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『我が裏たりて逃れられぬ者よ……応答せよ』
身に着けている耳飾りから声が聞こえる。これは遠方に声を届けるための耳飾り型魔道具。我が主たるアーディル陛下から遠距離にいる私に連絡するために配給されたものだ。
城から離れた場所にある林にて、我が部隊に配属されたばかりである双子、ノーイとテリエルの剣術を見るために模擬戦を行っていた私は手を止める。
「隊長、どうなされました?」
「降参するには早いよ~?おっさんだから体力無いの~?」
急に動きを止めた私を不思議に思ったのか、双子が声をかけてくる。少女の方は随分失礼な事を言ってくるが、とりあえず無視する。
「少し用事ができた。直ぐに戻るから、しばらく素振りをしておけ」
私は双子の返事も待たずにその場を離れる。あの符牒は急ぎの案件があるという意味なのだから。
◆
「影は御身と共に」
周囲に誰もいないことを確認してから耳飾りの魔道具を外し、符牒で返答した。
この魔道具は声のみの通信なので、こちらがどういう状況か相手からは判断できない。こちらからはまともに返せない状況の事もある。なので、事前に取り決めた符牒で返答することによって状況を判断するわけだ。
それにしても……この符牒を考えた者は、思春期にありがちな言動を好んでいたのだろうか? 敵に囲まれていた時にこのような返答をすれば、逆に注目を集めてしまいそうな気もするが。
……私は陛下の返答を待つ。
『東方領の国境壁付近で探索者が行方不明になっている。部下と共に一般人に扮して原因を調査せよ。方法はまかせるが、深追いは禁ずる』
陛下からの指令は行方不明事件の調査依頼だった。しかし、本来はそのような調査を担うのは、調査部隊である【王の眼】の仕事だ。警備のみだと、対外向けの軍事部隊【王の剣】や国内を守る近衛部隊【王の盾】でも問題ないはずだ。
特殊部隊……通称、【王の影】。存在を知る者はごく一部の存在しない部隊だ。軍の一つではあるが、性質はスパイや工作員が近い。我々は王が動けない案件の処理、裏組織のあぶりだし、汚職貴族の暗殺など、表立っては出来ない任務を行ってきた。そんな我々へ陛下がわざわざ連絡してきたと言うことは……。
「それは、現時点で他の部隊を動かせないという事でしょうか?」
『そうだ。今回の件、下手に表に出せば北東の帝国を刺激する可能性がある。本来ならば王の盾に任せる案件だが、過去の事例もある。ここは慎重に動くべきだろう』
魔道具から聞こえる声は苦々しい口調であった。
「……あの件ですね。存じ上げております」
東方領は、過去にも同様の行方不明事件が発生している。
それは15年前、我が国の民を奴隷として拉致、他国で売買しようとした奴隷商人の仕業だった。王の眼と背後で動いていた当時の王の影の手で捕縛され、アンチェルナ帝国の関与が発覚したのだ。
しかし、民を救助出来たのは良いものの、あの手この手でこちらに非があると難癖をつけられ、結果的に戦争の一歩手前まで発展してしまった過去がある。
当時の戦力では、帝国を追い払うことは可能だとしても、大規模な戦となってしまえば甚大な被害が出ることは明白である。そして、帝国はその隙に我が国の民を拉致するのが目的であろうと考えられた。
最終的に、先王は帝国との戦争を避けるため、最前線で動いていた王の影隊長……父の首を渡すことで決着となった。
実際には別の理由で亡くなった父だが、先王は父を処刑したと敵国に偽ったわけだ。国を守るためだとは理解しているものの、父の尊厳を奪われた事が悔しくて仕方がなかった。当時は10歳だった陛下も、父の死を悲しんでくれた一人である。
そのような苦い記憶があるため、今回は慎重に動くべきだと判断したのだろう。私も同意見だ。
『今は民を守りつつ、情報収集に専念する。やつらに難癖をつけられない証拠を得るためにな。故に奴には任せられぬ』
「そうですね。確かに、彼が動けば大事になりがちですからね」
王の盾隊長、セシル=ウォード。治安維持に関してはとても頼りになるし、信頼している。だが、非常に正義感が強い彼がこの状況を知れば「民が苦しんでいるのに、放っておくなど出来はしない!」と言って突っ込む姿が目に見える。そうなれば相手の思う壺だろう。
『理解が速くて助かる。早々に向かってくれ』
「は!部下の二人を連れ、早急に現地に向かいます」
『頼むぞ、我が騎士エドワードよ……おっと、もう一つ頼みがある』
陛下の口調がガラリと変わる。ああ、ここからはいつものあれだ。私に何か使い走りをするときの口調だ。不敬だと分かってはいるが、陛下はこういうお人なのだ。
『向こうに行くついでだ、オリゼの街でケーキを一つ買って来い。名前は忘れてしまったが、特産の米と卵を贅沢に使ったそれが非常に美味だと貴族連中の噂で聞いた。俺も是非食べてみたいと思ってね』
……やはりそう来たか。まあ、陛下らしいといえばそうだが。変に口答えするよりも、素直に答えた方が良いだろう。
「承知しました、国王陛下」
『それだけか……。もう少し動揺したり、嫌そうな声をしたりしてもいいのではないか?』
少し不満げな声が聞こえるが、この程度の無茶振りはいつものことだ。
「……申し訳ありません。その、なんというか、驚きを通り越して呆れておりまして……」
『……まあいい。では頼んだぞ、我が騎士よ』
「御意」
私が了承の意を示すと、プツリと音がして耳飾りの魔道具から魔力が途切れた。……通信が切れたようなので、再び耳飾りを付け直す。
はぁ……。陛下は私を何だと思っておられるのか。
10年前……先王の急逝により、十五という若さで王の座についた。普段は堂々とした王の風格を醸し出しているが、これが軍人相手となると時折こういうことをされる。
特に私に対しては酷いもので、無理難題とも言える命令を吹っ掛けられることもある。
つい先日など「辛気臭い顔をしているから女装をして城内を練り歩け。暇なのだろう?」と言われ、女物の服を押し付けられた。今回の件に関しては、東に向かうための口実を作ってくださっただけなのだろうが。
一部の兵士達から影で私の事を【王様のおもちゃ】と呼んでいることも知っている。誰が言い始めたのかは知らないが、全くもって失礼な話だ。否定できないのが辛いところだが。
「本当に困ったものだ、全く……」
……おっと、愚痴が口に出てしまいそうになった。あのお方はどこで聞いておられるのか分からない所がある。
首都から一番離れている南方領の国境を守っていた兵士達が愚痴を言い合っていた。こんな辺鄙なところまで視察に来ないだろうと高を括って盛り上がっているところに、まさかの陛下登場となったらしい。
愚痴の内容がよっぽど酷かったらしく、「その場にいた兵士達は視察中ずっと雑用係としてこき使ってやった」というのは陛下本人の談である。
こんな飄々とした性格の陛下だが、国の事は真剣に考えておられる。我が国の現状を憂い、民が住みやすい国にしようと日々努力されておられるのだ。
北東のアンチェルナ帝国とのいざこざも、小競り合い程度ならうまく立ち回り、南東のエレナ王国とは貿易面で協力関係になっている。西方のセレスティア公国とは何度か戦争になっていたが、現在では停戦を取り付け、今のところ友好的な関係を保っている。
そんな状況で、国内に火種を持ち込むわけにはいかないというのが陛下の考えであり、今回の行方不明事件にも迅速に対応しろという事だ。
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