水月
「う、あ…えっ?」
苦悶の表情を浮かべ、苦しんでいた少女──水月はようやく自身の現状に気づいたようだ。
燃えてもいなければ、火傷どころか外傷も負っていない。身に纏う衣類が土で汚れてはいたが、それだけだ。水月は自身の肉体と握りしめた刀に異常がないかを確認してから、周囲に視線を走らせた。
当然、すぐそばで見下ろしていた三太にも気づいた。
「な、三太…?」
瞬間、バネ仕掛けの玩具のようなキレで体勢を整えた。居合の構え。抜刀した刀を鞘に戻す動作は見事の一言で、既に必殺の一撃を放つ準備は済んでいる。
その事実を前にしても三太はただ水月を見つめていた。
わかっていたからだ。
彼女が三太に向かって刀を振るうことは絶対にないということを。
「や。大丈夫?」
数日ぶりの再会だったが、三太はとても久しぶりに会った気分になった。ここ数日に起きた怒涛の出来事のせいでそれまでのことが遥か彼方の出来事のように感じてしまったのかもしれない。
三太は穏やかな気分で水月と対面していた。
そのせいなのか、
「…貴方、本当に三太?」
水月はそんな訳のわからないことを言った。
「はは、それ以外の誰に見えるのさ」
「…うん、その癪に障る物言いは確かに三太ね。うん、間違いない」
言葉とは裏腹に三太の挙動の隅々まで見通そうと凝視している。よほど不審に思っているのか、間合いの測り方まで慎重になっているようにも見えた。
そう、彼女はあらゆる意味で慎重なのだ。
三太が喧嘩を売ろうとも、稽古の時に挑発しようとも決して手を出してこなかった。
三太が『御家騒動』を起こした時も彼女はあくまで中立で居続けた。
あくまで彼女自身の判断が保身であっただけなのだろうが、それでも三太にとっては助けになった。あの環境の中で、三太の敵でなかっただけでも希少な存在だったのだ。
だからこそ、三太は彼女が自分に対して危害を加えないだろうと確信していた。
何せ、敵対する存在ですらない三太に対して攻撃するという危険を犯す真似をするはずがないのだから。
「それで、何が起きたのかわかる? ここがどこで何をしていたのか」
「うん、まずは私を前後不覚の老人のような扱いをやめてもらおう。そんなのはわかっているさ。私が今燃えていたことは」
言いながら、明らかに動揺しているのが三太にもわかった。言葉遣いがおかしいことのもそのせいだろう。視線が三太を見ているようでありながら、瀬菜の方に意識が向いているのもわかった。
居合の構えを解かないのも瀬菜がじっと見つめているからだろう。
当たり前だ、おそらくズタボロに負けた相手なのだからすぐに警戒を解けというの難しいだろう。
「落ち着けよ、嬢ちゃん。敵わねえのは十分にわかっただろう?」
からん、と下駄の音が響いた。
文七が煙管を吹かして、芝居がかった足取りで水月へと近づいていく。
いきなりの登場に水月の意識が完全に文七に向いたのがわかった。居合の構えが緩み、柄を握っていた指が解けている。
いや、というか、その表情を見れば水月の警戒が解けたことは十分に理解できた。
驚愕。
目をまんまるに開いた表情は教科書に載せたいほどの見事さだと三太は思った。
「なんだい、猫を見るのははじめてかい? なに、大した違いはねえさ。ただこの屋敷の主人なんでね、あんたが何をしたのか、事情位は聞かせて」
「か」
「か?」
「かわいいいいいいいいっ!」
絶叫。
三太ですら聞いたこともない声量を上げながら、水月は文七へ飛びかかった。
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