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依頼主――「maneuver」

 依頼主であった私――八柳晏からすると、神城龍貴君は年の割には、すごく強い人だと、そんな風に思う。

 私は残念ながら、彼とはほんの数回しか会った事は無い。それにしたって、彼の上司である探偵事務所の所長であり、私の幼馴染でもある成田真帆に会いにいくついでだったりする。だから、彼の事をちゃんと思い出そうとするならば、やはりあの事件とも事故とも呼べる苦い過去を、丸ごと思い出さなければならないのだ。若気の至りというには若干年を食い過ぎた、忘却の彼方にするにはまだ新しい、数年ほど前の記憶。

 あれは、私が厄介な男に騙された時の話だ。


+++


――私は彼を愛し、彼女も彼を愛した。

――私は彼を怨み、彼女は私を憎んだ。

 テレビドラマなんかでもよくある情愛の縺れ、三角関係。まさか自分がそれを経験する事になるなんて。思ってもみなかったけれど。あれは、そういうちょっと厄介な出来事だった。


 きっかけは、三カ月程前の事。大学時代からの友人、(きら)から、久しぶりに連絡があった。仕事で私の会社の近くまで行くから、会いたいという事だった。それで私は、とっさに行きつけの喫茶店を指定した。少々値段は張るが、落ち着いた雰囲気で美味しい珈琲が飲めるので、人と会う時はよく利用させていただいている。だから、その時もいつもどおり、何の迷いもなく、そこを指定した。

 私が入った時には彼女の姿は無く、見知った顔の常連客と、見覚えの無いサラリーマンしかいなかった。晄が遅れてくるのはいつもの事なので、とりあえず席に着き、マスターお勧めのブレンドコーヒーをブラックで飲みながら、のんびり待つ事にする。

「ごめーん、待った?」

 三十分程経ってから、彼女はやって来た。自分から誘っといてと思いつつ、私は手を挙げて合図する。

「いやぁ、担当してる作家先生が、〆切守ってくれなくってさぁ」

 会って早々、言い訳しながら私の方に近づいてくる晄。こういう所は相変わらずだなぁと思いつつ、何だか嫌な予感がした。

 そして、私の勘は的中する。

「きゃっ」

「うわっ」

 注意力が散漫していた彼女は案の定、カウンターに座っていた若い男にぶつかってしまった。男はちょうど、カップを口に運んでいて、当然のごとくワイシャツにコーヒーが降り注ぐ。その茶色いしみは、見るからに頑固そうだった。

「ご、ごめんなさい!」

 晄の不注意とはいえ、私にも落ち度はある。すっと立ち上がり、一応謝りに行った。

「連れがすみません……。大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ。そんなにお気になさらず」

 笑顔の爽やかな、優しそうな、良い男。それが、(しき)だった。私は一目見て、彼に惹かれた。

 そこで私は、珈琲をこぼしてしまったお詫びだと言って、こっそりと彼を食事に誘った。なんとなく晄に後ろめたい気持ちはあったが、昃との楽しい時間はそれを忘れさせてしまう。勿論、それは一度で済む訳も無く、その後も何度もメールのやり取りをしたり、お酒を飲みに行ったりした。

 そして、とうとう一カ月前、私と昃は付き合う事になったのである。あの時の喜びは、今でもはっきりと覚えている。嬉しくって、思わず彼に抱きついてしまった程だ。あの時のはにかんだ笑顔は、一生の宝物になる。そう思ったのに。

 でもそれは、晄も同じだったのだろう。


 ブーブーブー

 回想にふけっていたら、手元の携帯が震えた。彼からだった。どうやらようやく、決着を付ける気になったらしい。

 少し考えてから、私はメールを送り返した。そして、もう一通メールを送信すると、ふぅ、とため息をつく。全く、どうしてこんな事に……。疑問が頭をよぎるものの、こうなってしまった以上は仕方が無いと、他にやり方は無いのだと、無理矢理考えを振り払う。

 彼に指定されたのは、奇しくも、私達が最初に会った喫茶店だった。


 翌日。私は少し早めに家を出た。他に用があったからである。だが店に着くと、二人はもう、そこにいた。

「あら、誰かと思えば……。よくもまぁのこのことやって来たものね、(あん)

