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第2章 佐保道、佐紀路 1 般若寺から不退寺まで

東大寺の転害門から法華寺までの道を「佐保路」といい、

さらに西に進む道を佐紀路といいます。

このあたりを散策するにはひたすら歩くしかありませんが、

まずは、近鉄奈良駅からバスの本数が多い

「青山住宅」行きのバスに乗り、

般若寺で下車しましょう。


般若寺は東大寺の北側、

奈良坂に位置しコスモス寺として有名です。

特に秋のには10万本のコスモスが境内に咲き乱れます。

十三重の石塔や

三十三観音石像周辺を覆い尽くす花は見事で

多くの観光客を魅了します。

楼門ろうもんは鎌倉時代にお寺を再興したときの回廊門で、

国宝に指定されて

屋根の反り具合などなかなか美しい建造物です。

このお寺のシンボルとなっている十三重の石塔ですが、

天平7年(735)聖武天皇の時、

平城京の鬼門鎮護のため堂塔を造営されたと伝えられています。

昭和39年の解体修理では、

石塔の五重目より中から

白鳳時代の金銅阿弥陀如来立像(秘仏)などが取り出され話題を呼びましたが、

秋に「特別寺宝展」として公開されます。


さて般若寺を出た道の反対側に

「植村牧場」という小さな牧場があります。

ここの牛乳は味が濃くて私のお気に入りです。

そして東に数分歩くと奈良少年刑務所があります。

ここは誰がみても刑務所とは思えない赤煉瓦の正門で、

ヨーロッパの中世封建時代の城や

礼拝堂の形式を取り入れて設計されたという

明治41年建造のままの威風堂々たる雄姿を目の当たりにすると、

やっぱり奈良は刑務所までレトロと感心してしまいます。


さらに南に歩いて行くと、

「北山十八間戸」という不思議な長屋風の建物があります。

鎌倉時代に、西大寺の忍性によって

般若寺の北東に造られたものが、

江戸時代に現在地に移り、

1693年に修築されたもので、

東西約37メートルあり、

内部は18室に区切られているそうで、

1室の広さは2畳ほどで

重病を患ったのべ1万8千人といわれる者に

衣食住を提供したという施設です。




さらに南西に向かって歩くと、

光明皇后稜、聖武天皇稜などがあり、

やがて興福院こんぶいんに着きます。

ここは浄土宗の尼寺で、

山門から見えるお庭は、素晴らしい感じですが、

事前許可が必要で、

何度電話しても通じたことがなく、

拝観を断念したお寺です。


さらに西へ行くと不退寺があります。

ここは在原業平ゆかりにのお寺で、

ここのご本尊は聖観世音菩薩ですが、

さすが日本歴史上きってのハンサムボーイの

業平さんが作ったというお像です。

なんと白い大きなリボンをつけておられ、

白いお顔で文字通り白面の貴公子です。

私は手塚治虫の「リボンの騎士」を思い出してしまいました。

そういう美女?の周りを固めるのが五大明王ですが、

これもなかなかいいものです。


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