後輩 ――「運命なんて信じない」
彼の一後輩である私――雨元祐亜にとって、神城先輩は太陽のような、憧れの存在だった。
神城先輩は、私の高校の一つ上の先輩である。それと同時に、私が薔薇色と形容されるべき高校生活においてはその全てを費やした、恋焦がれてやまなかった相手でもある。当時の彼は私にとって羨望の対象であり、またアイドルのような存在でもあった。
その辺りの事情を語るには、まずは私のバックグラウンドから話さねばならないだろう。運命を信じなかった少女だった、あの頃の私。そして、それから一変して、きらきらと輝きに満ちた高校生活。その辺りの事情を、思い出として振り返ってみようかと思う。
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私はそれまで、平凡な人生を送ってきた。
地元の幼稚園・小学校・中学校を無事に卒業し、高校は家からそこまで遠くない某進学校に通う事になった。そんな一般的でごく普通の生活を送ってきた私は、元々ファンタジーもあまり好きではないので、世の中で言う所の
“運命の出逢い”
とやらは信じていなかった。このまま、普通の大学に行き、中小企業に入社し、職場恋愛でもして結婚して、家庭に入って……。せいぜいそのぐらいが私にふさわしいだろう。そんな風に考えていた。
ただ、一度だけ、中学の入学式の時に、たまたま隣の席になった男子と親しくなり、頻繁にメールのやり取りをする仲にまでなった事があった。しかし、その人を好きになりそうになった矢先、私の友達と二人並んで楽しそうに話しながら登校しているのを目撃、あえなく玉砕。今もその人とは良い友達なのだが、もしかしたらその経験が、私に“運命”を信じさせない理由の一つなのかもしれない。
さて、そんな私だから、あの人と最初に出逢った時も、一期一会だと割り切って、忘れてしまおうと努めていた。
今から思えばあれが、“運命の出逢い”とやらだったのかもしれない。
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約二年前。高校に入学してから、一週間ぐらい経った後の事だったろうか。あの日は朝から美しいほどに晴れ渡り、快晴と呼ぶにふさわしい天気だった。朝の天気予報でも、降水確率は十パーセントだったし、お天気キャスターのお姉さんは布団干し日和だと言っていた。それなのに。
午後、太陽が南中すると共に雲行きが怪しくなり、六限が終わるのとほぼ同時に、雨が降ってきたのだ。しかも、パラパラなどという可愛い次元のものではなく、文字通りのザーザー降りである。誰が傘なんぞ持っていようか、いや、持っている訳が無い。生憎、入学当初だった事もあって置き傘もしておらず、
「仕方ない、駅まで走って帰ろう」
と覚悟を決め、昇降口から一歩踏み出そうとした時だった。
「傘、持ってないの?」
最初は、それが私に対して発せられた言葉とは思いもしなかった。しかし周りを見渡してみると、そこには私とその人しかいなかった為、状況を把握する事が出来た。もっとも、私には当時まだ友達と呼べるような人はおらず、そんな風に話しかけられる事はまずない、と思ったので、大分驚いたものだったが。
更に驚くべき事に、上靴を見る限りでは、相手はどうやら二年生。一つ上の学年らしい。見知らぬ上級生が何故、と不思議に思いつつも、あまり黙っていると不快感を与えかねないので、私はとりあえず、質問に答える事にした。
「はい。だから、走って帰ろうかと」
「こんな雨の中? 風邪引いちゃうよ」
そうは言われても、持っていない物は仕方ない。マジシャンでもあるまいし、無い物は取り出す事は出来ない。だから、大丈夫ですと言って立ち去ろうとしたのに。あろう事か、彼は右手に持っていた折り畳み傘を、迷わず私に差し出した。
「はい、これ使って」
「え……? でも、貴方が」
「いーのいーの。俺は友達に入れてもらうから」
そのまま押し付けられるがままに、私は彼から傘を受け取っていた。
「たーつきー、帰ろー」
「じゃ、気をつけてね」
いつの間にか、その人はいなくなっていて、私の手の中に残った傘だけが、あれが夢で無かった事を証明していた。世の中には人の良い人がいるのだなと素直に感謝しつつ、その日は濡れずに、家まで帰る事が出来た。
思えば、あの時にはもうすでに、私は魔法にかけられていたのかもしれない。
それから一週間。私は毎日鞄の中にその傘を入れていた。何故なら、かろうじて彼の学年は解っていたものの、あまりにも突然の事で、名前を聞くのを忘れてしまったのである。下の名前が「たつき」である事は覚えているのだが……。それだけでは、私には探す術が無い。上級生のクラスを一つ一つ回って、という度胸も、残念ながら皆無である。
だからこうして、また会ったらいつでも返せるように、と持ち歩いているのだが……。全校千人を超えるこの学校では、早々会えるものではないらしい。はて、どうするか、と諦めかけた頃、
「やぁ」
私はその人と再会した。しかも、帰りがけの下駄箱で。
