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異世界帰りのハーレム王  作者: 津田智弘
ワールドカップ編
157/290

第157話  ワールドカップ52



〈ピィィィィィ……〉


 


 前半戦終了のホイッスルが、どこか遠くで鳴り響いた。


 


 だが、その音はまるで夢の中の出来事のように、ぼやけて聞こえていた。


 


 俺たちは、足を引きずるようにしてピッチを離れ、ベンチへと戻る。


 


 スコアボードに刻まれた“2 - 0”の数字が、胸の奥にぐさりと突き刺さる。


 


 ――2点ビハインド。


 


 だが数字以上に重いのは、その“内容”だった。


 


 圧倒された。


 翻弄された。


 そして――見下ろされた。


 


 ブラジルの支配は、ただのスコアやパス回しでは語れない“格”の違いだった。


 


 特に、アントニオ。


 


 「こんなものか」と告げたあの冷たい眼差しが、まるで呪いのように、頭から離れない。


 


 ベンチに腰を下ろした瞬間、全身から力が抜けていく。


 


 呼吸は荒い。


 汗は止まらない。


 けれど、心はどこか――凍っていた。


 


 長谷川キャプテンはタオルを頭にかぶり、額に手を当てたまま微動だにしない。


 横で村岡も、スパイクの紐をいじるふりをして、ずっと下を向いたままだ。


 


 ベンチに集まる誰もが、言葉を失っていた。


 


 沈黙。


 


 ただ、重く、息苦しい沈黙だけが場を支配している。


 


 俺は拳を握りしめた。


 


 だが、その手にも力は込められない。


 悔しさだけが、ぐるぐると渦巻く。


 悔しさと、焦燥と、無力感――そして、心の奥に巣食った“あの言葉”。


 


 ――やれやれ、こんなものか。


 


 あれはただのひと言だった。


 けれど、あの一言で、すべてが“否定”された気がした。


 自分のサッカーも、自分の足も、信じてきたものすらも。


 


 そこへ、監督・藤堂剛の声が響いた。


 


「おい、顔を上げろ……!!まだ試合は終わっちゃいないだろ!!お前たちは、そんなものか!!?」


 


 檄を飛ばす声は力強い。


 けれど、それが届いた者はいなかった。


 


 誰もが、上の空。


 心ここにあらずのまま、ただ前を見つめて座っていた。


 


 その空気の中で、俺の耳に、アントニオの声がこだまする。


 


 ――“本気で僕を攻略しようとしてくれてるんだろ?楽しみに決まってるじゃないか。”


 


 どこまでも楽しげだったあの表情が、今ではただ、残酷にしか見えない。



 


 気づけば、俺は立ち上がっていた。


 


「…………俺、ちょっと風に当たってきます。」


 


 小さくそう呟くように口に出した瞬間、監督の鋭い声が飛んだ。


 


「――おい!?雷丸!?どこに行く気だ!!」


 


 だけど、振り返れなかった。


 


「……すみません、監督……」


 


 それだけをぽつりと返し、俺はベンチをそっと離れた。


 


 ロッカールームの扉を抜け、静まり返った通路を歩く。


 誰もいない、誰も呼び止めない、静かな空間。


 


 スパイクの音だけが、カツン、カツンと反響していた。


 


 まるで、心臓の鼓動みたいに。


 


 目の前のドアを押し開けると、そこにはひんやりとした風が吹いていた。


 コンクリートの隙間を抜ける風。


 


 スタジアムの裏手。観客の歓声も、ピッチの喧騒も届かない場所。


 


 俺はその場に立ち尽くし、深く息を吸った。


 


 けれど、胸は少しも軽くならなかった。


 




 ……アントニオの顔が脳裏にちらつく。




 あの目。


 あの声。


 そして、あの“失望”。


 


 俺は、拳を強く握りしめた。


 痛みが、指の中でじわじわと広がる。


 


 それでも、まだ――涙だけは、流せなかった。





 


 ――――――――――――――



 

 


 ぼんやりと空を見上げていた――その静寂を破るように、ポケットのスマホがブルルッと震えた。



 

「……ん?」



 

 画面を見れば、表示されたのは【ハーレムメンバー グループ通話】の文字。



 

「おいおい……なんで今……」



 

 つぶやきながらも、気づけば指は画面をタップしていた。


 接続のアイコンがぐるぐると回り、瞬間――



 

「雷丸様!!」



 

 スマホ画面いっぱいに、雪華、焔華、静香、麗華、貴音の顔が一斉に映し出された。


 その勢いに、思わずたじろぐ。



 

「な、なんだよ……」




 しかし次の瞬間――



 

「その顔は、なんですか!!?」




 雪華の目がカッと見開き、鋭く光った。



 

「えっ……?」



 

 思わずたじろぐ俺に、焔華がすかさず畳みかける。



 

「試合、見ておったわ! なんじゃその体たらくは! わしの知ってる雷丸はもっと炎みたいに燃えておるはずじゃろが!」



 

