下ごしらえ 七
「覚悟? なに言ってんだ、お前さん。そんなことより手伝ってくれや」
【ああっ?】
ヨシツネがいくら凄んでも文七は飄々とした態度を崩さない。気圧されている三太を横目に文七はヨシツネと正面から対峙した。ヨシツネの見下ろす視線にはどこか怯えが混じっているようにも感じる。文七は目を細めながらゆったりとした歩調でヨシツネに近づき、そのまま何気ない仕草で襟首を掴んだ。
そう、相手の襟首をなの抵抗もなく掴んだのだ。
【なっ】
ヨシツネの表情が驚愕に変わる。抵抗しようとしたのかどうかまではわからないが、少なくとも、彼の本領を発揮する前に勝負が決したのは間違いない。そのまま、ヨシツネは三太の視界から消え、
「ほら、行くぞ」
文七はいつの間にか三太の襟首まで掴んでいた。
「はい?」
視界が切り替わる。
あまりにもあっけなく、前触れがなさすぎて三太は現実を受け入れるまで数秒を要した。かつて体感したことのある現象。だからこそ、三太は目の前に広がる光景を受け入れることができなかった。
荒涼とした大地は広がる世界。
大地が消えた大空だけの世界。
それとまるで違う光景が広がっていた。
「さんちゃーんっ! たっすけてぇえええええー!」
響く声に三太は覚えがあった。というか、目の前に叫び続ける少女がおり、その姿はつい数刻前まで覇気に満ち溢れたものだった。はじめて父親と対峙することができたという自信。それが彼女を何十倍にも輝かせていた。
市村ヨネ。
彼女は先ほどまでの凛々しさをかなぐり捨てて、泣きながら走っていた。
そして、その背後には。
「GIAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!」
巨大な生物がその獰猛な牙を突き立て、大地を踏み鳴らしながら進撃していた。
化け物。
見た目は爬虫類の姿に近いが、その巨大さはあまりにも規格外。鱗と思しき表皮は生々しく滑りを持っており、獰猛な瞳は殺意に染め上げている。
「おうおう、最初の威勢はどこにいったのやら」
文七が嘆息混じりに言った。
三太は全て文七の仕業だと悟り、怒ればいいのか呆れればいいのかわからなくなった。流石にこんな馬鹿みたいな状況を飲み込めるほどの器量は三太にはとてもなかった。とにかく目を逸らして、寝込みたい気分になった。
そうだ、今目を瞑ればきっと文七が用意してくれたふかふかの布団で、文七が用意してくれた部屋で目覚めることができるはずだ。そして、文七が用意してくれた朝食を食べて、文七の手伝いをして。
そこまで考えて全ての元凶の手のひらにいる事実に三太は気づいた。気づいたからとは言え、何を言えばいいのかもわからなかったが。
【馬鹿じゃねえのかっ!】
それだ!
三太はヨシツネの言葉が自身の思いを代弁したことに喝采を上げたくなり。
そして、化け物に向かって飛び出したヨシツネの後ろ姿をただ黙って見送った。
見送った理由は一つ。
三太はあんな化け物を斬ったことがなかったからだ。
読んでいただきありがとうございます!
明日以降も投稿続けていくので何卒よろしくお願いします!