その時はたと、ここで会ったんだから学年は違えどクラスは同じだという事にやっと気が付いた。今まで思い至らなかった自分の浅はかさに絶望しつつも、今返さなければ次はないと、私は彼に傘を返す。
「ああ。わざわざありがとう。」
彼は笑顔でそう言い、じゃ、またと、まるで次があるかのように彼は去って行った。しかし、“わざわざありがとう”はどう考えたって私のセリフである。……私の事を覚えていてくれた事には、胸が熱くなったけれど。
また名前は聞きそびれてしまったが、笑顔の素敵な格好良い人だった。
私はこの時、彼に一目惚れならぬ、二目惚れをしてしまったと、自覚したのだった。
その後、再び彼を見たのはなんと生徒集会の時。その日は生徒会の役員決めで、彼は生徒会長に立候補していた。優しくて、格好良くて、生徒会長にまでなってしまうなんて。こんな素敵な人が、身近にいるなんて、もう信じられなかった。
そうして、私は本格的に、彼に恋をし始めた。
それからというもの、廊下や下駄箱で会った時は、私から挨拶をするようにした。運が良い時には少し長く話が出来たり、途中まで一緒に帰ったりする事もあった。そして、苦労の末ようやくアドレスの交換をした頃、私も生徒会に入った。彼はもう任期でいなくなるというのに、である。
自分でも何故だかわからなかったが、彼と同じ景色を見てみたいと、そう思ってしまったのだ。実際、私は彼が好きだと言った小説や映画は、片っ端から見たり読んだりしていたし。多分その辺りから、彼が受験勉強の為に疎遠になってしまい、寂しい思いをしていたからだろう。欠けてしまった穴を埋めるように、少しでも彼に近付きたくて、私は必死に彼をなぞっていた。
……今思えば、自分でも若干ストーカーじみていたと、反省している。
また、彼の格好の良さは誰もが認める事だったので、陰ながらファンクラブを作ってみたりした。すると、ほんの三日で会員が二百八十三人集まり、改めて彼の人気と、その競争率の高さを体感した。
心がくじけそうになりながらも、私は私なりに努力した。
バレンタインデーにもちゃんとチョコレートを贈ったし、お返しも来ていた。
……もっとも、彼は自分にチョコレートをくれた人全員に違うものをお返しした、という伝説的な噂も流れたが。
でも、だからといって諦めたくはなかった。やっとつかんだ、つかみかけた運命なのである。これを逃したらもう、チャンスはない。それ程までに、私は彼の事を想っていた。
そしてとうとう、彼がこの学校から去ってしまう日が来てしまった。柔らかい風が吹く中、私はひっそりと下駄箱に立つ。彼と私が、最初に出会った場所。ここならきっと、また会えるような、そんな気がしたから。
本当に神様がいるのなら、絶対に彼に会わせてくれる。そんな儚い期待にすがりつき、特に連絡もしないまま、私はじっとその時を待っていた。全てを天に、運に任せたのである。
すると一瞬、風が一層温かく、やわらかくなった気がした。
「よぉ、どーした?」
振り返ると、そこには温かい笑顔。今日は一段と輝いて見える、私の大好きな人。
もう一度、もう一度だけ、私は“運命”とやらを信じてみようと思った。
「あの、先輩、私、先輩の事が……」
眼を開けて、勇気を振り絞って、花束と共に想いを伝えようとした、その瞬間――
『かみしろせんぱーい!!』
女生徒の雪崩の中に、彼――神城龍貴は消えてしまった。
「……やっぱり、運命なんてないのかしら?」
そう落胆してしまう程には、これは十分すぎる程の事故だった。
結局、その後も彼と連絡を取る機会もないまま、私の恋は告げられる事無く、儚く散って、宙を舞ったのであった。
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私にとって先輩は憧れの存在であると同時に、手の届かない遠い存在でもあった。でも、少しでも近くに感じたくて、あの頃は一生懸命だったのだけれど。
今でも、彼を追いかけた日々を悔やんだりはしない。最後まで何も言えなかったのはショックだったけれど、でもあの時、運命を信じる気持ちになれなかったら、今の私は無いと思う。
あれから、抜け殻になった私は、どんよりとしながら高校生活を無事に終え、一応大学生になった。そして、そこで出会った友人に誘われるがまま、振り回される事になる。それは社会人になってからも変わらず、私はあちらこちらを、ふらふらと渡り歩いていた。
そんな中、冷やかし程度の気持ちで出向いたとある婚活パーティで、今の伴侶を見つけたのである。彼はなんと、世界を股に掛けるIT企業の若き社長であった。そんな人が私なんぞを本気で相手にする訳が無い。最初はそう思い、友達付き合いから始めたが、彼が思ったより純粋で優しい事が分かると、一気に交際へと発展。一発逆転ホームラン、私は人生という名の階段を、羽のついた足で駆け上がった。
そういう意味では、私は先輩に感謝している。あの時彼が声を掛けてくれなかったら、私は何かに夢中になる事も、ひたむきに努力する事も無かったと思うから。
今頃どうしているのかは知らないが、先輩も幸せになってほしいと、心から願っている。




