宿敵 ――「二人の真実【後編】」
このお話は前話、「先輩 ――二人の真実【前編】」の続きとなっております。ご注意ください。
依頼人を怒らせるという最大にして最悪のミスを犯した僕ら。その後はそのまま、道のど真ん中でひとしきり怒られて、二人とも大いに反省させられた。どんな怒られ方をし、どのぐらいの時間がかかったのか等は、あえて言わない。話せば作者の首が物理的な意味で飛ぶとか、そういう訳でも決してない。……多分。
強いて言えば、それを初めてくらった龍貴は勿論放心状態だったし、何度か叱責されているはずの僕でさえ、しばらく立ち直れず、
「ごめんなさい真帆様もうしませんごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
という状態だった。こう表現すれば、少しは威力を感じ取ってもらえるだろうか。また、そのすさまじさから、町内では“聖母の雷”としてある種の名物になっている、という事も付け加えておく。
僕らが口を聞けるようになった頃、早速報告会をかねた作戦会議は開かれた。と言っても、今回得られたまともな情報は、現場を見て分かった侵入・逃走ルート候補と、予告状のコピーだけだったが。
相変わらず気障ったらしい、予告状の中の予告状の文面は、以下の通りだった。
≪ごきげんよう。この度、めでたくも数ある候補の中から、貴殿らの宝石商がこの私、セゾンの標的になった。これは誇るべき事である。おそらく、私が狙ったというだけで宣伝効果は抜群だろう。店の名前は全国に轟き渡る事請け合いだ。傾き、奈落の底へと誘われつつある貴殿らとしては、これ程喜ばしい事もなかろう。
その代わり、と言ってはなんだが、少々報酬として対価はいただいていく。案ずる事は無い。貴殿らの手を煩わせる事など無く、私は流麗に、かつ勝手に、煌めく輝きを放つ宝石を我が手にする。勿論、私の手にわたる事で、文字通りの宝の持ち腐れにならない事だけは保障する。その点においては、杞憂など無意味である。
では、次に月が満ちる時、漆黒を携えて参上する。くれぐれも、貴殿らが狙われた意味をお忘れなきよう。
怪盗セゾン≫
「この文面……。セゾンに間違いはなさそうね。やっぱり、模倣犯の線は考えなくて良さそうだわ」
読み終えた真帆姉の感想は、三人の意見を代表するものだった。僕も異論は無かったので、同意を示す。
「ありとあらゆる可能性を考慮に入れる、ってったって、まぁ零に近ければ外して構わないだろうね」
「……って事は、俺達に出来る事って」
「当日の警備」
「しかないでしょうね」
はぁ、と龍貴が溜息をつくが、相手が怪盗セゾンで、その尻尾すらつかめない僕らには、もはやそれしか出来る事はなかった。
「じゃあ、早速決めちゃうわね」
先程の叱責とは打って変わって、僕らを鼓舞するように明るく言う真帆姉。二面の顔を切り替えるように使い分ける彼女、果たしてどちらが素なのだろうか……。比較的長い付き合いの僕でも、こればっかりは分からない。
それは兎も角として、こと策略を練る事に関しては、真帆姉の右に出る者はいない。今回も少ない人数で出来る限りの戦略を、仲間に授ける。
「警察も、それから彼らが雇った警備員も沢山いるんだろうから、私達は可能性の高い所をばらばらに守るしかないわね。ヤマを三カ所はるってとこかしら? そして、これが最も重要よ。いい? 何があっても、私達は持ち場を離れない事」
「例え、セゾンが現れたとしても、ですか?」
「ええ。何があっても」
物音がすれば、そこに駆けつけたくなるのが人間心理という奴である。しかし、そんな事は他人に任せておけばいい。自分達が出来る事はあくまでも、出入り口をふさぐ事、ただそれだけなのである。
龍貴はこのやり方に不満があったようだが、他ならぬ所長の言葉である。素直に従う事にしたようだった。
もっとも、二年も相棒を務めた僕にとっては、この方法はもはや鉄板だったので、
「玄関は僕がやるよ。おそらく、今回もセゾンが来るとしたらそこだろうからね」
と、真帆姉が張るであろうヤマの位置まできちんと把握して、答えた。
「そうねー。じゃあ四階の中の階段を私、外付けの非常階段をたっちゃん、で良いかしら?」
「良いんじゃないかなー?」
ここで龍貴は、“私”という言葉が出てきた事に驚いたのだろう。普段はほとんど外には出ない、安楽椅子探偵に尋ねた。
「え? 真帆さんが動くんですか?」
