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とある少女と青年と少年の日常

作者: 愛福

***

♯1

「第一印象?最悪だった。」――ミラ・ヴァローナ

「?かわいいと思ったぞ?」――セシル・フリューゲル

***

金烏。

この名を知らない者は幸せである。それは今インターネット上で最も恐れられている世界最高のハッカーのハンドルネーム。このハッカーに目をつけられたが最後,パソコンに一度でも打ち込んだ「秘密」はすべて丸裸にされる。それが例え,国家の最高機密であっても,最新のセキュリティソフトに幾重にも守られたものであったとしても。しかも素性は全くの謎に包まれている。彼(彼女かも知れない,彼らかも知れない)がいるおかげで最強の盾と最強の矛は完全に矛の方が勝ってしまっている現状があるのだ。

それ故に彼の正体については様々な憶測が乱れ飛ぶ。

とある国の最高学府の学生達で組織されたチームであるとか,いや,十数年前から姿をくらましている二人の天才であるとか,いや,人間ではなく実験稼働中の最新AIであるとか…

そしてそのうちどれか1つとして確固たる情報はない,謎のハッカー,それが金烏なのである。

で,その正体は私だ。

え,何を言っているんだか解らないって顔してるな。もう一回言うぞ大事なことだからな。

巷を騒がす天才ハッカー金烏とは私,ミラ・ヴァローナのことだ。

…そんな電脳空間でのチート無双の名を欲しいままにする私だが,ここ最近,軽く三日ほどどうしようもない挫折感にさいなまされている。

ちなみに今の私の状態を一言で表すなら三徹ハイである。

なぜこんなどうしようもない状態なのかというと,それにはある男が深く深く関わっている。というか,そいつのせいだ。

***

私の身分は今,学生である。

本来ならば引きこもり,日がな一日他人のファイアーウォールに進撃を掛けていたいところだ。実際少し前までは故郷のレインラントでそんな生活を送っていた。

が,学生というままならない身分になるしか道が残されていなかった以上,現実世界で無力な私は従うほか無かった。

そこに至るまでにはかなりいろいろなすったもんだがあったものだが,とりあえず今は私が少し特殊な学園で学生という身分であることを覚えてくれるだけで良い。


その日,特筆すべき事は何もない単なる平日,私は運命の出会いを果たした。

「運命的に腹が立つ相手を見つけた」のだ。

ちょうど非情な先生によってか弱い乙女のたおやかな手に大量のノートがうずたかく積み上げられ,痛む手を必死でこらえつつ職員室まで運んでいたときだった。

突然,その重さが半分以上なくなった。

「?」

不思議に思って,見ると隣に大柄な男子生徒がいつの間にか私の持っていたノートを取り上げていたのだ。

「重そうだな。一緒に運んでやろうか?」

実に不愉快でいらない親切だったので「返せ。」と端的に用件を述べてやる。

「いいんだ,重たそうだったし。どこまで運ぶ?」

話が通じない。

「返してくれ。一人で運べる。」

「そんな遠慮しなくてもいい。」

僕はボランティアでやってるんですってか?こういうやつは本当に善意なんかじゃないんだ。下級生に声を掛けて荷物をわざわざ持ってあげる自分が大好きなだけのただのナルシスト野郎にちがいない。反吐がでる。でもまわりの視線から無碍に断るわけにもいかない。どうせ運んでくれるなら足として使えば良いだけの話,と割り切る。

「…じゃあ,頼む。」

少しだけ舌っ足らずに,あくまでさっきの自分が照れてただけなのだと見せかけるために少し演技を混ぜてやる。大抵の年上に通用するこの手。

「急にしおらしくなったな。演技か?目が笑ってるぞ。」

…あれ?

ばれた?おいおい,勘弁してくれ。そんなわけないだろう。

「え…」

ちょっとショックを受けたようなかわいらしい声を出して,数冊のノートを取り落とす。まあ,こんな所が妥当か。

「悪い,ちょっといじめすぎたかな?俺の名前はセシルだ。君は?」

「アンナ…えっと,職員室まで運ぶの。」

こんな廊下であっただけの男に本名を知られてたまるかと思ったし,咄嗟に偽名を使った。

「そうか。なぁ,アンナ。」

よっこらしょっと落ちたノートを拾い集める男。すべて同じ色,同じ形をしている指定のノートを無造作にシャッフルして私の持っている山の上にぽん,と乗せた。

「俺,嘘吐かれるのは嫌いなんだよ。アンナの本名が知りたい。」

…なんなんだこいつは!!??

いやいやおかしすぎるだろ。さっきのやり口なんてそれこそ今まで何十回としてきたはったり,しかも一瞬で看破できるような物ではないはずだ。

怖い。

そこまで考えて,そうだ,この学園の生徒なら十分にあり得ると言うことを思い出した。

きっと彼は「人の嘘が分かる」とかそういうことに秀でている人間に違いない。

それならどうしようもない。なぜ名前なんか知りたがるのかは分からないがおとなしく本名を捧げるしかないようだ。

「ミラ。」

「そうかーミラ,不思議な響きのきれいな名前だな。よろしく!」

うわあ…。なんというか,私の嫌いなタイプだ。

にこにこ笑っているその良い子ちゃんの仮面をはいで見たくなる。

「何で私の名前知りたかったの?どこかで会ったこととかあったっけ?」

「いや,会話するときに不便だろ?」

黙って運んでくれよ。

ひとかけらの曇りもない不思議そうなそんな目で見られると,本当にうがった考えをしている自分が馬鹿みたいな気持ちになってきた。

いや,でもそれがひとつの手なのかも知れない。乗せられるな,ミラ。

「それならあなた,とか君,とかで呼べば良いんじゃない?」

「あ,その手があったか!!」

イヤイヤ白々しいだろ気がつけそれぐらい無理があるぞそれは。

心の中で突っ込みを入れる。

もう面倒くさくなったので話を振られても適当にうん,うんと生返事を打っておく。さっさと職員室まで届けて,この男から退散しよう。

と,思っていた時期が私にもありました。

「なんでついてきてる!?」

さっさとおさらばしようと考えていたのに,その希望は打ち砕かれた。なぜかこの男,ろうにさっさと帰ろうとする私の後をついてくるのだ。

「危ないだろ?」

この状況下で一番危ないのはテメエだああああ!!

