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第1話 『普通の人生』

──普通の人生とは、どういうものだろう。

 少なくとも、普通の人はこんな事は考えない。


 面接官が痺れを切らしたように、机を指でカタカタ鳴らした。


「……しかしこれ、本当に君が? まるで本物みたいだな」

 

 私は目線を落として、また黙り込む。

 少し間を置いて、面接官はため息を隠した。


「……君の絵の才能は本物だ。これほどの技術があれば、きっと素晴らしい事を成せるだろうに、魔法が……ねぇ」


 胸が締め付けられる。

 魔法。やはりその話になる。


「魔法が使えないとなると、社内での打ち合わせや各社とのやり取りに支障が出る。魔法石での通信が基本だし、契約書の魔法認証もあるからねぇ」


 私はまた視線を落とす。

 今度ははっきりとした溜め息が返ってきた。


──普通の人生とは、どんな気持ちなのだろう。

──私が普通じゃないから、それを送れないのだろうか。


 両親からは十分すぎるほどの愛情をもらってきた。

 父がくれたスケッチブックに夢中になった頃の私を、父と母は驚きながらも、いつも褒めてくれた。

 絵は嫌いじゃない。楽しい瞬間や、美しい風景を、いつでも思い出せる。


──思い出すな。

──誰かのせいにするな。



 8年前を思い出される。

 生まれて直ぐに、私が魔法が使えないと判明してから街や村の更にずっと奥。

 人目の付かない場所に3人で住んでいた。

 友達はいなかったけど、お父さんと私にしか分からない言葉を作って遊ぶのが好きだった。

 お母さんは変だと笑っていたけど、私は気に入っていたし、こんな日々がずっと続くと信じていた。


 2年後、嵐の夜。

 父の友人マーカスが、青い顔をして駆け込んできた。


「ダリオは……職務中に……すまない、もっと早く駆けつけていれば……」


 母はその場に崩れ落ち、私はただ立ち尽くすしかなかった。

 その日を境に、私は声を失った。





「……あの、聞こえているかな? 申し訳ないが、今回はご縁がなかったということで」


 立ち上がろうとした時、面接官が声をかけた。


「あ、ちょっと待ってくれ」


 私は振り返る。


「君のような境遇の子に、良い働き口を紹介できるかもしれない」


 差し出された名刺には「夜蝶亭」とある。歓楽街の店。

 血の気が引いた。どういう店か知らないはずがない。

 私は慌てて名刺を机に置き、激しく首を振った。


「おいおい、何を気取ってるんだ?」


 面接官の声が急に冷たくなる。


「魔法も使えない、話すこともできない。お前にいったい何の仕事ができるってんだ?」


 私は必死に首を振り続けた。


「現実を見ろよ。お前みたいな欠陥品が、まともな職につけるわけないだろう」


 面接官が立ち上がり、私を見下ろす。


「唯一の取り柄は、その顔と若い体くらいだろう。それを活かさないでどうする?」


 涙がこみ上げた。

 人としても、女としても、完全に否定された。


「母親も病気なんだろう? このままじゃ医者にもかかれない。家賃も払えない」


 にやりと笑みを浮かべる面接官。


「お前なら、最低でも一晩で家賃二月分は稼げる。母親の薬代もすぐに工面できる」


 違う。そんなことは絶対にしたくない。

 父が見ていたら、どう思うだろう。

 私は名刺を置いたまま、逃げるように部屋を出た。


「逃げてもしょうがないぞ! 現実は変わらない!」

「そのうち分かる! お前に他に道はないってことが!」


 声が背中に突き刺さった。





 廊下に出ると、冷たい空気が頬を刺した。

 足がふらつく。胸が苦しい。

 また同じ。

 また同じ結果。

 ここ一週間で七度目の不採用。


 一社目:「魔法適性がないと、お客様対応が……」

 二社目:「やはり通信魔法は必須で……」

 三社目:「魔法無効体質では、同僚に迷惑が……」

 四社目:「申し訳ないが、うちでは……」

 五社目:「魔法石通信ができないと……」

 六社目:「話せないのでは、接客は……」

 そして今日の七社目。最悪だった。


 街の中央広場の噴水前で、私はベンチに腰を下ろす。

 フードを深く被り直した。

 昨夜も、母は咳き込んでいた。 洗面器に散った赤い斑点を拭き取った。


「大丈夫よ、少し風邪をひいただけ」


 母はそう言って笑った。

 その笑顔が痛々しくて、見ていられなかった。

 半年ほど前までは洋裁店で働いていた母も、病が進み、針を持てなくなった。


「シュリが大きくなるまで頑張らなきゃ」

 と言ってくれた母は、今は食事すら私に譲るほど痩せてしまった。


 医者の診察代は銀貨三枚、薬まで入れれば八枚。

 手元にあるのは銅貨十六枚。