 先制攻撃を仕掛けてきたのは晄。お得意のジャブに見せかけたストレートを放ってくる。

「特に悪い事をしたつもりはないもの」

 それを余裕で受け流す私。このやり取りは慣れたものだ。すかさず、晄は次の手に移る。

「はぁ? 何言ってんの? あたしが何も知らないとでも思ってんの? ぜーんぶ、昃から聞いてるのよ? どーせ、あんたが一方的にしつこく迫ったんでしょ?! この、行き遅れ」

 その言葉は聞き捨てならない。同じ学年なのだ。年は一緒じゃないか。むっとして、負けじと私も言い返す。

「そんな事してないわよ。それに、陰でこそこそ付き合ってたのは、あんただって同じじゃないの?」

「同じじゃないわ! 昃はあたしを選んでくれたんだもん。ねー?」

「あ、あぁ」

「……そう、なの?」

 歯切れの悪い昃。その姿を見て、一瞬ではあるが、私は言葉を失くした。だが、相手はそれを見逃してくれる程、甘くは無い。ここを好機と、晄は一気に畳み掛けてくる。

「そーよ。大体、あんたなんかが昃と本気で付き合える訳ないじゃない! それに、どっから嗅ぎつけてきたんだか、あたしに嫌がらせまでするし。」

「いやがらせ?」

 一体何の事だ。それこそ、身に覚えが一切無い。第一、私は性悪かもしれないが、根暗ではない。嫌がらせなんてみみっちい事をするぐらいなら、正面から堂々と決闘でもなんでも申し込む。彼女も、そんな私の性格は分かっているはずなのに。怒りの方が勝っているのか、晄は尚も責め立てる。

「あんた、あたしのマンションのポストに“死ね”だの“泥棒猫”だの書いた紙入れたでしょ? とぼけても無駄。さぁ、さっさと白状しなさい!」

 これは、どういう事なのだろう。さっきまでは私もついカッとなって言い過ぎてしまったが、冷静になって考えてみると、矛盾だらけだ。でも、彼女が嘘をついているとは思えない……。

 考えを巡らせていると、先程から口数も少なく、何やらおどおどしている男が目に入った。普段は饒舌な彼が、珍しい……。って、嗚呼、成程。信じていたかったけど、やっぱり、そういう事ですか!


「晄、少し、私の話を聞いてくれない?」


 さぁ、仕切り直し。ここからは私のターンだ。

「何? ようやく謝る気になった?」

「そうじゃないの。でも、大丈夫。私もう、彼の事好きじゃないから。こっちから願い下げだわ」

「負け惜しみもいい加減に」

 晄を黙らせるにはいつだって一睨み。それだけで良かった。

 もっとも、これと私のかつての渾名の一つが“メデューサ”だった事とは、何の関係も無い。無いったら、無い。

 彼女は大人しくなった所で、私は同僚の言い方を真似て、彼女にこう問い質す。

「昃から、私の事を聞いたって言ってたよね? それって、どんな風に聞いたの?」

「どんなって……。メールが来たのよ、昃から。あんたに好かれて困ってるって。でも、そんな事いきなり言われてもよく分かんないし、詳しい事聞きたかったから、約束の二時間前に来てもらうようにしたの。それで、晏が昃の周りを付きまとってるって聞いて……」

 へぇ。そんな話を聞いた割には、晄にしては冷静だったな。彼女なら、突然私の所に殴り込みに来るぐらいの事をしでかしそうなのに。

 ……嗚呼、だから最初から、戦闘モードだったのか。

「そのメール、まだある?」

「え、ええ。……これよ」

 彼女もやっと、私の異変に気が付いたのだろう。それとも、私が昃を好きではないと断言した事が効いたのだろうか。さっきまでの気合はどこへやら、急にしおらしくなって、大人しく私に携帯を差し出す。

“実は僕、晏ちゃんに好かれちゃったみたいで……。僕が好きなのは晄だけだから、晏ちゃんを説得するのに君も立ち会ってほしい。明日、三時に喫茶メルトダウンで待っている”