「いや,女の子を一人で帰らせるなんて男の名が廃るってものだ。」

知らない,お前のポリシーなんて聞いてない。

職員室までずっとしゃべり通しだったというのにまだ話足りていないのか?私はもう正直これ以上見ず知らずの人間と話すボキャブラリーは持ってないぞ?

部屋の前にたどり着き,ここでようやく彼から解放された私。

ええい本当に腹が立った。会話にもいちいち突っ込みどころが多すぎるし。しかも何も考えてないように見えるから余計たちが悪い…!

かくなる上は,とパソコンの電源に手を伸ばす。

私をこれほどまで苛立たせたんだ。それ相応の報いは受けてもらおう!

あいつの出身から人に言えない恥ずかしい過去まで丸裸にしてやればいい!!

私の腕なら半日もかからずにすべてが終わるのだ…後悔してももう遅い。恨むなら,自分の不運を恨むんだな!

***

と,いうことで探しに探して三徹なう。


結果。


何も見つからない,だと…?

金烏たるこの私の探索力を持ってしても彼自身がインターネットをつかい,情報を発信した形跡が1つも見あたらない。

そう1つも。

現代社会に生きる上でこれがどれほど珍しい事かおわかりいただけるだろうか。

なにかを書き込む,とかどこかの会員登録をネットでする,と言う活動の跡が一切見られないのだ。

どうなっているのか。

ただし一応名の知れた手品師であったようで,その活動の様子などは出てきた。嘘を見破る能力ではないことに多少驚いた。

だが,なぜこの学園の中にいるのか,手品をする前は何をしていたのか,などの情報はまったく出てこなかった。

どんな生活をすればそんなことになり得るのか。どこかのジャングルの中で生活でもしていたのか?


もう打てる手立てが無くなり,暗惨たる気持ちでカップラーメンをすすっていた。

そのとき。

「きゃあああああ-!!」


そとから悲鳴が聞こえてきた。

Gでも出たのか?と思い,窓をのぞくと。

さっきまでさんざん私を悩ませていたやつか,私の部屋に飛び込んできた。

「すまない,ちょっとかくまってくれ!」

ふむ,(ゴキブリ)じゃなくて(おとこ)だったか。

「というか,ここ女子エリアだぞ!?何を考えている!!??」

「いやぁ,猫を追っかけていたら気がついたら女子エリアに入ってた。すまん。」

「すまんじゃ済まない状況だろ!?」

寮の女子エリアは基本的に男子が一人で入るのはタブーとされている。最悪停学もあり得る事態なのに何をのんきにへらへらしてるんだこいつは?

まあここに入ってきたのは正解かも知れない。

私の部屋は元は広いのだけど,巨大なパソコンや六面のディスプレイなどとそれに繋がるケーブルが大量に床にちらばっていて,威圧感を与えている。それ以外は必要最低限のものしか置いていない。きれい好きなので一応埃などはないが,当然そんな部屋が女子に受けるはずもなくたびたび苦情が来たりするが生来の人づきあいの悪さですっかり倦厭されてしまっているのが一階角の私の部屋である。あれ,おかしいな。涙が出てきた。


「ちょっとひっこんでろ。」


そういって部屋の奥に男を押し込み,窓を開ける。

控えめにノックされた扉。開けると,恐らく先ほど絹を切り裂く悲鳴を上げていたのだろう女が立っていた。

「さっきここに男が入っていったのだけれども,大丈夫だったかしら。」

「はい。たまたま開けっ放しだった窓から逃げられてしまいました。顔はよく見えなかったんですけど。」

「そう,あなたも気をつけてね」

そうしてそそくさと去っていった。おわかりになるだろうか。彼女はねちっこさで有名な悪名高いお局様なのだ。

そんな彼女からもさじを投げられているこの状況を。

…寂しくなんてないんだから!!


「ふう…助かった。ありがとうな。」

何かをやり遂げた顔をしてさっさと部屋を出て行こうとするやつ。

「オイ待て。」

そいつの襟首…はちょっと高いので袖をひっつかむ。

「なんか報酬はないのか?停学の危機から救ってあげた恩人だぞ?」

それくらいはあって当然だろ,と試しに請求してみる。

「は?」

「名前は?出身は?何の授業をとっている?何をしにここへ来た?特技は何だ?」

「ちょちょちょまってくれ。金ならないぞ。」

「金?そんなものどうでもいい。情報が欲しい。特に,なぜお前自身に関する情報はどれだけ漁っても詳しく出てこないのか,そこを詳しく教えろ。」

ぽかんとした顔でディスプレイを見つめる男。がしがしと襟元を掻く。

「といっても俺はパソコン使えないしな…。触ったことがほとんどないからよく分からない。俺の情報?に何の価値があるのか知らないが,そんなことでいいなら教えてやるぞ。」


な…!!??パソコンに触ったことがない…だと…?おいおいまじかよ!!

その言葉の意味を分かってしまった私は,それはもう,呆然とするしかなかった。


どれだけ漁っても仕方がない。なんせ,隠されているのではなくて元から無いものをどれだけ必死に探そうとしたところで無駄なことだから。

「ということは~,つまり・・・私の必死の三日間無駄だったって事かよ!!」

完徹乙。

「?何のことだ?ああ,俺の名前はセシル。出身はカンナ連合国のレギラ島だ。レギラ・ワインって知ってるか?」

希少価値が高く,市場に滅多に出回らない超有名なワイン。ふーん。酒は飲んだことがないのでよく分からない私でも聞いたことがあるようなワインだ。

「君はミラ,であってる?」

「ああ。」

ちくしょう最初から本人に聞いておけば手っ取り早くすんだのに。

「それで,この学園にきた理由は?手品師なんだろう?それ関係か?」

「ああ,よく知ってるな。そうだ。」

「ネットで検索掛ければ出てくる。セシル・フリューゲル22歳,数年前から活躍する期待の新鋭マジシャン。出身はカンナ連合国。温厚で,老人と子供受けがいい。半年ほど前に3年の活動停止を発表。エトセトラ。」

