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終章

「国号を改めようと思う」


 晴れて、紫宸殿の主となった華鉄が羅雪と月花を前にしてそう宣言した。


「はい?」


 革命の日から数日後、急に呼びつけられたかと思ったら唐突にそんな話を聞かされた羅雪と月花は揃って首を傾げた。

 紅書及び玄書によれば、紅玄革命による世の中の混乱はほぼ無く、民衆も百官も華鉄の帝位を素直に認めたようである。革命前から華鉄による有力家臣達への根回し工作が済んでいたこともあり、権力の交代がスムーズに行われたのだろう。

 こうして、かつて華炎に仕えていた佞臣らは排除され、常態化していた汚職や不正が一掃される。また、華炎によって左遷された能臣らは中央省庁に呼び戻され、再び政務に携わるようになった。結果、皇城は以前の在り様を取り戻し、民衆も天下泰平が戻ったと歓迎し、華鉄への支持も集まった。

 無論、これは華鉄の手腕が評価されたというよりも、華炎時代の圧政が終わったことへの安堵が大きい。今後、華鉄が名君と誉めそやされるようになるか、あるいは華炎と変わらぬ暗君と罵られるか、それはこれからの華鉄の行動に掛かっていた。

 その重要な第一歩を、国号を改めることで踏み出そうと華鉄は告げていた。


「国内外に新たな時代の到来を告げるためにも良い案だと思うが、どうだろう?」

「……そりゃ、お前が皇帝なんだから、お前の好きにすればいいだろ」


 羅雪はやや投げやりに答える。


「ら、羅雪っ、陛下の御前でそんな言葉遣いっ!」


 床に平伏していた月花が慌てて羅雪の脇腹を突っつく。

 羅雪の返答は無礼千万であり、相手が相手ならば打ち首も免れない大罪である。

 だが華鉄は寛大に笑っている。


「よい、月花。こいつと俺との間柄だ。……それに皇帝になってからというもの、以前はあれだけ俺をうつけ者と馬鹿にしてた輩が今はへいこら媚びを売り始めてな、堅苦しい態度には辟易しているのだ。羅雪のような素直な男が居てくれると、俺も気が休まるというものだ」


 凝った肩をほぐすように両腕を振り回した華鉄は床に腰を下ろし、胡坐を掻いた。皇帝が取るべき態度とは思えない、くだけた様子だった。それは華鉄がこの二人だけに見せる、私的な姿である。


「さて、国号の件だが、親父殿がこの国に残した傷跡は中々に深く、華の一族そのものへの不満も少なからず存在する。まだ、表面化していないがな。それ故に、華炎とは決別したという意味も込めて、国号を変えたいと思っているのだ。……そなた達にも考えて欲しい」

「そ、そのような重大な国事を、私達のようなものが決めてもよろしいのですか?」


 月花が恐れ多いと言わんばかりに身を震わせる。


「ただ意見を述べるだけだ、気にするでない。実は、俺も昨晩からあれこれ考えているのだが、どうも思いつかなくてな。歴代の王朝に習って色に因んだ名にしたいとは思っている」


 蓬莱大陸の王朝の名前の多くが色をモチーフにしていることは、蓬莱大陸史を専門に学んでいない読者もご存じのことだろう。

 史上初めて蓬莱大陸を統一した王朝の名が『ハク』であったことから、それにあやかってその後に勃興する王朝も色の名称から国号を決めたとされる。

「……紅の次の国号か……」と呟いた羅雪は腕を組んで考え込む。


「親父殿が国号を決める際は、恐らく自身の名前の『炎』に因んだのだろう。そうなると俺の場合は『鉄』なのだが、はてさてどうしたものか」

「……『錆』とか?」


 冗談めかして言った羅雪に、碓氷に覆われた華鉄の微笑みが向けられる。笑ってはいるものの、冷たい怒気が顔から溢れ出ていた。


「……貴様、ふざけているのか?」

「ふふ、怒るな怒るな。錆色って色があるだろ?」


 とても皇帝と臣下のやり取りとは思えない、悪友同士のような会話が繰り広げられる。そうやって二人がやいのやいのと言い合いながら、国号の案を次々と出していく。しかし、これと言ったものは浮かばない。

