下ごしらえ 九
【何してる! はやく逃げろっ!】
ヨシツネの必死な声が三太の頭に響く。
その必死さが逆に印象的だった。巨大な化け物は未だに静止中。ヨシツネの能力は十分に効いている。なのにどうして、ここまで必死なのか。
三太の疑念は、すぐに解消された。
大地を揺るがす鳴動によって。
「…嘘だろ」
呟きは三太の口から。
無意識の独り言だが、誰もそれを咎める者もいない。三太自身恥ずかしい思いを抱いてはいなかった。抱く余裕がなかったからだ。
響く振動は無数の足音のよう。とはいえ、もちろん衝撃が人間のそれではない。
巨大な爬虫類。
それしかないと三太は確信した。
抱きついたままの市村ヨネを背後に押しやり三太は震源に視線を向けた。
と、同時に轟く咆哮。それは決して一匹の獣が発したものではなく、無数に折り重なった轟音で。
【くそ、だめだ! 間に合わねえ!】
頭に響くヨシツネの声だけが、三太に現状を正確に認識させてくれた。
直後、三太が予感した最悪の事態が襲ってきた。
無数の巨大な爬虫類。
無駄に躍動感の溢れた動き、巨体とは思えないほどの速度。
まだ遥か遠くから迫っているやつらは獰猛な牙を剥き出し、殺意が溢れんばかりに籠った眼光が正確に三太達を見つめている。近づくほどに大地の揺れは増していき、もうすぐ立っていることすら出来なくなってしまう。
轟音と眼前から迫る脅威に対し、三太は刀の柄を握りしめ、居合の構えをとった。
はったりだ。三太は未だに刀を振るう理由を見つけていない。
それでは何の抵抗にもならないし、意味もない。けれど、何かをしなければならないという焦燥感が三太の肉体を動かした。
何も出来ずに死ぬなんて、それこそ死んでもごめんだと三太は強く思う。
『──もう大丈夫』
不意に、頭の中に声が響いた。
ヨシツネとは別の声。けれど、それは三太の知る人物の声そのものだった。
目の前の脅威から無防備に背後を振り返り、
『ママの本気見せちゃうから』
光を見た。
淡い暖色の光。市村ヨネの全身から溢れる光は輝きを増し続けていく。暖かさを感じると同時に妙な安心感が全身を包み込む。その威力たるや戦闘時の精神状態へ持っていった三太の思考を一瞬で平時のそれに戻してしまったほどだ。
瀬菜の炎とはまるで違う感覚。
美しさは見る者の心を奪うが暖かさは見る者を正気に戻す。
この状況下では正しいことではないのかも知れないが、少なくとも三太はこれ以上何かをする必要がないのだと悟った。刀を握りしめた指を外し、構えすら解いた。
「なんだい、お前さん。やっぱりお姫様なんだな」
『ええ。すっかり忘れてたんだけれど、ね』
文七のからかい半分の言葉に市村ヨネは軽口で答えた。
いつの間にか大地の鳴動は消えている。無数の爬虫類達は足を止め、遠目に市村ヨネだけを見ていた。否、警戒しているのだ。
『狩りは久しぶりだけれど、うん、問題ないわね。それじゃとっと終わらせて夕飯を作らないとね』
溢れる光。
轟く無数の咆哮と共に大地が揺れる。
三太は怪獣大戦の当事者でありながら、傍観者となることを決めた。結果が見えた勝負ほど関わると碌なことがないと知っていたからだ。
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