「すごいな。よく調べてある。」

「これくらいなら誰でもできる。」

「いや,俺は出来ないぞ。たいした経歴じゃなかっただろう?」

「そこだけ見ればな。」

当然,そんなありふれた情報にはなから関心なんて無い。

私が欲しい情報は,相手の生い立ちから来歴すべての中でも「特殊かつ相手の弱みになる」ものだけ。そしてこの人間の不可解な点をずばりと切り込んでみる。

「馬鹿正直に本名でやっている理由は何だ?」

そう,この男は――何かを,隠しているのだ。

「本名でやって何が悪い?」

「ああ悪いさ。極悪だね。なんたってカンナでは知らないもののないあの事件に関係する人間が,手品師?笑わせる。なぜ捕まらない。なぜ,のうのうとこんな所でお勉強をしている?」

数年前,レギラ島で起きた名家のお家騒動というには盛大な事件。

知り合いに頼んで見せてもらった資料の中に,偶然この男の名があった事を思い出す。

「参ったな…この短期間でそこまで掴んでいるのか。これは大変だ。この学園に来て正解だったかな?」

「なぜこの学園にいるんだ?」

質問に質問を重ねるとその男は笑みを崩さずに言い放った。

「俺が捕まらない理由は,一言で言えば俺がフリューゲル家の人間だからだな。そんなことした時点でそいつの故郷は国内だったら無くなるし。この学園にいるのは,妹を捜すため。こんなもんでいいか?」

「…数点,腑に落ちない所もあるが,どうせいったって教えてくれないんだろ?もういい。」

にこにこ顔でずいぶんと狸だ。その雰囲気と駆け引きになれている姿は一介の手品師が持っていていいものじゃない。

ぞわりと背筋が凍るのが分かる。

「というわけで…とにかくかくまってくれてありがとう。俺はもうそろそろ行くよ。」

窓の外はもう暗い。椅子を立った彼に安堵のため息を漏らしている自分にびっくりした。

「そうだ。」

入り口付近まで歩いて行った奴は,私の座っている椅子に近付き,そっと笑った。―――彼は元から笑っていたのに!!

「誰にも言ってくれるなよ,金烏さん?」

***

そしてその日から彼は私の元へ顔を出すようになった。

情報を塞ぐには相手の情報を知っていることを知らせるだけでいい。その秘密が重大であるほど相手は決して情報を漏らさないということを,彼は良く心得ていた。

本当にしてやられたと思う。すっかり動転していた私はその「金烏」という言葉が鎌を掛けられただけということに気がつかなかった。

ちょくちょく顔を出すうちになぜか軽口をたたき合うような間柄になり,なぜかいつの間にか仲が良くなってしまっていた。

本来の殺伐とした空気を忘れてしまうくらいに。

***

♯2

「細くて折れそうで,あ,こりゃ食べてないと思った。」――ヨハン・ヘス

「チャラ男退散!!って願った。」――ミラ・ヴァローナ

「この二人を会わせてみたらおもしろい反応が返ってきそうだと思っていたんだ。」――セシル・フリューゲル

***


その日の私は注意力が散漫で,すっかり日常茶飯事になった平和ぼけの時間をただだらだらと享受していた。

具体的には,コーヒー片手に某国のゆるゆるなセキュリティシステムに道ばたの石を跨ぐかのごとく誰も知らないうちに侵入し,情報をひっつかみ遁走という別にさしておもしろくもない作業の後始末を部屋でしていた。

その途中で入ってくる男はいつもの彼だけであると思い,一段落ついたところで視線をあげた。


私の予想は確かに外れてはいなかった。

だが,当たってもいなかった。


「…?」


「はじめまして。」

次の瞬間の私の反応ほど返しに困る物はなかったに違いない。

私はそれまで座っていた椅子から転げ落ちて叫んだ。

「ウワアアアアアアチャラ男だああああああ総員!第一級戦闘配置!!」

総員といっても私しかいないわけだが,そんなことは関係ない。なぜなら目の前にいるのはリア充と並んでコミュ障の敵と称される,いわゆる「チャラ男」だったからだ。くっ…これがモテパワーか…目が!目がぁ!!


「おちつけ,ミラ。」

そういって私の肩に手を置く大柄な男。

でも私は知っている。この状況が,全部,

「全部お前のせいだってことは分かってるんだよ!!」

なんてやつを勝手に部屋に入れてるんだ!いつもは私1人か,多くても目の前の大柄な男の2人しかいない部屋に,新たな3人目が鎮座している。この部屋に入るのは私だけで十分だ!!

「ひどいなあ。せっかく昨日言ってた俺の料理の先生を連れてきたのに。」

そんなこと頼んだ記憶がない。ていうか,チャラ男だと知っていたら絶対に頼んだりしない。

「そんなこといつ頼んだ?」

「昨日返事してくれたじゃないか。」

昨日…昨日は久しぶりに私が贔屓にしている実況動画の配信があったからイヤホンを片耳にさして話半分で適当に相づちを打っていた。

…あのときか…

「チャラ男っていきなりひどくない?俺これでも結構実はまじめだったりするよ?根っこの方だけど」

ダウト。ふんわり軽めの茶髪がきちんとセッティングされていることは私の目から見ても明らかだし,銀の凝ったピアスを右耳だけつけているし制服はもはや原形をとどめていないじゃないか!その格好のどこをどうとったらチャラ男じゃなくなるんだ。

「こちらが俺の料理の先生,ヨハン・ヘス。見た目よりも良いやつだから仲良くしてな。分かった?」

幼稚園児にいいふくませるような口調でやつは迫ってきた。だが!

