終わりに
こうして玄は建国され、その後三百年余りの長きに渡って蓬莱大陸を治めることとなる。
皇帝となった華鉄は宣言通りに、紅から引き継いだ道路の整備と拡大を進め、大陸の東西を繋ぐ交易路を作り上げた。玄で紡がれた良質な絹と、中東や西洋から黄金や香辛料、あるいは石像などの美術品が行き来し、莫大な富が生まれた。
また、商人の往来も増えたことで文化や技術の交配も進み、人類史全体を飛躍的に進歩させたとも言われる。玄の首都であり交易路の東端となった興杏は様々な人種が行き交うインターナショナルな都市となり、その栄華は留まるところを知らなかった。出自に囚われない国造りは成功を収め、羅雪以外にも多種多様な人材が玄に登用されたことが分かっている。
なお、我が国おいても紅玄革命から三十年後に、玄への遣使を派遣して国交を結んでいる。第一回の遣使が我が国に帰国した際に残した日誌には、皇帝の重鎮から大変な歓迎を受けたと記されており、この時の遣使を迎え入れた重鎮とは、羅雪のことではないかと言われている、
実は、紅玄革命以後の羅雪について言及された史料は、これが唯一のものである。
羅雪は玄の史官となり、華鉄の側近として居続けたことは間違いないのだが、彼が記録したのは華鉄の言行であって、自分の名前を歴史書に残そうとはしなかったようだ。それ故に、羅雪の人生の後半部分については不明な点が多い。
ただ、羅雪が編纂した皇帝・華鉄の言行録は当時から高い評価を受けていたようで、次代以降の玄の皇帝が帝王学を学ぶための教科書として使われたほどである。
そんな教育のお蔭か、華鉄亡き後も名君と称される皇帝が排出され、繁栄が長く維持された。
しかし、後世の歴史家から、『蓬莱大陸史上最も幸福な時代』と呼ばれた玄の治世もやがては終わりを迎える。
それは皮肉にも、豊かな時代が長く続いたことによる爆発的な人口増加による食糧不足が原因だった。この問題を人類が解決するには、窒素の化合肥料の登場を待たなければならない。当然、この時代にそのようなテクノロジーは存在しなかった。
飢えに喘ぐ民衆が各地で蜂起して国内は混迷を極め、またもや群雄割拠する乱世の時代が幕を開けてしまう。
その後も数々の王朝が勃興したものの玄ほど長続きせず、いずれも短命で滅びてしまう。近代に入れば蓬莱大陸は西洋列強に支配されるようになり、やがては二度の世界大戦の戦火にも晒されることとなる。次々と巻き起こる戦乱によって、紅玄時代の貴重な史料の数々が散逸してしまったことは、人類史の大きな損失であろう。
失われた史料の中には、華鉄が紅玄革命を起こした動機や羅雪のその後の半生について記されたものがあったのではないかと思うと、残念でならない。
現存する数少ない紅玄時代の遺構や出土品は、興杏(現在の白楼省西杏市)の博物館などで陳列されており、当時の繁栄に思いを馳せることが出来る。
また、蓬莱大陸まで足を伸ばすのが難しい方には、我が国の国立中央博物館に羅雪ゆかりの史料がいくつか展示されているため、こちらを訪れることをお勧めしたい。
羅雪が我が国で商人をしていた頃に使用された通行手形や、蓬莱大陸の情報がまとめられた覚書の切れ端など様々な展示物があるが、その中でもぜひ見て頂きたい物がある。
それは、羅雪が振るったとされる天来具『白蛇』だ。
分厚いガラスケースの中で白亜に輝くその名槍は、何時間眺めていても飽きがこない美しい美術品であり、同時に多くの命を奪った凶器でもある。
白蛇が我が国に渡った経緯について、実は定かではない。有力説としては、羅雪の死後に、玄に派遣されていた我が国の遣使が皇帝(華鉄は羅雪よりも先に崩御しているため二代目と考えられる)から譲り受け、帰国時に持ち帰ったというものだ。白蛇は朝廷内で渡来品として管理されていたが、後に我が国でも蓬莱大陸と同様に数々の戦乱が巻き起こったためにあちこち人手を渡り、最終的には神社に奉納され現代まで残り続けたようだ。
そして、数年前に博物館に寄贈されたことにより、多くの人々の目に触れることとなった。
現物を眼にすれば分かるが、とても千年以上経った武具とは思えないほど美しく、錆などの経年劣化の痕跡がほとんど見られないのが驚きを通り越して恐怖ですらある。本当に天から与えられた宝物なのではないか、と畏怖と畏敬の念を抱かされてしまう。筆者は博物館の職員の方に「白蛇は伝承通り蛇のように動くんですか?」と思わず聞いてしまったほどだ。
職員の方には「展示物は時々手入れをしていますけど、その際に動いたという話は聞いたことがありませんね」と苦笑されてしまった。だが筆者は半ば本気だったし、実は今でも天来具の伝承は歴史的事実ではないかと疑っている。
本書でも描写した、白蛇を始めとする天来具の不思議な力は現存する史料にもはっきり記述されている。しかし、あまりに荒唐無稽な内容であるため、歴史学者の中にその描写が現実に起こった出来事だと信じている者は誰一人としていない。
確かに、物理法則を超越する魔法のような能力の記述は創作物としては面白いが、学者としては信じがたいものだろう。筆者としても学者の立場は理解できるし否定するつもりもない。
しかし、ガラスケースの棺に横たわる白蛇の神秘的な雄姿を眺めていると、今にもぬるりと蛇の如く動き出すのではないのか、と淡い期待を抱いてしまうのもまた事実である。




