先輩 ――「二人の真実【前編】」
このお話だけ、前後編となっております。次話が後編となりますので、ご注意ください。
彼のたった一人の先輩弟子であるこの僕――穂村虎季からしてみれば、龍貴はただひたすらにまっすぐな、お人好しさんだ。
詳しくは知らないが、龍貴はお父さんである賢吾さんから、娘である真帆姉に託された、というかたらい回しにあって、事務所で働く事になったらしい。最初にそれを真帆姉から聞いた時にも、僕が抱いた感想は変わらなかった。すなわち、彼は真面目で愚直な青年であるのだろう、と。その考えは彼と接していくうちに、ほぼ確信に変わった。まぁ、それ自体は別に悪い事とも思ってはいない。それ自体、は。
一応、探偵の先輩である僕は、彼に物を教える立場だった。まぁ、僕から学んだ事なんて、雀の涙ほどしか無いのかもしれないけれど。ああ、でも、あの事件の時だけは、彼に色々教えてやる事が出来たかもしれない。
僕らがこの関係だった、最後の事件。あの時だけは。
*
世間を賑わす怪盗セゾン。奴は月下の元に突然現れ、数年栄華を誇ると、また消えていくとされる。
ちょうど三年前も、まさにセゾンが全盛期を誇っていた時代だった。毎週のように全国各地、どこかに現れたかと思えば、何かを盗み消えていく。その正体は謎に包まれているが、犯行後に盗品と同じ額だけ慈善団体に寄付されているので、現代のねずみ小僧、などと揶揄されていた。その手口の華麗さも相まって、彼の人気は測り知れず、警察も手をこまねいている状況だった。
そんな中、成田探偵事務所のほど近くにある宝石商に、予告状が届いた。その噂は勿論、彼らの耳にも入り、真帆が警察と話をつけ、僕らも捜査に協力させていただける事になった。無論、聞き込みに回って情報収集するのは、所員である僕と龍貴の仕事である。
この事件は、今まで猫探しや浮気調査しかさせてもらっていない龍貴にとっては、願ったり叶ったりだった。ようやく自分も、一人前の探偵として調査が出来る。しかも、相手はあの怪盗セゾン。これで浮かれない方が、無理という話であろう。
そんな彼を指導するのが、僕の役目ではあるのだが、けれども基本的にはそういう素振りは一切見せずに放っておいた。邪魔になりそうだ、あるいはあまりにも不謹慎であると思った時こそ、止めはしたけれど。
何故なら、僕は知っていたからである。探偵の仕事が、そんなに甘くはない事を。
「うがー、また空振りですか……」
歩き回って暑いのか、もう秋だと言うのに羽織っていたジャケットを脱いで小脇に抱え、ネクタイを緩めながら、龍貴は言った。一度も染めていないのであろう黒髪や、若干着崩しているとは言え、そこそこ身綺麗な、きちんとした格好をしている所を見れば、彼の真面目さがよく分かる。
「あはは、龍貴はまだ探偵になって日が浅いからねー」
対照的に、僕の方はまだ余裕である。まぁ、僕は彼とは違って、だぼだぼの長袖Tシャツにゆるゆるのズボンというラフな格好だからかもしれないけれど。でも、これでも探偵としては、龍貴よりも長く働いている先輩だ。……もっとも、生まれついて色素の薄いこの金がかったオレンジの髪や、茶色の瞳などが合わさると、どう考えても探偵には見えないらしいが。
龍貴が不満を漏らした今回の彼らの仕事は、予告状の消印、指紋、封筒やその紙に至るまで、一つずつセゾンに繋がる可能性をあたっていく事だった。彼は関係者への聴取や、過去に襲われた現場を調べたりしたがったのだが、それは警察の仕事である。一般人の彼らに出来るはずも無かった。それでも、やっと与えられた仕事だから、と最初は張り切っていたものの……。一件、また一件とあたり、その全てが全く関係の無い物だと分かるにつれ、足取りも重くなっていく。
そして、捜査開始から四日目にして、ついに根を上げた、という訳である。
「いや、それとこれとは話は別だと……」
なおも文句を垂れる龍貴。こういう地道な作業を嫌がるような子では決してないのだが、怪盗との対決という輝かしいイメージが捨てきれないのだろう。
そこで、僕は仕方なく、彼を諭す事にした。
「でも覚えておいて。これからどんな依頼があるか分からないけど、基本は変わらないよ。僕達は依頼を全うする。それが例え無駄足だと分かっていても、あらゆる可能性を当たり、一つの答えを導き出すんだ。探偵とはそういうものさ」
昔、自分にもそういう時があり、その頃、やはり先輩に教えられた事である。もっとも、まさか自分が同じ事をするなんて、思いもしなかったけれど。