「チャラ男と仲良くする気はない。」

すげなく言い返す。ふん,これでいいんだ。どうせちゃら男なんて私の人生に必要ない。

「気になったんだけど…ちゃんと食べてる?カップラーメンの山が見えるのは俺だけじゃないよね?身体に悪いんだからな?あれ。」

「聞けよそしてオカンか!!!!」

私の突っ込みを無視して備え付けの簡易キッチンに来たときから持っている買い物袋を置いた。

「野菜のおいしさってもんをきっちりわからせてやるよ。」

「…やさいは,きらいだ。」

プイッと顔を背けるとあごを捕まれて無理矢理方向転換させられた。

「ほっほぉ~?俺の料理を食べたら二度と同じセリフ言えないようにしてやるよ。」

ギリギリ食い込んでくる指が痛い。一方で,「ヨハンがんばれ~」と気楽に応援している男――セシル。

お前の恥ずかしい過去ネットに晒してやろうか?それとも携帯を1日フリーズさせるのがお望みか?コラ。

ぱっと手を放されて,料理用具も何もない簡易キッチンを漁られる。

「とは言ったものの,どうしようかなぁ。ここ,包丁すらないじゃん。まな板…え,まな板も無い?キッチンばさみも…ない。おいおい嘘だろあんたどうやってご飯食べてるの」

だんだん絶望していく声。

「いつもは食堂か,カップラーメンで腹を満たしている。」

残念だが自炊という単語は私の辞書には載っていない。

「なんてことだ…!!」

もはや希望はない,というように崩れ落ちるヨハン。

「だから言っただろ?ちゃんと食べさせてあげたいって。」

「だが調理器具が備え付けのものしかない所を俺はキッチンと認めない!ただのスペースだよ物置だろ!!」

仕方ない,と立ち上がりため息をこぼす。

「ちょっと俺のとこからいろいろとってくる。ああミラちゃんはそのままそこで待ってて。おいセシル,荷物持ちとして来い。肉体労働なら得意だろ。」

「ええ~」

しぶしぶ立ち上がり,部屋を出て行く。大きな2つのレジ袋から,タマネギが1つこぼれ落ちた。

「…置いてくなよ。」

くう,とおなかが少し鳴った。


***


包丁2つ,まな板2枚,菜箸,おたま,ミキサー,洗剤,石けん…はさすがにあるか。没。鍋は効率を重視して圧力鍋。型と,しまった,バター買ってこなかったな。持って行こう。キッチンペーパーと保険で一応2リットルペットボトル2本の飲料水,塩や砂糖などの大切な調味料,あとスパイスを小分けにして挽いた物のパックを数十種類に,台拭きも忘れてはいけない。その他にも細々した物から大きめの物までを危険物と重い物に分けてセシルにどんどん持たせる。

「しかし小さい上に細いな,彼女。いったい何を食ったらあんなガリができるわけ。」

目の前の調理器具に埋もれた男から返答が帰ってくる。

「ひどいと一週間カップラーメン生活っていうのもざらにあるらしいぞ。何でお前を呼んだのか,わかるだろ?」

確かにそんな生活が身体に良いわけがない。それは目の前の超鈍感男にも分かったらしい。

こいつはかなり大雑把で適当だ。食べ物だって,食べられればいいという感性の上で成り立っている。そいつが危機感を持つ程だ。多分彼女の栄養状態はかなり悪い。

「確かに,俺を呼べば大方の食糧事情は解決するけど…お前の料理の腕を見るに俺もその程度なんだよな…」

加えて野菜嫌いで,小食。何というか,シェフキラーとでも言うような典型的な偏食家だろう事は簡単に想像ができる。まあ,相手を丸め込んだりするのは下積み時代から良くやってるし,交渉なら割と得意だ。

一通りの器具を持ち終えたので,歩き出す。

「ミラちゃんが好きな物は何か知ってる?あ,嫌いな物でもいい。」

「う~ん…」

記憶力の良いこいつが迷うって事はよほどよほど食にこだわりがない人間なのだろう。

「というか,ミラが食事してるときは大半,同じ銘柄のカップラーメンか,サンドウィッチとか片手で食べられるものだな…」

なんということだ。予想を遙かに上回ってるじゃないか!!

「おいしい,とかまずい,みたいな感想を聞いたことはある?」

「あんまりないな。」

いつも同じものを食べている人間…だめだ。成長期なのにそんなことをしていたら大事なところも成長しないままつるぺたで一生を終えることになるよ!

ここらで一発がつんとおいしいと思える物に出会わないと「おいしい」という感覚を知らないまま大人になる。

そして大人になったときに彼氏から幻滅されるほどのメシマズになるんだ!

阻止せねば!!


***


部屋に戻ってきた俺たちに飛んできたのは「遅い!」という怒り心頭な声だった。

「私に料理を作るなら勝手にしろ!だが空腹のまま耐えろと言うのは許さん!!」

ぷんすこという擬音がぴったりな怒り方をしている。

「まあそう怒るなって。ほら,アメあるぞ」

機嫌のとり方がえらくおじいちゃんっぽい。しかも,無理矢理突っ込んでる。

「もがっ!ってなんふぁこれ!ハッカ!?」

味のチョイスまで渋い。

というかご飯前になんてことしてんだ!ハッカとかスースーしてだめな人はだめなやつだろうが!

「ミラちゃん,無理だったらここに出しても良いよ。」

そういって慌ててティッシュを渡すと彼女は口から出して脇のゴミ箱にためらいなく捨てた。

ちょっと涙目になっている。

「ハッカ嫌いなんだよ…おなかすいた。」

「うん,いきなりだと特にびっくりしちゃうよね。」

ショボンとした顔でそっか…ハッカ嫌いなのかと項垂れるセシル。

だがしかし,テメーはだめだ。

「あのなあ…みんながみんな嫌いな物がない訳ないだろ。せめて一言言ったらどうなんだ。」

「すまん…。」

俺はヒリヒリするベロを押さえているのだろうミラちゃんに近づいて,ポケットに入っている氷砂糖の包みを取り出した。

「口が物寂しいなら,これ舐めておくと良いよ。ご飯までもう少し時間もらうから,それで我慢してくれない?」

これはいつも授業中小腹が空いたときに舐める,砂糖の結晶だ。ほどよく甘いし,飴やガムのようにきつい香料がないからご飯の前でも口がまずくならない。色も半透明で,結構きれいなので常に持ち歩いている。

「ふおお…」

この年頃の女の子は多少ひねくれていてもかわいいものときれいなものはみんな好きだ。

目がキラキラしているのを確認して,キッチンのほうに歩み寄る。

目指すは健康生活の第一歩,偏食を直す,からだ。


***


先ほど偶然聞いた,「ハッカが嫌い」という言葉。

きらい,まずいという感覚はあるらしいので,セシルとは違ったタイプだ。

ちなみにセシルは「おいしい」という感覚はあるが,昔船に乗って世界中を巡っていた弊害らしく,まずいという感覚の垣根がとても低い。早い話,「消化できる=食べられる」というおそろしい味覚の持ち主だ。料理を教えていてこれほど教えにくいやつはいない。何でかって?「味見」という行為が意味をなさないからだよ!!「うーんちょっと微妙かな?」といって渡された料理が塩と砂糖を間違えた料理だった時の俺の気持ちが分かるか!?微妙じゃねえよ明らかに失敗だろ!!ちなみにその失敗作はセシルがおいしくいただきました。

