第3章 西の京 2 菅原天満宮、喜光寺、垂仁天皇稜
西大寺駅から南へ15分ほど歩くと、
菅原天満宮があります。
祭神は天穂日命・野見宿禰・菅原道真ですが、
このあたり一帯はかつて菅原の里といい、
菅原道真を出した菅原氏は、
祖先がこの地に住んでいたことから
その名がつけられたものだそうです。
道真の母が菅原氏の本拠であるこの地に戻って
道真を出産した時に
神社の東にある池の水を産湯に使った
との言い伝えがあるそうです。
毎年6月25日には「鷽替え神事」があり、
「かえましょ」「かえましょう」の掛け声に従って、
そこに居合わせた者で
互いに御守りを交換しあうのですが、
たくさん交換したほうが「嘘」が「まこと」に変わるとかいう話です。
天満宮のすぐ西隣りには喜光寺がありますが、
この寺もかっては菅原寺と呼ばれていたのだそうです。
このお寺は薬師寺唯一の別格本山で、
天平時代に東大寺の大仏建立の勧進をされた
ことでも有名な行基菩薩が養老5年(721)に創建したお寺です。
行基菩薩は東大寺大仏殿を建立する時、
喜光寺の本堂を参考にしたと伝承され、
現在も本堂は「試みの大仏殿」と呼ばれています。
しかし当初の伽藍は火災で焼失し、
本堂は室町時代に再建されたものだそうですが、
堂々とした建築です。
ご本尊は丈六の阿弥陀様(平安時代、重文)で、
三尊そろった素晴らしいお姿です。
南大門も焼失してそのままとされていたのが、
平成22年に
2階建ての丹塗りの堂々とした桜門が復活しました。
さてここから薬師寺に行くことにしますが、
西大寺駅に戻るよりも
10分ほど東南に歩いて「尼ヶ辻駅」の方が近いので
そちらから向かいましょう。
途中に垂仁天皇稜が右に見えてきます。
全長227mの前方後円墳で
広い周濠が印象的な綺麗な古墳です。
周りの濠に浮かぶ小島は、
田道間守の墓といわれています。
日本書紀によると、田道間守は、
天皇から「常世の国から橘をもってくるよう」
指示をうけて、
苦難の末やっと
常世の国(現在の韓国済州島と言われる)から帰ってきますが、
そのときすでに垂仁天皇は亡くなっていて
その悲しみのあまり彼は天皇陵の側で死んでしまうのですが、
人々は、これを悼み、
天皇陵の側に橘の木を植えたといいいます。
この故事から、
御所には「右近の橘」が植えられる様になった
と聞きました。
この垂仁天皇稜は
近鉄線の「尼ヶ辻駅」から「西の京駅」ぬ向かう時に
西側の窓から良く見えるので
今度見てみてください。




