第1章 奈良公園あたり 2 東大寺
興福寺のあとはやはり東大寺に行くことにしましょう。
興福寺から東に歩いて10分程度で
大仏殿前の南大門が見えるところにたどり着きます。
南大門は東大寺の総門で、
門も左右に配されて門番をしている金剛力士立像もともに
鎌倉時代のもので国宝です。
正面向かって左が阿形、
右が口を閉じた吽形であることを確認しましょう。
いわゆる阿吽の呼吸です。
阿から吽までで全ての文字が含まれる訳ですから、
宇宙すべてのものが含まれるということになります。
神社の狛犬などもほとんどがこの形をしています。
南大門をくぐるとそこは大仏殿があります。
大仏は正しくは盧舎那仏座像で国宝です。
NHKでは大仏開眼というドラマもやっています。
しかし仏像ファンの私としてはあまり興味はありません。
なぜなら天平時代で作られたものは膝と台座の一部で
お顔は江戸時代のものです。
そして大仏の説明を聞いていると
いかに大きいかというものが多いのです。
大仏殿はそのくらいにして.戒壇院へ行きましょう。
大仏殿のあたりはいつでも人が大勢いますが、
そこを西へわずか5分もあるくと
嘘みたいに静かな戒壇院があります。
戒壇院では四天王(国宝)が待っています。
天平時代の塑像の傑作ですが
やはり人気なのは広目天です。
やはり武器を持っていないで
男前なところが特に女性の心をとらえるのでしょうか?
次に人気なのは大河ドラマの影響もあって
多聞天(毘沙門天)でしょうか。
戒壇院を出て東に向かうとすぐに
「勧進所」がありますが
10月5日だけ「僧形八幡神坐像」と
「五刧思惟阿弥陀如来坐像」の特別開扉(無料)が行われます。
その後は二月堂に向かいましょう。
二月堂は有名なお水とりの行われるお堂ですが、
ここからの眺めも素晴らしいです。
二月堂の次は法華堂です。
法華堂は、一般には三月堂の通称で知られていますが、
堂内の仏像17体のうち9体が国宝、
14体が天平時代という
まさに天平仏像の殿堂とも言うべきお堂です。
三月堂本尊の不空羂索観音立像は迫力満点のお像です。
この背後にある黒塗りの厨子の中に、
北の方を向いて立っているのですが、
12月16日だけ拝観出来る秘仏執金剛神立像(国宝・塑像)があります。
法華堂を出ると
その東側に良弁をおまつりした
宝形造の小さなお堂の開山堂(国宝)があり、
同じ12月16日に特別開扉(無料)が行われています。
二月堂、三月堂があれば四月堂があります。
ここの千手観音様もなかなかいいですが
拝観料はとらないのが嬉しいです。
さらに開山堂から大仏殿に向かって降りて行くと、
鐘楼がありますが、
その北側に俊乗堂があります。
これは東大寺の再興を成し遂げたという
俊乗坊重源をおまつりしたお堂です。
7月5日の重源上人の忌日と、12月16日は特別開扉され、
俊乗上人坐像(国宝)、木造阿弥陀如来立像(重文・快慶作)、
木造愛染明王像(重文)が拝観できます。
東大寺の北側に正倉院がありますが
建物の外側は見ることが出来ます。
この校倉造の建物は長年、宝物を守ってきたわけですが、
校倉の利点として、
湿度の高い時には木材が膨張して外部の湿気が入るのを防ぎ、
逆に外気が乾燥している時は木材が収縮して
材と材の間に隙間ができて風を通すので、
倉庫内の環境を一定に保ち、
物の保存に役立ったという説がありましたが、
実際には、重い屋根荷重がかかる校木が伸縮する余地はなく、
現在はこの説は否定されているそうです。
しかし現存する奈良時代の倉庫としては
もっとも規模が大きく、
また、奈良時代の「正倉」の実態を伝える唯一の遺構として、
建築史的にもきわめて価値の高いものであることには
変わりはありません。
最後は転害門です。西北にあり、
吉祥の位置で害を転ずる意から転害門とも呼ばれ、
東大寺の創建時の遺構をとどめる唯一の門で、
国宝に指定されています。
しかしここまで来る人は少なく
一抹の寂しさを感じてしまいます。