「あ~。」

作る物は実はもうすでに決めてある。

大人から子供まで応用が利く,カレーだ。

「ミラちゃん,カレー食べられるよね?」

「問題ない。辛すぎるのは嫌。」

一応,だめだったらクリームシチューを作ることにしてはいたが,その必要はないようだ。

「おっけー。じゃあがんばるか。」

いつもよりちょっと甘口で。


***


トトトトと素早いリズムで野菜が次々と刻まれていくのがわかる。しかも,均等で計算し尽くされたフォームだ。ヨハンに言わせれば「慣れ」らしいその鮮やかな手つきを俺が習得するには多分数年ぐらいかかるのだろう。俺が日頃手にしている刃物とは種類も用途もまったく違っているから。

「ミラ,おいしいか?」

目の前の小さい女の子は口の中のお菓子に夢中らしい。目をキラキラさせて氷砂糖を転がす姿は年相応な無邪気さから出来ている。

俺がこの学園に入ったとき,こんなに純粋な子供と友達になるなんて考えてもいなかったのにな。

オーブン,2個のコンロ,シンク…今まで使われていなかった器具達が今日初めて日の目を見ている。

「何か手伝おうか?力仕事なら言いつけてくれ。」

「う~ん,ブレーカー落ちるといけないから出来る限りそのへんの電化製品のコンセント抜いてくれ。もちろん部屋の主に確認してからな。」

「おう。」

言いつけられた雑用を手早く実行に移す。渋々といった様子で(でも口はもごもごしてるから効果は半減だ)彼女もコンセントを抜く作業に移る。

「あ~,その横のだけはお願いだから抜かないでくれ。それ以外なら…うん,今は問題ない。コンセントだけを抜いてくれよ,おい今持ってるそれは無線LANだ。それはコンセントじゃない。その横の,あ~その辺も違う。めんどくさいからその辺一体は放置しておいてくれ…コンセントじゃないから。違い?形見ればいいだろ。後,色も。あーその白いのはコンセント。抜いちゃって~。」

とはいっても実際に手を動かしているのは俺だけだが。


***


野菜をいつもより細かめに切って,水を一緒に圧力鍋に入れてタイマーをセットする。

この行程だけでもうカレーは8割方出来たような物だ。


後は食後のデザート。

悩んだのだが,今回作るのは一番オーソドックスな人参のケーキ。

型にバターを塗ってオーブンで温める。

多めに買ってきた人参をミキサーに投入してペーストになるまで混ぜる。

卵や小麦粉とかをしこたま混ぜて,角が立つぐらいになったもの(これはセシルにやらせた。体力馬鹿だからな。)に混ぜる。

型に流す。

焼いている間にトッピングの飴細工とメレンゲ,コーヒーを用意。

皿にのせて盛りつけ。

できあがり。

あとは大幅に時間短縮してできた具に,スパイスを投入していく。

うん,やっぱ挽き立ては違う。カレー粉ではこのおいしさは出ないんだよな~。

最後に隠し味を投入して甘みをつける。

はい,できあがり。


***


「なにこれっ!?こ,こんな味初めて食べた!」

「おいしいだろ?」

「何回食べてもヨハンのカレーはおいしいなぁ。今回のは甘口だし,いくらでも食べられる。」

そうだろうそうだろうとうなずいてみせる。

カレーのスパイスの香りというのは食欲増進に大いに役立つのだ。それを至近距離でかぎ続けていたので,空きっ腹がもっと刺激されて途中から腹の虫の大合唱だった。

飯テロとはよく言ったもので,俺の場合は味見があるのでまだ良かったが氷砂糖しか口に入れていない彼女にはかなりの攻撃だったのではないかと思う。計画通り。

時刻は丁度5時半なので,少し早めの夕食になった。

しかしカレーには本当ならナン,せめてライスを用意したかったのだが,時間とコンロの個数の限界からやむなく今はパンで凌いでいる。

フランスパンの薄切りにあふれんばかりに具材たっぷりのとろとろカレーとチーズをのせて,チーズがとろけて少し焦げ目がつくぐらいになるまで焼く。これ,ジャスティスな。

しかも野菜嫌いとかグリーンピースはよけて食べるとかの不満を一気に抑えられるとても画期的な方法だ。

本格カレーではないので,その辺の本気もまたいつか出してみたいが,まずはあまい人参と大豆,ナスなんかの野菜をそうと認識しないで口に運んでしまうことが大切。カレーの風味が野菜のクセを目立たなくするのだ。

さらに言うなら,今回俺はあえて手抜き料理を出している。カレー粉を使っていないからそこだけは本格派とも言えるが,あまりにもおいしいものを食べてしまうと次にもし自力でカレーを作った場合,そうでなくてもほかの,例えば学食でカレーを食べたとき,漂うこれじゃない感と戦わなければならなくなるのは,こちらとしても忍びない。

スプーンで一口食べる。

うん,まあおいしいじゃないか。

前カレーを作った時は…そうだ,食費が底を尽きそうになったから3つの寸胴いっぱいそれぞれ違う味の本格カレー作って凌ごうと思ったら野郎共が湧いて結局喰らい尽くされたのが最後か。その後なにかしら差し入れがあってその後の地獄の1週間を凌ぐことが出来たんだっけ。なつかしいなあ。