 言葉のド迫力に思わずスマホを離しかけたところへ、



 

「お兄ちゃん……ここでへこたれるとか、ハーレム王の威厳が泣いてるよ?」




 貴音の容赦ない言葉が突き刺さる。



 

「え、ちょ、何だよみんな!そんなに怒んなって……!」



 

 狼狽えながら防御の姿勢をとる俺に、麗華が眉をひそめて冷静に言う。



 

「……あまりにも情けない顔をしてたから、我慢できなくて電話したのよ。そっちの電波、ちゃんと届いててよかったわ」




 そして、静かに静香が口を開く。



 

「みんな、少し落ち着いて」



 

 言葉は優しいが、目は真っ直ぐだった。


 


「雷丸君……どうしたの? あんな顔で、どうしてサッカーをしてたの? あなたのプレーから、心が見えなかった」



 

 そして、問いかけるようにゆっくりと続ける。



 

「――貴方の今の気持ちを教えてちょうだい」



 

 その瞬間、画面越しに、全員の目がこちらに向けられる。


 

 誰も言葉を発さない。ただ、じっと見つめてくる。


 

 まるで、「逃がさない」と言わんばかりに――そのまなざしは鋭く、そして温かい。


 

 俺は……思わず、視線を逸らしながら。


 

 ぽつりと、呟いた。


 


「……なんでだろうな。あんなに好きだったサッカーが、楽しくなかったんだ……」




 その一言が口からこぼれ落ちた瞬間――胸の奥がギュッと締め付けられた。


 

 自分で放った言葉なのに、まるで誰かに突きつけられた真実みたいに重たくて、苦しくて。


 

 画面の向こうの彼女たちは、誰もすぐには返さなかった。けれど、その沈黙すら、俺には妙に優しく感じられた。


 だから、堰を切ったように言葉が溢れ出す。

 


 

「アントニオのやつ……未来を見てくるんだ。プレーも、思考も、感情すらも全部、読まれてる」



 

 指が震える。スマホを握る手に汗がにじむ。



 

「全力で仕掛けても、笑ってかわされてさ……。どんな必殺技も、奇策も、あいつの眼には“予定通り”だったんだよ」



 

 拳が膝の上で震えていた。強く握るほどに、爪が手のひらに食い込んでくる。


 


「……つれぇよ。苦しいよ。俺の全部を否定されてるみたいで……自分の“好き”だったサッカーが、わかんなくなった」


 


 思い出すのは、ピッチの中で何度も跳ね返された自分。飛び立とうとしても、読まれ、止められ、笑われた俺。


 

 アントニオの声。目線。あの、失望したような静かな表情――


 

 それが頭から離れない。


 スマホの画面越し、全員が黙って、真剣に俺の話を聞いてくれている。


 笑わない。叱らない。ただ、見てくれている。



 


すると――


 


「お兄ちゃん!」


 


 画面の中から、貴音の声が鋭く飛び込んできた。


 その顔が、ぐっと画面に近づいてきて、スマホ越しにこちらを射抜くように見据えてくる。


 


「サッカーが楽しくないなら――楽しくすればいいじゃん!」


 


「……は?」


 


 思わず間の抜けた声が漏れる。


 だが、貴音は構わず言い放った。


 


「お兄ちゃんのサッカーって、“勝つこと”だけじゃなくて、“楽しむこと”だったでしょ!?」


 


 その声は、まるで雷のように――いや、心の奥に届く“目覚まし”みたいに響いた。


 


「私が小さい頃からずっと憧れてたお兄ちゃんはさ、いつも楽しそうにサッカーしてた! まるで、これ以上楽しいものなんてないって顔で!!」


 


 彼女はにぱっと笑った。太陽みたいに、まっすぐな笑顔。


 


「ハーレム王のサッカーって、そういうやつでしょ!!」


 


 その一言が、刺さった。


 心の奥に、温かい何かがじわじわと広がっていくのが分かった。


 


「雷丸様、貴方の“ワールドクラス”は脚力だけじゃありません」


 


 雪華が、静かに、でも真っ直ぐな瞳で言った。


 


「“楽しむこと”――なんだって面白くする、笑って駆け抜ける、その在り方こそ、雷丸様の武器です!」


 

「雷丸、お主がどんな状況でも全力で突っ込んでいく、あのバカさ!あれこそが、お主の最強の力じゃ!!」




 焔華が叫ぶように言った。まるで炎のように、心を揺さぶる言葉だった。


 


「サッカーだけじゃない。どんな逆境でも、貴方は笑って楽しそうにしてた。だから……私たちは、そんな貴方に惚れたのよ」


 


 麗華は静かに、でも芯の通った声でそう言った。


 


 そして、最後に静香が――穏やかに言葉を紡いだ。


 


「雷丸君。あなたは、いつも“誰かのために”サッカーをしてきた。家族のため、仲間のため、夢のため」


 


 そして少しだけ、微笑んだ。


 


「……だから、今度は“自分のため”にサッカーしてもいいんじゃないかしら?」


 


