んだらどうなるのかしら」
あの日、お嬢さまはわたくしにそう問いました。
その問いには深刻性が感じられず、まるで「明日は晴れるのかしら」と聞くぐらいの、程々の必要性が伴っているだけのように思われました。
けれど、わたくしは極めて厳粛に、貴女さまにこう答えたのです。
「わたくしが死んだら、お嬢さまのマリオネットになりますわ」
わたくしはマリオネット。
貴女さまに操られることで、生きる人形でございます。
「マリー、今日は何をしましょうか」
――はい、お嬢さま。
――わたくしは貴女さまに動かしてもらえるだけで、今日もこの上なく幸せでございます。
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。なんて従順でいじらしいのかしら」
わたくしとお嬢さまは心身ともに繋がっているので、言葉を交わすことができます。もちろん、わたくしには形ばかりの口しかついてはおりませんが。
「ほら、それじゃあ右腕をお上げなさいな」
クイと糸が引かれ右腕が持ち上げられます。肘下が重力に従がってユラユラと揺れ、まるでお嬢さまを魅惑しているような気分になります。
「アナタは本当に素敵な動きをするわね。全部、私の思うままよ」
――あぁ、お嬢さま。その通りでございます。
――貴女さまの微笑みだけが今のわたくしの見えない動力源なのです。
「えぇ。私たちの関係って最高よね。私は私のしたいように、アナタはアナタがされたいように……」
――あぁ、本当でございますね。
今のわたくしの身体は、二十の末端全てにおよぶまで貴女さまによって使役されていました。わたくしの虚構の胸は、否応なく高鳴る感覚をもう抑えられません。
けれど、そんな時間も長くは続かないのでした。
貴女さまはわたくしの相手をしてくださった後、いつも同じような悲しい顔で、最後に決まってこう言うのです。
「私もアナタみたいに『操られて嬉しい』って、思えるようになりたいわね」
わたくしはマリオネット。
わたくしの存在意義は、全て貴女さまの指先にゆだねられています。
最近、お嬢さまは一風変わった趣向を凝らし、わたくしを弄んでくださります。
部屋に帰ってきてすぐ、何かの衝動に駆られるかのようにわたくしを操るのです。
「ねぇマリー、アナタはなんて恰好をしているの?」
――あぁ、言わないでください。
――あまり、お目に入れないでください。
「こんなにもはしたない姿を私にさらして、いったい何をお望みなのかしらね」
両脚の糸が上方に引っ張られ、身体が半分に裂けるほどに開かされます。腕も同じように上方に引っ張られ固定され、その見た目はさながら性に飢えた独房の囚人のようでした。
貴女さまがそうしてくださったというその事実は、なぜだかわたくしの心に沸き上がるものを覚えさせてなりません。
「ほら、ここがいいのでしょ?」
お嬢さまの繊細な指先が、糸を介さずに直接わたくしの脚の付け根あたりを撫で擦ります。わたくしは自分に触覚がないということを恨めしく思いましたが、お嬢さまによる使役は、それというだけで恍惚をもたらすほどに心地よいです。
――あぁ、とても良いです。
――こんなにもいやらしいわたくしを、もっとはずかしめてやってください。
「えぇ、そうね。とっても素敵よ、マリー」
そんな行為が日々続くにつれて、わたくしはある一つのことに気がつきました。
きっと貴女さまは、ご自分の姿をわたくしに投影してくださっているのです。内に溢れた黒々とした衝動の慰めを、わたくしで発散なさっているのです。
わたくしはそれを、とても光栄に思いました。
わたくしはマリオネット。
特技は、関節がどんな方向にも曲がることです。
お嬢さまの内に秘めた何かは、確実に増幅しつつありました。
(ギギギギ……)
右足の先が背中を通過し肩を超え、骨格の節々が軋みをあげます。
「ごめんね、マリー。これじゃあイタイイタイよね」
――全然、問題ありません……だって、わたくしには痛みという概念がありませんもの。
――貴女さまに扱われているという、その快感しか、もうありませんもの。
「そう……。アナタが人形でよかったわ」
お嬢さまは四肢が千切れんばかりに激しい扱いをしてくださります。
その理由はやはり、貴女さまがご自分を傷つけたい衝動にあるのです。だから、それを代わりに引き受けられるわたくしは、なんて幸せ者なのでしょう。
激しさが増すたびに、自分の中に熱く高まるものを感じます。
貴女さまに求められている。きっと、そんな官能的な自惚れがその熱源の全てでした。
やがて、とうとうわたくしの右足が外れてしまいました。痛みは感じません。ただ、そうであるという事実だけが、わたくしを満たしておりました。
「あぁ、ごめんなさい。もう元には戻らないわね、可哀相に」
――可哀相だなんて、滅相もないです。
――とても満足そうに笑った、その顔……それだけで、わたくしは幸せなのですから。
その答えを受け、お嬢さまは。
なぜだかその頬に一筋の雫を走らせると、わたくしは言いました。
「私も、アナタみたいになりたいわ」
わたくしはマリオネット。
わたくしは、自らの力で貴女さまに触れることを世界から許されておりません。
気がついた時には、もう手遅れでした。
いや、例えば気づいていたとしても、わたくしに能動的に動く手がない時点で、この運命は覆せなかったのです。
お嬢さまが倒れておりました。
わたくしのすぐ隣。その手には、何かの薬の容器だと思われる茶色いビンがあります。
そう。
お嬢さまはマリオネットになったのです。
――お嬢さま、操ってください。
近づきたいのに、近づけない。
――お嬢さま、弄んでください。
手と手はこんなにも触れ合いそうなのに、わたくしは貴女さまがいなければ微々とも動くことが叶わないのです。
心が壊れてしまいそうでした。
隣の貴女さまも、わたくしと同じように感じてくださっているでしょうか。
けれど、それは少し考えればわかることです。そんなことはあるはずがありません。
なぜならお嬢さまは、自らの意志でそれを望んだのですから。わたくしと同じ、マリオネットになるということを。
必要とされなくなったわたくしの身体は、やがて貴女さまと同時に、溶けゆくように縮んでゆきます。
そして、貴女さまを考えるこの思考さえも、薄れるように溶け去ってゆきました。
わたくしたちは、マリオネット。
この世で最も近くて遠い、対の人形でございます。