 そんな中、今まで黙りこくっていた月花がふと、口を開いた。


「…………ゲン


 微かに漏らされたその言葉を華鉄はすぐに拾った。


「……ほう、玄、とな」

「あ、いえ、私のような者が考えた名など、この国に相応しいはずがございません。どうか、お忘れください」


 恐縮して何度も頭を下げる月花を余所に、華鉄は「……玄、そうか、玄か」と繰り返し呟いている。その名称が自分の唇に馴染むかどうか試しているようだった。

 玄の文字は黒色を意味する。しかも単なる黒ではなく、赤味が掛かった黒である。それ故に、玄は奥深さや珍しさを表す言葉としても使われる。『玄妙』や『玄人』といった単語に使われていることからも、『玄』に込められた複雑な意味を推し量ることが出来るだろう。


「よし、そうしよう。……本日より、この国の名を『玄』と改めることとする。早速、文官に知らせ、文牒を発行させなければ」


 ポンッと手を打って立ち上がった華鉄は、文机に向かうと紙と筆を執りさらさらと『玄』と書き付けた。

 驚いたのは月花である。


「あ、あの、華鉄様。わ、私のような、東夷のものが考えた名を国に付けるのは、身に余る光栄でございますが、……そのあまりにも分不相応でございます。……それに万が一、東夷が名付けた国名だと知られたら、民も家臣の方々も良い気持ちにはならないのでは……」

「なんだ、そのようなことを気にしているのか」


 華鉄は筆を置き、自分が書いた『玄』という国号をしげしげと眺め、満足そうに何度も頷いている。余程、お気に召したようだ。


「月花よ、時代が変わるのだ。もう東夷や何だと出身に囚われる時代は終わる。いや、終わらせなければならん。俺は、この玄を、そういう国にしたい。……親父殿は確かに暗君であったかもしれないが、一つだけ功績がある。……それは、世界中の珍品や美女を掻き集めようとしたため結果、国内外でいくつもの道が生まれたことだ」

「道? 行商人達が使う道か?」と羅雪。

「そうだ。その結果、この興杏には多種多様な人々が集まり、賑わった。無論、皇帝を騙そうと考えた不届き者もいたが、世界中から人と物と金が集ったことは事実だ。玄では、その道をより整備し、世界の東西を結ぶ交易路を作ろうと思う。この交易路が生み出す利益は莫大なものとなるだろう。そのためにも出自への偏見は無くしていかなければならん。東夷出身のそなたらが俺の側近になるのは、実に都合がいいとは思わんか?」


 華鉄が語った計画の壮大さは、東方の小さな島国の漁村で生まれ育った二人の理解の範疇を越えており、ただただ圧倒された。紅という国一つですら彼らにとっては広大であったのに、今度は世界と来たものだから、呑み込めないのも無理はない。

 華鉄は最初から世界を見ていたのだ。紅の皇帝をどうのこうのという話は所詮過程に過ぎず、最終的な目的は世界そのものだった。

 羅雪にはようやく全ての得心が行った。

 そう、全ては最初から。華鉄が、俺に協力を持ちかけたあの日から、すでにこの遠大な計画は始まっていたんだ。東夷出身の俺が華鉄と共に革命を成せば、異国人への偏見の眼が少なくなることを見越して。


「……なぜお前が俺に近づいたのか、やっと分かったよ。革命の片棒を担がせるなら、他にも良い人材はいくらでもいただろうに。その理由がずっと疑問だったんだ。……なるほど、革命成功後の新たな国で、皇帝の側近に異国の者を置くという図式が欲しかったんだな」


 羅雪は華鉄の用意周到さに呆れと感心を覚えながら告げる。

 華鉄は綺麗に並んだ白い歯を見せつけるようにニヤリと笑う。


「クッ、その通りだ。と言っても異国人であれば誰でも良かったわけではないぞ。有能で俺の役に立つ人間でなければならなかった。……俺のその厳しい試験にお前は合格したんだ。胸を張っても良いのだぞ?」

「はいはい、有難き幸せにございますよ」


 恩着せがましく言う華鉄に対し、羅雪は呆れつつ、若干の本音を混ぜ込んで返答した。


「では、俺の愛しき片腕に恩賞と、今後への期待も込めて贈り物を授けてやろう。皇帝からの下賜品であるぞ、喜んで受け取るがいい」


 自らを皇帝と言いながらも床に胡坐を掻いているその姿勢からは、威厳の欠片も見当たらない。酒場や妓楼に出入りしている不良少年の雰囲気である。だが、そんな親しみやすさを羅雪は意外と気に入っている。もちろん、そんなことは口が裂けても本人には告げないが。