「なーんて、賢吾さんの受け売りだけどね。もっとも、僕に言わせれば、それは刑事の考え方だと思うけど。真帆姉もそう言ってたしね」
真面目すぎるのは自分らしくないし、何よりちょっと照れ臭かったのもあって、最後はいつものようにお茶を濁した。
「へぇ……」
一方、それを黙って聞いていた龍貴は、憧れの大先輩の言葉をかみしめていた。
けれども違和感があったのか、こう僕に尋ねてくる。
「あれ? でもその割には、今回虎季さん、前線に出て積極的に歩き回っていますよね?」
――相変わらず、細かい所によく気が付く子だなぁ。
後輩の成長を頼もしく思いつつも、弱ったなと若干困惑した。しかし、隠すほどの事でもないし、第一、嘘をついたところでいずれ知られてしまうだろうから、僕は正直に話す事にする。
「あのビルは、僕にとって思い出深い場所でね。何かある度に来てしまう場所なんだよ」
隠せば全てを掘り返されるが、表面だけ見せてやれば、それ以上掘ろうという気はなかなか起こらないだろう。そんな人間心理を考え、僕は多くを語ろうとはしなかった。
それでも、熱い男の闘志を燃やすには十分だった。
「……必ず、セゾンを捕まえてやりましょう」
僕の大切な場所だという事を知り、龍貴は俄然やる気になったようだった。
「さぁ、次行きましょう!」
足取りに力強さが戻った。全くもって、可愛い後輩である。
「たーだいまー」
そんな訳で、やる気スイッチが完全に入ってしまった龍貴と、まぁ仕事が進むのは良い事だ、とそれにとことん付き合う事にした僕は、あと二日はかかるだろうと思われていた作業をその後八時間程で終わらせた。そして流石にへとへとになりながら、真夜中を通り越して早朝に、僕らは事務所へ帰宅したのである。
「おかえりー」
そう出迎えてくれたのは、ここの事務所の所長、真帆姉である。ロングスカートのすそを翻し、玄関へと早足で来てくれた。どんなに帰りが遅くなろうとも、ちゃんと待っていてくれる彼女。その温かな笑顔に、僕らの心は癒される。
「真帆さんごめんなさい、収穫ゼロでしたー」
何か手掛かりがあれば、と意気込んだだけに、龍貴はショックを隠せないようだ。ぐでっ、と事務所のソファになだれこむ。
「はいはい、落ち込まない落ち込まない。すぐ、何か作りますからねー」
警察がわざわざ仕事を回してくるという事は、可能性が低いという事。それを承知だった彼女は、さほど落ち込むような素振りも見せず、キッチンへと向かう。真帆が常にカフェエプロンをしているのには、いつでも料理が出来るようにという意味合いもあった。
程なくして、卵の焼ける良い匂いがした。
「わー、オムライスだ! 僕大好きなんだよねー」
思わず、子どものようにはしゃいでしまう。僕の方も、全て承知の上でやっていたので、龍貴には悪いが大して落胆はしていなかったからだ。
「そうなの? 良かった」
それに、僕が笑うと真帆姉も笑顔になってくれる。それが嬉しくて、ついついにやけてしまう。
「ほーら、たっちゃん! いつまでしょげてるのー? ご飯が冷めますよー」
しばしの間はそこから動けなかった龍貴だが、ぐるるるる、と腹の虫が鳴いた所で、大人しく席に着いた。あれから一度も食事をとっていなかったのだ。そりゃあ、腹も減るだろう。
『いっただっきまーす』
ガツガツガツ、という音を立てながら、皿の上のオムライスは瞬く間に消えていく。
「うん、おいしい。流石、真帆姉は料理も上手いね」
「まぁ、褒めたって何にも出ないわよ?」
そんなちょっとした掛け合いも、空腹の龍貴には聞こえないようだ。彼は無心でほおばり続けている。
これを好機にと、僕はちょっと気障な事をする気になった。
「あははー。っと、そだ真帆姉。おみやげー」
「?」
すっと両手を広げ、何も持っていない事をアピールすると、左手を握りしめ、右手をその上にかざす。
「あん、どぅー、とろわ!」
お決まりの掛け声とともに僕が手の中から取り出したのは、一輪の竜胆だった。まだ腕がなまっていないようで何よりである。
「まぁ、綺麗」
彼女は手渡された花を両手で受け取ると、しばしの間それに見入っていた。
「真帆姉に似合うと思ってねー。さっき摘んできたんだよー」
道端に咲いていた、濃い紫色の花。絶対に彼女に似合うと、そんな確信があったのだが、まさか今日の服装――淡い紫を基調としたワンピース、にまで映えるとは思わなかった。龍貴にいぶかしげな顔をされながらも摘んできた甲斐があったというものである。
「嬉しい。ありがとね、とらちゃん」
すごく幸せそうに、真帆姉は微笑んでいて。捜査が行き詰ったという深刻な闇は、その光に照らされて、どこかに飛んでいってしまう。