 その言葉が――まるで陽だまりのように、冷え切っていた心に染み渡った。


 


 誰かのためじゃなくていい。勝つためだけでもなくていい。


 俺が、ただ“楽しむ”ために――サッカーをしていいんだ。


 


 そのまなざしが、声が、言葉が、画面越しに俺を包み込む。


 


 俺の中の何かが、ふっと軽くなった気がした。


 


 そして――


 


「……そっか。そっか。そうだったよな」


 


 ゆっくりと笑みがこぼれる。


 握った拳に、ちゃんと力が戻っていた。


 


「よし……」


 


 顔を上げる。迷いはなかった。


 画面の中の彼女たちへ、もう一度、しっかりと笑って言った。


 


「――後半、行ってくる。絶対、魅せてくるから。最高に楽しい、俺のサッカーを!」


 


 雪華がにっこりと微笑み、うん、と頷く。


 焔華は「期待しとるぞ!」と親指を立てた。


 静香は「ふふ、今度は“らしい”顔になったわね」と満足げに笑う。


 麗華は穏やかに「行ってらっしゃい」と囁いた。


 


 そして最後に――


 


「お兄ちゃん、かっこよく決めてこーいっ!!」


 


 貴音が叫んで、通話が切れた。


 


 静かだった風が――今は、俺の背中をやさしく押してくれている。


 


 俺は、拳をもう一度握りしめた。


 

 よし、後半戦――取り返すぜ。

 


 “楽しむためのサッカー”を。

 


 俺だけの、俺らしいサッカーで。






 ――――――――――


 


 前半戦が終わって、ミーティングルームの椅子にもたれかかりながら、僕は何気なく天井を見上げていた。


 いつもなら誰よりも早く次の戦術を思い浮かべ、周囲に微笑みを返しているこの時間。


 だけど、今日の僕は――思わず、溜め息をついてしまった。


 


「……はぁ」


 


 その音が思いのほか静かに響いたらしく、近くにいたチームメイトが「おいおい、ため息なんて珍しいじゃないか、アントニオ?」と茶化すように声をかけてくる。


 


「あぁ、ごめんごめん」


 


 慌てて笑顔を貼りつけて返す。


 いつもの“太陽の王子”としての仮面――誰にだって明るく、華やかで、余裕を忘れない姿を。


 けれど、内心では違った。


 


 ――正直に言うなら、がっかりしていた。


 


 飯田雷丸。あれだけ世界を騒がせた男。異世界帰りのハーレム王で、常識外れの技を連発し、どんな相手にも堂々と立ち向かう姿に、僕は期待していたのだ。


 この決勝の舞台で、僕に見せてくれると思っていた。


 何か、常人では理解できないほどの閃光を。


 


 けれど――違った。


 全力で潰してみれば、思っていたよりも脆く、意外なほど静かに崩れていった。


 


「……やれやれ、僕が期待しすぎたのかもな」


 


 腕を組みながら、ふとつぶやく。


 


「はは、お前にそこまで期待されるなんて、雷丸も大変だったろうな」


 


 隣の選手が肩をすくめながら、ニヤリと笑って言う。


 そのからかいを受けて、僕も苦笑を返すしかなかった。


 


 でも……心の奥では、まだ“なにか”を諦めきれていなかった。


 そう。飯田雷丸なら、まだなにかを見せてくれるんじゃないかって――


 


 ***


 


 そして、後半戦。ピッチに戻ってきた僕は、再び雷丸と相対した。


 


 その瞬間、思わず吹き出しそうになった。


 


 彼の首に――「未来予知お断り」と書かれた手作りのプラカードがぶら下がっていたのだから。


 


 「な……なんだあれ!?」と実況席がざわつき、審判が駆け寄ってきて、慌ててそのボードを没収する。


 


 観客も爆笑していた。中には「天才か!」と叫んでいる者すらいた。


 


 僕は思わず、笑いをこらえきれずに声をかけた。


 


「……何やってんのさ、雷丸君?」


 


 すると彼は、あのいつもの――いや、むしろ“いつも以上に”余裕たっぷりな笑みを浮かべて言った。


 


「よう、アントニオ。前半はつまんねぇ試合して悪かったな」


 


 言葉は軽い。けれど、その目に――確かに“火”が戻っていた。


 


「そっか。じゃあ今度こそ、楽しませてくれるんだろうね?」


 


 そう返すと、彼はおどけたように肩をすくめて、ニカッと笑う。


 


「おう、俺の真の実力、今からお見せするってのよ!」


 


 前半で見た、あの空虚な顔はもうない。


 視線に、声に、立ち姿に――“らしさ”が戻っていた。


 


 ――ああ、これだ。


 


 僕が見たかったのは、この飯田雷丸だ。


 


 なら、今度こそ本気で相手をしようじゃないか。


 


 雷丸君。君の“未来”が、どんなものなのか。


 


 この僕が――すべて、見届けてあげるよ。


 


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