「失礼ねー。これでも所長よ? いざとなれば、私だって出るわ」
それは、この件がそれだけ重要なのかを彼が知るのに、充分な答えだった。
「じゃ、僕もこれで」
「とらちゃん」
働き詰めで疲れ切った龍貴を先に家に帰し、残った事務的な処理を二人で終わらせ、僕も帰ろうとした時、真帆姉がそれを呼び止めた。
「なぁに?」
――なんか、様子が変だな。
いつもならまたね、と明るく言ってくれるのに。先程自分を呼んだ声がかなり真剣な響きを含んでいる事に、僕は気が付いていた。それでいて、自分は通常通りの受け答えをしたのである。
振り返ると、そこには普段の温かい笑顔は無く、憂いを秘めた瞳が、じっとこちらを見つめ返していた。
「気をつけてね」
そのたった一言に、彼女の様々な思いが込められている。そう、僕は直感した。
「……うん」
にもかかわらず、僕に出来た事は、短くうなづく事だけだった。
そして、ついにセゾンが予告した日がやってきてしまった。
探偵事務所の面々は当然のこと、警察の方もどうやらセゾンにつながるような手掛かりは発見出来なかったようだ。それもあってか、当日は物々しい警備が敷かれた。いや、警察官及び関係者はそれほど見受けられないのだが、例の私設ボディーガード達の黒スーツ軍団があちらこちらに配備されているので、まさにアリのはいでる隙もない、という完璧な布陣が完成したのである。
「これで、セゾンが潜り込もうとも安心ですね」
展示室につけた監視カメラの映像を、その下の四階で見ている社長のそばに寄り添って、なんとかご機嫌をとろうとしているのは秘書である。
「ああ。のこのこ現れた所をとっつかまえて、儂のコレクションを狙おうとした罰を与えてやる」
「本当ですわ」
社長が腕を振り上げて殴るような動作をしたのを見て、おほほほほ、と夫人は張り詰めた緊張感に似つかわしくない笑い声を上げる。よほど余裕なのだろう。社長自身もつられて、ガッハッハと大笑いしている。雇われて彼らの警護をしている警備員は思わず、自分の職務を放り出して逃げ出したくなる衝動に駆られた。
――セゾンが狙った意味が、分かった気がするぜ……。
怪盗セゾン。昔はどうだかは知らないが、今のセゾンは、悪に染まった薄汚い金ばかりをかすめ取っていく。中には、こうやって警察沙汰にならず、そもそも存在していないような金が盗まれる事だってある。今回はたまたま、優秀な秘書のおかげで闇市との繋がりや、大物政治家との癒着等、後ろめたい部分が露呈していないからこそ、こうして大々的な捜査・警備が可能になっただけなのだ。
――どうせなら、あいつに盗まれた方が世の為人の為になるんじゃないのか……?
セゾンが盗みを働いたあとは、必ずどこかの慈善団体に同額の寄付が送られている。宝石を守り、依頼を全うし、セゾンと敵対するはずの警備員や警察関係者ですら、その意味を失いつつあった頃、突然ガラスの割れる音と共に、監視カメラの映像が途絶えた。
「なんだ今の音は!?」
真っ黒に塗りつぶされてしまったモニタにかじりつきながら、社長は慌てふためく。
「おそらく、展示室のガラスが一斉に割れたのかと!」
その部屋にいた誰かが、冷静に状況を把握する。
「くそう、ガラスケースの代金だって馬鹿にならないんだ……。おい、ちょっと様子を見てきたまえ」
警備会社の人間も信用していない彼は、自分の秘書に偵察に行くよう命令した。
「わ、私がですか!?」
「つべこべ言わずにさっさと行け!」
「は、はいー」
こんな時でも逆らえないのが秘書の悲しい性、といったところだろうか。危ないからとついていこうとする警備員もいたが、
「お前らは動くな! 動いた瞬間セゾンとみなして、牢屋にぶちこんでやる!」
という社長の身勝手な怒鳴り声に、その場に留まる事しか出来なかった。
「はぁ、仕方ないな……」
ぼそりと呟いた彼の口元は、心なしか笑っていたそうな。
何やら下が騒がしくなっているのには気が付いていたが、龍貴はそこを動こうとはしなかった。犯人はいずれ、ここを通る。それまで待機していなければ。そうは思っても、やはり気にはなるので、彼は必死に耳を澄まし、一体何が起こっているのか探ろうとした。その時、
「きゃああああああああああああああああああああああ」
耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
――まさか、あの声は真帆さん!?
