まねっこ申告の男
**「流される人」**でありながら、時に周囲の“鏡”として機能する、不思議な存在。
日々の選択を他人に委ねながら、それでもそこに「人間らしさ」が宿る
昼休み、三人組の男子社員が食堂に現れる。
リーダー格の木村、お調子者の坂井、そして最後に並ぶのが、森田。
森田は毎日、こうして並び、
前の人とまったく同じ申告をする。
「大で!」(木村)
「じゃあ、俺も大盛りで!」(坂井)
「……大盛りで」(森田)
別の日
「小盛りで、胃が重くてさ」(坂井)
「あ、小でお願いします」(木村)
「……小盛りで」(森田)
厨房係の佐藤さんは、ある日ふと口にした。
「森田さんって、いつも“合わせてる”よね」
浜崎(研修明け)が小声で返す。
「“合わせる”のが、彼なりの意思かもしれませんよ」
実際、森田は仕事中も「特に反対はないです」とよく言う。
会議では誰かの案に頷き、飲み会の店も「どこでも」と言う。
自分で選ばない。けれど、いつもそこにいる。
ある日、坂井がインフルで休んだ。
木村:「中盛りで」
森田:「……」
厨房:「……?」
森田は、1秒ほど空を見たあと、口を開いた。
「じゃあ……中盛りで」
厨房がざわついた。
翌日、今度は木村が会議で遅れた。
坂井:「今日こそ小盛りで!」
森田:「……じゃあ、小で」
数日後、二人が並んで注文した。
木村:「大盛り!」
坂井:「中で!」
厨房が森田を見た。
彼は、微笑んで言った。
「……じゃあ、中盛りでお願いします」
佐藤さんは、その日厨房でこうつぶやいた。
「“じゃあ”に、自分が混ざった気がしたよね」
浜崎が笑って言った。
「“合わせてる”ようで、“探してる”のかもしれませんね。
自分の腹具合と、居場所と、誰かとの距離感と」
■あとがき:
自分の意思がない人なんて、ほんとうは存在しない。
ただ、“選ぶ言葉”を持たないまま、
日々を“誰かの言葉”で通り抜けている人がいるだけ。
それでも、「一緒に並ぶ」ことは、
彼なりの意思表示なのかもしれない。
今日もまた森田は、誰かの後ろで静かに言う。
「……じゃあ、それで」
それが、彼にとってのたしかな一歩なのかもしれない。