 そのメールを、自分に来たメールと見比べて、そして、私は事の次第を完全に把握した。

「私もね、同じ文面で、昃からメールが来たの。違うのは名前だけ」

 私も同じように、晄に携帯を渡す。それを見た晄は、最初は青ざめた顔をして、

「ホントだ……。何で……。どうして……」

などと言っていたが、徐々に顔が紅潮していって、

「ねぇ! どういう事なの?!」

と昃に詰め寄る程にまで回復した。うん、それでこそ晄だ。

 ひとしきり彼女が喚いた所で、さて、私も参戦するかと彼らに近づこうとした。すると、そんな私を止めるかのように、後ろから声が聞こえた。

「まぁまぁ、落ち着きなさい。」

 誰だ、と振り向きかけたら、その人物はすでに晄の隣まで来ていて、私達の目の前で笑っていた。

『!?』

 驚く晄と昃。声の主は、奥の席に座っていたおじいさんだった。……まぁ、いきなり知らない老人に喧嘩を止められたら、吃驚するよなぁ。

「どちら様ですか?」

 二人は怪訝そうな顔をしていたが、私は不思議と、彼に見覚えがあった。

「もしかして……、龍貴くん?」

「ご名答」

 そう言った時には、彼は老人ではなく、普通の青年になっていた。

 ぽかん、と開いた口が閉まらない様子の昃。まぁ、彼にしてみれば、変な不確定要素が増えたのだから、致し方あるまい。だが、老人が青年になるマジックショーを直前に見た割には、晄の方は冷静だった。

「晏、知り合いなの?」

「うん……。彼は、神城龍貴君。ちょっと、頼み事をしていたの」

「たのみごと?」

「俺、探偵なんです。今回はご依頼がありまして、その方を調べさせていただきました」

 そう言って、昃の方を指す龍貴君。一方、指された昃は子犬のように、ぶるぶると震えていた。

――私、どうしてあんな奴が好きだったんだろう?

 そんな事を考え出したらキリがないので、私は無理矢理話を進める。

「彼の働いている探偵社の所長とは幼馴染でね。その関係で、龍貴君とも親しくなったの。……ちょっと、昃が他の女といる所を見ちゃってね。それで、調べてもらってたのよ」

 そう。私は昃からメールが来るよりも早く、他の女の存在に気付いていた。まさか、それが晄だったなんて、思いもしなかったのだけれども。

「本当は、貴方達と会う前に、結果を教えてもらうはず、だったんだけどね」

 晄達が予定していたよりも大分早くここに来てしまっていたので、聞きそびれてしまったのだ。

「じゃあ、まだ聞いていないのね?」

「ええ。まぁ、聞く必要も無い気はするけど。この男の最低な二股テクニック、気にならない?」

「そうねぇ……。是非、聞かせてほしいわ」

 可哀相に。彼が悪い訳では全く無いのに、龍貴君は異様なプレッシャーを感じながら、それでもきっちりと報告をし始めた。

「……はい。まず、少し、というか大変言いづらいのですが、この方、貴女方以外にも、交際していた女性がいらっしゃったようなんです」

「じゃあ、あたし私達、三股かけられてたって事!?」

 確かに、それならば納得がいく。私は、自分が見かけた昃の隣にいた女が、どうしても晄だとは思えなかったからだ。しかし龍貴君は、さらに驚くべき事を言ってのけた。

「いえ、……あの、その……五、です」

「はぁ?」

「そーいう男だった、って事ね……。それに、嫌がらせの犯人も多分こいつよ。だって私、晄の家知らないもん」

 これを思い出せば、すぐに私が犯人ではないと分かったはずなのに。

「そういえば、東京(こっち)来てから教えてなかったね」

 これで、誤解も完璧に解けた。私達は和解の証として、がっちりと握手を交わす。そして。

「で、晄。こいつ、どーする?」

「そぉねぇ。純情可憐な乙女心を弄んだ責任は、取ってもらいましょうか?」

 殺気立っている女は本当に恐い。何も持っていないのに、刃の切っ先を向けられているような気分になる。その圧力に耐えきれなくなったのか、昃は今日初めて、自分から口を開いた。それが、火に油を注ぐ、あるいは、獅子に縞馬を差し出す事になるとも知らずに。

「……済まなかった。で、でも、仕方なかったんだ。ちょっと声を掛けただけなのに、ちょっと優しくしてやっただけなのに、皆すぐ本気にするから……」

 しどろもどろ。眼は目まぐるしく泳ぎ、口からは言葉にならない声が溢れ出ている。

 そんな情けない男に、私達は最大の賛辞を述べる。

『最っ低』

「あんた、このままずるずるやっていくつもりだったの?」

「いや、そろそろ一人に絞ろうかと。最近、すごく可愛い子を見つけて。それで、二人を仲間割れさせて、ついでに僕の事も忘れてもらおうと思って……。後は君達だけだったのに。そしたら上手くいったのに……」