突然の女性の声に動揺し、思わず其方へ駆けて行こうとした時、視界の端に何やら蠢くものを捉えた。
「しまった!」
やられた、と思い龍貴は急いで引き返した。大丈夫、奴の行きそうな場所は見当が付いている。
「逃がすかよ……」
彼は覚悟を決めると、全速力で走り始めた。
時はほんの少しだけ遡り、ガラスが割れた騒動の後の、四階にて。
「おい、どうしたんだ!」
秘書が様子を見に行ってから、もう十分は経過している。それなのに、一報も寄越してこないというのは不自然だった。
「誰か、あいつに連絡しろ!」
「それが、先程から掛けているのですが、繋がらず……」
「なんだと!?」
「まさか……」
『その、まさか、だよ』
皆の考えが最悪な方向に思い至った時、今まで見ていたモニターから、声が聞こえた。振り返ると、映像は途切れており、音声のみが聞こえる状況となっていた。
「いつの間に……」
「何をしている、さっさと行かんか!」
社長は腕を振り回し、警備員を焚きつける。
『はい!』
どたどたと混み合いながら、彼らは急いで展示室へと向かう。
「きゃああああああああああああああああああああああ!」
社長の苛立ちがピークに達した時、追い打ちをかけるように、夫人が悲鳴を上げる。
「今度はなん……」
なんだ、と言い放ちたかったのだろうけれど、流石の彼も口をつぐまざるをえなかった。何故ならば、いつの間にか監視カメラの映像が復活しており、そこには絶望という名の展示室が映し出されていたのだから。
ガラスケースは粉々に砕かれ、宝石という宝石は全て盗まれた後の、空っぽな空間が。
「くそっ……!」
血管が切れるのではないかという程の怒りと、本当に盗まれてしまったという喪失感で、社長は一歩も動けなかった。
龍貴が向かったのは、非常階段を下に、ではなく、上に行った屋上だった。定石通りなら、犯人は一刻も早く逃げ出そうとするため、この混乱に乗じて野次馬に紛れ逃げるつもりだと考えるのが普通だ。しかし、相手はあの、天下の怪盗セゾンなのである。
怪盗の脱出場所と言ったら、屋上に決まっている。
「……そこにいるのが、セゾンだと良いんだが」
そう考えて、自分の不安が現実にならない事を期待し、彼はドアを開けたのだろう。
「やぁ龍貴。来たね」
残念な事に、それは俺自身の存在が、ここに俺がいる事自体が、破り去ってしまったけれども。
誰かが近付いている事は、鳴り響いた足音で分かっていた。けれども俺はあえて、屋上の縁に座り、横目で龍貴を出迎えた。
ただし、今の俺は彼の先輩である穂村虎季ではない。黒を基調とした、家紋が入った上着。そして、動き易さを重視した、俺の髪の色に似た淡いオレンジ色のズボンを身につけている。俺が怪盗として活動する際だけに着る、仕事着だった。
そう。俺は怪盗セゾンとして、龍貴を迎えたのである。
「やっぱり貴方が……怪盗セゾン」
彼は、自分の推理が的中していた事を悟ったようだった。奇抜な格好をし、手には見るからに怪しい大きな袋、何より脱出用なのだろう、ロープを持っているのである。これで分からない方が不思議だ。
「でも、なんで……」
――貴方みたいな人が、セゾンなのか。怪盗などという、探偵とは相反する側の人間なのか。
龍貴にはきっと、俺に聞いておきたい事が山ほどあっただろう。
「その前に、何で俺がセゾンだと分かったのか。お前の推理を聞かせてもらおうかな」
でも俺は、それを許さなかった。動揺する龍貴を後目に、俺はいつもの飄々とした様子で、勝手に話を進める。どうせ、最後なのだ。最後ぐらい、探偵の先輩として、後輩の成長を見届けてやらなければ。
俺と押し問答をして勝った事のない龍貴は、とりあえず投げかけられた問に答える事にしたようだった。
「……行動ですよ。いつもの貴方らしくもない言動が目立ち過ぎです」
「ほう、例えば?」
この俺のはぐらかし方は、彼には白々しく映るだろう。当事者である俺は、その答えなど分かりきっているのだから。でも、こんな所で立ち止まっている余裕は、お互いに無い。遠くでサイレンの音が聞こえる。いずれ、ここにも警察がセゾンを捜しに来るだろう。