「……俺は、お前やお前の父親のように欲深い男じゃない。身の丈に過ぎた恩賞なら謹んでお返しするぞ……俺は月花と暮らすことが出来ればそれで満足だ」


 そう言って横目で月花を見つめると、丁度月花も羅雪に視線を送っていた。はにかんだ微笑みに、少しだけ赤く染まった頬が羅雪には眩しい。四年という月日は二人を別つ深い溝であったと同時に、互いの想いを熟成させる期間にもなった。それ故に四年の歳月を経てようやく結ばれた両者は、言葉を交わさずとも互いの想いを確かめ合うことができた。

 そんな二人をつまらなそうに眺めている華鉄。


「安心しろ、俺からの贈答品は二つ。しかも大したものではない。まず、一つ目は王林将軍の屋敷だ。彼奴が亡き後は空き家となっていてな。私財もそのままになっていて処分に困っているのだ。お前達の巣としてくれてやろう。月花は一時期暮らしていたのだから、勝手も良く知っているし、丁度良いだろう」

「……そ、そんな。将軍のお屋敷を奪い取るような真似、私には出来ません」と羅雪の隣で困惑する月花。

「……今や、王林の遺族と呼べるのは月花、そなただけだ。どうせお前達が住まぬなら取り壊し、私財も売り払われてしまうのだぞ。それよりはお前達に使われる方が王林も喜ぶだろう」

「…………ですが……」


 華鉄の言う理屈も分かるが、そう簡単に首肯できる話ではなく、月花は黙考し続けている。


「では、こう考えよ、月花。そなたは実態はどうあれ、王林の妻であった。王林が死んで未亡人となったそなただが、王林の妻という事実は決して消えぬ。ならば前夫の財産を引き継ぎ健全に管理することが、そなたの役目ではないのか?」

「役目、……そうですか、……私の……」


 強張っていた月花の表情が少しだけ氷解する。


「今すぐ、結論を出さずとも良い。考えておいてくれ。……それともう一つの贈り物についてだが、羅雪よ、そなたには俺の側近として相応しい役職を贈ろう。……本日よりそなたは玄の史官となれ。業務の内容としては主に二つ、前王朝である紅の歴史書『紅書』の編纂と、後の世にこの玄の歴史書が編纂される際の史料となる俺の言行録の作成だ」


 華鉄の視線が羅雪の双眸を真っ直ぐに射抜いた。

 羅雪は思いがけない贈り物に虚を突かれ、回答に窮する。


「……史官は、歴史の編纂に携わる重要な官職だろう。良家の嫡男が代々世襲していくような要職じゃないのか? いいのか、俺なんかで?」


 羅雪は紅に仕官してからの二か月ばかりの間、司経局校書として数々の歴史書に目を通して写本を作り続けてきた。どの歴史書にも歴代の皇帝や王朝の言行が微に入り細に入り記録されており、そこには当時の出来事を余すことなく書き記して、何が何でも後世に残そうとする、編纂者の偏執的な狂気すら感じられた。文字から溢れ出る狂気に宛てられて、思わず文字を書き写していた筆を止め、読みふけってしまうことも一度や二度では無かった。

 これまで読む側だった歴史書を、今度は自分が生み出す側に回る。そのことに幾ばくかの不安を覚える。歴代の編纂者のような執念を、自分が持っているとはとても思えなかった。

 そんな羅雪を余所に、華鉄の表情は底抜けに明るい。


「先程も言っただろう? 出自に囚われる時代は終わりにしなければならんと。それに史官として最も重要なのは家柄ではなく、例え皇帝本人にとって不都合な事実であっても全てを書き記す能力と気概だ。我が身可愛さに皇帝からの圧力に屈したり、忖度を働いて事実を捻じ曲げることは絶対にあってはならん。……そなたは俺に余計な遠慮はしないであろう?」

「……確かに、お前の面子を立ててやろうなんて気はさらさらないな。……しかし、お前はそれでいいのか? 立派な皇帝として名を残したいんじゃないのか? なぜそこまで事実を残すことに拘るんだ?」


 素朴な疑問をぶつけてみると、華鉄は唇に不敵な笑みを浮かべた。


「……これは俺と親父殿との勝負、いや、戦争なのさ」

「は? 何言ってんだ、お前の父親は、もう……」

「そうだ、もう現世では親父殿とは戦えん。だからあの世で再会した時の勝負事として、後世の人間の評価で競い合おうと思っているのだ。……俺は、俺がしでかした事実の全てを後の世まで残し、判定を仰ぐ。……俺と親父殿、どちらが優れた皇帝であったのか、後世の人間が俺達の評価を語る様を親父殿と一緒にあの世で眺めるのだ、どうだ、面白い試みであろう?」