「あっきれた。ま、こんな奴に引っかかってたあたし達も、あたし達ね」

 はぁ、と憂う乙女達。しょぼん、と肩を落とす青年。そこに割って入ったのは、意外にもあの探偵さん。

「ちなみに、その一人、とは?」

 聞かなきゃいいのに、とも思ったけど、自分達を振ってまで正式な交際をしたかった相手とは果たして、どんな娘なんだろう。少し気になったので、昃の言葉を待つ。

「多香美、月城多香美っていう、女子大生」

 女子大生か……。なんか、そのブランドだけで負けた気がする。そりゃあ仕方ないわぁ、と、私と晄が納得しかけた時、

「はっはっはっ! こいつは傑作だ!」

と、龍貴君がお腹を抱えて、臍で茶を沸かしかねない勢いで笑い始めた。何で龍貴君が……。 “つきしろたかみ”って、一体誰なの? ツキシロタカミ……カミシロって、まさか!

『それって、龍貴君!?』

「ぴーんぽーん♪ いやー、やっぱり尾行だけじゃキツイ部分があったんで。でもまさかそんなにはまってくれていたとは……。あ、ちなみに、コレが俺です」

 渡された写真には、下心見え見え、鼻の下伸ばしっぱなしの昃と、女子大生風の可愛らしい女の子が写っていた。これが男かよ……。あれ、でもこの子どこかで……。

 昃は放心状態で、開いた口が塞がらないようだ。……まぁ、気持ちは解らなくもない。

 私達は私達で、五股をかけた挙句、最終的には女装男子を選んだ男を好きになっていた怒りと、男に負けたというショックが頭の中をぐるぐる回り、ぼけーっとしていた。

 が、だからと言って、この男が悪いという事実には変わりはない。

「晄」

 私は、長年の好敵手に声を掛ける。

「そうね。久しぶりに、やりますか」

 二人揃って、奴の前に立つ。ひっと、息を飲む昃。そのリアクションだけは、見る目の無い彼にしては正しいものだった。もっとも、見抜いたからといって、私達の攻撃から逃れられる訳では無いのだけれど。

 ふぅ、と軽く息を整えて、拳を構える。そして――

「この変態――!!」

 ドカッ。バキョ。メキョ。ドサッ。……ピーポーピーポーピーポー……。


 こうして、彼に全治一カ月超えの重症を負わせ、私達は笑顔で帰って行った。

 言い忘れていたが、二人とも大学のボクシングサークルに入っており、学生時代は“双頭の女豹”と呼ばれ、敵う者無しと言わしめた最高のパートナーであり、最大のライバルであった。理系の私と、文系の晄。学部の違う二人が出逢えたのも、そのお陰なのである。



+++


 これが、私と龍貴君の関わりの全てである。全く、何ともまぁ嫌な出会いをしたものだ。もっと別の会い方をしていたら、なんてたまに思う。美少年は貴重なのだ。

 ちなみに、流石の龍貴君でも、女装して男を騙すという腕は、少なくとも当時は持っていなかったようだ。後から聞いたら、どうって事の無い顔をして、私の幼馴染が犯行を認めた。

「男の子に騙されたって言った方が、インパクトが強いでしょ?」

 彼女はウィンクまでしてにこやかに笑っていたが、いやはやあの安楽椅子探偵は、なかなかの根性をしている。年は四つも下だが、侮るような真似はした事が無い。というか、出来ない。敵に回したくない女、不動のナンバーワンである。

 そんな真帆についていっているのだ。龍貴君本人の能力と度胸は、認めなければならないだろう。けれども、彼は脆い。あの優しさは、一人になったら、いつか折れてしまうだろう。

 こっちに来れば良いのになと、私は今日も一人、殺伐とした現場でおっさん達に囲まれながら思う。あの子なら器用だから、指紋採取するのとか上手そうなのに。

 嗚呼、申し遅れたが私は八柳晏。警視庁科学捜査研究所、通称、科捜研の若き女主任である。


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