友達 ――「クロスロード」
唯一無二の友人であるこの僕――桐西真晴から言わせていただくと、神城龍貴は才能の塊である。
そんな人がいるもんかと疑いたくはなるけれども、実際、たつきはやる気さえ見せれば、大抵の事は人並み以上にこなす事が出来た。けれども、もしかしたらそれが嫌だったのかもしれないが、僕が発掘してあげなければそれを使おうとさえしなかった、そのあり余る能力を持て余していた人間でもあった。
僕がそれに気が付いたのは、書道の授業の時だった。僕は当時書道部に所属しており、部長も務めていた為、そこそこの自信は持っていた。しかし彼は、見事にそれを打ち砕いてくれた。先生にどやされ、すっと気持ちを入れ替え、真剣に筆を握ったあの時。あれでもう、すっかりやられてしまった。
でも僕は、彼を憎むような真似はしなかった。そんな事は生産的ではないと分かっていたから。
だからこそ僕は、たつきの才能を開花させようと、躍起になったのだから。
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「えー、この部分のポイントですが……」
お腹は満たされ、心と体は疲れ切った、六時間目の授業。教科書にもノートにも黒板にも、文字がびっしり羅列されている。こりゃあ、眠くなるなという方が、無理がある。皆のぼーっとした頭にはきっと、これは催眠の術式に見えるんだろう。かくいう僕も、ある人物の観察を行っていなければ、多分寝ていたと思う。
クラスの八割方が夢の世界に行った、もしくは行きかけている中、先生だけは羅列された文字を食いつくさんとばかりに、黙々と評論文の解説をしている。ご苦労様だ。
高校に入ってから今まで、彼が寝ているのを僕は見た事が無い。というか、僕がいつも寝てしまうから、見てないだけかもしれないんだけれど。でも、今日は様子が違った。皆も寝ているのを良い事に、教科書を机の上に立て始める。しっかし、何で今日に限って。今日こそは寝ちゃ駄目でしょうに。彼が腕を枕に惰眠を頬張ろうとした、まさにその時、
「えー、じゃあ次。七行目から……神城、読んで」
たつきは先生に当てられた。ほら、言わんこっちゃない。
一方の彼は、何故自分が当てられたのかよく分かっていないようだった。けれども、ちょっと考えればすぐに分かる。今日は十三日。たつきは出席番号が二十三番だから、“下一桁道連れルール”が発生しても、何らおかしくはない。彼もその事に気が付いたらしく、大人しく指定された段落を読み始めた。最初から心構えをしておけば良いものを。けれどもたつきは良い声をしているので、本人はおそらく適当に音読しているつもりだろうが、聞いている側としてはなかなか良かった。
「おし、よく読めたなー。偉いぞー」
まぁ、こんな風に幼稚園生を褒めるようなやり方で称賛されても、ちっとも嬉しくはないだろうけど。思わず、たつきの方をにやにやと見る。すると、同じ気持ちだったのは僕だけでは無かったらしく、数少ない生存者も同じように彼を見ていた。
もっとも、たつきは被害者面をして無視を決め込んじゃったみたいだから、表情の変化が乏しくてつまらなかったけれども。ちぇー。
「えー、では、この文章で作者が主張したい事ですが……」
再び自分の世界に戻った先生は、その後二度と僕達にからもうとはしませんでした。めでたし、めでたし♪
授業後は大して重要でもないHRを聞き流し、掃除を適当に終わらせ、足早に帰宅部部長も真っ青な早さで教室を去ろうとするたつきを追って、僕も教室を出た。そして、靴を履こうと下駄箱に手を伸ばしかけたところで、
「こらたつき! 何やってんの?!」
やっと追いついた。結構な大声を上げたはずなのに、当の本人は振り向かなくともしない。大方、声だけで僕だと判断したのだろう。これだから、たつきは。追われている身なら、追いつかれた時には何をされるかなんて、分かっているだろうに。
僕はすっと気配を消して彼の背後に回り込み、性懲りもなく靴を取ろうとしている手をつかんだ。
ガシッ。
先に言っておくけど、僕は忍者でも仕事人でもない。ただ、ほんの少し、この可愛らしい見た目とは裏腹に力が強いだけだ。そこんところを、たつきはどうも誤解している節がある。