そうだ,食後のデザートがある。おかわりにいこうとした大食らい(セシル)を片手で制し,冷蔵庫を開けて,例の物を取り出す。

「じゃじゃーん。ケーキがあるよ。」

「「ふおおおおお!!」」

白いお皿の上にオレンジ色のケーキ。キラキラ輝く飴細工と,ふわふわなメレンゲをのせた超かわいいケーキ。

本当はチョコケーキとかモンブランのほうが俺は慣れているけど,カレーの後で食べるにはいささか重たすぎる。

本当はメレンゲだって結構厳しいかなと思って控えめなのだ。


「あ,でも…もうお腹一杯になっちゃったよね?」

少し残念そうな顔を作る。セシルはともかく,ミラちゃんはさっきのカレーで限界が近いはず。わざともったいない精神が疼いて食べたくなってくるように仕向けてみる。

「そんなことはない。甘いものは別腹!!」

「おお,ミラ,無理しなくて良いんだぞ?余ったのは俺が食べてやるから。」

「ふっ…お前は知らないようだから教えてやる。女には2つの胃袋があるんだ。通常用と,甘いもの用のがな!!」

さあはやく,と期待した目つきでこちらを見つめてくる。…こう簡単に引っかかってくれるとは,やっぱりおいしいものは偉大だ。

「はいはい。あ,このカレーはどうする?」

「俺が食べるさ。ただ,ヨハンの料理を独り占めしたっていうと寮のみんなにおこられるんだよな。」

「もっと作れってか。」

「お願いします。」

仕方ない。代わりに課題とか手伝ってもらうことにする。

切り分けたケーキを皿に移してテーブルの上に置く。

フォークをとろうと棚を漁り…振り返ったときにはケーキが2つとも無くなっていた。

繊細なケーキを素手で掴んでいる2人。

「おい!!ちょっと待ったここにあるフォークの立場は!?というかミラちゃん,女の子がケーキ素手で掴むんじゃありません!!」

「口調がおかんだなあ」

「誰のせいだ!?」

「食べられればそれで良い…と,モグモグ,思う。」

「ルールとかそれ以前の問題!!」

なんてこった!!行儀作法も教えなければいけないとは!

・・しかたない。不本意だがミラちゃんの食育は俺が担うしかないようだ。

俺の分だけフォークを出して,切り分けたケーキを口に運ぶ。まあまあおいしい。仕込みなしからもこの出来だったら良い感じ。しかし目の前の二人がもっしゃもっしゃと食べているのが,やっぱりどうしても気になってしまう。

「はあ…それで,おいしい?」

「ああ!おいしい!」

「うんよかった。実はそれ,人参で出来てるんだよ。」

嫌いな野菜で上位に入ってくるにんじん。

「え,本当?これが,人参?」

「うん。さっき俺がミキサーでがーってやったやつが入ってる。で,どう?結構野菜もすてたものじゃないよね」

「う…まあ,このケーキぐらいは認めてやってもいい。」

「カレーに入っていた野菜は認められない?」

「認めないとは言ってない!」

つんっとした様子でそっぽを向く彼女。だけど,ほっぺたが赤くなってるのが丸わかりだよ。

「そうかそうか。ミラも大人になったなあ」

よしよしとセシルが頭をなでると「やめろ!」といって嫌がるミラ。

今日も平和だ。今日はその平和の中で,新しい絆が出来た日だ。


***


♯4


***


目の前の平和を崩すことは簡単だ。俺の出自と来歴はこんな平和を享受出来るほど甘くない。

3年間,その間だけ,自分に甘えを許した事はきっと後悔することになると分かっている。

だがそれでも,この平和の中で手に入れた新しい仲間にはせめてこれからも平和な人生を送って欲しいと,心からそう思っていた。

あの家の醜い呪われた争いに,ミラを,ヨハンを,巻き込んでなるものか。知られて,なるものか―――


***


セシル・フリューゲルはフリューゲル家の人間である。

ではフリューゲル家とは何か?

元々セシルの出身地であるカンナ連合国は多数の島国の集まりで,長い歴史を持つ中で,独特の航海術としたたかな商いで身を立ててきた国家である。

この商いを根本から支えていたのが,フリューゲル家を含む,5家と呼ばれる強大な組織。

それぞれ得手とする商品が異なり,またそれぞれに適した航海術を持ち合わせる。

そのなかでフリューゲル家の担当は表向きは金銀財宝などの装飾品や骨董品など,最も丁重に取り扱わなければならない類のもの。しかし実は重火器,火薬,毒,一昔前までは奴隷も扱っていたいわゆる裏社会に通じる商いもしている。

その跡目争いとなれば多くの黒い金が蠢き,利権にあやかろうとする金持ちが湧き出すのもある意味当然のことともいえる。

その後ろ暗い一家の,当主の甥として生を受けたセシルは幼い頃から様々な知識,学問を叩き込まれた。

しかし彼自身は当主の座を望まなかった。なぜなら2つ下の従兄弟が彼よりも優れていると知っていたからだ。

二人は仲も良く,当代で跡継ぎ争いは起こらないものと思われていた。だが,5家のうちの1つが自らの再起をかけてセシルの方についてしまってから,時勢は大きく動いた。


***


「本当に,当主の座なんていらなかったのにな。」

もとから継ぐ気なんて無かった。だが,唯一の妹を人質に取られてしまえば当時何の権限もなかった俺にはどうすることも出来なかった。

「…クソ野郎共が。」

思わず口汚い罵り言葉が出てくるほど,胸くそ悪い腐った争い。

「いかんいかん。」

あわてて周りを見渡してみる。幸い,まわりに人はいなかった。

今の発言を聞き咎められたりでもしようものなら,今まで作ってきた「手品師セシル」のイメージが崩れ去る。

それだけは避けたい。

笑い顔を造り,日常へするりと溶け込む。

ミラの元にそんな殺伐とした空気を届けるわけにはいかない。

トントン,と扉を叩いた。


***


その情報を掴んだとき,私の頭は真っ白になり,平穏な時間は過ぎ去った。


ふと,彼の生い立ちをまた追ってみたくなっただけの興味本位だった。

彼が言っていた「フリューゲル家」とはいったい何か。「妹の探索」を私が手伝えることはないか。

興味本位でパンドラの箱に手をかけてしまったその時の自分。後から思い返せば,何と無茶な事をしたのか。


ディスプレイに表示される「彼」に関する情報は,1年間なんだかんだ言ってつきあって来た私にはどれも信じられないことばかりで。

(傍系筆頭。継承権第3位。フリューゲル家で出てくるのは黒い噂。しかも事件に関わっているどころか主犯じゃないか!)