 伊達や酔興で言っているわけではないことは、華鉄の表情を見れば明らかだった。愉悦に染まった唇に、熱意が滾る眼差し。これまで数々の策を打った時と全く同じ顔つきだ。つまり、華鉄は本気でこの先の百年、千年の未来の者達に彼ら親子の功績を裁定させ、この果てなき親子喧嘩に決着をつけさせようとしている。

 華鉄にとって、今回の革命の成功は勝利ではないのだ。乱世を終わらせた英雄に勝つには、この程度のことではまだ足りないとでも思っているのかもしれない。

 それ故に、史官に己の業績を記述させ、後世の人間を審判として判定を仰ごうという。なるほど、それならば史官に公明正大さを求めるのも頷ける。余計な忖度で業績が脚色されては、華炎との公平な勝負にならないからだろう。

 何と大仰で愚かで、狂った考えだろう。相当に歪んだ父親への愛情である。しかし、父親に構ってもらおうとする子供のような想いは、羅雪にも理解できなくはない。ある意味、いじらしさすら感じる。さながら、失った父親の影を追って彷徨う迷い子のような。


「……相変わらずお前の考えはぶっ飛び過ぎてて付いていけないが、やろうとしていることは理解した」


 後頭部を無茶苦茶に掻き毟りながら答える。


「ま、どうせ、俺に選択肢なんて無い。これからこの国で暮らしていく以上、手に職を就けなければならんし、お前が斡旋してくれるというならそれを断る理由はないな。それに、皇帝の側近となればそれなりの給金も見込めそうだ」

「……回りくどいな。さっさと結論を述べたらどうだ?」


 と、華鉄は羅雪の返答など分かっているくせに、ニヤニヤと笑みを浮かべながら先を促す。傍らに座る月花も、羅雪の横顔を微笑ましそうに眺めていた。

 二人から見つめられて背筋のむず痒さを覚えながらも、コホンと咳払いを一つしてから分かり切った返答をする。


「…………今日からお前がやらかした出来事は一つも漏らさずに記述させてもらう。お前の悪行がこれから百年、千年後も残り続けて、いずれは歴史として紡がれるということを肝に銘じておくんだな」


 華鉄と月花のにやけ面が視界に入らない方向に顔を向け、吐き捨てるように言い放った。

 すると、華鉄が膝を叩き、バシンッと威勢の良い音を響かせる。


「ああ、望むところだっ! 俺はこの『玄』を、紅に負けない、……いや、古今東西のどの国にも負けない大帝国に築き上げて見せよう。交易路で世界の東西を繋ぎ、在野に眠る賢人を掻き集めて仁政を敷き、民の暮らしを豊かにし、何者も寄せ付けない大軍勢を編成するのだっ。ふふ、あの世にいる親父殿の吠え面が今にも目に浮かぶようであるな」


 そう言って顔を上げると、腕を組んで呵々大笑した。まるで天上からこちらを覗いている華炎らを見上げ、睨み返しているかのように。

 大言壮語もここまで来ると心地よい。このような皇帝陛下にこれからお仕えしていくのかと思うと、今後の苦労を察してしまう。だが、不思議と羅雪の心に陰りはなかった。

 この男に付いて行けば、また、今まで見たこともなかった景色が見られるのではないか。想像もしていなかった、夢のような世界を目の当たりにするのではないか。

 そんな興奮が突風となって羅雪の心を吹き付けており、不安の雲など忽ち吹き飛ばしてしまう。そのため、心に陰りなど出来るはずもなかった。

「羅雪よっ、俺の思い描く夢はまだまだ山積している。それらを実現させるには寝る暇も惜しで働くしかない。故に、史官たるそなたの筆が休まる時は、死ぬまで来ないと思えっ!」

 水平線に顔を出した日の出の如く眩しい笑顔で、死刑宣告を放つ華鉄。

 だが、それでも羅雪の心は晴れやかだった。

 いずれ歴史となる俺の未来を、この男と共に築けるのならばきっと退屈しないだろう。白蛇の代わりに筆を手にして、まだ見ぬ明日を切り開いていこう。

 ようやく見つけることが出来た自分の夢に、胸が高鳴っていた。

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