しかし、これで僕らに出来る事は終わってしまった。もはや打つ手なしか、誰もがそう思った。間近に迫る敵を追い詰められる鍵を、その時の僕らは持っていなかったのだから。
だが翌日、困り果てた僕らにとっては嬉しい客が、事務所に姿を見せた。
「私、こういう者です」
早朝にもかかわらず、スーツをきっちり着こんだ男は、挨拶代わりに名刺を差し出す。
「これって……。では、例の件で?」
「はい。そういう事になります」
とりあえずおかけになって下さい、という真帆の声も無視して、彼はここにきた目的を告げた。
「是非とも、貴方達のお力で、怪盗セゾンを捕まえて下さい」
深々と頭を下げたその男は、例の宝石商の社員だったのである。
こうして、正式に依頼を受けた事務所は、早速本格的な捜査に乗り出す事にした。そうは言っても、下調べはすでに終えていたし、出来る事と言ったら、当日の警備体制を整える事ぐらいだった。
そんな訳で僕と龍貴は、その社員の案内で、予告状が送りつけられたビルを訪れる事にする。
「えーっと、電気電気」
「これっすね」
事前に叩きこんできた図面を頼りに、龍貴がスイッチを押す。途端に、辺りはまぶしいほどの光に包まれた。
「あんがと。さて、今は誰もいないのかな?」
「何でも、変装して来るような人間がいたらまずいので、展示室である五階は一切立ち入り禁止だそうです」
「ふーん」
紛れこもうにも、その人がいなければ話にならない、と言ったところか。木の葉を隠すにも、森が無ければ意味が無いのと同じように。
人がいなければ、ここはもう用がないと判断したのだろう。
「じゃあ、早速関係者の人達に話でも……」
事情聴取に憧れ、はやる龍貴を制す。
「待った。先に出入り口をチェックしておこう。守るにしても、それがやっぱり要になる」
多分、心の中ではそれぐらい見取り図を見れば何とでもなる、と言いたいのだろう。だが、実際に見ておかなければ分からない事というのは、存外多いのである。それはきちんと教えておかなければ。
龍貴は不満そうな顔をしながら、それでもしっかりと知識を披露した。
「えーっと、確かここは俺達がさっき入ってきた正面玄関の他に、非常口があるんでしたっけ?」
「そうそう。ちなみに、非常口はあっち。外付けの階段になっているみたいだね。屋上から入るなら、それを使うんじゃないかな?」
「へー」
ここでようやく、龍貴にも僕らが何をすべきなのか、分かったのだろう。依頼はあくまでも、展示品を守る事。セゾンを捕まえる事は、二の次なのだ。
気合を入れ直し、彼はすみずみまでそのフロアのチェックをした。すると、人が通れそうな排気溝を見つけたり、逆に経路の一つに数えようと思っていた窓が不調で開かない事などが分かった。
――だから、現場って大事なんだな。
改めて龍貴が肝に銘じた所で、僕は明るく言った。
「さぁ、メモをとったら、いよいよ皆さんに話を聞きに行こうか」
下に降りると、そこにはボディガードや警備員など、屈強そうな男達がひしめいていた。その中を分け入ると、何やら似つかわしくない光景が目に入る。どうやら、それ――彼らに取り囲まれ、ソファにふんぞり返っている一般人――が、今回の依頼人のようだ。
「おお、やっと来たかね。待ちくたびれたよ」
整髪剤でがちがちに髪を固め、ド派手な赤のスーツを着込み、指には大量の宝石付きの金の指輪をはめた男。どうやら彼が、ここの社長らしい。
「すみません。調査の為、遅れてしまいました」
「いえいえ、良いんですよ。それより、何か見つかりましたか?」
そう尋ねながら、腰を浮かせ挨拶しようとしたのは、今朝方事務所に来た男だ。確か、ここの社長秘書だったか。
「構わんよ。こいつらは雇われて仕事してるんだ。客である此方が気を使ってやる必要はない」
しかしその丁寧な対応を、あろう事か片手で制する社長。この時点ですでに、彼に対する印象は最悪だった。
「は、はぁ……」
元々、礼儀正しい人なのだろう。けれども逆う事など出来るはずもない秘書は、すごすごと元の位置に座った。
「で、何か分かったかね?」
この横柄な態度に、僕は内心かちんときていた。龍貴などおそらく、依頼人でなければぶっとばしているだろう。だからそんな彼の怒りを収める為にも、僕はあえて、ややとげのある言い方で報告をする。
「分かったも何も、まだここには来ていないみたいですからね。痕跡が無ければ、分かる事はありませんよ」
これに気を悪くしたのか、彼は更に毒を吐く。
「ちっ。使えない奴め……。これだから、探偵も警察も役に立たん。少々値は張ったがこいつらを雇って良かったわい」
