プロローグ 終電が出発する前に
蛍光灯の白い光が夜更けのオフィスを無機質に照らしていた。ディスプレイの端に貼った付箋には「あと 1 週間」と赤ペンで殴り書きされた納期。佐倉悠斗はネクタイを緩め、乾いた瞳でコンパイルログを眺めていた。
「……警告ゼロ、ビルド成功。だけどバグ票は三十七件か」
明け方に近いはずなのに社内はまだざわめいている。背後の休憩スペースでは同僚がエナジードリンクを空け、聞き慣れた開発用語とため息が交錯していた。
悠斗は腕時計を見た。午前四時四十八分。終電どころか始発の時間が迫っている。――どうして俺は、こんな生活を続けているんだろう。
質問は毎晩浮かび、毎晩流してきた。しかし今日は違った。胸の奥に張り付いた倦怠感が、ふいに警告音のように高鳴ったのだ。
視界が斜めに揺れる。椅子から立ち上がろうとした瞬間――プツン、と世界が音を立てて切れた。
◆
次に目を開けたとき、頭上には深い藍色の夜空が広がっていた。満天の星々が現実味を失わせるほど眩しい。頬を撫でる風はどこか甘い香りを含み、冷たい石畳の感触が背中に伝わる。
「……ここ、は……?」
起き上がった悠斗の脳裏に、システム音のような声が響く。
《転移完了。個体識別コード“サクラ・ユウト”──固有スキル《自動最適化》を付与》
それは疲労で壊れた頭が生み出す幻聴ではなかった。淡い光が掌に集まり、彼の人生を変える冒険のロードマップが静かに開かれた。