え? 自分の意志で気配を殺せる人間はそうはいない? 気の所為気の所為。
「……桐西、見逃してくれないか? 今日は用事が……」
逃亡を諦めたのか、今度は手のひらを返したように、許しを乞う彼。
「だーめ。今日こそ書いてもらうんだからっ」
けれども、そんなものに聞く耳を持ってあげるような僕では無い。それに、どうせ用って言ったって取りためたアニメか何かだろう。そんな事で見逃してあげる程、僕は優しくない。
前述したように僕は男子としては小柄で、たつきとの身長差も二十センチは優にあるが、そんなものは関係無い。ずりずりとそのまま、彼を拉致する事に成功した。
「あ――れ――――――」
「あ、きーちゃん! おっそーい!! 皆待ってたんだよ?」
たつきを引きずってやってきたのは、僕が所属する書道部の部室。到着した時には部員は皆そろっていて、待たせた事に対して僕は素直に謝った。
「ごめんごめん」
そして、遅刻した理由と共に、生贄を差し出す。
「でも、ほら、ちゃんと代わり連れてきたから」
どんっといきなり現れた来訪者にも動じる事がないのは、流石、僕の束ねる部活だというべきなのかもしれない。皆口々に、自分の思った事を言い出す。
「あ、真晴、怪我して筆持てないんだっけ?」
「えー。きーちゃんの字、楽しみにしてたのに」
「っていうか、この人誰? きーちゃんの友達?」
「うん、そうだよ」
「言っちゃ悪いけど、本当に大丈夫なの?」
本人を目の前にこんな失礼な事を言えるのも、何というか……。良く言えば遠慮がないって感じかな。まぁ確かに、見ず知らずの人間に任せるのは不安もあるだろう。
なんてったって、僕がこれからたつきに書かせようとしているのは、今年の文化祭の顔、看板なのだから。
「ごめんねー。でも腕は保証する。ま、論より証拠ってね。見ればわかるよ。ほらたつき! さらっと書いちゃって!」
「へいへい」
彼もようやく堪忍するという事を覚えたようで、部員から渡された筆を持つと、ためらいなく一気に、用意された紙に書いた。それはうちの部員も思わず見惚れる程の見事な書きっぷりで、僕も思わず息を飲んだ。
ほんの数分のうちに、そこには立派な看板が出来ていた。
「おお、さっすがぁ。上出来だよ」
「何これ!? めっちゃ上手いんですけどぉ。ってか、あんた、何者?」
僕でさえ、うっかり感動してしまったのだ。うちの部員達が感銘を受けないはずが無い。気が付くと、たつきは書道部員達に囲まれ、質問攻めにされていた。
それを僕は、満足そうに遠目から見つめていた。
部員からようやく解放され、逃げ出した頃には夕方になってしまった帰り道。
「桐西……。お前、図ったな?」
少しだけ起こったような顔をして、たつきは僕に問いかけた。
「? なぁんのことぉ?」
指摘されたからといって、おいそれと自分の犯行を認める犯人はいない。僕はとりあえず、満面の笑みでとぼけた。
しかし彼も、僕が簡単に白状する訳が無いと知っている。だからちゃんと、溜息をつきながらも、己の推理を披露してくれる。
「お前、右手怪我なんかしてないだろ? 怪我してたんなら、俺を引きずって、四階の書道室までつれていけるはずがない。いくらお前でも、な」
うーん、鋭い。僕は友人に、心からの賛辞を送る。
「あーぁ、ばれちゃったかぁ。流石、たっちゃんだね」
「でも、何でだ? お前、あれ書くの楽しみにしてたじゃないか」
あれとは多分、今回僕が彼に書かせた、文化祭の看板の事であろう。
「あぁ、良いの良いの。たつき、どーせ今年も、文化祭まともに参加しないんでしょ? その所為で、皆に良く思われてないの、知ってた?」
「知ってるも何も……」
僕はそれが、厄介事に巻き込まれたくないという保身の意味でやっている事を、十分に理解していた。だが、分かっているからこそ、もどかしかったのだ。
「たつき、超が付くほど頭良いしー、かっこいいしー、優しいのに、誰もその事知らないでしょ? それが何か、ね」
「だからって……」
「皆にも認めてほしいんだ。たつきの事。今認めてんの、きっときーとゆー君と崎先生ぐらいだよ?」
そして、いつものようににへらと笑った。まぁ、認めているのが僕と、幼馴染のゆー君と担任の先生だけっていうのは、ちょっと言い過ぎかもしれない。