「本当ですわ」
おほほほほ、と上品ながらも人の神経を逆なでする喋り方で援護射撃するのは、社長夫人である。こちらも、趣味の悪いごてごてのアクセサリーをジャラジャラ付けている。クマよけの鈴と良い勝負だ。
まぁ、今彼らと本気で言い争う気は無い。重要なのは、こいつらからいかに話を引き出せるかだ。
「そうですねー。これだとただの脳なしですからね。お手間とらせて申し訳ありませんが、少々お話をお伺いしてもよろしいですか?」
そこで僕は、先程とはうってかわって、へりくだった話し方をした。これには身内の龍貴もそうだったが、宝石商側の人間まで毒気を抜かれたようである。
「……仕方ないな。面倒だが、話してやろう」
作戦成功。こうして、やっと彼らから話を聞ける事になったのであった。
とは言え、彼らに思いつく質問など、そう多くはなかった。そしてそれは、宝石商側の人間にとっても、警察に何度も聞かれた内容だったのであろう。最初からしぶしぶ嫌々といった感じだったが、段々投げやりと言って良いほど対応が酷くなっていき、
「では、本当に狙われる心当たりはないんですね?」
「何度も言ってるだろう! しつこいな、君は」
最終的にはこんな風になってしまい、もう引き上げるしか無くなってしまったのである。
途中から僕に代わって質問をしていた龍貴も、ほとほと困り果てていた。彼としてはこんなはずでは無かったであろうに。
「すみません。ではその方向で」
おそらく堪忍袋の緒も限界にきているのであろう。ひきつった笑顔で、彼は話をまとめにかかろうとした。
しかしふと思いついて、僕は龍貴の言葉に割って入った。
「またまたー、裏で後ろ暗い事の一つや二つ、やってるんでしょう?」
真帆姉は兎も角、下っ端である僕らは、彼らと直接会う事はもう無いのである。だったら、聞きたい事はぶつけてから帰ろう。こんな事を考え、実行に移してしまうぐらいには、僕も気が立っていたようだ。
「な、何を言いだすんだ君は!」
狼狽する社長をよそに、僕はさらりと止めを刺しにかかる。
「じゃなかったら、そんな経営状態の危うさでこんなに儲かっているはずが」
「探偵の分際で生意気な! 俺は依頼人だぞ! お前らは大人しく宝石守って、セゾンを捕まえてくれりゃあそれで良いんだ!」
けれども流石にその企みまでは、完遂する事無くねじ伏せられてしまった。依頼人を激怒させた事により、ビルから強制退去させられたからである。
勿論、それは彼が雇った、腕利きの警備員達の手によって、であった。
「あははー、追い出されちゃったねぇ」
「もう、笑い事じゃないですよ……」
依頼人を怒らせて追い出された、となれば今後の関係にも影響が出る。信頼関係を一から築き直さなければならない、となると……。事の重大さに打ちひしがれ、はぁ、と溜息をつく龍貴。
一方、僕の方は自分がやった事でもあるし、さほど気にしてはいない。でも真面目な後輩をあまり落ち込ませたくはなかったので、御託を並べてフォローに入る。
「まぁ、あそこに長居したって収穫ゼロなのは龍貴にも分かったろ? だったら、最後に一泡ふかせてやりたかったのさ」
「気持ちは分からなくもないですけどね……」
まぁ、流石にやり過ぎたとは思っているが。
だが彼が気にしていたのは、どうもそちらではなく。
「帰ったら真帆さんになんて言えばいいか……」
……僕が頭の中から知らず知らずのうちに排除していた、もっとも恐れるべき事だった。
「ははははは、大丈夫、大丈夫……」
その時、ばれなければ、と付け加えようとした僕の笑顔は、一瞬にして凍りついた。
「……では、ないみたいね。ついでに、僕らが何か言う必要もなくなったみたいだ……」
「え?」
しょげかえって下を向いていたばっかりに、龍貴は前など見て歩いてはいなかった。そこで目線を上げてみれば、そこは見慣れた風景。僕らはすでに、事務所の近くまで来ていたのである。
しかし、その中に一つ、見慣れないものがあった。いつもなら笑顔で出迎えてくれるはずの真帆姉が、鬼の形相で道路に仁王立ちをしていたのである。
「こらああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
二人を見つけるや否や、普段の様子からは想像できない低い声で怒鳴ったかと思えば
「虎季! 龍貴! あんた達とりあえずそこに正座しなさい!」
二人が逃げる暇もなく、襟をむんずと捕まえて、道路に叩き落とす。
龍貴にとっては初めての、僕にとっては数度目になる、真帆姉の大噴火であった。




