20話 森
――息を吸え。
――殺意を感じろ。
――考えるより先に、身体で避けろ。
アルトリアに叩き込まれた教えが、森の中で脈打つように響いた。
カイトは木々の間を走り抜けながら、背後から迫る“獣のような気配”に全神経を張り巡らせていた。
ズドッ!!
黒い影が襲う。
反射的に横へ転がる。
数瞬遅れれば、体を真っ二つにされていただろう。
「はぁ……っ! こ、この森……マジで殺しに来てるじゃねぇか……!」
息を整える暇もない。
今度は左右から殺意が走る。
身体が勝手に跳ぶ。
自分の意思より速く、体が動く。
――成長している。明らかに。
殺意が、恐怖を越えた瞬間だった。
カイトの耳が微かに動く。
木の上から、何かが落ちてくる音。
「そこだッ!!」
カイトは地を蹴り、振り下ろされる黒影をギリギリで回避する。
落ちた影は地面にめり込み、砂煙が舞った。
そしてその影は、全貌を現した。
それは巨大な狼のような魔物――いや、“殺意の森の番犬”とも言える存在だった。
毛は墨のように黒く、目は血のように赤い。
ただ立っているだけで、この森の危険度が跳ね上がる。
「……なんでこんなのが、普通にウロついてんだよ……」
カイトの喉が鳴る。
しかし――逃げない。
逃げるという選択肢は、もうカイトの体に存在しなかった。
むしろ胸の奥に、燃え上がる感覚がある。
(俺は……強くなるんだよ。ここで負けるわけにはいかねぇ!)
狼が唸り声を上げる。
殺気が刃のように飛んでくる。
だがその瞬間――
カイトの“何か”が弾けた。
視界が極端に広がる。
音が、鮮明に聞こえる。
森の葉が揺れる一つ一つの方向までも読み取れる。
『……これ、アルトリアが言ってた“気配感知”の初歩……!?』
それはまだ完全ではない。
だが、今までとは明らかに違う“感覚”だった。
「来いよ……!」
カイトは拳を握りしめ、番犬に向かって踏み込む。
狼が跳ぶ。
牙が閃く。
爪が降り下ろされる。
そのすべてが――見える。
「ぐっ!!」
カイトは滑り込むように回避し、狼の腹へ拳を叩き込んだ。
小さくはない衝撃。
だが――倒れない。
むしろ狼は怒り、次の瞬間にはさらにスピードを増して襲いかかる。
ガァァァッ!!
「――っ!?」
避けきれない――そう思った瞬間。
シュパッ!!
横から飛んだ何かが、狼の動きを止めた。
鋭い斬撃。風のような速さ。
木の上に立つ影――アルトリアだ。
「そこまで。よく耐えましたね、カイト」
「ア、アルトリア……ッ!」
彼女の声は淡々としているが、ほんの少しだけ誇らしそうだ。
「殺意の森の番犬を相手に、ここまで粘れる新人は……普通いませんよ?」
「……いや、マジで死ぬかと思った……」
「死んでいませんから合格です」
アルトリアは軽く剣を振り、残った血を払う。
「まだまだ、これからですけどね」
「……マジで鬼だな、あんた」
「副団長ですから」
淡々と言う彼女に、カイトは乾いた笑いしか出なかった。
だが胸の奥に、はっきりとした実感がある。
――俺は確実に強くなってる。
アルトリアは背中を向ける。
「次のステージに移ります。本番は、ここからですよ」
「こ、これよりキツいのかよ……!」
「当然でしょう。あと四日で“殺意の森の中核”まで連れていきます」
「中核……?」
アルトリアは振り返らないまま答える。
「魔王軍の中隊長と同じ“質”の殺意が渦巻く場所です」
その瞬間、森の奥から――獣とは違う、もっと濃い“何か”の気配が流れてきた。
背筋がぞくりとする。
だが、不思議と……怖くはなかった。
(やってやるよ……!)
拳を握りしめたまま、カイトはアルトリアを追った。