捕まるどころか生きていること自体が不思議。

そして何より不可解なことは彼がこの学園に来た理由,「妹」の存在だった。

ありがちな行方不明ではなく,ちゃんと戸籍も写真もあり,その存在はフリューゲル家の家系図にもしっかり刻まれている。鬼籍に入っていることもない。

しかしその先,どんな経歴か,セシル本人との交流,あの事件の時どうしていたのか,いま何をしているのか。

それらが全く出てこない。

セシルを調べたときも,フリューゲル家との関連は全く出てこなかったし,その時に感じた不可解ないくつかの点もまだ解消されていないが,自分から名乗った情報だ。その点は間違いはないだろうし,こうしてフリューゲル家を調べればある程度,彼に関することは情報が出てくる。

だがそれ以上に頑固なプロテクトがかかっているのか,妹に関しては全く何も掴むことは出来なかった。世界最高のハッカーである私,金烏が調べても出てこない情報は,セシルが言ったように元から何もないか,私の技術を上回るプロテクトがかかっているかの2つに1つ。

何もないなら彼がわざわざこの学園で妹を捜す為だけに学生という自由が奪われる身分に就くだろうか?

(冗談きついって。)

たかが1人の情報だけに厳重な警戒をし,その上何もないと見せかける?

わからない。わからない。初めて全体像すらつかめない事件に出会った私は泣きたい気持ちになった。


「ミラちゃん,どうした?」

「ぴゃっ!?」


不意に背後から話しかけられた。

この声は,

「ヨ,ヨハン…」

「ほんとにどうしたの!?え,あ~,何か辛いことでもあった?」

「セシルが…いや,関係ない。大丈夫。ちょっと,動転しただけ。」

「全然大丈夫に見えない。ちょっと待って。暖かいものでも用意するから,話してくれない?煎れる間に整理しておいてよ。」

そんなこと言っても話せないものは話せない。これを話してしまったら私は楽になるかも知れないけれど,ヨハンまで巻き込むわけにはいかないのだ。

てきぱきと整理されたキッチンの中で忙しく動く彼を眺めながら,どうやって誤魔化そうか考える。


チン,と電子レンジが鳴って,2つ分のホットミルクが出来たことを知らせた。

手早く取り出し,ココアパウダーと砂糖を念入りに混ぜる。

「どうぞ。」といわれて差し出されたホットココア。1つは私のキーボードの横に。もう1つは,4つの椅子があるダイニングテーブルに座る彼自身の前に置かれた。私は,ココアを持ってテーブルのいつもの位置に移動。


「で,何があったの?」

ホカホカと湯気を立たせて身体を温めるココア。本当のことを話すにはうってつけだけど,嘘つきにこの味は甘すぎる。

「え~,っと…」

気まずくなってずずず,とココアをすする。気長に待ってくれている彼の善意の視線がとても痛い。

「あ,あの,セシルって本当はいいとこの坊ちゃんだったんだなあっていうことが,その,わかって,え~っと,ちょっとびっくりしただけ。うん,ほんとそれだけだから。」

「ふーん。」

ココアを一口飲んだあと,ゆっくりと口が開かれる。

「で,本当のところは?」

ばれてーら。

「セシルに教えてもらったんだよ。喋ってるとき右を見たら嘘。あと,ミラちゃんは嘘つくとき髪の毛触るクセがあるよって。」

しかも攻略されてーら。

「う,でも…」

「そんなに俺に喋りたくないこと?」

少し怒りが滲んだ声。

「でも,これ知ったら多分セシルが信じられなくなる。それに,一生絶対秘密にしておかなきゃいけない。ばれたらたぶん,私の命もない。」

そんな秘密をあえて聞きたいか?

「でもセシルに関することで,ミラちゃんがそんな死にそうな顔になるような情報なんでしょ?だったら俺もその痛みを分かち合いたいと思うよ。それに,俺だけ仲間はずれっていうの,やなんだよね。」

「でも!ヨハンは私と違ってちゃんとした人間だ!うまく言えないけど,これ知ったら,後戻りが出来ないかもしれない!」

「あはは。ずいぶん高評価でうれしいよ。でももうけっこういまさらだよ。この1年で北の大国の大統領の性癖から南の共和国の有力な株まで俺知っちゃったからね?」

こうなったら運命共同体としてあきらめて地獄までついてくよ,と軽く言い放たれた。

「それに,霊感があるなんて自分からいう奴にちゃんとした人間っていうのはちょっと無理があるよ。」

そう,どうやらヨハンは霊感があるらしい。

私も初めはなんだその無駄な設定,とかいってとりあわなかったのだが,ある写真を見たときのヨハンの異常なまでのおびえ方,そしてその背景に写っている場所,よくよく調べたら昔,大戦中に大勢の人間が殺されている場所だったということが解ってから私はヨハンのいう「霊感」という奴を信じている。

「…そこまでいうなら,ちょっと待ってろ。」

プリントアウトをした紙を,ヨハンの手の上にのせる。

”フリューゲル家について”の,手に入った情報すべてがそこに載っている。

ヨハンの目が,滑り始めた。


***


最後のページに入り,ココアの湯気が立たなくなってきた頃。

トントン,と扉がノックされた。

「ミラ,俺だ。入るぞ。」

「セシル!?」

まずい。とりあえず紙を裏返し,「はいっ!」とすこし裏返った声で返す。

「どうした?ん,ヨハンの方が今日は早かったのか。今日はココアかな?外までいいにおいが…あれ,なんだこの紙?」

まずい。とってもまずい。普段ヨハンは食卓に食器以外が置かれている状態を嫌う。なのに置いてあるって事は訳ありです!と自己主張しているようなものだった。

「”フリューゲル家について”?なんだこれ?」

セシルの速読は私ほどではないにしても速い。ざっと一枚目に書いてある情報をとられて,はあ,とため息をつかれた。


「なあミラ,これ,どこからこの情報を手に入れた?」

「う,その,興味本位でいろいろ…。」

「俺の家のセキュリティも堕ちたなぁ。それで,どこまでわかったかちょっと教えてくれないか。場合によっては全身全霊で謝ってもらわないといけないぞ,これ。しかもヨハンまで巻き込んだのか。ミラ。」


長いお説教タイムの幕が開ける。


***


なるほど。そこまで聞くと俺はただの危険人物にしかならないから少しずつ補足をしてもいいか?

