第26話 幻
喰影獣の影が、空間そのものを歪めた。
踏み出すたび、地面が“沈む”。
否――沈んでいるのは、カイトの感覚だった。
(重い……! 足が……!)
恐怖が、意思を縛りつける。
剣を握る指が痺れ、呼吸が浅くなる。
喰影獣の無数の眼が、一斉にカイトを捉えた。
――ギィ……ギギギ……
脳内に、直接“声”が流れ込んでくる。
『逃げろ』
『お前は弱い』
『また、守れない』
「……ッ!」
膝が折れかけた、その瞬間。
「踏み止まれ、カイト」
アルトリアの声が、鋭く空気を断った。
「それは“敵”じゃない。
お前自身の恐怖だ」
アルトリアは喰影獣の爪を受け流しながら、言葉を投げる。
「逃げたいと思うな。
“怖い”と認めろ。
その上で、立て」
「……っ!」
喰影獣の影の触手が、カイトの足元を掴んだ。
――ゾッ……
冷たい感触が、皮膚を越えて精神に侵入してくる。
(まずい……!)
アルトリアが一瞬、視線を向けた。
「カイト!」
「わ、分かってる……!」
カイトは歯を食いしばり、剣を地面に突き立てた。
(怖い……!
逃げたい……!
でも――)
脳裏に浮かんだのは、これまでの敗北。
何もできなかった自分。
そして――アルトリアの背中。
(また……置いていかれるのか……?)
その問いが、胸を刺した。
「――嫌だ……!」
叫びと同時に、カイトは剣を引き抜いた。
影の触手が、霧のように弾け飛ぶ。
「……!?」
喰影獣の動きが、わずかに止まった。
アルトリアの目が、見開かれる。
「……今のは……」
カイトの身体から、微かな光が溢れていた。
【特性:無限の可能性】
──恐怖耐性(仮)が発現──
──精神干渉への抵抗値が上昇──
(……頭が……クリアに……)
恐怖が消えたわけじゃない。
だが、“飲まれなくなった”。
「……見える……」
喰影獣の身体。
影の流れ。
どこが“核”なのか。
「アルトリア……!」
「分かっている」
アルトリアは一歩、前へ出た。
「よく立ったな、カイト。
今の一歩で――第三層の条件を一つ、満たした」
喰影獣が怒りの咆哮を上げる。
影が渦を巻き、巨大な爪となって振り下ろされた。
「来るぞ!」
アルトリアが迎撃する。
剣と影がぶつかり、衝撃が空間を震わせる。
だが――
(今なら……!)
カイトは、初めて“自分から”踏み出した。
アルトリアの背後を抜け、影の流れを見極める。
「核は……あそこだ!!」
「――よく見ている」
アルトリアが、ほんの一瞬だけ口角を上げた。
「だが、まだだ。
お前が斬るには――届かない」
「分かってる!」
カイトは剣を構え、影の核へ向けて振り下ろす。
刃は、途中で止まった。
だが――
影が、確かに“揺らいだ”。
喰影獣が悲鳴のような音を発する。
「十分だ」
アルトリアが、低く告げた。
「今のは“攻撃”だ。
お前はもう、観る側じゃない」
次の瞬間。
アルトリアの剣が、閃光となった。
一閃。
喰影獣の影が、縦に裂け、空間ごと崩れ落ちる。
――ギャァァァ……!!
影が霧散し、第三層の圧迫感が消えていく。
静寂。
カイトは、膝をついた。
「……はぁ……はぁ……」
アルトリアが、剣を納める。
「よくやった」
短い一言。
だが、それは今までで一番重かった。
「これで第三層の“入口試練”は突破だ」
「……入口……?」
「そうだ」
アルトリアは前を見据える。
その先には、さらに深い闇が広がっていた。
「殺意の森は、まだ半分も終わっていない」
カイトは、震える手で剣を握り直す。
恐怖は、まだある。
だが――逃げたいとは、思わなかった。
(……俺は……進んでる……)
その確信だけが、胸に残っていた。
第三層《渦層》の本番は――
これからだった。