でも、僕は言わなければならなかった。都合はどうあれ、折角の才能を発揮しないのは、見ている側としては歯がゆいのである。
僕は友人の事を、羨望の眼差しで見つめたいとは思うが、嫉妬で睨みつけたくは無かったのだ。
「……わーったよ。少しは協調性持つようにする」
少し考えてから、たつきは頭をかきながら、こう言った。それが照れ隠しである事は、よく知っている。
「うんっ」
僕は自然と、笑顔になった。
その後、たつきの書いた看板は校門近くにでんと置かれ、皆に注目される事になった。同時に、その噂が広まり、彼はクラスの看板から宣伝用のビラ、パンフレットに至るまで、ありとあらゆる文字を書かされる事になる。計画通りだ。
本人は相当疲れたようだが、それでも、何もしなかった去年よりは大分楽しそうにしていると思う。それに、クラスの皆の視線も、ずっと和らいだ気がした。僕の苦労の甲斐もあったというものだ。
そしてとうとう、待ちに待ったこの日がやってきた。
「僕達、三百九十七名は今日、各々の新しい道への一歩を踏み出します。卒業生代表、神城たつき」
あれから、一年と数カ月。たつきは僕を始めとするクラスの皆や先生方に勧められ、半分幽霊部員と化していた弓道部の活動に積極的に打ち込んでみたり、勉強の方にも力を入れ始めたりしていた。そしてなんと驚くべき事に、生徒会長という大役まで勤め上げたのである。これには仕掛け人であるはずの僕も、驚かざるを得なかった。人間、ここまで変わるとは。いやはや、興味深いものである。
そんな濃密な時間を経て、今日、こうして立派に卒業式を迎えたのだった。不覚にも、壇上に立つたつきの姿を見て、目頭が熱くなったのは内緒である。
式が終わり、最後のHRが始まる前、僕は彼と少しだけ、話をする事が出来た。
「卒業、かー。これで、たつきとも離れる事になっちゃうねー。残念」
「あぁ、そだな。まぁ、そのうちまた会えんじゃん?」
「それもそうか」
僕達はにししと笑い合う。でも、この関係で会う事は二度と無いのだと思うと、やはり少しは寂しい気がする。
けれども、ここでしんみりするのも僕らしくない気がする。何か明るい話題は無いものかと思案していると、ふと思いついた事があったので、聞いてみた。
「そうだ。たつき、将来何になる?」
「ん? まだ考えてもないけど?」
返ってきたのは意外な答えで、僕は正直面喰った。てっきり、大学を決める時に考えるぐらいしたのかと思っていたのに。
でも、それならば好都合。僕は自分の考えを、たつきに押し付けるような形で渡した。
「そうなの? じゃあ、何か人を助けるような仕事しなよ!」
「はぁ? 無理無理。俺には向いてないよ」
「えー。絶対たっちゃんはそういう事やるべきだよ。僕も頑張ってみるからさ」
しめの一手を、卒業祝いの代わりに彼に叩き込んで、僕達は笑顔で別れた。
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そして、この宣言とも約束ともとれる言葉は、きちんと実現される事になる。僕のモットーは有言実行なのだ。
あれから、僕は某理系大学の工学部に入り、とある夢を叶える為に日々勉強した。実習やら実験やらがなかなかに多く、また数式とにらめっこするのは大変だったけど、でも今、こうやって好きな事が出来ているのだから、大満足である。
ちなみに、その“夢”とは、介護ロボットを製作する事である。元々僕は、人の役に立つロボットが作りたかったのだ。僕の作ったロボで、皆が笑顔になれたら、それは一石二鳥ではないか、と。そんな希望を胸に抱いて、日々機械とにらめっこしている。
さて、そんな僕から見ても、たつきは才能の塊だった。もしかしたら、他の人から見れば、僕の方がそう見えるのかもしれない。だが、たつきの方が何倍も優れている事を、僕はよく知っていた。一度何かに精を出せば、必ず期待以上の成果で返してくれる。その事を、身をもって体感していた。だが、高校時代は宝を持ちぐされていた。天才は天才なりの悩みがあると、そういう事なのだろうか。僕からすれば、頭が良いくせに、僕でも気付けるような妙な所でつまづいているようにしか見えなかったのだが。だからこそ、世話を焼きたくなった訳で。
まぁ、今はそうじゃないと良いんだけどね。