龍貴は、すでに頭の中でまとめていた考えを披露する。
「……ここに来た時、貴方は照明のスイッチの場所さえ分からなかった。それなのに、出入り口の場所だけはしっかりと把握していた。それだけじゃない。宝石商の関係者に話を聞く際、珍しく感情を荒げ、あろう事か依頼人を責めるような口調を使った。あれがひっかかったんです。いつもの虎季先輩なら、あんな事はしない。何故なら、貴方は茶化しながら、笑顔のまま相手の懐に入り込む天才だから」
他にも、色々裏で糸を引いてはいたのだが、そのぐらいこの後輩には分かりきっているだろう。それをこちらから白状するのは、無粋というものだ。
「天才、は言い過ぎだけどね。ふむ……。ちゃんと、見落とさなかった、ね」
ちなみに、あの秘書は俺の知り合いさ。ちょっと潜りこんでもらってたんだ、と長期にわたる計画だった事をさらりと暗示し、ここでようやく、俺は龍貴に向き合った。
「やっぱり、わざとだったのか……。なんであんたが、自分から捕まるような真似を」
「そこまでだ、龍貴」
それ以上言われたら、折角のポーカーフェイスが台無しになってしまう。言葉の勢いだけであれば、龍貴の方が勝っていたが、俺の今にも泣き出しそうな、悲しそうな顔を見た彼は、それ以上責めたてる事が出来なくなってしまったようだ。
卑怯なやり口だとは思った。だが、悪役はそういうものだと割り切り、目を見開いて彼に向き直る。
「何を、自分の顔に泥を塗るような事をしているんだい? いいか。君が推理の上、犯人が俺であるという結論に辿り着いた。これは紛れもない事実だ。お前は、俺がわざと捕まりやすいようにボロをこぼしたと思っているみたいだけど、それは違うよ。俺はそんな事はしていない。何故なら龍貴、俺はお前を信じていたからだ。周りはまだまだ未熟者だと言うかもしれないが、俺から見たら立派な探偵だよ。経験なんて、これからいくらでも積めるんだ。
探偵に大切な、物事を多面的に、そしてどんな事でも見落とさないよう注意して見るその観察力、それはもう備わっている。それから、一番大事な事、例え犯人が身内であろうと、親しい間柄であろうと、追及の手を緩めない事も……。そう、探偵とは、依頼を全うするのが仕事なんだ。この場合の“全うする”というのがどういう意味か、もう言わなくても分かるだろ?
だから、お前は己を誇れ。なんてったって、この俺、怪盗セゾンを捕まえた唯一無二の人間なんだから」
これが、先輩からの最後のお説教だよ、といつものように微笑んで、俺は口を閉じた。
しばしの間、俺達は無言で向き合っていた。そうする事によって、何かを感じ取ろうとしているみたいに。
だがその静寂も、後からやってきた刑事達に破られてしまう。
「穂村虎季、窃盗の現行犯で逮捕する!」
ガチャッ。
硬質な音を立てて、黒い輪が俺の腕にはまる。その様子を、龍貴はただ呆然と見ていた。
「……分かってもらおうとは、最初から思っていないよ」
そんな彼に、龍貴にだけ聞こえるよう、刑事達に連れられて立ち去る寸前、俺はぼそりと呟いた。聞こえていたかどうかは、定かではないけれど。
余談ではあるが、俺が去った事務所では、一輪ざしに活けてあった竜胆が、何故だか消えていたという。
+++
その後、この俺が大人しく牢に繋がれている訳も無く。俺は仲良くなった、そして使えそうな他の囚人達を引き連れ、脱獄した。
宿敵である俺――セゾンにとって、神城龍貴という探偵はどこまでもぬるい、甘ちゃんだった。推理力や行動力はまぁ見られるレベルだが、心が優し過ぎる。探偵の仕事は、何も正しい事ばかりじゃない。依頼主に後ろ暗い背景があったり、内容に法すれすれの事があるなんてざらだ。おそらく、近い将来、彼の心はそれに耐えきれなくなるだろう。
けれども、だからと言って、龍貴が僕を捕まえたただ一人の人間であるという事には変わりは無い。彼が僕にとって最大にして唯一の好敵手である事は、認めざるを得ない事実である。
それだけは、紛れもない真実だ。