ああヨハンは別につきあってもらう義理もないし,ここから先はカンナの国家機密だ。え?ここまで来たら知りたい?う~ん,いいけど聞いててあまりおもしろくないと思うぞ。それでもいい?じゃあ,他言無用で頼む。

1つ確認しておくけど,ミラ,この部屋って防音はしてあるんだよな。定期的に盗撮用のカメラとか盗聴器対策してる?もちろんか。そうか。しっかりしてるな。え?ちょうど3日前にやった?うん,ばっちりだ。

俺の家は昔から少々訳ありでな。まあそこに書いてあるとおり,かなり危ないことも平気でやるような家なんだ。その家に生まれた俺は,当然跡継ぎ争いに巻き込まれた。俺は元から家督なんていらない,世界を自由に旅したいと常々言っていたし,血筋が正当な従兄弟を推していた。なのに巻き込まれたんだ。腐った政治家や,自らの利権しか考えられないような商人共にな。それで,まあ当然反発した訳だ。そこで奴ら,俺を黙らせるために何をしたと思う?俺の唯一の兄弟だった妹を人質にしたんだ。生まれた腹こそ違っても,かわいいかわいい妹だったのに,おれと妹の仲を利用された。最後に見た姿は船に押し込まれるところだった。あの瞬間,俺は決めたんだよ。こいつらの思い通りの人形になってたまるものか,絶対に報復してやるってな。

そこからいろいろあって,殺されかけたりとかフリューゲル家の当時最も重要だった交易船を沈没させたりとかごちゃごちゃして,最終的に俺は誕生日に国外追放された。フリューゲル家の当主は結局従兄弟になったんだけどな。

それから俺は妹を捜す旅に出た。近くをうろうろしていたら残党に殺されるから,船に乗せてもらって,世界中を旅した。名前を売るために危険も大きかったが本名で手品師として,それこそ世界中を。

妹の情報が出てこないのはたぶん,その特殊な生い立ちと,俺の報復を恐れて,だと思う。

俺の情報もかなり強固なセキュリティに守られてて,初め会ったときミラは見つけられなかっただろ?

元々フリューゲル家のプラーバシーは独立してかなり強く設定してあるらしいんだ。俺自身はパソコンに嫌われているからあまり使えないんだが,理屈は一応知識として入ってるからな?今舌打ちしなかったか?それで,妹は,実は俺の母親とは違う母親から生まれたんだ。で,妹の母親はとある国の姫君だったということを親父から聞いたことがある。それが相手の国に知られるとまずい。外交問題になる可能性を秘めているんだ。

あと,自分でこんなことを言うのも恥ずかしいんだが,俺自身結構その,攻撃力は高いんだよ。

護身術も一通り習ったし,いつ何時狙われるか分からないって親父が重火器の使い方までみっちり教え込んでくれた。それに,妹を助けるためか俺自身の命のためなら引き金を引くことにためらいは感じない。だからせめてもの抵抗として,妹の情報は完璧にガードされているんだと思う。


こんなものか。何か質問はあるか?

ん,この学園に来た理由?妹の捜索が全然進まなくて荒れていたある日,手紙が来て「金烏の探査力が欲しくないか」って書いてあったんだ。学園長がどこまで掴んでいるのか知らないが,藁にもすがる気持ちで来たんだ。

まさか金烏がこんなかわいい子で,でもその「金烏」にも妹の事が調べられるとは思わなかった。あいつらが機械に打ち込んだ情報を保護しないわけがないからな。

やっぱり無駄足になったみたいだ。


***


「俺は後半年でこの学園を出て,また妹を捜す旅に出ることにしてる。生きてたら,きっとまた会える。」

そう悲しそうに言うセシル。彼の青い目は,見たことのない悲しい色が浮かんでいた。

「わかった。もっと詳しく調べる。それで,分かったら知らせるよ。」

「だめだ。」

私の言葉を遮って,厳しい声が制止した。

「何で?何が調べたいか分かればもっと深くまで潜れるし,もっと情報が出てくる!私は金烏,もっと信用してくれても!!」

「じゃあ聞くが,なぜここで情報が切れてるんだ?この先に何か罠が仕掛けてあったからじゃないのか?」

う。痛いところを突かれた。確かにその先に,パスワードが必要な抜け道のないページがあった。

「なあ,もう止めにしてくれ。おれはミラの安全をなげうってまで自分のために探したいと思ってるわけじゃない。」

「でもっ・・・!!」

「はいはいそこまで。追い詰めすぎだよ,セシル。お前の言いたいことは分かった。筋も一応通ってる。でも,ミラちゃんには考える時間が足りてないんだ。大人げないと思わないのか。」

普段は聞かないような剣呑な声がヨハンから発せられた。そのまま,にらみ合いに移行する。

先に視線を外したのは,セシルだった。

「もう,俺に関わらないでくれ。」

そう言って,逃げ出すように席を立った。

「セシルっ」

慌てて止めようとしたけれど,遅かった。既に,彼の姿は見あたらない。


***


♯5


***


それから,セシルは私たちと話すことは無くなった。視界の端に捕らえることはあったけれど,話しかけようとすると逃げられる。

そんなもやもやした日々。

私はある決意をした。


***


私はその日,学園長に手紙を書いた。ヨハンも同じ考えだったようで,宛名を見てお互いにニヤリと笑みがこぼれる。


****


その一週間後。私たちはフェリー乗り場で彼を待っていた。

遠くからゆっくりとした歩調で歩いてきた彼は,私たちを見て驚いたようだ。

「ミラ!?ヨハン!?何でここに?学校はどうした!?」

「辞めてきちゃった。ほらこれ,」

そういって目の前の男に紙束を渡す。

「妹さんの居場所。よかったね,まだ生きてるわよ。」

「お前だけじゃ飯,どうするんだ?ついてってやるよ。」

「そんなこと頼んでないぞ!!」

「いいの。もう辞めてきちゃったんだし,どうせなら最後まで見届けるのが友情ってもの。」

「過去が大変な日々だったからとか,未来は修羅場だからとか,関係ない。俺たちはお前が友達だからついていく,そんだけのこと。…ちょっとクサい?」

「だいぶクサい。」

「今から俺が行くところは必ずしも学園の中みたいに平和じゃないんだぞ?いいのか?」

「いいんだ。」

「いいって言ってる。それに,私たち,もう明日のご飯も怪しい生活に入ってるし。どこだろうと一緒。」

「…そうか。」


***


その後,彼らは共にフェリーに乗り込んだ。

彼らの計画がすべて上手くいったかどうかは分からないが,数年後,彼らのメンツににもう1人小さい女の子が加わった事だけをここに記しておこう。


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