それでも、猪狩さんは食堂が好き
猪狩 出さん。
どんな場面でも言葉は少なめ、しかも口調は鋭い。
「別に」「いらない」「普通で」が口癖。
常に眉間に皺を寄せ、食堂でも
猪狩:「中盛り……で。」
田中:「はい喜んで!」
猪狩:「……うるさい」
そんなやりとりが、日常の光景。
周囲の社員も「猪狩さんは一人が好き」と思っていた。
だがある日、厨房リーダーの中村さんがふと気づいた。
張り紙の“ごはんの量、迷ったら中盛り”を、
猪狩さんは毎回、注文の直前にじっと見ている。
また別の日。佐藤さんのいない日にスタッフが盛り付けをしていた。
緊張してお盆をひっくり返しそうになると
猪狩:「……落ち着け」
スタッフ:「は、はいっ!」
返却口では、誰も見てないと思ってるのか、
猪狩さんがトレーを静かに拭いている姿も見かけられた。
そんなある日、食堂に突然、あの張り紙が貼られた。
「そっけなくても、毎日来てくれる人、厨房はちゃんと見てます」
― 中村より
その張り紙を一瞥した猪狩さん。
その日はなぜか、いつもより一言多くこう言った。
猪狩:「……あの……今日の味噌汁、うまかった。」
佐藤(戻ってきていた):「え、えっ、あ、ありがとうございま……!」
その瞬間、厨房の誰もが手を止めた。
中村さんは、その言葉を書き留めたメモをポケットにしまった。
■あとがき:
ツンケンしていても、無口でも、
食堂に通い続けるその姿が、何よりの“好き”の証拠。
心は見えない。でも、毎日の足取りは、何より雄弁だった。