 到底届かない。

 家賃の催促状もまた届いていた。

 今月末を越えれば、住む場所を失う。

 通りすがりの人々の会話が耳に入る。


「あの子、また座ってるわね」「魔法が使えない子だって。可哀想に」「でも近づかない方がいい。不吉なんだから」


 聞こえているのに、聞こえないふりをするしかない。

 言い返そうとしても、声が出ない。





 噴水の水音を聞いていた時だった。


「きゃあ!」


 悲鳴。

 視線を向けると、商人風の女性が倒れ込み、フード姿の小柄な影が駆け去っていく。


「財布を盗まれました!」


 私は立ち上がっていた。

 考えるよりも早く。

 路地を抜けて走る。 だが小柄な影は速く、すぐに見失った。

 肩で息をしながら立ち止まった時。


「そこのお前、止まれ」


 背後から声。

 振り返ると、治安維持局の制服を着た青年がいた。

 十八歳くらいの真面目そうな顔立ち。


「君だな、財布を盗んだのは」


 私は慌てて首を振った。

 だが青年の表情は動かない。


「目撃証言と一致する。小柄で、フードを被っていた。それに……」


 青年は私を見下ろした。


「魔法無効体質の者は、生活に困って犯罪に走ることが多い。統計的事実だ」


 胸が痛んだ。

 まただ。


「取り調べは署で行う。ついて来い」


 スケッチブックを出そうとしたが、制された。


「証拠隠滅の可能性がある。押収する」


 唯一の道具を奪われた。

 もう何もできない。





 留置所の石壁は冷たく、鉄格子は重々しい。

 青年──ディエゴ・マルケスと名乗った──が、机越しに座っていた。


「名前は?」


 首を振る。必死に身振りで伝えるが、眉をひそめられるだけ。


「黙秘か。魔法無効体質の犯罪者によくある」


 違う。そうじゃない。

 けれど声が出ない。

 魔法石を当てられる。 冷たい。反応なし。


「やはりか。魔法も使えない……これで確定だな」


 胸が潰れそうになった。

 母はどうなる。

 家も薬も、全部失う。

 その時、扉が開いた。


「ディエゴ、何してるんだ?」


 無精髭の男が入ってきた。

 髪はぼさぼさで、面倒そうな顔。


「ガルドさん? どうしてここに」

「リィナから連絡があった。スリ事件の目撃者が仲寄屋に相談に来たんだ」


 男は私を見やり、言った。


「で、こいつが犯人か」

「状況証拠が揃っています。魔法無効体質で、現場にいて、黙秘を続けていて……」

「そうか。馬鹿か。」


 吐き捨てるような声。


「こいつは話せないんだ」

「え?」

「見りゃ分かるだろう。必死に伝えようとしてる。犯人ならもっと堂々とするか、諦めてる」


 ガルドさんが近づく。


「筆談はできるか」


 涙があふれそうになりながら、私は頷いた。


「ディエゴ、紙とペンを」

「でも……」

「いいから出せ」


 差し出された紙に書く。


『私は犯人ではありません。話せないので、筆談で失礼します。シュリエル・オルデンといいます』


 ディエゴさんの表情が揺らいだ。


「……話せない?」

『父を亡くしてから、声が出なくなりました』

「……そうだったのか。申し訳ない」


 頭を下げた彼を見て、胸が少しだけ軽くなる。

 そこへ、栗色の髪を上品にまとめた女性が入ってきた。

 胸元の秤の形のバッジが光る。


「店長、調べてきました」

「リィナか。で?」

「犯人は小柄でフードを被っていましたが、獣人族の尻尾が見えたと」


 ガルドさんが肩をすくめる。


「こいつに尻尾はないな、何なら脱がせるか?」


 ディエゴさんの顔が青くなる。


「完全に人違いでした……本当に申し訳ありません」


 安堵が広がり、涙がにじむ。

 リィナさんが微笑んだ。


「大変でしたね。私はリィナ。仲寄屋という調停事務所で働いています」

『シュリエル・オルデンです。本当にありがとうございます』

「オルデンさんね!」


 リィナの視線がスケッチブックに止まった。


「もしかして、絵を描かれるんですか?」


 私は頷き、スケッチを開いた。

 噴水の風景、人々の表情。


「これ……まるで本物みたい。今にも動き出しそう」


 ガルドも覗き込み、目を見開いた。


「……面白ぇ」


 彼はそう言って、私をまじまじと見た。


「疑いは晴れた。帰るぞ、リィナ」

「はい。オルデンさん、本当に大変でしたね」


 二人の優しい声に、久しぶりに人の温かさを感じた。

 街に戻る道すがら、胸に小さな光が灯る。


──話せない私にも、できることはあるのだろうか。

──普通というものを、私はいつか知ることができるのだろうか。

【第1話 完】

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