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第四章 酔生夢死 その7

 羅雪に、名を呼ばれている。夢心地の中で、月花はそう感じた。

 しかも、月花と呼び捨てにされている。確かに『月花』は私の本名ではないけれど、今の互いの立場を考えると、気安く呼んでははいけないのではないの?

 空を漂う白雲のようにふわふわとした意識の中で、羅雪の声だけは稲妻のように鋭く、異質に聞こえた。すぐ耳元で名前を呼ばれているのを感じる。右手も何だか温かい。手を握られれているのだと分かった。

 溶けていた意識が少しずつ凝固し、白んでいた視界が像を結び始める。霧に包まれたように朧気だった視野が晴れて行き、懐かしい顔が間近に見える。最初は輪郭だけだったが、眼鼻、前髪、唇の動きまでもが露わになる。


「月花っ、月花っ! 大丈夫か? 俺が分かるか?」

「……羅雪、…………」


 その名を紡ぐと、急に意識がはっきりした。視界の隅に残っていた霧が一挙に晴れ、視覚の全てが羅雪の顔を受け入れる。


「……羅雪っ!」


 思わず、飛びついていた。

 羅雪の身体に飛び込んで両手を背中に回し、強く、強く、抱き締める。両腕にどれだけ強く力を込めても、羅雪の頑強な上半身はしっかりと受け止めてくれた。とくんとくんという心の臓の鼓動が、重なった胸部から伝わって来る。

 間違いない、この羅雪は本物だ。幻想でも夢でもない。正真正銘の羅雪だ。


「……あっ、だ、駄目っ、こんなところを誰かに見られたらっ!」


 その時、王林の妻であり皇帝の下賜品でもあるという自分の立場を思い出した月花は、慌てて羅雪から離れた。両腕を突き出して羅雪の胸部を押し退けようとする。


「……いいんだよ。……終わったんだ、全部」


 だが羅雪は穏やかにそう言うと、月花の両肩を掴み、再び抱き寄せる。


「……終わった……?」


 それを聞いて月花は全てを思い出した。

 辺りを見回すと、意識を失う直前まで立っていた王林の屋敷の門構えがあった。同時に、みぞおち付近にきりりとした疼痛を覚える。

 そうだ、私、王林将軍を行かせたくなくて。立ち塞がって。命を懸けるなんて啖呵を切ったけど、でも、将軍は剣の柄で私のお腹を突いて意識を奪っただけだった。将軍を裏切ったこんな私に、将軍は最後まで優しかった。


「ら、羅雪、……王林、将軍は?」


 そう問いかけた時に見せた羅雪の表情で、月花は全てを察した。

 羅雪は静かに目を伏せ、悼んでいる。

 ……ああ、やはり、将軍は我が子を守るために。

 そう思った瞬間、月花の目尻が光り、そして涙滴が零れた。熱を帯びた涙は頬を焼きながら流れて、地面に落ちる。唇が震え、そして噛み殺せなかった嗚咽が漏れる。気付けば子供のように泣きじゃくって、羅雪の胸元に倒れ込んでいた。


「……武人として、立派な最期だった。今頃は、あの世でも皇帝をお守りしているのだろう」


 そんな言葉と共に、羅雪の両腕が優しく月花の頭を抱擁する。四年振りの羅雪の体温に包まれながら、月花はただ泣いていた。

 やっと、自由になれた。革命が終わった今、ようやく下賜品ではなく、誰かの妻でもなく、ただの月花として生きることを許されて、念願が叶って人目を憚ることなく、再び羅雪と抱き合うことが出来たのに。心を埋め尽くすのは悲哀ばかりだ。この世のなんと理不尽な事か。

 父親を失うのは二度目だった。だからといって悲しみが薄れるわけではなかった。


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