始まり
──どうして、そんなこともできないんだ。
三太が物心ついた頃、よく父はそう言って彼を不思議そうに見下ろしていた。
三太自身も父の言葉の意味が分からず、ただ父を見上げていたのを覚えている。
幼い子供と大人では比べること自体が間違っている。けれど、三太の周りには同年代の子供がいる環境であり、彼はその中で分け隔てなく育てられた。
競争がなくとも、ただそこにいるだけで優劣は見えてくる。
三太は当主の長兄でありながら、誰よりも劣っていた。
それは幼年期をすぎ、少年となり、社会へ出る青年となっても変わらない。
当主の威光により迫害されることはなくとも、能力の優劣は明白であり、誰もが彼から距離を置いた。本人の生真面目さが滑稽さに拍車をかけ、誰もが彼を無視するようになっていった。
三太自身もその空気を察していたが、それでも、父だけは彼を見捨てていないと信じていた。
幼い頃から続く地獄の鍛錬。勉学においては数理から地政、様々な分野の学修を命じられた。飯を食う暇もない環境は父の期待の現れであり、当主の責務として当然のことだと受け止めていた。学舎においては数少ない友人との交流だけが心の拠り所だった。
全てはお家のため。国家鎮守の一柱として先人達に恥じぬ貢献をするための生き方だと自分自身に言い聞かせて来た。
青春の時間など人生においてはただの一瞬に過ぎない。そこに注力する前に自分はやることがある。
それを言い訳にして、それだけを頼りにして彼は十六年生きて来た。
なのに。
──お前を勘当することにした。今日中に出ていけ。
ただ一言。
父はそうとだけ言って、己が職務へと向かった。
三太に反論はなかった。
怒りも、悲しみも、なんの感情も湧いてこない。
ただ、朝食の前に呼び出されたのは父としては珍しいことに不手際だと思っただけだ。せっかく使用人が用意してくれた朝食が無駄になってしまうのだから。
三太は父からの宣告を受けた直後に自室の整理をした。
持ち出すものはほぼない。自身の衣服もほぼ与えられたものであり、自室には保管していない。私物と言えるものはなく、読書の趣味もない。
とりあえず外向きの着物を纏って、最後に腰に刀を下げた。
この刀だけは、三太自身の持ち物と唯一言えるものだから持ち出すことには抵抗はなかった。
衣服や靴については、いつか返しにくればいい。
自身にそう言い聞かせ、そのまま生家である屋敷を後にした。
こうして、三太は十六の歳で天涯孤独となり、無職となったのだった。